【韓国】「近大新聞記事から探る料理文化」に見るキムパブ(韓国風海苔巻き)
『シンシアリーのブログ』の筆者、シンシアリーさんは最近、日本国籍を取得されたそうで、おめでとうございます。
そのシンシアリーさんの最新のブログエントリー(2023年5月25日)『突然現れたキムバップ(海苔巻物)・エントリー』で、「近大新聞記事から探る料理文化」〔근대 신문으로 보는 음식〕というサイトがある事を知りました。左記ブログエントリーではここで検索した「김밥」(キムパブ:韓国式海苔巻き) の一部を翻訳して紹介されています。
ブログでURLは紹介されてなかったので、探してみた所、
近代新聞で見る食べ物 > 開港以来入ってきた食べ物と食材〔근대 신문으로 보는 음식 > 개항 이후 들어온 음식과 식재료〕というサイトに行き着きました。
下記がまさしくシンシアリーさんが翻訳して紹介して下さった「キムパブ」サイトです。
https://ncms.nculture.org/legacy/story/2951
慶尚南道 > 統営市
日本による植民地時代 寿司で作ったキンパプ
海苔は朝鮮時代から全羅道の特産物として記録に残っているが、海苔巻きに関する記録は日本による植民地時代ご飯に酢を入れて玉子錦糸卵、天武(鯛の身をピンク色に染めたもの)などを中にして海苔で包むと出ている。 酢で味付けしたキンパプは解放後の新聞記事でもその調理法が見られる。 今日のキムパプは酢よりごま油と塩で味を調える。 のり巻きの大衆化は日本による植民地時代海苔がある程度生産され、日本の弁当文化が定着して作られた。
機械翻訳なので不自然な日本語ですが、「寿司で作ったキンパプ 」 とは「酢飯で作るキムパブ」という意味のようです。
上記サイトの、シンシアリー氏が訳さなかった部分には、「材料は浅草のりという厚手の和海苔で…」という説明が出てきます。「浅草のり」は浅草の近くで養殖される海苔の他、干し海苔の総称でもあったので、本土(日本)から移入した板海苔を朝鮮でも浅草のりと呼んでいたようです。また、「朝鮮海苔を使う時は二枚合わせて..」 とも書いてあり、これで、現在我々が「韓国海苔」でイメージする海苔が、日本の板海苔より薄くてややスカスカした感じなのも理解できました。
当時、朝鮮でも板海苔を作っていたものの、日本の海苔のような均一なものでは無かったようで、それで和海苔と呼んで区別していたのでしょう。
更に上記サイトを訳してみます。
のり巻きから酢で味付けしない調理法は1970年代末に出る。 『毎日経済』1977.03.12.「春遊び支度野外弁当」のキムパプ調理法で豚ひき肉を炒めたもの、野菜炒めをご飯に混ぜ海苔を4節に切った後ご飯を包んでセリ〔※?미나리:セリ、田ゼリ〕で縛って包むということで新しいキムパプ調理法を紹介している。
では、キムパプは日本統治時代の寿司を海苔で包んだノリ巻き寿司に由来するのだろうか? 統営の名物である忠武のり巻きはご飯に何の調味もしなかった。 長い間変質しないように海苔の中にご飯だけを入れて親指の大きさに切ったのだ。 このキムパプに大根キムチとイカの和え物をおかずにする。 忠武のり巻きがいつ作られたかは分からないが、海苔が比較的一般的になった日本による植民地時代に作られたものと推定できる。 忠武のり巻きを作る時、その当時一般的な常識だったご飯に酢を混ぜずにご飯だけ包んだのはのり巻きの調理が多様であることを示している。 日帝時代にも酢の代わりに他の調味をしたり調味をしないキムパプが存在した可能性がある。
酢飯を使わない海苔巻きが初めて新聞に現れるのは1977年との事ですが、日本統治時代に既に酢飯を使わない海苔巻きがあったと言います。
しかし、「長い間変質しないように海苔の中にご飯だけを入れて...」 というのは、そもそも傷まないように酢を使うのであり、具材が変質しないように具を別にするというのは、朝鮮人が酢の効果を理解してなかったのでなければ、酢飯を好まなかったとか、高価で手に入りにくかったとか、他の理由があったのではないでしょうか。
なお、以前も書いたと思いますが、海苔巻きをキムパブと呼び変えたのは、1995年から始まる「国語醇化(醇化)」運動によるもので、光復60周年(2005年)の為の事業だったそうです。〔일본어 투 용어 순화 자료집(日本語当用語純化資料集)〕
言い換えリストはWikipediaにも公開されており、「마키즈시 (卷き鮨, 卷き壽司, まきずし)」も掲載されています。
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