【金文学 日中韓国際文化研究院長】誰が尹東柱を「操り人形」にしたのか?
前回のエントリーで、韓国では尹東柱(ユン・ドンジュ)を抵抗の詩人として扱っていると、韓国人ジャーナリストの崔碩栄氏の著書 『韓国人が書いた 韓国で行われている「反日教育」の実態』 からご紹介しました。該当部分から一部をキャプチャします。
そうしたら、タイミングが良い事に比較文化学の金文学先生が『ペン&マイク』に寄稿された「誰が尹東柱を「操り人形」にしたのか?」という記事を見つけたので、機械翻訳してご紹介します。
その前に、韓国の授業で「祖国を失った喪失感」を詠んだ詩とされる尹東柱の『序詩』の日本語訳をご紹介します。尹が留学した同志社大学に立つ石碑に刻まれたものです。〔訳:伊藤郷〕
死ぬ日まで空を仰ぎ
一点の恥辱(はじ)なきことを、
葉あいにそよぐ風にも
わたしは心痛んだ。
星をうたう心で
生きとし生けるものをいとおしまねば
そしてわたしに与えられた道を
歩みゆかねば。
今宵も風に星が吹き晒される。
これが ”抵抗詩” ?
* * * *
http://www.pennmike.com/news/articleView.html?idxno=62498
[寄稿/金文学(キム・ムンハク)日中韓国際文化研究院長] 誰がユン·ドンジュを「操り人形」にしたのか?
パク·ジュンギュ記者
初承認 2023.04.13 09:57:32
最終修正 2023.04.13 10:00
日政期〔※括弧書きで「日政期」と書かれている〕を生きて死んだ詩人尹東柱は、実は韓国の左翼が「知的欺瞞」として活用した代表的な人物である。ユニークな感性と人生に対する深い苦悩を穏やかで叙情的な筆致で表現したという評価を受け、韓国人の大きな愛を受けている。国民的詩人の仲間入りを果たしたとも言える。
尹東柱が韓国人から脚光を浴びる最も大きな理由の一つは、彼がまさに「日帝強占期」に27歳の若さで日帝の刑務所で死を迎えたという悲劇的な運命に対する同情のためだ。他の理由もあるが、民族の抵抗詩人、独立運動家、愛国詩人という大きな月桂樹の冠を他意によってつけたからだ。韓国人はもちろん、朝鮮族も一点の疑いもなく、そのような定型化された修飾語に共感する。
最近、韓国政府は尹東柱を「独立功労者」として追悼し、顕彰するという。しかし、筆者はその理由がとても気になる。
筆者は尹東柱の後学として約30年前に日本の同志社大学に留学して以来、彼の作品と評伝、そして関連文献を熟読してきた。しかし、今日韓国人が言及し、共感する日帝に対する抵抗、抗日、独立の意志は毛羽立ちのように発見することができなかった。
彼の作品の中で捉えられる純粋、清浄、無垢、憂愁、孤独、自責など人間の普遍的な心情と哲学的ないし宗教的な意味での自己省察は力強く、優れている。しかし、彼の純粋文学をイデオロギー的に解釈することには反対する。
もちろん、尹東柱に対する同情あるいはオマージュは十分に理解できる。しかし、韓国人は彼を個人としての尹東柱あるいは純粋な詩人としての尹東柱ではなく、「政治的イデオロギー」尹東柱とみなす大きな愚を犯してしまった。
筆者が直言したいことは次の通りである。韓国人は、民族主義と愛国主義という政治的イデオロギーの枠に尹東柱をはめ込むことで、自分たちが望むように言ったり踊ったりする一種の「人形」にしてしまった。 そして、民族の祭壇に祀っている。
韓国人がこれほどまでに愛する「序詩」についても、「星は韓民族を象徴し、どんな風にも揺るがず、抵抗する確固たる民族魂を尹東柱は歌っている。日帝によって引き裂かれたが、決して消えない民族の言語、心、人生を星という言葉に込めている」と言われている。もちろん、このような解釈も可能だ。しかし、韓国人はこれだけが「正解」と主張する。他の解釈の余地を許さない。
筆者は尹東柱を民族と愛国というカテゴリーに含め、決められた「正解」だけを許容するような息苦しく偽善的な民族主義と愛国心を不快に思う。民族と愛国だけを土台にして、画一的な「正解」だけを強制し、尹東柱の詩を「民族の抵抗を歌った詩だ」と洗脳する教育方式には決して賛成できない。
筆者が知る限り、尹東柱はすでに完成された詩人だった。 しかし、彼が惜しい年齢で日帝によって人生を終えなかったら、解放された祖国でとても大きな詩人に成長しただろうという韓国人の漠然とした想像と安易な同情こそ、後世が作り出した「尹東柱の悲劇」ではないだろうか。
韓国社会は民族感情に基づいて尹東柱を同情し、哀れな若い詩人を殺害した悪辣な日帝に怒りを覚えた。そのためか、韓国人は尹東柱に「日帝に果敢に抵抗して死んだ不運な天才詩人」というイメージを重ねただけでなく、「反日民族主義」の「操り人形」まで作り、それを徹底的に利用した。
例を挙げよう。抵抗詩として語り継がれる彼の遺作「悲しい民族」には、「白いタオルが黒髪を包み、白いゴム靴が荒い足にかかる。白いチョゴリのスカートが悲しい体を覆い、白い帯が細い腰を縛る」という一節がある。韓国人はこれを「白い」は朝鮮民族の象徴であり、「黒い髪、荒い足、悲しい体、細い腰」は日政期の韓民族の悲しみであり、「腰を締める」は強固な抵抗の表現だと解釈する。
しかし、筆者が見たところ、ただ伝統衣装で全身を包んだ朝鮮人のイメージを詩的に表現しただけだ。そのような抵抗とか、頑固な闘志とかとは大きな距離感を感じる。ある特定のイデオロギーに包まれた文学は、いつも無理と欺瞞を伴うものだ。
前回のコラム「日政期の朝鮮人は抵抗・抗日したのか」で指摘したように、山積みのように積み重なるほど多くの親日文学を恥と考える韓国の左派は、民族の精神を守った「抵抗・抗日文学」の発掘が非常に切実だったはずだ。そこで、親日文学の山積みの中で「救命草」〔※薬草〕のように見つけたのが尹東柱だった。反日、抵抗、抗日、愛国詩人として死んだという「神話的」尹東柱を呼び出したのだ。
要するに、韓国の左派が、若くして日帝によって夭折した尹東柱に「民族の抵抗詩人」という月桂樹の冠をかぶせた理由は、親日に満ちた韓国近代文学の「恥」を「一点の恥もないことを望んだ」尹東柱で払拭するためだった。
その結果、尹東柱は大韓民国「抵抗文学」の祭壇に操り人形として祀られることになった。これが韓国と朝鮮族が共謀して作り上げた「尹東柱神話」の悲しい真実である。空と風と星を歌った純粋な叙情詩人である尹東柱は死んでこのようなひどい人格的冒涜を受けることになった。いっそのこと、尹東柱をただの叙情詩人として放っておけばよかったのに。
« 【反日教育】韓国の学校に通う日韓カップルの子供の教科書(2) | トップページ | 【台湾】桃園神社を巡る論争【忠烈祠の隣に日本の神社を作っちゃったw】 »
« 【反日教育】韓国の学校に通う日韓カップルの子供の教科書(2) | トップページ | 【台湾】桃園神社を巡る論争【忠烈祠の隣に日本の神社を作っちゃったw】 »
コメント