【韓国】3.1独立運動のジャンヌ・ダルク柳寛順(ユ・グァンスン)は架空の人物!?(1)
3.1独立運動(万歳事件)や、この騒動を代表する柳寛順(ユ・グァンスン)という女性については以前も書いた事があるのですが、「柳寛順は作り出されたヒロイン」という疑念を抱いている韓国人はいるようです。一方、彼女は反日の象徴として、例えば、「尊敬する独立運動家は?」とか「お札の肖像画にしたい人物は?」というアンケートを採ると、必ず上位に来るほど、依然として韓国国民に人気があり、2年ほど前にも柳寛順を題材にした反日映画『抵抗』が作られました。
彼女は、”梨花女子大学の学生で、3.1独立運動で逮捕され、強姦など激しい暴力に遭ったあげく、3年の求刑がなされ、裁判所の椅子を裁判長に投げつけたために法廷侮辱罪で7年に刑期が延長され、拷問により18歳(数え歳)で獄死(1920年9月28日)した” 事になってる独立運動家です。〔7年の刑期は誤りと後に訂正されている。彼女は控訴せずに3年の実刑を受け入れて服役していた。〕
上掲の写真が発見されたのは1965年。柳寛順収監写真の発見を伝える新聞記事は、1965.3.26付け「東亜日報」3面に「柳寛順写真、治安局で発見」というもの。
◆柳寛順「偽者」説
逮捕後に作成されたカードに書いてある事を確認しておくと、名前は柳寛順、生年月日は明治35年(1902年/光武6年)12月11日、3.1独立運動は1919年3月なので、逮捕当時は17歳(数え歳)、身長5尺6寸(約170cm)と書いてあるように見えます。
従って、柳寛順という女性が逮捕されたのは間違いないのですが、この写真の女性は、窃盗の罪で懲役3カ月の処罰を受けた別の女性ではないかという疑惑があります。この後ご紹介する動画で検証していますが、柳寛順に関するエピソードは捏造されたもので、この女性が「梨花女子大学の学生・柳寛順」とは別人ではないかと考える根拠は、
- 拷問されたと言うが、そのような記録は無く、一般的に西大門刑務所で拷問が行われていたとする根拠も無い。遺体を引き取った知人も拷問の形跡を見たとは言っていない。
- 写真の髪型が쪽머리(チョンモリ/額を出して髷を結う髪型=側髪〕で、既婚女性の物。当時、未婚女性は髪を縛るだけだった。
- 国史編成委員会に保存されているこの女性の受刑者記録によると、1920年9月28日に窃盗の罪で3ヵ月の刑期が宣告され、3ヵ月後の1921年1月3日に釈放されたと記録されている。〔←この記述には問題あり。この件、別エントリーにする予定〕
- 柳寛順の遺体を引き取って埋葬したという知人の証言が信用できない。埋葬記録もなく、墓もない。
- 柳寛順のものとされている写真は何枚かあるが、同じ写真の背景が合成されているものもある。
- 生年月日や家族構成など、何度か訂正されている。
- 柳寛順の身長は151.5cmとされている。〔13歳頃の写真を見ると、比較的大柄という程度なので、151.5cmというのは妥当。〕
- 柳寛順が独立運動家として宣伝されたのは1947年になってからで、11月26日に故郷の忠清南道に3.1運動独立記念碑が建ったのを翌日『東亜日報』が報じて大衆が知る事となった。1948年には映画が作られ、彼女のイメージが固定した。死亡したとされている頃に新聞報道もない。
といった点です。
あと、ブログ主が付け加えたいのは、上記の写真は「拷問されたために顔がむくんでいる」とされているのですが、整形しない韓国女性の平均的なルックスはこんなものだと思いますw
1947年に彼女が急に愛国烈士としてクローズアップされた事が分かりますが、この背景はWikimedia『柳寛順』の「親日派による祭り上げ・誇張疑惑」にあるように、親日認定されていた梨花女子大が自校に独立運動家が欲しくてでっち上げたという疑惑があります。
この背景には、当時の李承晩政権が親日狩りのような事をすると同時に、民族主義で国をまとめるために独立運動家を欲していた、と言う事があります。
その為、「大韓民国は親日派が作った正当性の無い国」という歴史観を持つ左派の方がむしろ「親日派が作った英雄」だとして、2014年頃には多くの歴史教科書から柳寛順の記述が削除されました。このことは、当時、「陣営の違いによって教科書の記述が影響されるのはおかしい」といった論調で、保守系の『朝鮮日報』などが批判的に報じています。
冒頭に書いたように、「柳寛順は作られたヒロイン」だと疑っている韓国人は、陣営を問わず結構多くおり、2019年、文在寅政権下で、最高等級の建国勲章を追加叙勲された事を批判するの人も多いようで、YouTubeやブログ等で「柳寛順の真実」を告発してる方は結構います。
問題は、これだけ疑惑があるのに、メディアや歴史家が無視して、積極的に誤解を解かない事です。
韓国の憲法前文に「3.1独立運動の精神を継承する」と書かれています。
3.1独立運動も過大評価も良いところ〔→ブログ記事『3.1独立運動の真実』〕なのですが、反日が国是となってしまった国では、このまま勘違いさせておく方が都合が良く、こうした捏造が積み重なって、”日帝に占拠されていた時代、我が民族は抵抗していた” という『共通の記憶』を根底にして、「憎悪の再生産」が行われているのです。
ブログ主が「反日教育は左派のせい」とする保守派を批判するのは、これを始めたのは李承晩だからです。
李承晩政権時代に、「反民族行為処罰法」で、併合時代に向上心を持って努力しただけの人達を敵視し、日本時代を懐かしむ庶民の声を封殺し、日本人蔑視の教育をしたことで、民族主義に基づくレイシズムが植え付けられた事が全ての始まりだと思うからです。
この民族主義的反日種族主義が根底にあるため、その後も歴史を捏造し、捏造された歴史が新たな憎悪を生むといった悪循環が止まらないのです。
ブログ主は、韓国保守派が李承晩を無謬〔=誤りが無い〕の人のように称賛し、是々非々でないのが不思議なのですが、知識人でさえ、韓国では「善・悪の『二元論』」となってしまうようです。
▲韓国保守系youtuber,恥ずかしい過去TV和訳、作られた英雄
注:この動画には一部誤りがあります。その部分の解説は次のエントリーで。
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