【沖縄】琉球は日清両属にあらず!(3)尚泰王による清への援軍要請「なかった」
前回のエントリーの続きです。
これに関しては、昨日の石井望先生の記者会見を受けて、『八重山日報』が記事を書いています。
『尚泰王の援軍要請「なかった」 石井氏、中国の宣伝戦に反論』より、会見内容を要約した該当部分のみ引用させて頂きます。
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「密書」は尚泰の名義で、明治9(1976)~12(79)年にかけて作成されたとされる。
石井氏は①尚泰は明治5年に天皇から琉球藩王に任命され、明治7年に盛大な祝宴を開くなどして喜んでいるが「密書」には強制的に藩王にされたと記され、矛盾している②「密書」にも具体的な援軍要請は記されていない③尚泰の孫〔※〕が「密書」は偽造と書き残している―と説明。
「密書」は尚泰とは無関係に、琉球の不平士族が勝手に作成したものと結論づけた。
琉球国がしばしば「日清両属だった」と言われることについても、清国が「属国」と位置付ける国はいずれも制度上で実際の統治が及ばないことが基準となっていると強調。琉球国が清国に服属した歴史的事実はないとした。
※尚球 著『廃藩当時の人物』〔リンク先は『国立国会図書館デジタルコレクション』〕
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「琉球処分の年表」と「関連人物」も再掲しておきます。
次回は、ブログ主自身が一番重要だと考える「琉球は日清両属にあらず!」です。
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