【図書】『日本人はどのように森をつくってきたのか』コンラッド タットマン(Conrad Totman)著
本題に入る前に、たまたま目に付いた『中央日報』の記事、「森に100億(ウォン)をつぎ込んだ···教師を辞めて60年間、はげ山を再生した男』(原題:숲에 100억 쏟았다…교사 관두고 60년간 민둥산 살린 남자/ 2023.04.21)から。
60年余りの間、畜産業を営む傍ら、森を育てた篤林家、故・陳載良(チン・ジェリャン)氏(1923~2021)に山林庁が「森名誉殿堂」を贈ったという記事ですが、このような事が書いてありました。
>全羅南道長城出身のチン氏は1943年光州師範学校を卒業し、霊光妙良小·仏甲小などで教師として働いた。 日帝時代、師範学校在学中に日本に修学旅行に行った陳氏は、鬱蒼とした山林を見て衝撃を受けたという。 当時の記憶を忘れられなかった彼は、教師を辞めて「日本を凌駕する山林強国を作らなければならない」と山林緑化に飛び込んだ。
同じ中央日報の2000.04.05付けの記事では以下のように書いてあります。
>中学校の国語教師だった陳氏が山林づくりに関心を持つようになったのは1955年。研修のため日本に渡った陳氏にとって、鬱蒼とした日本樹林は大きな衝撃だった。 〔45년간 36만그루 심은 진재량씨 일가(45年間36万株を植えた陳載良氏一家)〕
陳氏が最初に日本の森林を見て衝撃を受けたのは日本統治時代だったのかも知れませんが、別の記事にも本格的に森林再生に取り組む決心をしたのは教師時代と書かれていたので、直接のきっかけは1955年なのでしょう。解放後、極貧に陥った韓国人は再び森林資源を収奪し始めて、それが再生するのは朴正煕大統領のセマウル運動(1971年~)なので理解できます。
その記事にはこうあります。
>「日本の300年生のヒノキ林をモデルに未来経営成功を継承する」と確信を固める陳代表は「休養林の基本機能は地域と共に同伴成長することです。 地域住民と官、休養林が一緒に行ってこそシナジー効果を得ることができます。 森の解説者配置の件だけでもそうです。 日本のような森林先進国は、地域住民が森の解説をします。 何よりも地域の歴史や付帯施設を熟知しており、観光客が森と地域に対する理解を容易にすることができ、連携された周辺の観光地に対する説明および特産物広報もして地域経済活性化にも役立ちます。 しかし、まだ韓国では森林解説者が講義だけ受けて資格を取得し、単に暗記しただけの説明をするため、森林解説者の役割に限界を感じています。」〔2016.08.31. ‘무등산편백자연휴양림’에 生을 불사르다 - 목양 진재량(牧陽, 陳載良) 선생〕(「無等山ヒノキ自然休養林」に生を燃やす - 牧陽、陳載良先生)〕
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長々と陳載良氏の記事を引用したのは、これがきっかけで、以前読んだ『日本人はどのように森をつくってきたのか』(コンラッド タットマン 著)を思い出したからです。〔原題:Green Archipelago(緑の列島)〕
>古代と近世、二度の大きな略奪の危機に直面しつつ、政治的・自主的な規制と人工造林によりドイツと共に持続的林業の先駆けとなった日本。列島の人と森の歴史的関わりの全体像を鮮明にした「通史」。〔商品説明より〕
邦題からは、何か日本人独特のもの、例えば「自然と調和する精神性」とかが書かれているのかと思いきや、江戸時代までの日本の森林利用を背景となる政治制度の変化も含めて淡々と解説しています。
実は日本も近世の途中までは、森林資源は収奪するだけのものであり、せいぜい流通や伐採に規制を加えるという「消極的管理体制」で辛うじて維持されていました。
まずは古くから都が造営され、巨大な建築物を建造した畿内地方の山林が荒廃します。そして各地に都市が発達して、山林の荒廃は日本全土に広がります。「消極的管理体制」が試行錯誤的に全国規模で行われたのは1630年から1720年の間だと言います。
そこから更に「積極的管理体制」=「再生林業」に転じるのですが、この時期を見れば、やはり、江戸時代になって平和になり、しかも日本独自の封建制で地方の自治も確立されたからだと思います。
例えば、18世紀後半から19世紀にかけて、造林の為の「上方苗(かみがたなえ)」が流通します。これは京都や大阪で生産される杉や檜の苗で、特に大阪の北に位置する池田が中心となるのですが、これが下火になるのは、各藩の領主が貨幣の流出を抑える為に自前で苗木を生産することを奨励するからです。
日本で森林の再生が可能だったのは複合的な要素の為というのが結論で、学術書らしく、とりわけセンセーショナルな事が書かれているわけではありません。外国人が読む場合、「林業を通して見る日本史」と言えるかも知れません。
この本自体は他国と比較してはいないのですが、どうしても、中国や朝鮮のような中央集権制の国と比べずにはいられません。
中央集権国家では、中央から派遣された官吏は蓄財しか目的としません。一方、地方自治が早くから確立した日本では、領主は搾取するだけの存在では無く、富国に励みます。林業で言えば、18世紀後半には、各地で割山とか年季山といった、領民に一定の権限を与えて植林させるというシステムが生まれます。
こうした事を通じて、権利や義務、契約の概念が自然発生的に根付いたのではないかと思うのです。
そして、「村」=共同体のあり方も、日本と中国や朝鮮とではこの時代に決定的に違う物となったのではないかと思います。
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