【伊藤博文】(2)伊藤博文と安重根、韓国にとっての英雄はどちらなのか?【キムチワサビ/WWUK動画】
前回のエントリーの続きです。
昨年末、安重根を主人公にした『英雄』という映画が韓国で公開されました。
* * * *
産経『ソウルからヨボセヨ』:韓国映画の知られざる一面
2023/1/14 07:00
黒田 勝弘
韓国映画は米アカデミー賞など国際映画賞の相次ぐ受賞や〝韓流ブーム〟で日本にもファンが多い。食文化やKポップと相まって韓国モノ人気の一つになっているが、意外に知られていないのが依然として反日的な愛国映画が根強く制作、公開されていることだ。
この年末年始も1909年、日本の初代首相・伊藤博文を暗殺した抗日独立運動家・安重根が主人公のミュージカル映画『英雄』が話題になっている。安重根は歴史上の偉人として繰り返しドラマ化されているが、伊藤博文が韓国王妃・閔妃殺害事件や韓国支配の元凶として報復的に狙われ、最後は旧満州のハルビン駅で銃撃される話だから、日本人としてはいつも暗澹(あんたん)たる気分になる。〔後略〕
* * * *
この映画について2人の韓国人、正確には、お一人は既に日本に帰化されましたが、『キムチワサビ』さんと『WWUK』(ウォーク)さんが動画で語っています。
まずはキムチワサビさんの動画『反日英雄に熱狂する理由/안중근은 정말 당신의 영웅인가요?』です。
キムチワサビ氏は基本的には韓国語で語り、日本語字幕をつけてくれます。
前半は新渡戸稲造の『偉人群像』や、資料名は不明ですが、陸軍参謀本部嘱託林学士の今川唯市による鴨緑江流域森林調査に関する資料を提示して、伊藤博文が朝鮮の自立と将来の独立を考えていた事を紹介しています。
そして「『朝鮮人でもできる』と言っていた人物を韓国では、まるで、”侵略の大将” のように、左派だけでなく右派も言っている」と言い、「韓国人は『魚を捕る技術を教えてもらうのではなく、魚を口に入れてくれる』事だけを望んでいる」と喩えます。
更に、安重根は、収奪する側の両班階級の人で、父と共に東学党の反乱を鎮圧する側であったこと、裁判記録から、「日本盟主論」であり、日本がアジアをリードする事を望んでおり、日本が日露戦争に勝利した時は喜んでいた、という事が紹介されます。
「朝鮮人でもやればできる。朝鮮人が自ら国を開かなくてならない」と語っていた伊藤と、「日本がリードしてくれなくてはならない」と考えていた安重根、どちらが韓国にとって「英雄」なのだろうか?と問いかけて動画は終わります。
もう一つ、WWUKさんの動画は『韓国国民、日本国民から正論を言われて訳の分からない反論をしてくる。』というもの。
彼の動画のスタイルは日本語で韓国の記事等を紹介し、それに付けられている韓国人のコメントを紹介する、という形で、対象者は完全に日本人であり、韓国人に語りかける物ではありません。記事やコメントの和訳だけなら、ネットの所謂「反応ブログ」と同じですが、彼の意見や補足も加えてくれるので人気なのだと思います。
この動画の前半は、映画『英雄』の主人公安重根を日本人が「テロリスト」と呼んでいることを報じる韓国の記事とその反応を訳したものです。
後半では、既にロシアに対して巨額の借金を日本が肩代わりしていたこと、例えば、1882年(明治15年)の17万円、日韓併合までに朝鮮の借金を1000万円以上肩代わりしたのはまだまだ序の口に過ぎない。日本政府がこれほどまでに朝鮮を支援するのは何故か? 1895年(明治28年)に伊藤博文が帝国議会で述べたものによると、「朝鮮の財政を支援するのは独立のため」で、強引に併合を行えば人から強い反発を受けることを予想していたため、ロシアから韓国を守るために近代化を推進し自立できるまでは日本で保護する。たとえ併合するとしても一定の自治権を与えると考えていた、という事を資料を提示しながら語ります。
最後に、安重根の息子、安俊生のエピソードが語られます。
この部分は産経の2つの記事でご紹介します。
https://www.sankei.com/article/20151226-J3HKCFL2C5K6JCZIGM3G5JGCRE/2/
伊藤博文と安重根、息子同士は和解していた…歴史秘話満載『華族のアルバム』
2015/12/26
>また、写真の所蔵元に伝わる逸話を豊富に盛り込んでいるのも本書の魅力だ。たとえば、伊藤博文の庶子で、のちに分家して男爵を授与された文吉(1885~1951年)が、暗殺事件から30年後の昭和14年10月16日に、日本統治下の朝鮮・京城にある朝鮮ホテルで安重根の息子の安俊生と面会したときの写真。伊藤旧男爵家にはこの面会の経緯について文吉自身が記した手記が残っており、そのあらましも本書に収録されている
>それによると、俊生は面会時に安重根の位牌を持参し、父の追善供養をしてくれたことへのお礼と、事件についてのお詫びを文吉に述べた。対して文吉は「お互いに仏になれば空に帰することだからいまさらなんの罪を詫びることがありましょう。今後はお互いのあいだになんらのわだかまりもないのだから、日本のために尽くしましょう」と返答し、俊生もこれに同意。和解が成立したという。
https://www.sankei.com/article/20131123-QA4BP4HCR5MXFDXC744L5WZQZU/
ソウルからヨボセヨ 安重根の子孫は米国人
2013/11/23
〔日本政府が安重根を「犯罪者」と呼んだ事に対する韓国人の反発を紹介した後で〕 彼が韓国で英雄視されているからといっても、日本からすれば明治の元勲で初代首相を闇討ちして殺害したテロリストで犯罪者だ。米国でワシントンは独立・建国の英雄だが英国では反逆者というのと同じだ。こんなことで米英は争わない。歴史認識が違って当然だからだ。
これを機に韓国政府やマスコミも世界を広くながめ、国家間の歴史認識の違いは当たり前と気付いたらどうかな。
ところで安重根は死刑判決を受け刑死したが、安俊生という息子がいて後に伊藤博文の息子と京城(現ソウル)に建立された「博文寺」で和解の握手をしたというエピソードがある。そのため戦後、彼は韓国でひっそり暮らし、その子つまり孫の安雄浩は米国に移民し中国系女性と結婚。ひ孫にあたるその息子が今年、暗殺事件104周年記念で韓国を訪れた。「トニー・アン・ジュニア」といい50歳。韓国語もしゃべれない米国人だった。カトリック信者だった安重根は洗礼名が「トマス」でロシアや中国を渡り歩き、その子孫は米国人。愛国英雄の興味深い家族史だ。(黒田勝弘)
WWUK氏によると、その後安俊生は「民族反逆者」のレッテルを貼られたそうですが、韓国語のWikipedia『안준생』(安俊生)には以下のように書かれています。
〔機械翻訳〕 1939年には上海で薬局を運営していたところ、内線一体活動の一環として上海滞在朝鮮人の「晩船視察団」に参加し、一行は同年10月9日に朝鮮総督府の招請を受けて南次郎朝鮮総督と面談した。 10月11日に平壌で解散した後、彼は数人の随行者と10月15日に伊藤博文を追慕する寺院である博文寺(現在のソウル新羅ホテル近く)を訪れ、伊藤の位牌に対して焼香し、「亡くなった父の罪を私が代わりに償う」という談話を発表し、父親の安重根の追善供養も同じ寺で行った。 また、10月16日には朝鮮ホテルで伊藤文吉男爵(貴族院議員、日本鉱業社長)と面会し、「父に代わって深く謝罪する」と謝罪した。 10月17日、アン·ジュンセンと伊藤男爵、中村という女性の3人が博文寺で合同参拝をした。 暗殺者と被害者がその双方の子孫によって同時に供養されることで、内線融和イベントは滞りなく完了した。 一言で言えば、帝国政府の緻密な脚本どおり演出された和解劇だった。 当時、朝鮮日報をはじめとするマスコミは「朝鮮統治の偉大な転換史」「仏陀の恩恵で結んだ内線一体」として特筆した。 マスコミはジュンセンが「亡くなった父親の罪を私が贖罪し、全力で報国の真心を尽くしたい」と話したと報道した。 その後、日本は英国人税関長が住んでいた高級住宅を購入するなど、準生を特別管理した。[2]
この話を新聞で知った韓国独立運動家のキム·グは、アン·ジュンセンが南総督を父親と呼んだとし、「民族反逆者(売国奴、韓奸)に変節したアン·ジュンセンを逮捕し絞首刑に処せ」また「上海でアヘン売買を行っているので厳重に処罰する」と当時重慶にいる蒋介石に頼むほどだった。[3] しかし、アヘン売買の疑いはなかったため、中華民国当局はその要請を無視した。 アン·ジュンセンは以後も殺害されなかったが、光復以後もしばらく帰国をためらって1946年母親の死後、かろうじて帰国した。
金九はサイコパスのような殺人鬼で、共産主義者ですが、韓国では英雄とされています。これは朴正煕大統領がそのように持ち上げた為です。
ブログ主が、慰安婦とか徴用工の問題を単独で解決しても、日韓の相互理解などできないというのも、こうした併合以前の歴史から韓国人が学び直さないと、もつれた糸はほどけないと思うからです。
歴史は多面的で多層的です。
確かに伊藤の考えた韓国(大韓帝国)統治は当時の韓国人には理解されませんでした。また、日本側も韓国の安定を焦るがあまり、強引に支配強化を進めた面があります。
一方、そうした日本統治の副産物として、朝鮮半島の近代化が進んだわけで、当時の韓国人の考えは様々でした。ハーグで演説した密使は、主権を奪われることには抗議しましたが、腐りきった政府の改革は日本人に頼るしか無いと思ったし、既得権益を失う事を嫌った勢力もいました。
日本人は「歴史(日本史)」という教科を学問や教養として学ぶため、事実関係と因果関係を感情を交えずに学びますが、韓国人にとっての「国史」はイデオロギーとか政治とか、様々なものを背負わされ、更には、日本の一時の「国家神道」のような役割もしているのです。
事実誤認に関しては反論すべきですが、韓国人が自分の頭で考えるまで、放って置きましょう。
« 【伊藤博文】(1)伊藤博文の植民政策【新渡戸稲造『偉人群像』】 | トップページ | 【韓国】文化財に登録された「銀製梨花文花瓶」、よく見たら日本のメーカーの製品だった。14年ぶりに登録抹消 »
« 【伊藤博文】(1)伊藤博文の植民政策【新渡戸稲造『偉人群像』】 | トップページ | 【韓国】文化財に登録された「銀製梨花文花瓶」、よく見たら日本のメーカーの製品だった。14年ぶりに登録抹消 »
コメント