兵庫県文書問題

  • Banner_hyogo
    一時的にTOPに配置します。

最新情報

  • 2024/02/26
    ブログを更新しました。
    2018/04/30
    冷やし中華...じゃなかった、Twitterはじめました。

このサイトに関して



当サイトご利用上の注意

  • 2019/04/14現在、コメント欄にURLを書く場合は、「https」や「http」はNGワードに設定しているので、それを外すか、例えば「h ttps」の様に書いて下さい。
    メールアドレスの入力が求められる場合、とりあえずメールアドレスの形をしていれば(@の前は適当でも)OKです。

    コメントは承認無しで掲載されますが、ココログの仕様で投稿されたコメントが画面に反映されるのにはしばらく時間が掛かります。ご了承下さい。



    このブログの趣旨など。コメント欄はゲストブックとしてご利用下さい。


    記事についてご不明な点などはメールでは回答しかねますので、各記事のコメント欄にお願いします。






    ** ツイログ/Twilog **

特設コーナー

  • Banner_wuhanvirus2

    banner_kunimori01


















外部サイト(その他)

  • 台湾の名前で東京オリンピック参加を!署名活動


    憲法改正を実現する1,000万人ネットワーク 美しい日本の憲法をつくる国民の会









管理人ポータル

大師小同窓会関連












  • 画像を提供、あるいはオリジナル写真を貸して下さる方は管理人までご連絡ください。


我が町!大師の情報

  • 大師の歴史・町名の由来

各種ノウハウ集



私家版スクラップブック

  • ブログ主の個人的スクラップブック集です。

    100円ショップの木箱やディスプレイケースなどを利用したドールハウスのまとめページです。

    メンテナンス中のため一時アクセスを制限しています。

友達の輪・お薦めSHOP

  • CHITIのボディデザイン
    魅せるボディデザイン/カラダ作りの本質とは!?
    川崎市在住のインストラクターが近隣のスポーツ施設や公園・ご自宅でのパーソナルトレーニング受け付けます。




    かわさき楽大師

    ファッション・雑貨の店 「+R」

    ヘアーサロンE'(イーダッシュ)


« 【湖南平野】熊本利平と李永春〔이영춘/イ・ヨンチュン〕博士 | トップページ | 【湖南平野の治水事業】金堤の干拓事業と広活面干拓地【東津農業株式会社】 »

2022/06/26

【湖南平野の治水事業】東津江(ドンジンカン)と雲巌堤【東津水利組合】

全羅北道・湖南平野の治水事業の歴史を調べていくと、悉く日本統治時代の歴史が隠されていることが分かります。

この地域は、併合以前から日本人が土地を買い集めて農場経営を行っている事から、以前から農業地帯ではあったのですが、二つの課題があったようです。一つは灌漑、もう一つは干拓です。

干拓については別のエントリーで取りあげる予定ですが、湖南平野を流れて黄海に注ぐ二大河川が東津江(ドンジンカン)と万頃江(萬頃江/マンギョンガン)で、河口付近は海抜が低く、日本統治時代に防潮堤を築いて潮の侵入を防ぎ、農地を拡張しています。

 

20220626_konanheiya01

 

20220623_zenrahokudo_map

 

東津江の河口は扶安郡に属し、万項江は金堤と群山の間を流れて黄海に注ぎ、その間に挟まれた金堤の平野部は特に金堤平野と呼ばれて湖南平野の中心に位置しています。

金堤平野や万項平野の灌漑工事を行ったのは1925年8月19日に結成された東津水利組合で、独立後、東進土地改良組合(1962.01.21)や農業基盤公社東進支社(2000.01.01)等、合併や改称が幾度となく行われ、現在は韓国農漁村公社東津支社(2008.12.29)となっていますが、その歴史には日本統治時代の事業は殆ど触れられていなかったり、独立後の組織の名称で語られています。

 

20220626_toushinsuiri01

 

東津水利組合が行った治水事業の一つに、蟾津江(ソムジンガン)の上流に造られた「雲巖堤(雲岩堤)」があります。「堤」と言っても、コンクリート製のアーチ式ダム〔長さ613m、高さ33m〕です。

 

20220626_ungan01
▲工事中の雲巖堤

 

雲巖堤は1925年3月着工、1928年12月に竣工しました。玉井貯水池とも呼ばれ、灌漑用のダムですが、発電施設も備える多目的ダムです。貯水量は6900万トンで、当時の朝鮮では最大規模の貯水量を誇りました。蟾津江は南に向かって流れる川ですが、貯水池の水は東津江にも流され、金堤平野を潤しました。

1940年頃には更に水量を増やすため、蟾津堤の建設事業を開始しますが、戦争によって頓挫。蟾津ダムの着工は独立後の1961年を待つことになります。

雲巖堤は拡張された玉井湖の底に沈み、新たに4億3000万トンの有効貯水量を有するダムが1965年に完成しました。

※これも日本工営の日本人技師により建設されました。〔『電力土木の歴史ー各河川水力開発の変遷(その10)』1991年/稲松敏夫/P.10(P.238)〕

 

【参考】韓国民族文化大百科事典『운암제(雲巖堤)

 

なお、韓国農漁村公社(한국농어촌공사)のサイトに雲巖堤の事が書かれていたので、その一部を機械翻訳でご紹介します。

 

* * * *

https://www.ekr.or.kr/Kkrpub/webzine/2021/02/section1-4.html
国内最大規模の貯水池築造
雲巖堤

韓国農漁村公社の113年の歴史を振り返る。 今月は国内最大の貯水池だった雲岩堤についての話だ。

かつて全羅北道の穀倉地帯は日照りが頻繁な地域でした。

特に1907年から3年間は深刻な日照りが続きました。地域住民は生計の基盤を失い、飢えに命を落としたりもしました。

1925年8月19日、私たちは日照りを乗り越えるために大きな挑戦を始めました。〔おめーらがやったんじゃないだろw

1億2,000万ウォンという当時最大規模の工事費を投入し、全羅北道地域に農業用水を供給する貯水池を作り始めました。

2年が経って1927年、国内最大規模で完工した雲岩祭は全羅北道穀倉地帯の乳腺として韓国国民の食べ物と大切な生命を守ってくれました。

雲巖堤は全羅北道の穀倉地帯である井邑、扶安、金堤など3郡の乳腺〔※젖줄:「育む物」の比喩で1925年8月19日、東津水利組合設立直後に着工し、2年後の1927年12月に竣工した。 万頃平野を灌漑する農業用水源として、蟾津江本流と秋嶺川が合流する地点から2.4km下流に築造した雲岩堤は竣工当時はもちろん1950年代までも国内で一番規模が大きい貯水池だった。 雲岩堤の築造に投入された工事費も1億2,000万ウォンで、当時最大規模だった。 このように技術と資金が極めて不足している日本による植民地時代に←日本の技術と資金でやったのですが、何か?雲岩堤のような大規模農業用水の貯留を主な目的としたダムが築造されたのは、この地域に頻繁に発生する深刻な日照りのためだった。

雲巖堤は当時としては類例のない大規模多目的ダムであり、外形上美観を備えたアーチ型ダムでもあった。 国内で初めてテンターゲート式の洪水吐〔水を放出する装置〕を備え、水をすぐ下流に流すのではなく、山を越えて他の水系に灌漑水を導水しなければならなかった。 このために取水塔から4kmのトンネルを開けて用水を東津川に流入させ、用水が東津川に流れ込む部分に雲岩発電所を設置して電気を生産した。 そして、ここから再び6kmのトンネルを開けた後、用水が落下する地点に七宝発電所を作った。

* * * *

 

このダム建設もまた「収奪のため」になるのでしょうか。

 

次へ→【湖南平野の治水事業】金堤の干拓事業と広活面干拓地【東津農業株式会社】

前へ←【湖南平野】熊本利平と李永春〔이영춘/イ・ヨンチュン〕博士

 

  


 

 

 

 

« 【湖南平野】熊本利平と李永春〔이영춘/イ・ヨンチュン〕博士 | トップページ | 【湖南平野の治水事業】金堤の干拓事業と広活面干拓地【東津農業株式会社】 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 【湖南平野】熊本利平と李永春〔이영춘/イ・ヨンチュン〕博士 | トップページ | 【湖南平野の治水事業】金堤の干拓事業と広活面干拓地【東津農業株式会社】 »

counter since 2018/12/25

  • Flag Counter

    FLAG Counterのロゴをクリックすると、更に詳しい分析結果が表示されます。
    ココログのアクセス解析よりは少ない数字になるようです。
サイト内検索
ココログ最強検索 by 暴想
2024年12月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

sponsored link


ドールハウス工作おすすめ参考図書

カテゴリー

無料ブログはココログ