【李舜臣】(1)日本海軍は敵将の魂に向かって祈りを捧げた【鮮于鉦コラム】
公開:2023-01-27 10:25:00 最終更新:2023/01/28 9:50
2022.11.16.付け『朝鮮日報』の鮮于鉦(ソンウ・ジョン)論説委員のコラムをご紹介します。
李舜臣に対する日本人の評価についてはここではあまり突っこまない事として別のエントリーで論じる事とします。実際、このコラムの骨子にはその事はそれ程重要ではありません。
朝鮮人が長らく忘れていた李舜臣の事を日本人の方が良く知っていて、むしろ、日本統治時代の民族史学者の文一平(문일평)が日本人が書いた李舜臣の研究書を朝鮮語に翻訳した為に朝鮮に逆輸入された、という事が前半に(長々とw)書かれています。
日本人は敵将であっても尊敬する人物には敬意を払うのに、韓国人は...と苦言を呈するコラムです。
* * * *
※日本語して多少不自然でも理解に問題が無ければ機械翻訳ママ。緑字はブログ主の補足
https://www.chosun.com/opinion/column/2022/11/16/XAJ32YF3HZEZ3LT3VQGMIT5DVE/
[船友情コラム] 日本海軍は敵将の魂に向かって祈りを捧げた。
鮮于鉦 論説委員
入力 2022.11.1600:00
ロシアのバルト艦隊の戦艦1隻が日本海軍の攻撃で沈没している。 〔画像省略〕当時、世界最強を誇っていたバルト艦隊が惨敗したことで、日露戦争の勝負は決まった。 韓国の鎮海湾から決戦のために出港する際、日本海軍将校たちが李舜臣将軍の魂に向かって祈ったという。 この時、日本海軍を率いた作戦参謀の秋山真之は海洋圏論の先駆者アルフレッド・セイヤー・マハンの弟子だ。
韓国近代史のミステリーの一つが「李舜臣の叙述」だ。 1795年の正祖(チョンジョ)王の李舜臣全書編纂から1908年の申采浩(シン・チェホ)の「李舜臣伝」連載〔※〕まで、100年以上李舜臣の叙述は韓国では空白だった。 普通、韓国近代の出発を1876年に日本の侵奪が始まった江華島条約とみなす。 李舜臣は当時の状況で最高の時代的象徴だった。 ところが、亡国直前まで韓国で李舜臣は英雄として召喚されなかった。
※「李舜臣」は1908年5月2日から8月18日まで「大韓毎日新報」の「偉人遺跡」欄に錦頰山人というペンネームで連載された。 また、純ハングルで同年6月11日から10月14日まで<大韓毎日新報>の「小説」欄に「水軍の一番聖なる人物 李舜臣伝」(수군의 제일 거룩한 인물 이순신전)として連載された。〔参考〕
コインの両面のように存在するミステリーが、日本近代の李舜臣の叙述だ。 日本の作家、司馬遼太郎は、いくつかの著書に、日本の海軍将校たちがロシアとの決戦のために出航し、李舜臣の魂に向かって祈りを捧げる場面を描写した。〔※〕 作家の想像ではなく事実だ。 日本のエリートの一部は李舜臣を研究し、尊敬した。 これを一つの動力として戦争に勝利し、結局韓国を併呑した。 韓国史で最も逆説的で悲劇的な場面だと私は思う。
※次のエントリーで検証。
日本の19世紀李舜臣の叙述は二つの時期に区分できる。 前期〔※江戸時代〕は金時徳(キム·シドク)教授、後期〔※明治時代〕は金俊培(キム·ジュンベ)教授の研究で詳しく明らかになった。 彼らによると、懲毖録(ちょうひろく)〔※〕が日本で〔翻訳されて〕刊行されてから50年余りの間、日本戦争小説で李舜臣は「朝鮮の英雄」として登場した。 この地位が19世紀後半「世界の英雄」に格上げされる。 李舜臣の叙事は文化現象から政治·軍事的現象へと幅を広げた。 これを主導したのが日本軍、特に日本海軍だ。
※『懲毖録』(ちょうひろく)は、17世紀前後に書かれた李氏朝鮮の史書で、著者は同王朝の宰相柳成龍。文禄・慶長の役を記録したもの。1695年、大和屋伊兵衛が京都で「2巻本」の『懲毖録』を訓読をつけて刊行した。これにより、日本側に文禄・慶長の役での朝鮮側の事情が伝わることになった。〔Wikipediaより〕
李舜臣を世界的英雄として記述した3冊の本。 日本陸軍系列機関紙が出版した「朝鮮李舜臣伝」は、日本による植民地時代、文一平(ムン·イルピョン/문일평)によって韓国で翻訳·出版され、韓国人の李舜臣観念に大きな影響を及ぼした。 李舜臣を英国のネルソンに例えて世界的英雄に引き上げた初の著書だ。 帝国海軍史論と帝国国防史論は、日本海軍が軍事的側面で李舜臣を研究した本だ。 この本は日本海軍将校に大きな影響を与えた。 多くの海軍エリートがこの本で勉強し、李舜臣を尊敬するようになったという。
▲李舜臣を世界的英雄として記述した3冊の本。 日本陸軍系列機関紙が出版した「朝鮮李舜臣伝」〔※「朝鮮李舜臣伝 文禄征韓水師始末」/1892年出版〕は、日本による植民地時代文一平(ムン·イルピョン)によって韓国で翻訳·出版され、韓国人の李舜臣観念に大きな影響を及ぼした。 李舜臣を英国のネルソンに例えて世界的英雄に引き上げた初の著書だ。「帝国海軍史論」〔※1898年10月出版〕と「帝国国防史論」〔※佐藤鉄太郎 著/1910年出版/上・帝国国防史論抄〕は、日本海軍が軍事的側面で李舜臣を研究した本だ。 この本は日本海軍将校に大きな影響を与えた。 多くの海軍エリートがこの本で勉強し、李舜臣を尊敬するようになったという。〔※リンクは国会図書館データベース。「李舜臣」をキーワードに全文検索も可能〕
李舜臣を「東洋のネルソン」に例えた賛辞は、1892年の「朝鮮李舜臣伝」に初めて登場する〔※〕。 日本陸軍系列の機関紙が発行した本だ。 「李舜臣が豊臣秀吉の大遠征を絵の餅にした」と言った。 賛辞は日本海軍によって高まった。 後日、日本海軍中将に昇進した佐藤哲太郎は著書『帝国国防史論』で、「ネルソンは人格で李舜臣に比肩できない」とし、「匹敵する者はオランダのザ·ラウィッター(英国を破った海軍名将)程度だ」と述べた。 海戦研究に飛び込んだ動機に対しては「李舜臣の崇高な人格と偉大な功績が私の精神を激しく悟らせたため」と話した。 先立って海軍参謀の小笠原長成も著書「海上権力史講義」を通じて「李舜臣が海上権を確実に守っていたため、戦争の大要素が全て消滅し猛進していた陸軍も自ら孤立した」と話した。(以上、キム・ジュンベ〔김준배〕研究)〔←※現代の研究家〕李舜臣叙事が尊敬と賛辞から戦争史的研究へと進化した事実が分かる。
※よく言われる「東郷平八郎が『李舜臣の足元にも及ばない』と謙遜した」というエピソードは、東郷と知己の朝鮮人実業家 李英介に話したとされるだけでソースがないが、陸海軍内で広く『朝鮮李舜臣伝』等の研究書が読まれていたなら、酒席等でのリップサービスはありえるのではないかと思う。
このような記述は韓国でかなり知られている。 これを引用する文には「敵国日本さえ尊敬せざるを得なかった英雄」〔※〕という評価がたびたび伴う。 はにかんでしまうのだ。 しかし、これを超える重要な意味合いがある。
※そもそも、日本は朝鮮の敵国になったことはないのだがw
米国の海軍理論家アルフレッド・マハンの海洋圏(Sea Power)論が19世紀末、世界を襲った。 「海を支配した者が世界を支配する」という言葉が理論を圧縮する。 このため、国家戦略を変えて帝国に成長した国が米国だ。 日本にも大きな影響を及ぼした。 日露戦争を勝利に導いた秋山真之が、マハンに師事した海軍参謀だ。 日本は海の戦略的価値に目覚めた。 陸軍中心の武力を海軍中心に変え、列強に跳躍するためにマハンの理論を日本戦争史に適用した。 ところが当時、日本には海軍英雄がいなかった。 そのため、敵将の李舜臣を連れてきて、反面教師のやり方で海洋権の価値を主張したのだ。 司馬遼太郎は日本が海洋圏論を内在化する過程について「黒飴を白飴にする精製作業」〔※〕と話した。 李舜臣の叙事は漂白剤の役割を果たしたものだ。
※ネットでこの言葉を調べたら、『坂の上の雲』第3巻に出て来ると分かったので、手元の本で確認した所、第3巻の始まりがこのエピソード。秋山真之は、瀬戸内海の水軍関係の「能島流海賊古法」を熟読し、源平の時代からの戦術を勉強していた。日本海海戦の戦役後に戦史を編纂する海軍士官(「能島流海賊古法」を真之に貸した小笠原長生)が、付図を作成するに辺り、真之に相談する時の会話。〔以下は小説から引用〕
”あるとき小笠原は、「どうもこれらの戦法には水軍のにおいがするようだ」と笑いながらにいった。真之は無愛想に答えた。「白砂糖は黒砂糖からできるのだ」 真之がいわゆる秋山軍学をつくりあげている過程は、これであったのであろう。”
つまり、彼の戦法の基本は水軍の戦法で、多くの戦術書から純粋原理を抽出して作られたものと言うのを、黒砂糖を精製して白砂糖にすると喩えた。ただ、小説の中で真之が読んだとする書物名や戦(いくさ)に文禄慶長の役に関するものは出てこない。
日本を知れば、韓国のミステリーも解ける。 当時、韓国は海を知らなかったし、知ろうともしなかった。 中国中心の狭い世界観に閉じ込められ、自国の近海さえ守れなかった。 陸軍英雄は満ちていても、海軍英雄を持つ国はごく少数だ。 海の近代的価値を知らなかったため、李舜臣の近代的価値も知らなかった。 そうするうちに抗日英雄の救国叙事まで日本に奪われた。 狭い世界観が作った悲劇だ。
〔画像省略〕日本の海上自衛隊が創設70周年を迎えて開催した国際観艦式で、韓国軍需支援艦「昭陽」(前列左)と日本護衛艦「出雲」(前列右)が並んで航行している。 観艦式に参加した韓国、米国、インドなど12ヵ国はすべてインド太平洋諸国だ。 /共同連合ニュース
韓日米が東海〔※日本海〕で合同訓練を行うと、野党代表は「親日国防」と攻撃した。 「独島前旭日旗訓練」と描写した。 韓国などインド·太平洋12カ国が参加した日本主催の観艦式の時も、韓国政界の論議は「旭日旗」だった。 韓国海軍が主催国の首脳に向かって敬礼した側に旭日旗模様の日本海上自衛隊の旗があったということだ。 ある野党議員は国会で旭日旗の模型を割る幼児的パフォーマンスまで行った。 韓国経済の航路は東海を越えて北極航路を突破し、欧州につながっている。 海洋安保の生命線はインド洋まで拡張された。 韓国は日本近海を通さず太平洋に渡ることは難しい。 その日の敬礼は国家の運命がかかった広大な海に向けたものだ。 しかし、彼らの目には旭日旗の文様だけが見えたのか。
日本海軍は決戦を控え、過去の敵将李舜臣の魂に向かって祈りを捧げた。 東洋人の側で西洋の帝国であるロシアに勝たせてほしいという祈りだったという。 胸の痛む歴史だが、勝利する者の行動はこのように違うのだ。
* * * *
言いたいことは最後の2段落なのでしょうが、韓国人にとって、李舜臣がどれ程大きい存在なのかが分かるコラムです。
これについては思いあたる事があります。韓国人は、外国からの評価を気にするのですが、とりわけ、日本人からの評価が気になるのです。(ある意味、日本人の分析や判断力を信頼している、とも言える。)
以前、韓国に出張した際に現地スタッフに聞いた話ですが、日本で「冬ソナ」や「ヨン様」ブームがあった時、韓国ではとっくにドラマは終わっていて、ヨン様は ”過去の人” だったのに、日本でヨン様ブームが起きたことで、また彼の人気が再燃したそうです。
韓国メディアが、「日本でK-ポップ/K-コスメ/K-フード...etc. が大人気!」という記事をしばしば書くのも、韓国人の自尊心をくすぐるのでしょう。
李舜臣に関しては、次回以降のエントリーで、もう少し論じてみたいと思いますが、現代韓国人が李舜臣をヒーローとするのは、朴正煕大統領がそのように祭り上げたからです。
→次回に続く。
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