【台湾】神様として祀られた日本人巡査【義愛公】
Twtterで台湾の方があるニュースをツイートされており、サムネイルの画像には浴衣を着たお祭りのような様子が映っていました。
記事のタイトルは「影音/日本巡查變台灣神明 東石舉辦義愛公開基百年祈安巡禮大典」。
字面でもだいたい意味は分かりますが、「日本の巡査が台湾の神様に」、 「開基百年大祭」のような事が書かれています。
そこで調べたら、下の記事が見つかりました。
現在も慕われる日本人巡査――「義愛公」を考える
2020.07.25
片倉 佳史
台湾西部の沿岸部。ここに「義愛公」(ぎあいこう)と呼ばれる祭神が存在する。祀られているのは一人の日本人警察官である。今回は日本統治時代に起こった悲劇と奇跡、そして、台湾の「文化景観」としての義愛公を見つめてみたいと思う。
義愛公として祀られているのは森川清治郎(もりかわせいじろう)巡査で、集落の「守護神」とされているそうです。
森川清治郎は1861年、神奈川県に生まれた。本籍地は久良岐郡戸太町字戸部266番地(現在の横浜市西区)。1897(明治30)年に台湾へ渡ったとされる。巡査となったのは同年5月4日で、6月3日には台南州に赴任し、打猫(現在の民雄)、大埔林(同じく大林)、新巷(同じく新港)などを経て、1900(明治33)年8月に東石の鰲鼓(ごうこ)派出所に着任した。
当時、台湾統治の末端は警察官が担っていた。治安の維持のみならず、衛生管理や各種命令の伝達、政策の執行など、多くの職務を兼ねていた。さらに、農業指導、道路の補修や敷設に伴う労役管理、各種調査、職業訓練、浮浪者の収容などもあって、多忙を極めていた。
副瀬村は半農半漁の寒村で、住民の大半が文盲だった。森川は教育の重要性を強く感じていたようで、廟に「寺子屋」のような書房を設け、自らが教師となって読み書きや算術を教えた。
また、栄養状態が悪く、疫病が蔓延(まんえん)しやすい土地だったので、衛生観念を人々に植え付けることを不可欠と考えたようである。病に罹(かか)る者がいれば、薬や医者の手配をし、時には、森川自身が治療にあたることもあった。
1902(明治35)年、村人に溶け込んでいった森川巡査に悲劇が起こります。ある事がきっかけで森川巡査は自殺してしまうのです。〔詳しくは上記記事をお読み下さい。〕 そして20年経ちました。
1923(大正12)年の2月初旬、台湾南部に流行性脳髄膜炎が蔓延した。台南一帯を恐怖に陥れ、南は麻豆、新化、北は北港からと、猛威は徐々に副瀬村に迫ってきた。
同年2月7日、保正〔※警察の補助員〕を務めていた李九という者の夢の中に、黒マントを羽織った巡査が現れた。〔...〕
夢の中で、巡査は「生水や生ものに注意せよ」と語ったという。そして、いくつかの場所と具体的な予防策を伝えた。翌朝、李九はすぐに村民を集め、指示に従って対策を施した。すると、病魔はこの集落を避けるように沈静化したという。
村人はすぐに黒マントの巡査は森川巡査だと分かり、死後もなお村を愛して守ってくれていると感謝して神像を作って祀ったと言う事です。
こういうのを読むと、韓国人(朝鮮人)と台湾人の違いは何だろう...と考えざるを得ません。
韓国の反日映画などでは、日本人巡査が悪く描かれていたり、国語の教科書には下のような作品が掲載されていたりします。
歴史教科書ではなく、国語の教科書というのがミソで、文学作品としてなら史実でなくとも問題ありません。こうやって反日を刷り込んでいるようです。しかし、この本によると、40%は朝鮮人警官で、警察官は人気の職業で羨望の的だったそうです。
恐らく、警察官は小うるさい存在であり、怖くもあったのでしょう。上記本によると、警察官は朝鮮人の間で人気の職業で羨望の的で、40%は朝鮮人警官だったそうですが、戦後、民衆の怒りの矛先が警察官に向けられ、暴走した民衆に襲われたりしたそうです。襲われるのは朝鮮人の警察官の方が多かったとも書かれています。
それにしても、朝鮮半島に赴任した日本人と台湾に赴任した日本人とで、それ程差があったのでしょうか。
以下は以前のエントリーに書いた物の再掲です。
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ブログ主の手元に『日本帝国と大韓民国に仕えた官僚の回想』(任文桓・著)という本があります。
著者は1907年生まれなので、普通学校の時(12歳)に3.1〔※1919年の3.1独立運動〕を経験しています。彼は「万歳運動」を良いことだと考え、友人と3人で太極旗を作り、小高い丘の上で何度も万歳を叫んだところ、刑事がやって来て警察署に連れて行かれます。警察署長は3人に自分の名前と父親の名前を黒板に書くように命じます。3人は、父親の名前を自分の名前より高い位置に書きました。すると、それを見た署長は笑いだし、「教育が行き届いている。帰って宜しい。」と、許してくれました。それから数日後、学校の校長が3人を呼び出し、「警察署長が褒めていた」と言って、飴玉をくれたそうです。
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小さな良いエピソードがあっても、そんな事を口に出せない雰囲気の中で忘れ去られてしまったのかもしれません。
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