【沖縄も...】「蝦夷地は日本ではない」かのような文科省の教科書検定
3年程前、教科書に掲載された江戸時代の日本地図が検定により、白く塗り直された(=本州等とは違う色)事が話題になりましたが、現在は更に改悪された事が分かりました。
https://special.sankei.com/a/life/article/20190413/0002.html
北海道以北を「領土外」扱い 小学教科書の地図、検定で修正
2019.4.13
>来年度から使用される小学校の教科書で、江戸時代初期の日本を赤く塗った地図が文部科学省の検定により、北海道以北を白くする修正が行われた結果、北方領土を固有の領土とする政府見解と矛盾しかねない内容になっていることが13日、分かった
上の報道があった後で、北海道で医療法人を経営する中村恵子氏が書いたのが『江戸幕府の北方防衛』(2022/2/21)という本です。
蝦夷地を防衛する為に松前藩と東北諸藩の武士たちが北方警備に当たっていた事を書いた本で、江戸時代の北海道は日本でした。
* * * *
https://www.zakzak.co.jp/article/20231114-GJ37DHKRVVLWBOUEFEDJOIMUVU/2/
「蝦夷地は日本ではない」かのような異様な刷り込み 文科省の教科書修正報道 執筆動機「誰もやらないのであれば私が」
2023.11/14 11:00
中村恵子(なかむら・けいこ)
拙著『江戸幕府の北方防衛』(ハート出版)が発売された直後、ロシアがウクライナ侵略を始めた(昨年2月24日)。このため、本書は注目を集め、アマゾンのベストセラー1位(分野別)となり、現在3刷りとなっている。
執筆動機の1つ目は、北海道の郷土資料館や博物館の歴史年表で、江戸時代の蝦夷地(現北海道)が「アイヌ時代」となっていることに気が付いたことである。蝦夷地の歴史から、江戸幕府と松前藩などがすっぽりと抜けている北海道の時代年表を素直におかしいと思ったのである。
なぜなら、江戸幕府や松前藩、東北6藩(仙台藩、秋田藩、庄内藩、南部藩、津軽藩、会津藩)による、「北方防衛の事実」を知っていたからである。
私は、北海道内にある、史跡・松前城や、江差町郷土資料館、江戸幕府がロシア、諸外国から2度、蝦夷地・樺太・千島を守るために直轄にしたときの政庁史跡・五稜郭内の復元箱館奉行所、警備していた仙台藩白老元陣屋跡、秋田藩増毛元陣屋跡、庄内藩ハママシケ元陣屋跡、南部藩室蘭陣屋跡、津軽藩斜里陣屋跡、野付半島会津藩士北方防衛顕彰碑などを訪ね歩いていた。
執筆動機の2つ目は、あたかも「江戸時代の蝦夷地が日本ではない」ことを刷り込むかのように、文科省の教科書検定によって、東京書籍小6『新しい社会歴史編』の教科書が修正されたとの報道があったからだ。〔後略〕
* * * *
この事は『ch桜北海道』で中村氏ご自身が解説したほか、本社の『チャンネル桜』でも取りあげました。
- 【ch桜北海道】更に改悪された江戸時代の北海道以北地図(東京書籍小6「新しい社会歴史編」)[R5/11/7]
- 【特別番組】ここまで来たか!反日教科書の驚くべき実体-チャンネル桜北海道番組より『更に改悪された江戸時代の北海道以北地図(東京書籍小6「新しい社会歴史編」』より[桜R5/11/9]
後者(2)の番組は冒頭に水島総氏が実際の教科書を見ながら解説しており、続いて『ch桜北海道』の動画(1)が放送されます。
ブログ主が驚いたのは、北海道だけではなく、今後、沖縄(琉球)も江戸時代は日本では無かったかのようにされる予兆があるからです。
下はWikipedia『廃藩置県』で使われている『1872年(明治4年12月)の地方行政区画 (原文:使府藩縣明治四年(十二月))』
はいはん‐ちけん【廃藩置県】
明治4年(1871)7月に行われた地方制度改革で、全国の藩を廃して府県が置かれ、中央集権化が完全に達成された。同年末には北海道のほか3府72県が置かれた。広辞苑 第六版 (C)2008 株式会社岩波書店
琉球国は日清両属(※)のような形になっていたので、他藩とは異なり、廃藩置県(1871年旧暦7月14日/8月29日)では「県」とはなりませんでした。従って、間違いではないのですが、後述する教科書の記述と併せて見ると、疑念が生じるのです。
琉球国は1609年から薩摩藩の支配下〔附庸(ふよう)国=従属国〕となります。強大な薩摩は大隅国(今の鹿児島県の東部、大隅半島および種子島・屋久島などの大隅諸島、奄美大島を含む)も同様に支配していました。首里城には薩摩の役人が詰めていました。
※「日清両属」とは言われるが、江戸幕府の支配下に在り、清に統治された事はない。
1872年に一旦琉球国を政府直属の「藩」に昇格し、『琉球処分』と呼ばれる清との冊封関係を断ち切る処理を経て、1879年に沖縄県が設置されます。
下図も東京書籍の同じ教科書です。
明治維新と北海道・沖縄
明治政府は、蝦夷地を北海道と改め、役所を置いて開発を進めました。アイヌの人々は土地や漁場を次第に失っていき、日本語や日本式の名前を名乗ることなどを強いられました。こうした中で生活が苦しくなっていったアイヌの人々への差別も強まっていくようになりました。
また、政府は琉球が日本の領土だと主張して琉球藩を置き、琉球国王を藩王としました。そして1879年に中国(清)や琉球の人々の反発をおさえ、沖縄県を設置しました。国王は東京に移住させられ、琉球王国は滅びました。
廃藩置県に抵抗したシナ系の官吏が反発し、脱清人(清に脱出)がいた事は事実ですが、かなり悪意のある書き方がされています。
→【沖縄】琉球は日清両属にあらず!(3)尚泰王による清への援軍要請「なかった」
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