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2022/06/23

【韓国】「日帝強占期 収奪現場」という案内板が立つ村

韓国の南西部にある全羅北道金堤市群山市全州市には肥沃な平野が広がり、現在は湖南平野と呼ばれているようですが、日本統治時代には全州平野と呼ばれていました。現代でも韓国の穀倉地帯と言われています。

 

20220623_zenrahokudo_map

 

ここは併合以前から複数の日本人企業家が土地を購入して農場経営をしており、特に1920年代に大規模な治水事業が行われてからは肥沃な平野が誕生します。そのため、内外から人〔朝鮮人と日本本土からの日本人〕が移住し、日本家屋も多く残っているのですが、ここは現在では、「日帝強占期の収奪現場」として、”過酷な植民地支配” のシンボル的場所となっています。

 

20220623_phileyoungchoi20220621_01

▲全羅北道の井邑市 禾湖里〔理は誤り〕にある案内板/画像はPhile Young Choi氏のFacebook(2020年6月21日付け投稿)よりキャプチャさせて戴きました。

検索したところ、同じく「日帝強占期 収奪現場」と書かれた別の看板の画像もあったので、日本統治時代の建物などが残る場所に建てられているのだと思います。

  

このイメージを決定づけたのは大河小説『アリラン』(1994年)や『太白山脈』(1989年)で知られる趙廷来(チョ・ジョンレ)氏で、氏が2015年に出版した『道:趙廷来写真旅行』にこのような文があるそうです。「〔機械翻訳〕稲作のため日本による植民地時代開始から最後の瞬間まで、凄絶に収奪されたのが金堤を中心とした湖南平野であり、アリランはその話から始まっている。

そう、湖南平野がこの小説の舞台なのです。

この『アリラン』が韓国人に与えた影響を、Wikipediaより引用します。

現代韓国史を描いた『太白山脈』は700万部が売れたベストセラーで、韓国人の現代史観に与えた影響という点では、日本の司馬遼太郎が日本人の日本近代史観に与えた影響に匹敵するものであり、『アリラン』は350万部を売り上げた[5]。『太白山脈』は韓国人の対北朝鮮観に影響を与え、『アリラン』は韓国人の対日観に影響を与えた。李栄薫は著書『反日種族主義』で、『アリラン』を「狂気に満ちている増悪の歴史小説」と批判しているが[5]、『アリラン』を大勢の韓国人は「歴史」として認識し、大勢の青年が「民族の受難」を思い浮かべ、涙を流しながら『アリラン』を読んでおり、その民族主義は反日の底辺となり、文在寅政権は中年になったその青年たちに支持され、趙廷来の影響力は文在寅政権になってから更に大きくなりつつある[5]。

 

正直に言って、こういうの見ると、歴史問題の一つや二つ解決されたとしても、韓国人の「日本人観」や「歴史観」は変わらないと思います。

  

この湖南平野の歴史についてはもう少し調べて、その内にまとめたいと思っていますが、ここでは、『전북의소리(全北の声)』〔恐らく、全羅北道のローカルメディア〕の記事を機械翻訳してご紹介しておきます。〔キーワードとなる固有名詞にマーキングしました。これらについて、後ほど詳しく調べる予定です。〕

 

* * * *

https://www.jbsori.com/news/articleView.html?idxno=3947
【企画特集】未完の親日清算(18)
2021.05.02

井邑地域の親日残滓2番目の編として忠烈祠の李舜臣遺影と新泰仁邑〔邑(村)は行政区域にある禾湖〔ファホ〕慈恵診療所、田植農場事務室をはじめとする禾湖里〔ファホリ〕一帯の日帝強占期収奪現場を順に紹介する。

特に、禾湖里一帯は日帝強占期に地域農民が血と汗を流して生産した米と農産物が日帝によって収奪された代表的なところで、多くの親日残滓が残っている。

中略・・・韓国の英雄李舜臣の肖像画を描いた画家、張遇聖(チャン・ウソン)氏は親日派という批判をしている。

禾湖慈恵診療所〔画像省略
井邑市新泰仁邑花湖里766-4

1935年に建てられた禾湖慈恵診療所は、熊本農場の小作人のための無料診療所である。 セブランス医専出身の李永春〔이영춘/イ·ヨンチュン〕博士が1934年熊本利平に会った後、農場の医師として降りてきてここで診療をした。

熊本利平(1880~1968)は長崎県出身で1902年農場支配人の資格で朝鮮に入ってきた。 1903年から全羅北道沃溝郡博面内沙里と泰仁郡禾湖里一帯の土地を買い入れ農場を開設し、以後「株式会社熊本農場」を1937年に創設した。

穀物生産が豊富で井邑、金堤、扶安に行く交通の要地だった禾湖里地域に農場事務室、大型米倉庫5棟、管理人社宅、合宿所、花湖診療所などを建てた。 当代農場に所属する診療所の姿を見せる建物だ。

田植農場事務所〔画像省略
井邑市新泰仁邑花湖里333(出典:国立アジア文化殿堂)

井邑にある日本人地主の事務室だ。 在村地主だった田植太郎は商業区域に近いところに2階建ての家を建て、1階は自分の農場事務室で2階は生活用品として使用した。

田植太郎は1913年、東洋拓殖株式会社を通じて朝鮮に移住した。 花湖に定着して殖産銀行から低利で金を借りて小作農たちに貸した後、金を返せない人々の土地を強制的に奪い財産を増やした。

高利貸し業でお金を集めて農地を買い入れた後、25町歩の土地を所有し農場管理人を5~6人置いて50人余りの小作人を従えた大地主になった。 再調整日本人地主の農場事務所を見ることができたが、現在ダウエ農場事務所は所有者によって撤去された状態だ。

花湖里日帝強占期の収奪現場〔画像省略・・・上掲の「日帝強占期 収奪現場」の案内板と同じ物
井邑市新泰仁邑禾湖里入口

井邑市新泰仁邑花湖里に親日残滓が特に多い。 その理由は日帝強占期当時、ここは「植民地の中の植民地」と呼ばれるほど日帝と縁が深い地域だ。

花湖里一帯は本来、村の周辺に広い平野が広がっており、食べ物が豊富な豊かな地域で、井邑、金堤、扶安をつなぐ交通の要地だった。 ところが日帝強占期当時、日本は我が国を永久的に植民地化するために東洋拓殖株式会社を筆頭に農業移民政策を積極的に実施し、そのうち禾湖里は政策初期移住地に選定され多数の日本人が移住し大規模農場が開設された。

禾湖里の多くの農地や敷地所有権は熊本利平など多くの日本人に移転された。 このような過程の中で自営業だった土着民は小作農に転落してしまった。

熊本利平が禾湖里地域に建てた農場事務室や米穀倉庫などは有名な親日の残滓として今も残っている。 ここで地域農民たちが血と汗を流して生産した米は日帝によって収奪され群山港を経て日本の手中に入った

* * * *

 

この記事に出てくる李永春〔이영춘/イ·ヨンチュン〕博士は、「韓国のシュバイツァー」と呼ばれているそうで、日本統治時代に京都大学に留学して博士号〔1935年〕を取得しています。

その後〔同年〕、熊本農場の診療所医師となりました。熊本利平は彼に自分の別荘を住宅として貸していたそうで、その建物も文化財に指定されています。

それにしても、米を収奪していた朝鮮人のために無料の診療所? 書いていて矛盾を感じないのでしょうか?

尤も、そう質問したところで、ブログ主には答えは分かっています。「効率よく収奪するために小作人の健康管理をしたのだ」と言うでしょう。鉄道や学校に関しても、韓国人はそのように答えますから。

 

このエントリーの続きを書いたら、ここにリンクを貼ります。

 

  


 

 

 

 

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