【湖南平野の碧骨堤】『朝鮮雑記』に見る19世紀末の朝鮮の土木技術
このところ、湖南平野に於ける日本統治時代の治水事業について関心を持っており、前回のエントリーでは1920年代の防潮堤工事について書きました。
今回の話題は湖南平野に限定した事ではありませんが、『朝鮮雑記』(1894年/本間九介著)に「堤防」という文を見つけたのでご紹介します。〔この本については後述〕
「(朝鮮人が川べりを避けて耕作するのは)堤防の技術が未発達だからである。」、「ああ、彼の国の人は(中略)人間の工夫をもって天然の悪地勢を変えられる事を知らないのである。」
と、これを読むと、土手を築くという土木技術すら当時の朝鮮では無かったことが分かります。
あるいは、耕作地を増やすために、堤防を造るという発想が無かったり、意欲が無かったのかもしれません。
◆碧骨堤(ピョッコルチェ)
湖南平野の中心にある金堤市の万頃平野(マンギョンピョンヤ)には、「碧骨堤」という百済時代(330年)に造られた水門の遺構があります。
既に4世紀には人口の貯水池があったというわけで、近くには「農耕文化博物館」があり、古代から高度な治水技術があり、この地域が古くから農業が盛んであった事を展示しています。
こちらの観光スポットを案内するサイトでは、以下のように説明されています。
>その後も790年(統一新羅)、1415年(朝鮮時代)にも大規模な修築が行われています。その規模の大きさは、朝鮮時代の修築の際、全国から集められた人夫が碧骨堤に到着し、草鞋についた土をはらった場所が山となったところが、現在の草鞋山(チョヘサン)であるという言い伝えから伺い知ることができます。
>碧骨堤の維持・修築がどれほど巨大な国家規模の事業であったかを推し量ることができます。1420年に暴風のため流失、1925年の日本支配期には灌漑用水路として改造したため破損、現在に至っています。
日本人によって破損とありますが、
1420年に流出してから1925年までの500年間、いったい何やってたの...?
李氏朝鮮時代は、だいたい日本の「室町時代~明治半ば」と考えれば分かりやすいです。
その前の高麗時代末に地方の武人である李成桂がクーデターを起こして即位したのが1392年。室町幕府も1392年から。日本では1467年の応仁の乱以降、戦国時代となります。日清戦争〔下関条約〕によって清から独立し、大韓帝国と称したのが1897年(明治30年)です。
李氏朝鮮の500年間は技術が停滞どころか衰退していった時代です。
しかし、この「湖南平野」シリーズで見てきたように、博物館などでは日本統治時代の治水事業を隠しているため、あたかも、古代から高度な治水技術を維持していたかのように勘違いさせる仕組みになっています。
◆『朝鮮雑記』について
この本は、本間九介(ペンネーム「如囚居士」)という人物が1894年4月から6月にかけて『二六新報』という日刊新聞に連載した朝鮮事情という連載記事を、連載終了後、書籍化したものです。
現代語訳されて『朝鮮雑記 日本人が見た1894年の李氏朝鮮』として出版されていますが、オリジナルは国立国会図書館のアーカイブスで読むことができます。〔ダウンロードも可能〕
本間九助は、ここでは新聞社の特派員のようなことをしていますが、「大アジア主義」〔欧米列強のアジア侵略に対抗するため、アジア諸国民は団結すべきであるという考え方〕的な考えの人で、東学党の首魁(頭)に会ったり〔但し、首魁というのは勘違いらしい〕、朝鮮を旅行中もそういう事を説いていたのが伺え、「朝鮮人は気概が無い」といったことを嘆いています。
6月30日付けのエントリーの「竹槍歌」の説明で書いたように、東学党が単純な抗日ではないのですが、この中から李容九のような親日派が現れ、日韓併合を要求する政治結社「一進会」にも繋がっています。
この「東学党の首魁に会う」という題のコラムでは、相手から、「日本人は、壬辰倭乱〔秀吉の朝鮮出兵のこと〕で我々を恨んでいませんか?」と聞かれたので、九助は「もしや、この国の人は自分達が勝ったと勘違いしているのかも知れない」と思い、「いや、壬辰の役では日本が大勝したのですが」と答えると、相手は反論して、「あなたの国では歴史を正しく伝えてないのではないか?」と問い返されます。
まるで、現代の韓国人と日本人の会話のようで面白く、印象に残っています。
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