【日本統治時代の朝鮮】朝鮮の緑化:4月5日『植木日』(식목일/植樹の日)の由来
前回のエントリーに続いて『ペン&マイク』の動画をご紹介しようと思いましたが、その前にもう一つ、李宇衍(イ・ウヨン)博士のFBの投稿を読んでみたいと思います。
これは、『反日種族主義』の李栄薫(イ・ヨンフン)博士とシン・ヨンハ教授との論争が前提なので、その記事をまずご紹介します。
https://www.chosun.com/site/data/html_dir/2019/10/31/2019103100211.html
수탈이냐 아니냐… 일제 토지조사 사업 두고 벌어진 두 교수의 논쟁
収奪か否か··· 日帝強占期の土地調査事業をめぐる両教授の論争
2019.10.31.
李栄薫の「反日種族主義」に対抗し、「日帝朝鮮土地調査事業収奪性の真実」を出版したシン・ヨンハ、互いにでたらめな学説だと批判し合う。
「反日民族主義」論争が1910年代の日帝の土地調査事業に移った。ソウル大学社会学科のシン・ヨンハ(82)名誉教授は最近出版した「日帝朝鮮土地調査事業収奪性の真実」で「反日民族主義」の共著者である李栄薫(68)元ソウル大学経済学部教授を強く批判した。シン教授は「李栄薫をはじめとする一部のニューライト経済史学者たちは、日本帝国主義・軍国主義者の韓国侵略と植民地強奪を擁護し、美化するために、日本植民地政策の収奪性の本質を掘り下げる筆者の研究を故意に中傷し、毀損している」と主張した。〔後略〕
韓国では、根拠も無いまま、”土地の40%を日帝が収奪した” というのが定説になっており、教科書からは削除されたと聞いた事がありますが、未だに信じている人が多いようです。
以下は、これに対する李宇衍博士の反論ですが、ここでまた朝鮮半島の緑化に触れているのです。
* * * *
2019年10月31日
シン・ヨンハ教授の日帝土地収奪論に対する批判1。
日帝が収奪する山林があったと考える人々、日帝残滓だと言って木を抜くバカたちに大声を出す。
朝鮮開港後1910年以前に朝鮮を訪れた外国人に奇異に見えたことの一つは、山に木がないということ。 今のアフガニスタンを連想すればいい。 外国人は釜山に上陸、1904年に完工した京釜線でソウルに到着。 釜山からソウルまで一本の木を見たことがないという誇張さえ容認された。
確かに言えるのは、智異山(チリサン)、雪岳山(ソルアクサン)、金剛山(クムガンサン)、白頭山流域の原始林を除けば、山には木が見つからなかったという事実。 私は朝鮮が滅びた理由は農業衰退のためであり、これは人口増加にともなう山林荒廃化のためであり、このような生態環境危機を克服できなかったのは所有権制度の革新不在のためだと主張した。
解放後、韓国では「治山治水」と呼ばれた。 起源は孟子である。 ドイツと共に前近代に山林緑化に成功した例外が日本だが、この人たちは「治山治水治心」と言った。 朝鮮総督府は4月1日〔※4月3日の誤り?〕を記念植樹日に指定し、総督から国民学校の生徒まで木を植えた。 韓国の植樹の日〔※식목일〕だ。 先日まで私たちがよく遊んだ4月5日の祝日は、米軍政が日付だけを変えた〔※〕のだ。 土地調査事業終了に際し、その人員で林野調査事業に着手、今の土地、林野台帳が完備された。
※神武天皇祭の4月3日が愛林日であった。嘗て4月5日は公休日であったが、現在は休日では無い。
植民地期を通じて植えた木は82億本。 山林荒廃が深刻な南部が人工造林の中心。 造林面積は236万ヘクタール。 解放後、2度にわたる治山緑化10ヵ年計画を含め、1995年までに植えた木が55億4千万本。 造林面積224万3千ヘクタール。 世界食糧機関などは解放後、大韓民国の山林緑化を20世紀後半の世界史の唯一の奇跡だという。 植民地期の山林緑化実績を推量してみろということだ。 私の専攻だから文句を言うな。
日帝の時に植えたから全部抜き取ろうか? 実際に植えたのは朝鮮人だった。 朝鮮総督府は林野所有権、造林補助金などの誘引を提供し、山林復旧を国策事業として強力に推進した。 全部抜いて太陽光施設でも作りなさい。 日照りと洪水が「年例行事」として訪れるだろう。 その前にまず韓国山林科学院(旧林業研究院)から無くせ。 日帝が作った林業試験場を改名したのだ。 日帝が植えた木をすべて抜けば、光陵樹木園は自然消滅だ。 これは朝鮮総督府林業試験場の広陵池倉だった。 朝鮮に適した樹種を開発、実験した場所だ。 いいデートコース一つなくなりそう。〔...〕
朝鮮には「植木」や「造林」という言葉もなく、そのような概念もなかった。 〔...〕 あなたたちの好きな登山に行ってみなさい。 良い木はすべて倭政の時に植えたもので、その他は君たちがそんなに嫌がる朴正煕(パク・チョンヒ)の時に植えたものだ。 全国がみんなそうだ。〔後略〕
次回に続きます。
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