【沖縄】反基地イデオロギーの場所と化した慰霊の日?(6月23日)
1945年の6月23日は、糸満市摩文仁(まぶに)で第32軍司令官牛島満中将(後に大将)と長勇参謀長(後に中将)が自決した日で、沖縄戦の終結として沖縄県で「慰霊の日」と定められています。
摩文仁の丘陵地帯の側にある平和祈念公園で行われる慰霊祭はテレビでも中継されますが、毎年反基地や反政府イベントと化しており、これについても言いたい事はありますが、今回は止めておきます。
これ以外にも沖縄の方々は思い思いに慰霊の行事をなさっています。
例えば、『「慰霊の日」に冷たいお水とお花を供える会』の方々は、摩文仁の丘の頂上にある、牛島大将と長勇中将を祀る黎明之塔からスタートして、点在する県ごとの慰霊塔に花や水を供える活動をしていらっしゃいます。
黎明之塔へは、後輩に当たる自衛官が参拝をしますが、これに嫌がらせをするのは沖縄メディアや反基地活動家。
自衛官は気遣って早朝の暗い内に参拝するのに、メディアはそれを待ち構えていて、「私的か公式(参拝)か?」とマイクを突きつけます。
今年は自衛官による参拝が行われなかったらしく、このような記事が出ました。
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https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/979686
陸上自衛隊、未明の集団参拝は実施されず 日本軍の司令官らをまつる「黎明之塔」
2022年6月23日 08:35
慰霊の日の6月23日、沖縄の陸上自衛隊が毎年実施してきた黎明之塔への集団参拝は今年、恒例の未明の時間帯には確認されなかった。実施されないのは19年ぶり。
黎明之塔は沖縄戦最後の激戦地となった糸満市摩文仁にあり、日本軍の牛島満司令官らをまつる。沖縄の陸自は1976年に1度、トップを先頭に集団参拝して中断。牛島司令官が午前4時半ごろ自決したとされるのを念頭に、2004年から昨年まで18年連続で未明の時刻に実施していた。
毎年抗議してきた沖縄県平和委員会の大久保康裕事務局長は「自衛隊増強に県民の警戒感が高まる中、日本軍との結び付きを示すことを避けた可能性がある。集団参拝を止められて良かった。軍隊は住民を守らない、という沖縄戦の教訓を守ることにつながる」と語った。
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メディアの中でも特に『沖縄タイムス』の阿倍岳記者はこの黎明之塔に攻撃的で、この日の事をコラムに書いています。
コラムの中に出てくる「海ゆかば」を唄った方達ですが、ブログ主が動画で見たところ、海に向かって粛々と唄っているだけで、この方達なりの慰霊の方法に過ぎず、他人にとやかく言われる筋合いのものではありません。
他にも歪曲や事実誤認満載で色々突っこみたいところですが、通常の感覚を持っている方が読めば、このコラムの異常さは理解できると思うので省略します。
下の画像は上記動画からのキャプチャです。〔左端に少し見えているのが「黎明之塔」〕
ブログ主は沖縄にも関心を持って見ていますが、ミニチュア版韓国だと感じる事がよくあります。
但し、それはメディアや政府(行政)の話であり、県民は違います。沖縄を守ろうと散華された日本軍兵士に感謝や追悼の気持ちを表しても、阿部記者みたいなのが騒ぐだけで、「それでも沖縄県民か!」などと、他の県民から非難されるわけではありません。
被害者意識を煽るメディアに影響される方がいないわけではありませんが、このエントリーでご紹介したような方々もいるし、沖縄県民全体としてみたら健全なので、ブログ主は安心しています。
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