【韓国】小学生用教科書に見る『慟哭のポプラ』
『慟哭のポプラ』については、以前のエントリーでご紹介しましたが、このポプラがあった「西大門刑務所」は日本統治時代に建てられた近代的な刑務所であり、現在は歴史博物館のようになっており、韓国人の『恨』の渦巻く場所となっています。
”ポプラがあった” と書きましたが、現在でも、このように保存されています。腐らないようにする為に、直接地面につかないように、台木のようなものが添えられています。
これほどまでして保存するのは、処刑される朝鮮人がこの木の元で慟哭したというエピソードがあるからですが、古い航空写真を検証した結果、このポプラが植えられたのは、解放後でした。
慟哭のポプラなんて無かったのです。
しかし、現在の小学生向け歴史教科書には下図のように掲載されています。
<慟哭の木>
死刑場の中と外にはポプラが植えられています。
これらの木々は死刑場を建てた1923年に一緒に植えたそうですが、死刑場の内側の木は外の木よりはるかに細く弱いです。
おそらく亡くなった愛国志士たちの恨みがこもっていて、うまく育たないだろうと人々は話しています。
特に外のポプラは「慟哭のポプラ」と呼ばれていますが、独立を果たせず死刑場に入らなければならなかった愛国志士たちが捕まえられて無念の涙を流したからです。
韓国人の歴史観は、こうした細々(こまごま)とした捏造エピソードが書かれた ”小説” で強固な物になっているのです。
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