【日本統治時代】1943年にソウルを走った電気バス
ブログ主が時々動画をご紹介する『百年歴史』さんのブログより記事画像と一部テキスト〔→機械翻訳〕をお借りしました。
https://m.blog.naver.com/kantertube/222415003333
毎日新報1943年7月15日付
電気バス登場、まず4台を15日から運転
15日からソウル通りに電気自動車が走る。 京城電気では燃料と資材節約を図り、3年前にすでに大阪中島製作所に電気自動車10台を注文していたが、そのうち4台が最近完成して到着し、まず15日から大同線(大化亭~東小門間)に朝夕の通勤混雑時間に運転することになった。〔以下略〕
画像の記事内には無いようですが、百年歴史さんのブログによると、内地、つまり日本本土では既に1930年に名古屋に導入され、各都市で走っているそうで、朝鮮でも平壌には既に導入されているとの事です。
定員は35名。 一度充電すれば時速60キロなら1時間、普通速度時速35キロなら2時間は走ることができるのだそうです。
こういうのはそれなりに史料や情報があるだろうと思って検索してみたところ、個人の方のブログなので直接リンクは貼りませんが、『戦前の電気バスについて②名古屋市』(http://flattwin.cocolog-nifty.com/blog/2018/04/post-1cc9.html)という詳しいブログがありました。
『電動バスの歴史』〔著者:森本雅之(東海大学)〕という論文によると、「東邦電力株式会社(現在の中部電力)は、深夜の余剰電力利用のため、電力を蓄電池に貯めて、その蓄電池で自動車の運転することを計画した。」のだそうです。
日本統治時代、従来の身分制度から解放される一方、前近代的な資本主義社会から近代的な資本主義社会に放り込まれた朝鮮人〔朝鮮系日本人〕は、それ以前とは違った苦労があったことでしょう。
形式的には機会は平等になった一方、個人の能力が物を言うようになり、また、新たなことを始めるためには財力も必要で、現在と同様の競争社会がそこにあります。万人が満足する社会など不可能なので、不満を持っていた人も多かったでしょう。
ブログ主が常々書いているように、「日本統治時代に『庶民階級』が初めて生まれ、彼らは現代とさほど変わらぬ生活をしていた」という認識を多くの現代韓国人が持たない限り、日本に対する憎悪は無くならないと思いますが、昨今の「국퐁(グクポン)」と呼ばれる、肥大化した民族優越主義により、益々難しくなったでしょう。
ブログ主は(数年のスパンで変化があるというレベルでは)半ば諦めてはいますが、百年歴史さんのような方の努力が報われて欲しいと思っています。
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