前回のエントリー に続き、ここでは「資料」として、韓国の慰安婦政策を時系列に見ていきたいと思います。
Wikipediaの『在韓米軍慰安婦問題 』>略年表 (米軍基地村政策沿革)にも簡単な年表がありますが、『青丘文庫月報192号』(2004年12月1日)の「『性売買特別法』について考える」(筆者:堀添伸一郎)というエッセイの一部をテキストとしてお借りします。簡潔且つ因果関係が分かりやすいからです。〔緑字はブログ主の註 〕
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https://ksyc.jp/sb/200412geppou.htm 『青丘文庫月報192号』(2004年12月1日) 『性売買特別法』について考える 堀添伸一郎
去る〔2004年 〕9月23日、韓国で『性売買特別法 』が施行された。日本ではNHKで報道され、10月に入り「生存権を保障せよ」と訴える風俗嬢たちのデモ風景をご覧になった方も多いと思う。何故、風俗嬢たちはデモを行っていたのであろうか。そして『性売買特別法』とは何なのだろうか。既にご存知の方も多いと思われるが、この場をお借りして考えてみたい。
従来、韓国で売買春に関する主要な法令は米軍政下における『公娼制度廃止令 』(1947年11月14日公布)、軍事政権下で制定された『淪落行為防止法 』(1961年11月9日公布・施行)、及び『風俗営業の規制に関する法律 』(1991年3月8日公布)が施行されていた。しかし旧法は拘束力が著しく限定され売春行為は解放後から今日に至るまで黙認されてきた 。旧法を強化する目的で制定されたのが『性売買被害者保護法』と『性売買斡旋等処罰法』であり、総称して『性売買特別法 』とされている。旧法は売った方が強制の有無にかかわらず、1年以下の懲役と300万ウォン以下の罰金が科せられていたが、今回の『性売買特別法』では自発的に性売買に応じた場合のみ処罰対象となる。
日本統治時代に発令された朝鮮総督府警務総監部令第4号「貸座敷娼妓取締規則」(1916年3月31日公布/同年5月1日施行)は、米軍政期の1947年に廃止されました。これが、『公娼制度廃止令 』〔韓国語〕です。
しかし、その後も売春自体は無くならず、1950年から1954年の朝鮮戦争では韓国軍慰安婦が設置されます。「特殊慰安隊」と呼ばれ、隠語として「第五種補給品 」〔正規の補給品は一種~四種までしか無かった〕とも呼ばれましたが、日本統治時代に定着した「慰安婦」が韓国軍や米軍相手に性サービスをする女性達も意味し、行政用語としても用いられ続けました。1955年から政府が発刊した「保険社会統計年報」にも慰安婦という用語が使われており、1957年の「伝染病予防法施行令」では「慰安婦とは売淫をする女性で週2回の性病検診の対象」とされています。
※ 日本軍慰安婦と挺身隊の混同など、韓国に於ける語句の混乱は過去のエントリー『【慰安婦問題】慰安婦・日本軍慰安婦・日本軍慰安婦被害者、そして挺身隊 』を参照のこと。
朝鮮戦争後、李承晩政権が大統領の亡命という形で終わり、その後を引き継いだ政権を朴正煕がクーデター(1961年~1979年)により倒すと、『淪落行為等防止法』〔윤락행위등방지법 〕/条文 (韓国語)〕を制定します(1961年)。
「淪落(=女性などが堕落して身を持ち崩す事)」という言葉から分かるように、伝統的道徳観に則り、性売買を禁止しつつも、売春する側を罰する法律でした。 また、 米軍基地近隣104ヶ所を特定(淪落)地域に指定し、この地域での売春取締りを免除します。〔1962年〕
その後、ベトナム戦争〔1955年11月1日 – 1975年4月30日〕が起こり、韓国軍も傭兵として参加しますが、ニクソン大統領が「ベトナム自身での軍事防衛を期待する」と述べた所謂『ニクソンドクトリン 』(1969年7月25日)で、1971年には京畿道東豆川にあった在韓米軍第7師団も撤退します。韓国人は米軍撤退を恐れます。
米軍をつなぎ止める為や米軍と慰安婦とのトラブルを避ける為に『基地村浄化キャンペーン』も1971年から継続して実施されます。
以上が「米軍基地村裁判」に関連する時系列ですが、もう少しエッセイを引用して、韓国の慰安婦、即ち売春にまつわる政策を見ていきます。
70年代~80年代は米軍のみならず、性産業は韓国の外貨獲得の大きな手段となっていました。しかし、これに伴う人身売買や事件・事故などが社会問題化していきます。そこで、 『性売買特別法』(2004年)が施行されました。
強制があった場合は業者と買った人のみが処罰対象となる。強制された性売買の場合、売った方は被害者として保護される。借金(前渡金)を理由に売春を強制するのが従来の形式であったが、『性売買特別法』では売買春に強制があったと認められた場合、債務は一切、無効とされる。『性売買特別法』は従来、泣き寝入りを強いられてきた被害女性保護の観点から実施されるわけである。
何故、この時期になって旧法に代わり制定、施行されたのであろうか。2000年、全羅北道群山市で発生した置屋の火災事故で監禁状態で売春を強いられていた5人の女性が逃げられずに犠牲となる悲惨な事故が発生した。今年になりこの事故を巡る裁判で被害者の遺族に国と業者が慰謝料を支払う判決がなされ原告勝訴となった。加えて裁判では警察側の売春行為の黙認状態が明らかにされ警察と業者との癒着を改めて世間に知らしめる結果となった。この事故を背景に管理売春の根絶を訴える世論が一気に高まり『性売買特別法』制定へと至ったのである。女性保護の観点で制定された『性売買特別法』である。
何故保護される側の風俗嬢が施行延期、生存権保障デモを行った のであろうか。与党庁舎前で『性売買特別法』施行延期を求める風俗嬢たちのデモ、ハンガーストライキなどが11月になっても継続しており生活の手段を奪われた風俗嬢の反対は根強い。収入の道を閉ざされ絶望した風俗嬢の自殺未遂が多発するなど受け止め方は好意的とは言い難い。『性売買特別法』が風俗嬢の収入の道を閉ざし、代替となる職業、風俗産業と同水準の収入を保証していない 点が背景にある。〔後略 〕
VIDEO
「韓国の売春婦デモ 」
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ここまでは「資料」として、客観的事実と思われることを記述してきましたが、慰安婦問題を調べていて常々感じている日本人と韓国人の違いについて書いてみようと思います。これは、善悪や優劣を言うものではありません。
ブログ主が感じるのは、韓国人にとっての慰安婦(売春婦)は「弱者」や「被害者」あるいは「犠牲者」で、「時代を逞しく生き抜いた女性」という視点が欠けています。
日本人がおおらか過ぎるのかもしれませんが、韓国人は、儒教(朱子学)やキリスト教の影響かも知れませんが、「潔癖さ」(性に対するタブー視)を感じます。
従って、現代の売春婦に対する施策も、奨学金を与えて大学などに通わせ、”更正” させようという方向に行きます。彼女達が安全に仕事ができるようにするとか、反社会的勢力の資金源にしないようにするという方向には向かわないのです。”保護” と言いつつ、その根底には ”蔑視” があるように思えます。
これは、基本的には客観的な講義をしている『李承晩学堂』の先生方の言葉の端々にも感じる事があります。
韓国人も日本人も性欲などたいして変わらないはずなのに、性をタブー視〔別の言い方をすれば貞節の「神聖視」 〕してガチガチの法律で縛るので、性産業がどんどんアンダーグラウンド化していく為か、時々大きな売春組織の摘発があり、「n番部屋事件 」のような酷い性犯罪が起こるのでしょう。
韓国人男性が日本のAVを違法視聴しているのは有名なことです。
ブログ主は「慰安婦問題」がこれほど韓国人の関心を呼ぶのは、もちろん「反日」だからではありますが、彼らの抑圧された「性」を刺激するからだと思っています。本来は成人した女性なのに少女化したり、博物館の展示も、猟奇的というかSMチックにしています。もしかしたら、韓国風味の『秘宝館』なのかも知れません。
最後に、『性売買特別法』を施行する側とそれに反対しデモをする売春婦のギャップを分析した興味深い論説を抜粋してご紹介します。
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https://synodos.jp/opinion/international/28142/ 2022.05.19 臨界点に直面した韓国女性団体連合の「進歩性」 李順愛
〔前略 〕たとえば、2004年9月23日に「性売買防止法」(「性売買特別法」)が施行された時のことだった。当の「売春」女性たちが防止法に反対し、生存権の補償を求めて大規模集会や激しいデモを敢行した。それは「誰も容易に想像できなかった。予測できなかった」(呉金スギ「ジェンダー・労働フレームと女/性労働者の再現」)事態だった。防止法の成立を牽引したのは、当時女性部長官だった池銀姫(「挺対協を作った者たち」の一人。女連の元共同代表。「日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶財団」初代理事長)である。
池は、あるインタビューの中で、デモに参加した「売春」女性たちは業者によって「動員された人たち」であり「ストックホルム症候群」に陥っているのだと公言した(「『性売買特別法』制定の産婆役、池銀姫女性部長官」『新東亜』2004年11月号)。つまり池は、デモに参加した「売春」女性を「業者の操り人形」(鄭喜鎭「性売買をめぐる『差異』の政治学」『黄海文化』2005年3月)とみなした。日本の右派や『反日種族主義』の共著者である朱益鍾が「元慰安婦たちは運動家に『操縦』されていた」(『文春オンライン』2020年5月31日 )と発言しているのと同じ発想、同じ論法である ことに、女連も池銀姫も気づいていないようだ。デモを実行した「売春」女性の代表が女性部長官に面談を申し入れた時、池銀姫はそれを拒絶した。
引用の途中ですが、赤字の部分の指摘はブログ主も共感します。ただし、「日本の右派」は元慰安婦を活動家の共犯者と見ていると思いますが。
元慰安婦達が活動家達の言いなりになっていた事は確かですが、それは、彼女達もそうすることでメリットがあったからしていたのです。国から勲章を貰ったり、アメリカでオープンカーに乗ってパレードさせて貰ったり、米国大統領の晩餐会に出席したりできる元慰安婦は一部ですが、彼女達ほどではなくても、一時金と年金を貰ってボランティアの手厚い保護を受けている女性達もいます。韓国で”慰安婦被害者” として登録されている女性は約250名ほどで、大半の女性達は貰うものを貰ったら口をつぐんでいますが、そうした活動に参加することにはメリットを見いださなかったのでしょう。
韓国で、上に挙げたような代表的な元慰安婦を「詐欺師」と堂々と批判するのは金柄憲(キム・ビョンホン)所長くらいです。
「直接会って対話をしようという彼女たち[「売春」女性]の要求を女性部はついに聞き入れず、これによって彼女たちは『女性部解体』を要求するにいたる。」(朴李ウンシル「女性/左派政治の再模索」『進歩評論』2008年6月)
「志願して行った公娼」や「私は被害者ではない」と主張する「売春」女性のありようを、否定的にしかとらえられないところからくる蔑み 。「慰安婦」問題にひきよせていうと、日本のアジア女性基金の「償い金」を受け取った元「慰安婦」は60名もいる。にもかかわらず、「挺対協を作った者たち」はアジア女性基金を、「法的賠償の回避のために作られた」として全否定している。そうすると、「償い金」を受け取った60名の元「慰安婦」たちはどういうことになるのか。池銀姫はこう話す。
「[日本政府は]アジア女性のための平和基金[女性のためのアジア平和国民基金]を作って、折衷の形態で元『慰安婦』たちに4000万ウォン程度の慰労金[原文通り]を与えて適当に終わらせようとしたのです。挺対協は日本政府が公的な責任を回避しようとする手段だと結論づけましたが、元『慰安婦』の中には生活が苦しくてそれをもらいたいという方たちもいらしたのです。ですが、多数が受け取れば日本政府に公的責任を追及する運動を続けることが難しくなります。それで韓国政府が同じ金額を一時払いであげて、毎月の生活費を支給してくれという法律を作って請願しました。(略)被害者たちと運動を一緒にするのは本当に大変です。あまりに生活が苦しいので、正義の具現よりも金銭的な利害に陥る傾向があります。」(『新東亜』同前)
ここで「慰労金」(「償い金」のこと)という意図的誤訳(アジア女性基金への批判は自由だが、これは基金への賛否以前の問題だ)を女性部長官たる人間が口にしていることにも驚かされるが、元「慰安婦」たちへの上から目線 がおおっぴらに表出されている。自分より年長の元「慰安婦」たちに失礼だと感じないのだろうか。「正義の具現よりも金銭的な利害に陥る傾向」を非難する何の資格が池銀姫にあるのか。韓国社会にあるのか。〔後略 〕
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後ほど、関連するブログエントリーや参考となるサイトのリンクを貼る予定ですが、ここまでで公開します。
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