慰安婦問題を巡る日韓合同シンポジウム 、『赤い水曜日』日本出版記念金柄憲博士の記者会見
今月の16日、17日と、都内で慰安婦問題を巡る日韓合同シンポジウムと金柄憲(キム・ビョンホン)博士の記者会見が行われました。
主催は『一般社団法人 国際歴史論戦研究所』で、報告は『なでしこアクション』のサイトにもあるので、ここにそのリンクを貼っておきます。リンク先には各種動画も掲載されています。
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冒頭、西岡力教授がお話になったように、韓国で慰安婦像の撤去や慰安婦被害者保護法の撤廃を求めて活動されている方々は、日本の為にではなく、韓国の為に『反(アンチ)反日』活動を行っていらっしゃいます。
そこには、慰安婦問題の解決という部分で、日本の名誉や日本人の尊厳を守ろうとする日本人と共通するものがありますが、まずは、韓国国内に蔓延る「反日種族主義」を打破しなくてはなりません。その為に韓国で活動される金柄憲所長や李宇衍(イ・ウヨン)博士、李承晩学堂等の皆さんは、慰安婦問題のみならず、日本統治時代の誤解を解こうと活動していらっしゃいます。
また、直接慰安婦問題に関わっている訳ではありませんが、『反日種族主義』の共著者のお一人のキム・ヨンサム氏(ジャーナリスト)はネットメディアの『ペン&マイク』で歴史講座を講義しており、近代史を詳しく解説しています。〔個人的には、日韓の歴史の誤解を解くには、李朝末期に遡って、ここから歴史認識を正していかないと、日韓のもつれた糸はほどけない思います。〕
残念ながら、日本人がいくら韓国人相手に説明しても、大多数の韓国人は聞く耳を持たないので、韓国内での啓発は韓国人に頼るしかありません。その為に、日本の専門家と連携して情報の共有化を図る機会が増えるのは良いことだと思います。
上述した方々以外にも、主に『メディアウォッチ』というインターネットメディアが、日本人が著した研究書を韓国語訳して出版しており、反日種族主義と戦う韓国人の理論武装に貢献しています。
残念ながら、韓国で出版された『赤い水曜日』は、名誉毀損で訴えられており、現在販売停止中ですが、〔複数箇所の訂正が必要とのことです。〕 このように、”武器” はある程度揃ってきており、あとはこれをどうやって広めていくか、と言う段階に来ていると感じます。
▲日本で『赤い水曜日』が多く売れれば、韓国版の再出版も可能になると思います。
「慰安婦の事実」以外に何を広報すべきかについては、今回のシンポジウムでの朴舜鍾氏(パク・スンジュン/ジャーナリスト)の講演がヒントになった様に思います。
それは、挺対協(正義連)や、慰安婦像の周りでピケを張っている団体の正体を明るみに出す事です。
挺対協に関する多くの韓国人の認識は、いまだに「正しい事をやっていたが、尹美香(ユン・ミヒャン)が気の毒なおばあさん達を金儲けに利用した」という程度だと思います。
しかし、そもそもの挺対協の成り立ちには北朝鮮が背後にあり、これに韓国の従北左派や日本の北朝鮮シンパ(社会党や朝日新聞)が連携しての「日韓離間工作」機関です。
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ご存知のように、慰安婦問題がクローズアップされたのは1990年代ですが、ブログ主は、1987年に北朝鮮工作員によって行われた「大韓航空機爆破事件」が一つの重要な節目になったのでは無いかと思っています。
まず、この事件自体、ソウルオリンピック(1988年9月17日~)に対する妨害が目的だったようですが、日韓離間工作の側面を持っています。
実行犯は日本人のパスポートを所持しており、もし金賢姫(キム・ヒョンヒ)工作員の自殺が成功していたら、あれほど早く北朝鮮の仕業だとは分からなかったでしょう。
そして、生き残った金賢姫工作員の口から、彼女を教育した女性として李恩恵(リ・ウネ)こと、田口八重子さんの名前が出たことで、日本人全員が拉致問題を認識しました。これが無ければ、日本人にとって大韓航空機爆破事件は、大事件ではありますが、ラングーン事件(1983年10月9日)などと共に幾つもある北による韓国へのテロ攻撃という認識で終わった事でしょう
それ以前の1980年代から、拉致問題は一部には報道されていましたが、当時はインターネットも普及しておらず、特定の新聞の読者とか、たまたま報道を目にした人にしか知られていませんでした。しかしこの事件で日本人の拉致問題に対する関心が高まり、憎悪が北朝鮮に向きました。
これは北朝鮮にとっては大誤算だったのではないでしょうか。
日韓はそれぞれ関心事は異なりましたが、この事件が日韓共通の問題となったことに北朝鮮は危機感を募らせたのではないかと思います。
ブログ主は慰安婦問題を日韓の離間工作に利用するだけでなく、朝鮮女性の拉致問題とする事で、徐々に日本人が気付き始めていた北朝鮮による拉致事件を封じ込める目的もあったのではないかと思っています。
最初に朝鮮人(女性)を拉致したのは日本ではないか、と。
動機となるものは何が先かは分かりませんが、拉致問題がクローズアップされたことで、北やそのシンパによる日韓離間工作の激しさが増したのではないか思います。
1991年、韓国と北朝鮮が国連に同時加盟すると、翌年の1992年には、日本海の呼称変更を南北共同で提案する等と言うこともしています。〔→ブログエントリー〕
当時は右派で軍人出身の盧泰愚大統領(1988年2月25日~1993年2月24日)でしたが、その前の民主化宣言以来、北朝鮮、韓国の左派、日本の左派が連携しやすくなっていました。
このような状況を背景に生まれたのが挺対協です。
こうした事は、慰安婦問題に関心がある日本人にはある程度知られていますが、今後、挺対協の本当の目的が日韓離間工作だと言う事を韓国において広めていく活動が重要になると思います。
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