【台湾】桃園神社を巡る論争【忠烈祠の隣に日本の神社を作っちゃったw】
台湾の本省人〔戦前から台湾に住んでいた人達〕と中国人〔=外省人:戦後、中国本土から台湾に移住してきた人とその子孫 ≓ 国民党〕のイデオロギーの対立がこの桃園神社に現れていたので、覚え書きとしてエントリーします。
まず、桃園神社は台湾北部、現在の桃園市にあり、性格に言えば、日本統治時代に建てられた神社の姿が良く保存されているというだけで、神社ではありません。旧桃園神社と呼ぶべきでしょう。
拝殿は戦後、忠烈祠に変わりました。日本で言えば護国神社や靖国神社ですが、国民党の視点で中華民国のために殉職した軍人などを祀る場所、即ち、抗清、抗日がコンセプトになっています。
忠烈祠にする際、取り壊す予定もあったそうですが、あまりにも立派な施設が残っているので保存を望む声が多く、「唐風の建物だから」、「負の遺産でも残すべき」などと説得して、そのまま使われたそうです。
境内には、鳥居や狛犬だけでなく、神馬の像などが良く保存されています。
繁体字のWikipediaによると、2016年から修復工事が行われ、その後、桃園忠烈祠及び神社文化公園(桃園忠烈祠暨神社文化園區)とされ、民間にその活用方法を委託していた所、社務所の建物に日本から神様をお呼びして、神社に作り替えてしまいました。
2022年9月に北海道の鳥取神社から御魂分けをしてもらい、大国主命、天照大神、豊受大神を祀ったと言う事です。
台湾人のこの屈託の無さには日本人も驚くばかりですw
どこぞの国と違って台湾人は神社が好きで、絵馬を奉納する事も大好きなのだそうです。それで、絵馬の奉納場所を作ったり、回廊に風鈴を飾ったりして、台湾にいながら日本を体験できる場所として、それまで1日10人も訪れなかった公園に平日900人、休日5,000人の訪問客が来るようになり、文化活用としては大成功でした。
元々、台湾の忠烈祠は上述のような性格のものなので、多くの台湾人にとっては関心の無い場所だったからです。
しかし、神社自体は台湾にもキリスト教の教会があるように問題は無いのでしょうが、よりにもよって忠烈祠の隣に...と言う事で、おそらく、国民党支持者(外省人)には不満だったのでしょう。昨年末の選挙で国民党の市長に代わると、今年3月に「御魂は日本に返した」と発表しました。〔但し、本当に正式にそのような儀式をしたのかどうか、微妙な問題なので曖昧にしているようです。〕
内容は理解できませんが、『不滿?桃市府急送走天照大神!神社觀光景點! "善"意識形態?【台灣最前線 重點摘要】2023.03.14』という討論番組も放送されたようです。
現在は、神社らしい飾り付けは取り払われています。
ついでに書くと、先日、民主党の蔡英文総統の米国等への訪問に当て付けるように、国民党の馬英九元総統が中国を訪れ、国民党ゆかりの場所以外に多くの反日施設も訪れました。
この訪問で馬英九元総統は「和平奮闘/振興中華」と揮毫をしました。これは孫文の言葉から取ったそうで、「台湾と中国は共に平和のために協力し、中華を盛り上げよう」という意味だと説明したそうです。統一派のスローガンです。
しかし、署名に「中華民国」という国名はありません。中国では禁句だからです。また、「百十二年三月廿八(28)日」という日付は本来は「民国百十二年」(中華民国暦)なのですが、「民国」とう文字も書きませんでした。国民党が如何に中国(中華人民共和国)に媚びているかがよく分かります。
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【参考】※台湾chの動画は余り長期間は公開されていない(削除される?)のでご注意下さい。
- チャンネル桜『台湾ch』:【台湾CH464】台湾「桃園神社」事件ー台湾人の「親日」許さぬ外省人「反日」政治勢力の逆襲 / インド太平洋を視野に日台与党が安保対話
- チャンネル桜『台湾ch』:【台湾CH465】賴清德副総統の「日台運命共同体論」を聞け/日台分断!抗日戦争記念の旅-馬英九前総統が中国訪問/中国系の迫害受けた
- Wikipedia:桃園神社〔日本語、中文〕
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