【”徴用工”】韓国語の「徴用」と日本語の「徴用」の意味のずれ
韓国人は「強制徴用」という言葉を使います。
日本人からすると、「馬から落馬する」のような重言〔じゅうごん:同意の語を重ねた言い方〕のように聞こえますが、これには訳があります。
ブログ主は「徴用」自体に強制性の意味があることを知らない現代の韓国人の誤りだと思っていましたが、当時の人も、例えば、企業の募集に応募して働く事を「徴用」と呼んでいたことに、『歴史再検証 日韓併合―韓民族を救った「日帝36年」の真実』(崔基鎬 著)を久しぶりにパラパラと読み返して気付きました。
当たり前のことですが、「徴用」とは、「非常の場合、国家が国民を強制的に集めて、一定の仕事につかせること。」〔新明解国語事典〕で、「徴」の漢字に「強制」のニュアンスがあります。
著者の崔基鎬(チョ・ケイホ)伽耶大学客員教授は1923年(大正12年)生まれで、自身、応募工として働いた経験がおありですが、それを「徴用」と表現しています。
>応募者が殺到した手稲鉱山の徴用 〔P.38/見出し〕
>1939年度から施行された「国民徴用令」によって、朝鮮からの徴用も開始され、〔P.38 →後述〕
>ある土曜日の午後、我ら定年退職者達は、孝昌公園の楼台に腰かけて、戦時中の徴用は、強制連行だったか否かを語り合った。そこで私は、1940(昭和15)年、徴用に応募し、北海道の三菱手稲鉱業所で1年間経験した事を詳細に語り、実態は強制連行ではなく、自発的行為であった事を証言した。〔P.45〕
1939年7月8日に公布〔15日施行〕の国民徴用令は朝鮮人も含む全国民が対象でしたが、実際は朝鮮では適用されませんでした。しかし、これと同時に朝鮮では戦時動員が開始されたので、「応募」や「官斡旋」も、「徴用」の一形態くらいに思ってそう呼んでいたのでしょう。
>1937年に日中戦争がはじまると、1938年3月南次郎朝鮮総督が日本内地からの求めに応じ、朝鮮人渡航制限の解除を要請し、1934年の朝鮮人移入制限についての閣議決定を改正した[26][32]。1938年4月には国家総動員法が、1939年7月には国民徴用令が日本本土で施行された(朝鮮では1944年9月から実施[1])。同じ1939年7月、朝鮮総督府は労務動員計画を施行し、朝鮮から労働者が日本に渡るようになった[26][33]。
〔Wikipedia:日本統治時代の朝鮮人徴用>労務動員計画〕
朝鮮半島に於ける本来の意味での「徴用」が行われたのは1944年9月から朝鮮と内地間の連絡船が航行できなくなる1945年3月までの約7ヵ月間ですが、上記Wikipediaにも、
>動員を受けた元労務者が、実際の形式にかかわらず「徴用された」と回顧する傾向が強く[6]、
と書かれています。
試しに、韓国語で徴用を意味する言葉を調べてみたところ、「징용」という言葉で、発音は「チヨン」なので、多分漢字の「徴用」をそのまま朝鮮語読みにしただけでしょう。そして、以下のような例文がありました。
강제적으로 징용당하여 탄광에 끌려가다
強制的に徴用されて炭鉱に引っ張られて行く.
以前、金柄憲(キム・ビョンホン)所長が「『徴用』には既に強制の意味がある」と動画で仰っていましたが、漢文の博士である金柄憲所長くらいでないと知らないのでしょう。
韓国語と日本語ではしばしばある事で、同じ単語だからといって、共通の認識があるわけではないのですが、徴用工(朝鮮半島出身労働者)問題を論じる時に、キーワードとなる言葉の定義が違うのでは、話が噛み合わないのも理解できます。
【2023/05/08追記】
▼下の画像は以前ブログ主が作成した『戦時動員概念図』
« 【COVID-19】阿波踊り「コロナ感染」 残念な日本メディアの報道姿勢【WedgeOnline】 | トップページ | 【韓国】尹錫悦大統領では日韓関係の改善はできない »
コメント
« 【COVID-19】阿波踊り「コロナ感染」 残念な日本メディアの報道姿勢【WedgeOnline】 | トップページ | 【韓国】尹錫悦大統領では日韓関係の改善はできない »
aaa1さん、コメント、ありがとうございました。
※記事本文に『戦時動員概念図』を追加しておきました。
>「朝鮮経済」という当時の雑誌の座談会で、朝鮮総督府の日本人官吏が、朝鮮でも徴用令を施行する必要はないかと聞かれて、「自分は必要ないと思っている、なぜなら同じことが出来ているから(つまり、徴用令に関係なく、権力づくでムリヤリ徴用している)、脱走も多く徴用令を施行すればそれに違反したということになるから、いちいち逮捕しなきゃいけなくなる、それくらいなら、また別の人間を簡単につかまえて労務者として送ったほうがいい」と、実質的はそのような内容になることを語っているのを見たことがあります。(もちろん、表現は工夫してありましたが)
当時の朝鮮の新聞には、なんとしてでも日本に行こうとしている朝鮮人の記事が多くあります。ブローカーに騙されたと知り、釜山で涙を流した、というような記事が。だから、徴用は必要なかったのでしょう。(実際に徴用が実施されたのは、1944年9月から45年3月までの7カ月間ほど。3月で終わるのは日朝間の連絡船が途絶えた為。)
徴用工裁判の原告として2018年に勝訴した3名は自発的に応募しています。その内の一人は日本人の校長に推薦状代わりの名刺まで貰って採用試験に臨みました。
脱走が多かったのも事実です。彼らはより良い仕事を求めてすぐに脱走したのです。
投稿: ブログ管理者 | 2023/05/08 08:46
「朝鮮経済」という当時の雑誌の座談会で、朝鮮総督府の日本人官吏が、朝鮮でも徴用令を施行する必要はないかと聞かれて、「自分は必要ないと思っている、なぜなら同じことが出来ているから(つまり、徴用令に関係なく、権力づくでムリヤリ徴用している)、脱走も多く徴用令を施行すればそれに違反したということになるから、いちいち逮捕しなきゃいけなくなる、それくらいなら、また別の人間を簡単につかまえて労務者として送ったほうがいい」と、実質的はそのような内容になることを語っているのを見たことがあります。(もちろん、表現は工夫してありましたが)
実際に当然、徴用令の施行前は自発的、ムリヤリ両方あったでしょうが、崔基鎬教授は親日姿勢がアッピールポイントのようですので、世間一般でムリヤリなので徴用と呼ばれたことも「自分の場合は異なっていた、だから徴用は強制連行ではなかったはずだ」と言いたかったのではないでしょうか。
それに当時は学校での日本語教育も行われてかなり経っていたのではないでしょうか。だいぶ前に、韓国の人が「私のお婆さんは日本語の方が慣れていたので、水漏れがあって慌てて、日本語で『バケツ』を持ってこいと、今でもつい言ったりする」という話を、新聞で読んだことがあります。
投稿: aaa1 | 2023/05/08 00:35