【慟哭の木】「歴史はファクトが全てではない。重要なのは哲学だ」
最近頻繁にご紹介している、『中央日報』の記者、パク・ジョンイン(박종인)氏の記事です。
ソウルにある西大門刑務所(旧・京城監獄/1908年)は、現在は歴史館となっていて、例によって、拷問を再現した展示物があり、”過酷な日帝支配” と ”残虐な日本人” が学べる場所となっています。すぐ側には独立門も立っており、公園のように整備されているようです。
以前、文在寅が「三・一節」(3.1独立運動記念日)に独立門の前で万歳をしている間抜けな写真がありましたが、西大門刑務所がある広場で反日パフォーマンスをすること自体はおかしくはありません。しかし、如何せん、背景が...w
【追記】今回ご紹介する記事に関連したパク・ジョンイン記者の動画があります。言葉は分からなくても、この場所の雰囲気が分かります。
▲[박종인의 땅의 역사] 111. 서대문형무소 '통곡의 미루나무'는 없었다 ([パク·ジョンインの土地の歴史] 111.西大門刑務所「慟哭の木」はなかった。)
この西大門刑務所の塀の脇に「慟哭の木」と呼ばれるポプラがありました。2020年に台風で倒れて今は無いそうですが、ソウル市メタバース(仮想空間)ではこの木が復活しているそうです。
「慟哭の木」と呼ばれているのは、刑場に連れて行かれる独立闘士がこの木を掴んで号泣したからと言われています。
しかし、この木は独立後に植えられた木でした。
刑務所が作られてすぐに若木を植えたとしても、2015年の時点で樹齢100年くらいのはずですが、とてもそんな古い木には見えませんね。
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https://www.chosun.com/national/2023/03/01/FKYTZR7I6RFDZEN5GGEUXTLIC4/
[단독] 독립투사 恨 서린 곳? 서대문형무소 ‘통곡의 미루나무’는 없었다
[単独] 独立闘士、恨が立つところ? 西大門刑務所「慟哭の木」はなかった。
入力 2023.03.01 15:25 アップデート 2023.03.01 17:39
「刑場に連れて行かれる独立闘士たちが抱き合って号泣した」という西大門刑務所歴史館の死刑場の隣の「号泣の木」<写真1>〔前掲の画像〕は解放以後に植えた木であることが明らかになった。 多くのメディアと書籍はもちろん、歴代政府ではこの木を独立闘士の象徴として浮上させてきた。 ところが本紙確認の結果、解放直後はもちろん植民時代に撮影した写真にもこのポプラは存在しなかった。 「独立闘士の恨みがこもった木」という今までの主張は怪談であることが明らかになったのだ。 歴史館側はこの木を「死刑場を建てた当時に植えたというポナシで、死刑場に連れて行かれる死刑囚たちが無念の気持ちでこの木をつかんで号泣したとして『号泣のポナシ』と伝えられている」と紹介してきた。 2020年、この木が台風に倒れると歴史館側はポプラを倒れた場所に置いたまま保存可否を議論してきた。 多くの市民団体は「独立精神の象徴」とし、ポプラの保存を持続的に要求してきた。 3·1節を迎え、ソウル市でも独自の仮想空間であるソウル市メタバースにこの「慟哭の木」を復活させた。
1日、本紙が国史編纂委員会の電子史料館を確認した結果、「空中から見た仁川全景(7)」という文書名(文書番号:IM0000137829)で、以下の<写真2>〔画像省略〕が保存されている。 解放直後の1945年9月8日、米海軍航空機が撮影した写真だ。 タイトルとは違って、仁川ではなくソウル上空で撮影したこの写真には、西大門刑務所の全景が詳しく撮影されている。 赤い線で表示した部分が、現在西大門刑務所歴史館に保存されている死刑場区域だ。 線の中で小さな垣根が張られている部分が死刑場だ。〔...〕
この航空写真の表示部分を拡大した下の<写真3>〔画像省略〕を見れば、このような事実が明確に現れる。 いわゆる「慟哭のポプラ」が立っていた死刑場の塀の角にはどんな構造物や木も見えない。〔...:この後は、もっと古い写真を見ても、日本統治時代には存在していなかった、という事を検証している。〕
朝鮮総督府官報によると、その1922年から1945年まで、この死刑場で刑が執行された人は計195人だった。 このうち、大韓民国国家報勲処によって独立有功者として叙勲された人は18人だった。 残りは雑犯と凶悪犯だ。 例えば、1942年に死刑になった18人のうち14人は殺人鬼白白教集団だった。(李スンユン、前論文)だから、たとえ植民時代に「慟哭のポプラ」が存在したと仮定しても、この木で慟哭したという独立闘士は18人で、残り177人は処罰しなければならない犯罪者という意味だ。〔後略〕
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韓国の歴史は小説(narrative)です。
歴史の歪曲というと、20万人の慰安婦とか、強制連行されて奴隷労働をさせられた、米を収奪した...etc. と色々思い浮かびますが、この「慟哭のポプラ」のような、ちょっとした創作エピソードは数知れず、こうしたものの積み重ねによって、”悪辣な日本人” という韓国人の ”共通の記憶” や日本人に対する憎悪が確固たるものになっています。
ところで、掲題の「歴史はファクト(事実)が全てではない。重要なのは哲学だ」というのは、この記事に付けられたコメントから引用したものです。全文をご紹介します。
真の右派
2023.03.01 20:06:20
今になって告白すれば、パク·ジョンインが進行した土地の歴史〔パク・ジョンイン氏の記事のシリーズ名〕を楽しんで見ていた。 歴史を専攻した人たちもよく知らないファクトチェックに驚きながら拍手を送った。 しかし、歴史はファクトがすべてではない。 ファクトは重要な一次史料だ。 問題は哲学だ。 どういう意味かというと、ジャン·バルジャンがパンを盗んだのはファクトだ。したがって処罰を受けるのが正しい。 しかし、哲学は法律的な観点ではなく、人間的な観点からジャン·バルジャンを眺める。どれだけお腹が空いていたらパンを盗んだだろうか。 そんなにお腹がすいてパンを盗むところまで社会は何をしたのかと反省する。 これが哲学で、これが人間らしいものだ。 申し訳ないが、パク·ジョンインはファクトに執着し、人間に対する愛を逃した。 ダーウィン主義に陥ったヒトラーのような作者だ。
反論するまでもないのですが..
ジャン・ヴァルジャンは『レ・ミゼラブル(ああ無情)』の主人公で、実在した人物がモデルになったようです。この方の言う ”哲学” は、「たった一切れのパンを盗んで19年も監獄に入れられた」という事実があるからこそ導き出されるものですが、事実が無いのに哲学を作り出せば、それは哲学ではなく三文小説です。
実際に、この「真の右派」氏のような韓国人は何人も見てきました。
事実を伝えても、「それでも本質は変わらない」と反論される事がよくあります。事実を積み重ねたら、韓国人が本質だと思っている事が「実は違う性格のもの知れない」とはなかなか考えないのです。だから、例えば慰安婦の真実を知っても、「日本人が過酷な植民地支配をした本質は変わらない」と言う韓国人は多いと思っています。
もちろん、無駄だと言っているのではなく、どんなに小さなエピソードでも、パク・ジョンイン氏のような方の努力で地道に誤解を解いていき、最後は韓国人の頭で論理的に考える事が重要です。しかし、事実そのものを受け入れる事が困難なので、そうなるためにはまだまだ時間が掛かるでしょう。
というのは、「過酷な植民地支配」が前提で無いと、3.1独立運動の素晴らしさとか、抗日の闘士や義士、戦後に自力で経済復興をしたという韓国人の自負心やアイデンティティが崩壊してしまうからです。
ブログ主は、聞く耳を持たない人達と議論する事など時間の無駄だと思っています。こうしてブログに調べた事や知った事を整理して書いているのは、共感して下さる方と情報をシェアする事で、理論武装の役に立てば良いと思っているからです。
金柄憲(キム・ビョンホン)所長が、以前、古い新聞から、日本統治時代の生活が分かるような記事、例えば、簡易保険の開始とか、日本人の役人が朝鮮語の学習をしていた(朝鮮語のレベルによって手当がつく)とか、朝鮮米の移入を制限しようとした中央(日本)に対して朝鮮総督府が「それは困る」と交渉したといった記事や、様々な商品広告、こういったものを拾い上げて紹介されていたことがあったのですが、こうした日本統治時代の朝鮮半島の日常を知らせることは有効な手段だと思いました。
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