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2023/07/05

【北海道】宇隆1遺跡(勇払郡厚真町)から出土した12世紀の常滑焼が語るもの

常滑(とこなめ)焼と聞いてブログ主が思い浮かべるのは赤茶色の急須などの茶器で、愛知県の名産品...という程度だったのですが、たまたまTwitterのタイムラインで流れて来た画像で、北海道の遺跡から発掘された12世紀中葉常滑焼の壺があると知りました。

常滑焼は「日本六古窯」(瀬戸・常滑・信楽・丹波・備前・越前)の1つなのだそうです。

 

 

という事は、これをもたらした人と必要とした人 ー 当然、和人がそこにいたわけです。

ブログ主はこれを解説するほどの知識は無いのですが、調べた事や教えて頂いた事を覚え書きとしてエントリーしておこうと思います。

 

画像の壺は宇隆1遺跡(北海道勇払郡厚真町)から出土した常滑焼ので、作られたのは、平安時代(794~1192頃)の12世紀中葉だそうで、当然、アイヌが来る13~14世紀頃よりも古いものです。

 

壺の説明板にはこう書かれています。

この壺が意味するところ

これまでの日本史の常識を覆す大発見!
厚真町に留まらず北海道・東北・日本の貴重な歴史史料!

これまで東北地方でお経を入れた京塚外容器(きょうづかがいようき)、骨壺として発見。
  ⇒仏教の思想を持った本州和人の習慣(しかも有力者!)
  ⇒宇隆(うりゅう)の壺が北海道で初めての仏教遺物だとしたら...。
=北海道で初めて仏教が伝わった地域か!?

これまで函館で発見されていたモノ(貞治の板碑(じょうじのいたび)・1367年)〔〕よりも約200年も遡る貴重な発見!

※南北朝時代(1336年~92年)。宝暦2年(1752)函館大町の榊伝四郎が井戸掘りの際に発見した安山岩製の板碑(板石塔婆)。この時、同時に出土した頭蓋骨を収めた丹塗の小箱や鐙の金具、九曜紋入りの刀の鍔などを合わせて、称名寺に納め供養されていたもの。

=厚真町の宝物に留まらず、北海道の歴史遺産とも言えます!
常滑の壺は、奥州藤原氏の拠点「平泉」(ひらいずみ)で多数発見されている。
  ⇒仏教王国「平泉政権」との交流を示す史料の可能性もあります。

=奥州藤原氏の栄華を支えた北方交易の証しの品物
  ⇒奥州市前沢区・平泉町・岩手県にとっても大切な宝物!

=平泉政権は京都の貴族に毛皮やオオワシの羽根なども送っていた。
  ⇒日本の貴族社会を支えた北の証し。日本史にとっても重要な資料!

=平泉の川湊(かわみなと)「奥州市前沢区の白鳥館(しろとりたて)」(国指定史跡)との関連性
  ⇒800年以上前からの姉妹都市交流の可能性も!!

 

前掲の画像がきっかけで常滑焼について調べていたら、こんな画像も見つけました。

 

20230705_tokoname02

 

よく似ていますね。

画像のリンク先の「公益財団法人)滋賀県文化財保護協会」の該当サイトによると、塩津港遺跡琵琶湖の北端で、北陸と近畿とを結ぶ琵琶湖の湖上交通の拠点)で出土したもので、12世紀前葉のものだそうです。

 

厚真町の壺の説明文にもあるように、常滑焼は奥州平泉から多数出土...。

上記サイトの琵琶湖の北端という事で、日本海ルートの北前船(きたまえぶね)をイメージしたのですが、前述の『鉄』さんによると、奥州藤原氏(平安後期~1189年)の時代には太平洋航路があったとの事。

 

20230705_tokoname03
▲石巻市博物館の常設展示より(鉄さん提供

 

柳之御所遺跡(岩手県平泉町)を始めとする平泉藤原市関連遺跡では、12世紀の渥美焼や常滑焼など東海地方の陶器が大量に出土しています。平泉藤原氏の権力の下、太平洋海運を通じて渥美焼が平泉に運ばれ、平泉には渥美半島から招かれた工人達が窯を構えたものと考えられてます。...

 

東北北部と北海道は縄文文化も共通点があり、遅くともその頃既に本州から北海道に日本人が渡っていた事が分かります。平安時代にも当然交流はあったでしょう。だから、「アイヌ」(「アイヌ屋」)は縄文文化を背乗りしようとしています。

 

 

  


 

 

 

 

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