【歴史と国史】張本勲氏の「韓国は弱かったから国を奪われた」発言について
『朝鮮日報』などが報じた元プロ野球選手の張本勲さんのインタビュー記事の中で「韓国は弱かったから国を奪われた」という発言を問題視する日本人読者が少なからずいるようですが、こんな事は些細な事で、結局は、「当時の朝鮮人がボンクラだった」と言っているに過ぎないと思います。
>当時は弱肉強食の時代で、韓国は弱かったから国を奪われました。絶対あのようにやられてはいけなかったのに…。
張本さんは一般的な在日韓国人の歴史観を述べただけだと思いますが、起こった事を受動的に言っただけでしょう。
日本人は、「日韓併合」(1910年)だけを見がちですが、韓国人は一般に、1895年の閔妃暗殺(乙巳事変)から、「第1次日韓協約」(1904年)、「第2次日韓協約(乙巳条約)」(1905年)と、財政権や外交権が奪われて行く過程も含めて、”日本の侵略” と見なします。乙巳条約の当事者である官僚を「乙巳五賊」と呼び、特にその中心人物の李完用を売国奴と忌み嫌う事からも分かるでしょう。
もう少し遡って、江華島条約(1875年)という、朝鮮にしてみれば不平等条約から ”日本の侵略” と言う韓国人も多いです。
これを経て日韓併合に至る過程は、受動的に言えば「日本に国権を奪われた」であり、能動的に言えば「国権を受け渡した」に過ぎないと思います。〔時系列は「ハーグ密使事件(1)」に掲載した略年表参照〕
* * * *
ここからは張本さんの発言から離れます。
韓国人の中でも多少客観的に歴史を見る事ができる人達でも、この「国権を奪われた(受け渡した)」事は屈辱であり、許せないのです。
「許せない」対象は、日本でもあり、その手続きをした官僚達や国権を譲り渡して豪華な暮らしをした高宗一族に対するものでもあります。
韓国人は「善・悪」の二分論で物事を見る傾向があるので、なかなか理解できないのですが、
当時の「開化派」と呼ばれる人達は、日本をベンチマークして改革をしようとし、日本の援助を期待しました。
乙巳条約で外交権を奪われる事に憤りを感じてハーグに行った密使さえも、不満を述べながらも「日本人が腐った朝鮮を変えてくれると期待してた」と言ったくらいです。
日本人がバックアップして進めた改革は、李王家に潰され、改革を推進しようとした朝鮮人は悉く殺されるか亡命します。
ここまでは韓国人もある程度共感します。(と言っても、多くの韓国人は、”日本が余計な事をせずに、もう少し頑張れば朝鮮人の手で改革できた” とタラレバを言いますが。)
しかし、この体制では改革は無理だと悟った賢い朝鮮人、例えば、対等な合邦を望んだ李容九(イ・ヨング)ともなると完全に ”売国奴” です。
また、せめて形式的にも祭司者としての李王家の家門を保とうと日本政府と交渉した李完用(イ・ワンヨン)も、単純に ”売国奴” 。
李完用に理解を示す韓国人もいますが、せいぜい、”本当の売国奴は高宗(大韓帝国最後の皇帝)であり、李完用等乙巳五賊は事務手続きをしただけで忠臣だ” という解釈です。実際には、高宗は譲位に抗い、李完用は説得する側だったのですが、これを知ったら、「やっぱり、李完用は逆賊であり売国奴だ」と思うでしょう。
「許せない」という感情は良い悪いの問題ではないので、批判するわけではありませんが、韓国人的には誰か「悪者」を見つけないと収まらないのでしょうね。
当時の賢い朝鮮人は、できれば日本の様な『立憲君主制』への移行、それが無理なら『瀕死の朝鮮(大韓帝国)』の幕引きを考えていたのですが、それをどこまで日本に委ねるかに程度の差があっただけです。
結局は、朝鮮人だけでは改革は無理だったのですが...。
日本の歴史、特に人気のある戦国時代とか幕末では、裏切ったり裏切られたり、攘夷派から開国派に変節したり、幕府側にも判官贔屓を感じたり、etc. と、絶対悪(善)を越えてありのままの史実を日本人は楽しみますが、国威発揚の国史しか学ばない韓国人にはそういう発想は無いのだと思います。
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