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2023/03/14

【本田幸介】(1)「親日残滓」の都市、水原

水原(スウォン)市はソウルの南に位置する京畿道の道庁所在地ですが、ここには様々な親日残滓が残っているという『京畿日報(경기일보)』の記事です。

数回に分けてご紹介します。

 

* * * *

※日本語として多少不自然でも、意味が分かれば機械翻訳ママ。緑字はブログ主の補足。地名等の固有名詞は正しい漢字表記で無い可能性がある事、ご了承ください。

https://www.kyeonggi.com/article/20230308580343
[親日残滓、負の遺産として記録される] ②現場の記録-水原

水原のあちこちを歩いていると、親日残滓の痕跡を見つけることができる。市民が行き交う公園で、あるいは私たちに馴染みのある象徴的な場所で、道端など日常生活の中で親日残滓の痕跡はまるで記念碑のように浸透している。記念碑なのか、屈辱的な日帝の産物なのか、はっきり分かりにくかった象徴物は、京畿道と京畿文化財団が2021年と2022年に設置した「親日残滓象徴物案内板」で、歴史的事実の服を着て市民と向き合うようになった。ここで私たちはどんな歴史的事実を見て未来に向かって進むことができるのだろうか。 歴史的事実が記録された親日残滓の象徴物を訪ねてみた。 最初の地域は、案内板が9ヶ所設置されている水原です。

 

20230314_honda02

▲水原博物館の野外展示場に設置された「水龍水利組合記念碑」と「治山治水碑」。

 

◆朝鮮の食糧を収奪するための痕跡たち

日帝は朝鮮の米と食糧生産量を増大させて収奪しようとした。 その行為は現在、水原市権善区所在の農村振興庁国立食糧科学院中部作物部付近で見ることができる。ここには、本田幸介勧業模範場長の胸像座台、勧業模範場境界石、蚕業試験所・女子蚕業講習所の標識石など親日残滓の象徴物が残っている。

日帝は日本の農業体系を朝鮮に強制的に移植した。より多くの米を生産して日本に収奪するためだ。 勧業模範場は、このような朝鮮の米収奪のための日本の頭脳の役割を果たした場所だ。 「勧業模範場境界石」は水原勧業模範場の領域を示す境界石の一つで、1910年から1929年の間に製作されたと推定される。 

本田幸介は、この勧業模範場の長を務めた人物。胸像は東京美術学校の朝倉文夫(あさくら ふみお)教授が制作したが、現在は胸像は消え、座像だけが残っている。座台の前面には「本田幸介先生」と日本語で、裏面には建立経緯が「海岡 金圭鎮」〔※書家/海岡は「号」の文字で刻まれている。

 


20230314_honda01

▲別の記事(『中部日報(중부일보)』)よりキャプチャ。設立当時(1924年/左)と1990年代に工事現場から出土した本田幸介像


キム・ドヒョン文化財専門委員は、「1910~1920年代まで日本式優良品種と名付けたものを韓国に持ち込み、強制的に普及させながら、韓国の伝統的な在来品種を強制的に取り除いてしまった。日本式品種は多くの肥料、人手を必要とし、韓国の環境と風土には合わなかった」とし、「3-1運動の時、農民が反発した理由の一つは、韓国の伝統的な品種を踏みにじることに対する怒りでもあった」と明らかにした。

日本の品種が韓国の環境に合わず、生産量がむしろ落ちると、朝鮮総督府は産米増殖計画を施行した。 1920~1925年の日本式米品種を普及する1次政策から、1926~1931年に貯水池を作る水利組合運動へと進んだ。キム委員は「そもそも、韓国は米だけでなく大麦などの穀物をまんべんなく生産していたが、今、米が雑穀の中心になったのは、このような日帝時代の米中心の農法が今も続いているからだ」と話した。このような象徴物は現在、西屯洞の「水原農林学校跡」と永通区の水原博物館の野外展示場に建てられた「水龍水利組合記念碑」と「治山治水碑」で見ることができる。

「水原農林学校跡」は、農業教育を通じて日帝の農林技術体系を朝鮮に移植する農業技術者を養成していた場所です。

「水龍水利組合記念碑」は、は当時、龍仁郡水枝面下里に築造された麗川(ウォンチョン)貯水池と新垈貯水池の2ヶ所の竣工を記念するために建てられた。 水龍水利組合は当時の京畿道の代表的な水利事業で、大地主が収益を独占し、中小地主と小作農の没落を早めた。 

「治山治水碑」は、水原地域の治山治水事業の完了をきっかけに1941年10月、水原郡日旺面長イ・ソクレが主導して建てた日帝記念碑。このような収奪物資は鉄道に乗って日本まで運ばれ、その代表的な通路が「水仁線鉄道」だ。京畿道沿岸地方で作られた塩や京畿東部地方で生産される穀物まで、仁川港に運んで日本へ搬出する役割を果たした。 

※引用ここまで

* * * *

扇情的な表現を除外して、書いてある事をまとめると、

ここ水原に勧業模範場という施設が設置され、本田幸介場長の指導の元、日本で品種改良された米が持ち込まれ、それまでの麦や雑穀から米の生産に移行。更に生産量を増すために治水事業が行われ、現代も米中心の農業が行われている。技術者の養成学校も造られた。そして、当時の人々(朝鮮人)がその業績を称えるために建てた幾つかの石碑が今も残る。

という話です。

米は強奪したわけでは無く、内地に売っていたものです。

 

ブログ主はこのような記事を見る度に、状況から見て日本統治時代に明らかに農業が発達したのは事実だと分かるのに、無理やり韓国人の「共通の記憶」に合わせてストーリーを組み立てているように感じます。

以前、湖南平野の治水事業や当時の地主であった熊本利平について調べた時も、熊本が小作人の為に無料の診療所を建てたり、凶作の年には無料で種を与えた事に感謝した人々(朝鮮人)がその感謝を「熊本利平公績善不忘碑」として残した事も、全て、”日帝が効率よく収奪するため” としていました。

こうした無理やり感のある記事を幾つも見てきて、韓国人(記者)は、実態は分かっていて、わざと書いているのではないかと感じてます。読者が馬鹿だと思って書いている記事ではないかと。

 

ところで、この記事では、いつもの「日帝残滓」ではなく、「親日残滓」という言葉が使われている事に気付かれたでしょうか。

この記事には「親日残滓の象徴物案内板設置リスト」として、9つの石碑や銅像だけでなく水仁線鉄道もリストアップし、そこに案内板(説明板)が設置された年が表示されています。設置年は2021年か22年の2種類です。

本田幸介の胸像(の台座)は90年代に無残な姿で発見されたものですが、画像を見れば分かるように、それでもきちんと整備して設置しています。それ以外の石碑等は以前からそこにあったものでしょう。つまり、彼らは、それまで特に気にしていなかった物に対し、それが恥でもあるかのように、この1~2年の間に案内板を設置したのです。

この地元自治体は、それが本心かどうかは分かりませんが、祖先が親日であった事を告発し、批判しているのです。

 

現在話題になっている ”徴用工” 問題も、ブログ主は同じようなものではないか思っています。

慰安婦とは異なり、徴用工、正しくは出稼ぎ労働者ですが、これに関しては、何百万人も日本に来て働き、古い新聞には、「ブローカーに騙されて港が涙で溢れた」というような、彼らに関する記事がいくらでもあるのに、韓国人の「共通の記憶」や「国民情緒」に沿って口裏を合わせているだけではないかという疑いです。

”徴用工” 問題なんて本当は大した事は無いと知っている、むしろ、本土(日本)に行って大金を稼いで帰ってきた事を知っている...動画のコメント欄等でも、「曾祖父が日本で稼いだお金で土地を買った」といった類いの話はよく目にします。研究者や歴史家でなくても、一族の話としても知っているはずなのです。

つまり、無知なるが故ではなく、精神が歪んでいる。

ほんの一握りの人を除いて、韓国人は不誠実なのだと思います。

 

次回に続きます。

 

  


 

 

 

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