【沖縄】琉球は日清両属にあらず!(4)シナの「属国」とは「シナに従属していない国」である
前回のエントリーの続きです。
以前のエントリーで、琉球は、シナ(明→清)との冊封関係にあったと同時に1609年以来は薩摩の支配下(附庸国/ふようこく)にあったと書きました。薩摩藩を通じて幕藩体制に組み込まれた琉球は検地も行われ、禁教令は与那国島まで徹底していました。
明らかに日本の支配下にあったわけですが、果たして、明や清に支配されていたと言えるでしょうか? 例えば、清の法令が琉球まで及んでいたでしょうか? 答えは否です。
では、冊封関係にあったとはどういう事なのか? これを理解するにはシナの外交制度を知る必要があります。
◆属国とは属国ではない!?
「属国」とは、例えば岩波国語事典によると、「他の国に従属している国家。他の国の支配を受けている国。独立していない国」とありますが、琉球はシナ(明・清)の征服されたり支配を受けていた訳ではありません。
下は、『山川出版』の教科書にある地図ですが、直轄領、藩部、朝貢国が色わけされています。
図中の台湾に1683年と書かれているのは、明の復興の為に清に抵抗していた鄭成功(ていせいこう)が一旦は台湾を支配するも、「清軍は安平より上陸、鄭克塽が清国に降伏した。鄭氏王室による東寧王国は22年間で終了した」年です。〔Wikipedia:鄭氏政権_(台湾)〕
しかし、図中に追記した様に、清の支配は西半分にしか及ばず、東側は ”化外の地” 〔化外:王化の及ばない所。教化の外〕とされていました。
この図で重要なのは「藩部」と「朝貢国」の区別で、一般に属国と呼ばれるのは「朝貢国」です。
シナは、属国と藩部を明確に分けていました。管轄する役所も礼部、理藩院と異なります。
シナは、貿易国を臣下と見なし、交易も貢ぎ物とその返礼という形を取っていたのですが、誰も、オランダやポルトガルをシナに支配されていた国と思わないのと同様、琉球もシナに統治されていた訳ではありません。
◆琉球はシナの「不征十五カ国」の1つ
『皇明祖訓』によると、地続きの西北辺境の地とは度々戦っていたが、以下の国は征してはならないと、15ヶ国を挙げています。この中に日本や大琉球(沖縄)、小琉球(台湾)が入っており、清もこれを踏襲していました。
これで、石井望先生の講義内容まとめは終わりですが、韓国人の「起源主張」癖に関係する面白い話があったので、次回はそれについて書きます。
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