韓国では、今では「慰安婦」だけで、そうなった経緯に関する解釈はともかく、「日本軍慰安婦」を指す言葉と認識されていますが、言葉の意味やニュアンスは変遷するもので、今回はそれを辿ってみたいと思います。
◆挺身隊の都市伝説
よく、YouTubeのコメント欄で、韓国の方がお祖母ちゃんなどに聞いた話として、「挺身隊に行かされないように早く結婚したと聞いた」というような事を書いている人を見かけます。
この挺身隊とは、本来、「女子挺身勤労令」(1944年8月)に基づき、適材適所に配置するために国民登録というものをさせ、その人のスキルを把握して、勤労奉仕をさせるものです。しかし、「女子挺身隊勤労令」は朝鮮半島では適用されませんでした。彼女達にスキルが無かった、或いはそう見なされてたからで、ごく一部の女生徒が、官斡旋で不二越や三菱重工等で働きました。
但し、朝鮮の女性達は奉仕団のようなものを作り、「○○挺身隊」と称して朝鮮半島内でボランティア活動をしていたようで、以前、金柄憲(キム・ビョンホン)所長のFacebookで新聞記事を見た事があります。
>朝鮮での「挺身隊」の初出は毎日新報1940年11月13日の農村挺身隊結成記事とされる[13]。このほか婦人農業挺身隊、医師や看護婦を対象にした仁術報国挺身隊、漁業挺身隊、文化、商工、報道、運輸、金融、産業などの32団体で結成された半島功報挺身隊など様々な動員に対する呼称表現が使用されていた[13]。〔Wikipedia『挺身隊』より〕
従って、「挺身隊」という言葉自体は知られていましたが、「日本に行った挺身隊の女性」に関して、いつしか、「性被害者」という都市伝説のようなデマが広まったようです。
>日本統治下の朝鮮では「挺身隊になると慰安婦にされる」という噂 が広まっていた[16][17][13]。また韓国では朝鮮戦争時の韓国軍慰安婦を「挺身隊」と呼んだ[18]。〔Wikipedia『挺身隊』より〕
ここまでをまとめると、日本統治時代に既に、後に「(日本軍)慰安婦被害者」と呼ばれる女性の原イメージが生まれ、最初は「挺身隊≓騙されて慰安婦にされる女性」と誤認されていました。
だからこそ、正義連の前身の団体が1990年に発足したとき、「挺身隊問題対策協議会(挺対協)」と名乗ったのです。
この挺対協が「日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶財団(正義連)」と名前を変えるのは2016年6月9日です。
この間、慰安婦と挺身隊は別のものと韓国人が理解し始め、2013年には、日本で、元挺身隊の女性達が裁判を起こし始めるなど、「挺身隊」問題が「徴用工」問題にすり替わったので、挺対協では不味いと思ったのでしょう。〔Wikipedia『徴用工訴訟問題』参照〕
◆少なくとも1960年代までは慰安婦は売春婦と認識されていた
一方、「慰安婦」という言葉は、少なくとも1960年代までは「売春婦」の別名として定着していました。朝鮮戦争時の国連軍に性サービスする女性や一般の娼婦の総称で、以前、『李承晩TV』で李栄薫(イ・ヨンフン)教授が講義していましたが、売春婦とそれに準ずる女性達の性病検査の統計資料でも「慰安婦」という言葉が使われていたので、行政用語でもあったのです。
1966年には、下記のような大法院〔=日本の最高裁に該当〕判決もありました。韓国の判例集から、ある損害賠償請求の判決文を機械翻訳でご紹介します。
https://www.law.go.kr/LSW/precInfoP.do?precSeq=153273#AJAX
損害賠償
[最高裁1966.10.18.、宣告、66ダ1635、1636、判決]
【判示事項】
犯法行為を継続して得られる収益を、損害額算出の基礎とした実例
【判決要旨】
一般的に日常用語における慰安婦とは、売春行為を行う女を指すものであるため、法律が禁じている売春行為を35歳まで継続できることを前提として、慰安婦が他人の不法行為のある事故により喪失した収益損害額を算出するにあたり、このような犯罪行為を継続して得られる収益を基礎とすることはできない。〔以下略〕
また、下の画像は1965年の韓国映画『サルウィン川に陽が落ちる』からのキャプチャです。これを見れば、韓国人が、日本軍慰安婦に対してどんなイメージを持っていたのかが分かります。
〔以下同〕
この後、一同、キャハハと下品に笑います。
ところで、この映画が封切られた頃、後に不二越に対する ”徴用工(挺身隊)訴訟” の原告となる女性、金正珠氏が離婚しています。
https://fujisosho.exblog.jp/30303273/
>「19歳で警察官の夫と結婚し、男の子2人、女の子1人、3人の子どもを出産しました。私が28歳の時、夫がどこで何を聞いたか私が『挺身隊』に行ってきたと疑うようになり、私に『汚い女』と言って殴るようになりました。別の女性をつくり、喧嘩が絶えなくなりました。私は『従軍慰安婦』と違うと説明したのですが、聞いてくれませんでした。耐えられなくなり、35歳の時に離婚しました。」〔日本の支援団体のHPより〕
韓国では数え年ですから、離婚したのが満34歳だとすると、1965年頃だと思われます。
金正珠さんが挺身隊に行った頃〔1945年/小学校6年生〕に、当時の朝鮮人が現代の人間と同じように、同じ情報を得ていたと考えてはいけません。新聞を読まない人も多かったでしょう。金さんは、「挺対協とはどういうものか」を知っている環境にいましたが、その一方で、「挺身隊は売春行為をさせられるらしい」という都市伝説を信じていた層もいたという事です。むしろ、後者の方が多いために、戦後もその都市伝説が生き残ったのでしょう。
◆日本軍慰安婦
この「慰安婦=売春婦」という記憶が薄れかけた1990年代に朝日新聞の報道がきっかけで「慰安婦」問題が持ち上がりました。前述のように、挺対協が生まれたのは1990年です。
従って、韓国内では、彼女達を呼ぶ言葉は「挺身隊」がまだ主流を占めていたことになりますが、日本人が言う「慰安婦」と韓国人が言う「挺身隊」が同じものだという認識が広がり始めたはずです。
千田夏光の小説のタイトルから『従軍慰安婦』という言葉も一人歩きしており、「軍が直接関与(=徴用・管理)した性被害者」という誤ったイメージを、日本人さえ持っていました。「従軍慰安婦の "被害者” は 20万人」という誤情報は、1970年が初出です。〔Wikipedia:千田夏光〕「従軍○○」とは、従軍看護婦のように軍に直接属していた人達を指し、戦禍によって亡くなれば靖国神社に祀られますが、慰安婦はそうではありません。
しかし、このように、「挺身隊」や「従軍慰安婦」のイメージがミックスされた形で、「日本軍による性被害者=日本軍慰安婦」が生まれたのです。
前述のように、韓国では「慰安婦」という言葉が本来の「慰安婦」とは別の意味〔=売春婦の総称〕で使われていたので、誤解を避けるために〔あるいは、米軍慰安婦を除外するために〕「日本軍慰安婦」と呼びます。韓国では、米軍慰安婦は韓国政府が加害者という位置づけです。
1980年代から始まった朝日新聞の慰安婦問題〔韓国では挺身隊問題〕キャンペーンや日韓の市民団体の活動が実を結び、1990年代には大きな問題となりました。初めて元慰安婦であるとカミングアウトした金学順を、”挺身隊に行くと騙されて慰安婦にされた” 女性として取りあげたのは朝日新聞の植村隆記者です。
これは、日本の研究家には大変な驚きでした。なぜなら、韓国での都市伝説が事実だという事になったからです。しかし、実際に彼女の話を聞いてみると、彼女は親によって妓生学校〔券番/検番・見番〕の男性に売られたと判明し、韓国でもこのインタビュー内容は報道されました。日本側の専門家はこれで納得しますが、韓国側では彼女の身の上話は無視されて、本格的に「挺身隊(慰安婦)問題」に火が点き、現在に至ります。彼女が初めて告白した8月14日は、文在寅政権の下で「記念日」となりました。
◆日本軍慰安婦被害者
韓国に於いては「日本軍慰安婦」自体が「被害者」のはずなので、わざわざ「被害者」を付ける必要はなさそうですが、正式にはこう呼び、これを救済するための法律にも「日本具慰安婦被害者」という言葉が使われています。「強制徴用」みたいに意味が重複する言葉を重ねて強調しているのかも知れません。
そして、この対象となる人は、「日本軍により強制的に連行され、性被害を受けた」人なので、金柄憲所長は、元慰安婦の証言集を読み込んで、この法律に該当する元慰安婦は一人もいないと断言され、この法律の撤廃を訴えていらっしゃるのです。
◆時系列まとめ
1990年代の朝日の慰安婦キャンペーンや金学順のカミングアウトが漏れているので、下図は差し替え予定。→差し替え済み(Ver.2.0)
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