【李宇衍博士】朴裕河教授はどんな歴史と向き合っているのだろうか(1)反日感情
公開:2022-12-15 06:16:58 最終更新:2022/12/15 6:38
韓国の保守系ネットメディア『ペン&マイク』に、『帝国の慰安婦』の著者、朴裕河(パク・ユハ)教授の最新著書『歴史と向き合う』に対する批評を李宇衍(イ・ウヨン)博士が寄稿されました。
以前、Facebookに書かれたことをまとめたような内容で、当ブログでもそれはご紹介したので重複する内容ではありますが、改めてご紹介したいと思います。
かなり長い記事なので、数回に分けて機械翻訳でご紹介します。
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〔補足は緑字で追加。多少日本語として不自然でも理解に影響が無いと思われる翻訳は機械翻訳ママ〕
http://www.pennmike.com/news/articleView.html?idxno=59223#reply
[기고] 박유하 교수는 어떤 역사와 마주하고 있는 것일까?
[寄稿] 朴裕河教授はどんな歴史と向き合っているのだろうか
キム·ヨンサム〔※『反日種族主義』の「鉄杭神話」の項を執筆したジャーナリスト〕
初承認 2022年12月13日 14:17:31
最終修正 2022年12月13日 18:55
朴裕河教授の『歴史と向き合う』に対する李宇衍博士の批判的書評〔※リンク先は日本のAmazon商品ページ『歴史と向き合う 日韓問題──対立から対話へ』〕
[編集者注]世宗大学のパク·ユハ教授が発刊した『歴史と向き合う』について、イ·ウヨン博士がペンアンドマイクで書評を送ってきた。 この文で李博士は冷戦体制の崩壊が反日感情の根源ではなく、政界と運動圏の「反帝民族解放革命」戦略戦術が1990年代以後反日種族主義が激しくなる原因だと批判した。
パク教授はこの本で徴用問題と関連して強制連行が全くなかったわけではなく、日本での労働と生活は「差別と暴行、謝罪と疾病による死が日常化した状況だった」と主張した。 これに対してイ博士は法的強制力による徴用は1944年9月から1945年解放まで約25万~30万人に過ぎず、それ以前の1939年9月から個人の自由意志により金を稼ぐために日本に行った自発的移住者が43万~48万人だったという。 日本に行ったこれら戦時労働者は計73万1千人余りと推算されるが、彼ら全員が強制連行されたという主張は事実と合わないと批判した。 寄稿文のうち、タイトルと中間タイトルは編集陣がつけたものだ。
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本書は「第1章冷戦崩壊と韓日関係、第2章徴用問題、第3章慰安婦問題、第4章韓日併合、韓日協定、第5章歴史と向き合う方式」で構成されている。 1~3章それぞれについて、そして4~5章をまとめて、内容を紹介して感想を述べる。 もちろん紹介は評者(本人)の主観によるものであり、著者(朴裕河)の立場では不十分かもしれない。 しかし、すべての書評がそうだ。
I. 冷戦体制の崩壊が反日感情の根源?
第1章は慰安婦や徴用など歴史問題を中心に1990年代以後、韓国で「反日」が強力に台頭する現象と原因を叙述する。 事実、明確に把握することは難しいが、著者は社会主義圏が崩壊した後、これまで冷戦体制の下で抑圧されてきた左派勢力が噴出し、歴史問題でも議論を主導するようになったためだと見ているようだ。 もちろんあり得る論理だ。
しかし冷戦体制の崩壊が左派の反日が勢力を伸ばす背景になったのは事実だが、必然的な原因と見るには無理が大きい。 50年間、日本の植民統治を受けた台湾では、そのような現象は現れなかった。 また、アジア、アフリカ、ラテンアメリカの多くの国が植民統治を受け、第二次世界大戦後に解放された。
約40年間韓国に滞在した産経新聞の黒田勝弘論説委員がちょうど今年韓国で出版した『誰が歴史を歪曲するのか』で同じ問題を提起した。 彼は経済成長、1987年民主化運動の成功、1988年オリンピックの成功的な開催を背景に韓国人に「自信」が生まれ、それが以後日本に対する「優越意識」に転化したと話す。 このようなアプローチも意味が大きい。
評者は反日を志向して利用しようとする「政治勢力」を追加で指摘したい。 失敗したものの、ここ数年間、民主党や左派勢力が見せた「反日キャンペーン」を知っている読者としては、当然この問題を思い出すことになるだろう。 1992年に発足した金泳三(キム・ヨンサム)政権〔※Wikipedia:金泳三>「対日姿勢」の項参照〕は、3党合併という生まれつきの不純性を取り除くために「歴史立て直し」を掲げ、過去との断絶、そして1948年の大韓民国建国まで格下げし、1919年の臨時政府で大韓民国の正統性と起源を探そうとしたが、その核心的イデオロギーは反日民族主義だった。 彼は就任演説で「どの同盟国も民族より優れているわけではない」と述べた。
一方、1987年の電撃戦に成功した左派運動勢力は「朝鮮は一つだ」という民族統一運動で活動領域を拡張し、陣地戦を繰り広げ始めた。 1987年、「民主化運動」を主導した主事派は、米国を敵とする「反帝民族解放革命」の諸本領を訪れるようになったのだ。
左派女性運動界では、日本の「良心勢力」がかつて提起した慰安婦問題を偶然発見した後、予期せぬ国民的呼応に支えられ、それに「オールイン」する勢力が形成された。 彼らは「民族の受難」を象徴する少女慰安婦というイメージを散布し、韓国挺身隊問題対策協議会という膨大な組織に結集した。 評者はこのような政界と運動圏の戦略戦術が1990年代以降反日種族主義が激しくなる原因だと考える。
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→続き
【追記】ここで少しブログ主の経験を。
全斗煥(ゼン・トカン)時代〔1981~88〕、恐らく、ソウルオリンピックの1年ほど前だと思いますが、ソウル支店の韓国人スタッフ(女性)が優秀なので、研修という名目で東京本社への ”ご褒美旅行” をプレゼントした事があり、ブログ主の部署で預かりました。
当時は韓国と日本では物価の差がかなりあったので、昼食や夕食には彼女に払わせる事無く接待したので、部署の殆どの女性社員と親しくなりました。ある同僚が「韓国は反日なんでしょ?」と質問した時には、皆、それには触れないようにしていたので焦りましたが、彼女が申し訳なさげに短く答えたのは、「親戚には日本企業に勤めているとは言えない」と言う事でした。
ついでに言うと、ブログ主は彼女の真面目さや礼儀正しさから、韓国人に対して非常に良い印象を持ちました。尤も、後から考えたら、日本人に囲まれた職場で、日本式のマナーを身につけていた彼女が特殊だったのかも知れません。
この後、盧泰愚政権〔1988~93〕で民主化宣言。ここまでが軍事政権で、文民政権である金泳三政権〔1993~98〕へと続きます。
何が言いたいかと言うと、反日は金泳三政権以前からあったが、この記事は、それが露骨になったのがいつか?という議論だと言う事です。
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