【韓国公州市】2004年に旧朝香宮家より贈られた香炉と沈香→「てへっ、無くしちゃいました」
まずは、2004年の記事です。
https://s.japanese.joins.com/JArticle/54511?sectcode=400&servcode=400
朝香宮家出身の朝香誠彦さん、百済武寧王陵を参拝
2004.08.04 21:05
明仁天皇〔※現 上皇陛下〕の親戚にあたる朝香宮家出身の朝香誠彦さん(62)が、忠清南道公州(チュンチョンナムド・コンジュ)にある百済(ぺクジェ)の武寧(ムリョン)王陵を参拝していたことが明らかになった。
4日の忠清南道関係者の話によると、朝香さんは3日に随行員や親戚ら2人とともに道関係者の案内で武寧王陵を訪問し、日本から持参した酒と菓子・お香などを奉納し手をついて礼拝した。 その後、王陵を見学後、オ・ヨンヒ公州市長に会い、香炉とお香を寄贈した。 朝香さんは現在、日本の異文化交流推進委員会〔※異文化コミュニケーション財団と思われる〕で活動していることがわかった。 朝香さんが寄贈したお香は、約1300年前の沈香木で作った最高級品だ。 日本の皇族関係者の百済王陵参拝は今回が初めてと忠南道関係者は説明する。
明仁天皇は2001年「武寧王の後裔にあたる渡来人系の高野新笠が桓武天皇の母であり、私は百済の血を受け継いでいる」と発言し、日本に大きな波紋を起こした。〔後略〕
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最後の段落は、武寧王(462~523年)の子で日本に人質として来て皇室の臣下となっていた純陀太子、その10代後の子孫である高野新笠が桓武天皇(737~806)を生んだ、という意味です。この事をもって、韓国人は日本の天皇は百済の子孫と喜んでいます。
なお、武寧王の棺は日本から運んだと思われるコウヤマキで造られています。 〔→百済の陵山里古墳群の棺は日本にしかないコウヤマキで造られていた/発掘調査は日本統治時代〕
公州市は寄贈された香炉と沈香木を武寧王陵展示館に展示していたそうですが、10月7日付けの『朝鮮日報』の記事によると紛失してしまったとの事です。
その記事は『売国奴高宗』の著者の朴鍾仁(パク・ジョンイン)記者によるものです。この記事も天皇は百済系とかくどくどと書いてあるのですが、重要な部分のみ機械翻訳を引用します。
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https://www.chosun.com/national/weekend/2023/10/07/TOY4LTNRXFF6BA3FCRPEBFO2PY/
日本天皇家から寄贈された武寧王陵の供物10年以上行方不明になる
[とにかく、週末] 2004年、日本皇室が寄贈した武寧王祭祀品行方不明事件
2023.10.07. 03:00
2004年、日本の天皇家が武寧王陵を参拝した後、忠清南道公州市に寄贈した香炉と沈香が20年以上行方不明であることが明らかになった。〔...〕
2004年8月3日、当時日本の明仁天皇5親等の叔父であった朝香誠彦氏が公州武寧王陵を訪問した。 皇族として非公式訪問だった。随行員を含めて3人の訪問団は武寧王陵の内部に入り、武寧王に祭祀を行った。〔...〕
祭祀を終えた後、浅香さんは「博物館や武寧王陵などに展示し、多くの人に見られるようにしてほしい」と述べ、香炉や枕香木を公州市に寄贈し〔...〕公州市は寄贈された香炉と沈香木を武寧王陵展示館のガラスケースの中に展示した。
ところが、その製品がある日、あっという間に蒸発してしまった。 公州市は香炉と香がいつ消えたのか、盗難なのか紛失なのかさえ把握できずにいる。 以下は記者との電話インタビューで、失踪過程に対する公州市文化財課の釈明だ。
「正直、行方不明の事実を後で知りました。 展示改編の過程で管理を怠ってなくなったようです。 展示リストにも載せておらず、記録もなく、写真もありません。武寧王陵展示館の展示改編過程で事務室に置いたようですが、その過程でなくなったようです。 展示館が模型〔※復元品/レプリカ?〕を展示する空間なので、特に収蔵庫もありません。 展示品が本物なら体系的に目録化して管理しますが、そうしない面があります。 日本の寄贈品も模型物だと思い、一緒に交換されたことで無くなったのではないかと推測しています。」
2019年7月16日、公州市ホームページの「開かれた市長室: 市長に望む」掲示板には「日本の天皇家から公州市に寄贈された物品は見つかりましたか」というタイトルで苦情が寄せられた。
「〔...〕香炉と沈香木はかなり前に消えたそうです。 (中略)当時、公州市の関係者はどこにあるのか分からないと、みんな怒られることだけを心配するようにしらばっくれていました。」
苦情提起8日後の7月24日、公州市文化財課は「2011年武寧王陵模型館展示改善事業中に紛失したものと推定する」とし「紛失経緯と所在把握のための多角的な努力をしたにもかかわらず、まだ見つかっていない状況」と回答した。〔...〕
公州市庁のホームページに苦情を申し立てた人はこう書いている。「この物品が公州市の観光と歴史性を証明するためにどれほど意味があるのかご存知でしょうか?」
公州市は記者との電話で「警察に捜査依頼はしていない」と明らかにした。
※実際の公州市掲示板が見つかりました。次のエントリーに実際の文(投稿者と市担当者とのやりとり)を掲載します。
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朴鍾仁記者にしては珍しい、何かモヤモヤする文章です。
HPに苦情が書き込まれる前に公州市は香炉と沈香を紛失した事を公表していたのかどうかがハッキリしませんが、いつ無くなったのか分からないという事なので、そうなると、苦情を書き込んだ人は何故無くなったことを知っていたのだろう?というミステリーじみた話になります。
それにしても、なぜ、寄贈された香炉や沈香を「復元品」(レプリカ)などと思うのでしょうか? まあ、言い訳だとは思いますが、失礼な奴らです。
そもそも、展示などしてたのでしょうか?
ただ、「復元品」という言葉を使ったとしたら、その香炉が文化財級の物という前提で話している事になります。
また、不思議なことに、ブログ主が調べた限りでは、日本語でこの寄贈品の情報が見つかりません。記者は朝香家に香炉がどの様な品か問い合わせはしなかったのでしょうか? 中途半端な記事です。
穿った見方をしたら、将来、「消えた香炉と沈香」というテーマで本を書く気で、今回はぼんやりとした記事に留めたのかも。
なお、コメント欄は、香炉が文化財だと勝手に想像し、誰かが盗んだとか、有力者にあげてしまったのだろうとか書かれていました。
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