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2022/07/20

【韓国】韓国保守の限界/韓国の歴史歪曲は李朝末期から糾さなければならない

私はミクロ的〔慰安婦問題など個別の問題に特化しているという意味〕に歴史問題に取り組む事は当然だが批判しない。

しかし、歴史をマクロ的に俯瞰するようなフリをして、韓国の歴史を李承晩の手柄のように過大評価する学者は批判する。

確かに、李承晩〔1875~1965(昭和40年)〕は李氏朝鮮〔1392~1897年〕末期から大韓帝国〔1897年~1910年(明治30年~明治43年)〕に於いて、獄中で「独立精神」〔1897年~1904年の投獄期間=およそ日露戦争の頃に著す〕を書き、体制を批判した事で、当時の人間としては「開明的」と言える。しかし、彼は、李朝を終焉させる点においては何等貢献していない。

また、独立運動家として、海外で3つの学位を取ろうと、独立のためのロビー活動をしようと、結局はさほどの成果を上げられなかった。

朝鮮が ”解放” されたのは、日本の敗戦の結果という ”棚ボタ” に過ぎない。〔個人的には、「解放」と同時に「李朝の呪縛」に囚われたと見ているが...

 

李朝の終焉は、李承晩より10年~20年前に生まれた人達が、志半ばで残虐に殺されたり、後世、売国奴の誹りを受けたりして成し遂げた事である。

李承晩は、その後の日本統治時代で近代化がある程度なされた時点で韓国に戻って、謂わば、インフラのただ乗りをした人物である。

ただし、李承晩は「反共」の人であり、経緯はともかく、アメリカを朝鮮半島に関与するように引き留めた立役者である。これは、大枠としてはその後の軍事政権と呼ばれる朴正煕にも引き継がれ、それによって、体制としては自由民主主義陣営〔海洋勢力〕に居続ける事になった。これが、現在韓国に於いて「保守」あるいは「右派」と呼ばれる人達の精神的なコア(核)となる部分である。

李承晩が「反共」であると言う事は、統一して建国を目指す勢力〔ex. 金九〕と敵対した事になり、相対的には「民族主義」よりは「国家主義」を目指した人だと言える。これは朴正煕にも引き継がれている。

しかし、国をまとめるためには日本を民族の敵とした「民族主義」を利用したのであり、これは朴正煕になると更に強化され、李舜臣等、日本を意識した偉人の銅像を建てたり、抗日の義士だの烈士だのを顕彰し始めた。〔革命や独立運動で建国できなかった韓国は、「建国の精神」みたいなものが無いからしかたがないが...

結局、反北というだけで、民族主義なのである。

  

また、李承晩は、日朝修好条規〔江華島条約(1875年/明治8年)〕の頃までの日本は評価していたそうである。江華島条約は、清国の属国であった朝鮮が、まがりなりにも独自に外国と結んだ条約であり、彼が望んだ「独立」の最初の一歩であったからであろう。

尤も、反共・反北のイデオロギーの元で、「自由民主主義」とは言い難い独裁者”的”な政治手法を採り、李朝から続く、敵は徹底的に潰すという強権的な政治体制を踏襲した。これにより、「民主派勢力」を標榜する左派との戦いとなり、今に至るまで、二分された勢力が「どちらが上か下か」とい陣営の戦いをし続ける結果となった。

念の為に言うが、韓国は朝鮮時代から党派に分かれて「どちらが上か下か」の戦いをしていたのであり、これは独立後の保守のせいだけではない。そして、民主主義派であるはずの盧武鉉政権や文在寅政権が民主的とはほど遠いファシズム的な全体主義を強化していったのは説明するまでもないだろう。

これもまた念の為に言うが、解放直後の南部朝鮮、後の大韓民国は、恐ろしいほどに赤化されていた。例えば、1950年の済州島4.3事件は、日本では一般市民の虐殺ばかり言われるが、本質は、南朝鮮単独で選挙する事に反対する共産主義者〔南朝鮮労働党〕が起こした暴動であり、鎮圧に当たるべき国軍さえも赤化された部隊が反乱を起こした。

しかし、共産主義者と戦う政府を「善」として、政府に対する不満分子も含めて「悪」と見なして弾圧したので、この一部分だけを取りあげて李承晩政権やそれに続く軍事政権を全否定するのは間違いだが、やりすぎた面は否めない。

こうして見ると、日本から解放された後の大韓民国は「敵は徹底的に叩く」という朝鮮時代の哲学に戻ってしまったようなものだ。

従って、右と左、保守と進歩、言い方はどうでもいいが、陣営に分かれて妥協を許さず血で血を洗う闘争を繰り広げる韓国は、李氏朝鮮からとも言えるし、李朝の生き残りのような人達が解放後の朝鮮に戻ってきて、李朝のやり方に回帰してしまったとも言える。

現代の日本人は、朝鮮に融和的な明治政府の失敗を見ているので、福沢諭吉にならなくてはならない。

 

結局、韓国(朝鮮)は全体主義の国なのである。

 

李氏朝鮮末期、或いは大韓帝国の時代に、改革を志した人達がいた。

李承晩よりは二回り位前の人達だ。

それを代表する一人は金玉均〔キム・オクキュン/1851~1894(明治27年)〕である。彼を中心とする急進的な改革派やそれよりも穏健な改革派、例えば尹致昊〔ユン・チホ/1865年~1945年(昭和20年)〕等、この時代の改革派には福沢諭吉〔1834~1901(明治34年)〕の薫陶を受けた人達が少なくはない。

彼らは先に近代化を成し遂げた日本を手本にし、まずは国力を増すべきだと考えたたのである。

例えば、李承晩の「独立精神」よりも前に、「西遊見聞」〔1895年(明治28年)4月25日出版〕という、福沢諭吉の「西洋事情」によく似た本を著した兪吉濬〔ユ・ギルチュン/1856年~1914年(大正3年)〕もまた、福沢諭吉の門下生である。

李完用は、大韓帝国時代の政治家で、韓国では「売国奴」の代名詞だが、朝鮮を清朝から独立させ、文明化させるには日本の力を借りなくてはならないと考えた。一方、王室は自分の身分や生活さえ保障されれば国民などどうでも良かったので、責任を逃れるために手続きを李完用達閣僚等に任せた。

これが、韓国では、抵抗する高宗を裏切って日本に国を売った国賊と歪曲されているのである。〔註:高宗は大韓帝国時代に死去したので、純宗( 1874年~1926年)が即位しており、最後の王は純宗である。

 

ハーグ密使事件〔1907年/明治40年〕も、一般的には、「高宗が外交権回復を直接国際社会に訴えるために、李相、李儁、李瑋鐘の3名を密使としてオランダのハーグで開催されていた第二回万国平和会議に送り込み、日本の侵略を訴えようとした」と言われているが、その時の彼らのスピーチは、「残忍な前政府の虐政と腐敗に耐えられなくなった我々は日本人を希望と共感で迎えたのであり、日本人に改革を託する」といった趣旨なのである。〔詳細は別のエントリーとする。

日本が手助けした事は事実だが、彼らの意思があったから、福沢諭吉等の協力者が現れたのである。

 

歴史とは、「点」(出来事)であり、「線」(因果関係の連続)である。そして、主流(メインストリーム)だけでない周辺も歴史の一部=「面」であり、その時代の社会背景や世界情勢といった「立体」で捉えなくてはならない。

大韓民国は一人の卓越した指導者でできたのではないのである。

李承晩が譲り受けた朝鮮の南半分は、先人達の犠牲や苦労の上にできたものなのだ。彼らが本物の独立運動家である。

彼らが何を考えており、なぜ日本との併合を望んだのか? - ここを見つめる必要がある。

この歴史を切り離して、日本統治時代や、1945年あるいは1948年以降の歴史だけを糾そうとするのは不十分である。

李完用の名誉回復一つできなくて、何が保守だ。

 

 

  


 

 

 

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