【百年歴史ch】「朝鮮人と明太魚はは叩かなければならない」!?【日本統治時代の韓国】
今回ご紹介する『百年歴史』さんの動画は、日本統治時代に行われていた「笞刑」に関する解説です。ネットで見つけた論文「朝鮮総督府の笞刑について」(新井勉 著)も参考にして補足しました。
▲조선태형령, 조선사람은 때려야 말을 듣는다는 말을 한 사람은 누구였을까? / 朝鮮笞刑令、朝鮮の人は殴ってこそ言うことを聞くという話をした人は誰だっただろうか?
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韓国では日本統治時代に関するデマ、捏造は枚挙に暇がありません。
慰安婦、徴用工などは広く知られていますが、こんな事まで嘘をついて日本人を悪者にするのか...と呆れる事がしょっちゅうあります。
今回もそんな内容ですが、「朝鮮人と明太魚(スケトウダラ)はは叩かなければならない(조선인과 명태는 때려야 한다.)」という言葉があるそうです。
「朝鮮人は殴ってこそ言うことを聞く」といった意味ですが、韓国では、朝鮮時代にあった「笞刑」は甲午改革(1894年年~)によって禁止されたのに、日本統治時代に日本人が復活させたと信じられているそうで、笞刑は朝鮮人だけが対象だったので、この言葉は当時の日本人が朝鮮人を蔑視して言った言葉だとされています。
例えば、下の画像は「조선인과 명태는 때려야 한다」で検索して見つけた韓国語のブログをページ翻訳してキャプチャしたものですが、韓国人はこういう認識です。写真は日本人が笞刑の様子を再現しているだけで、上衣(着物?)がはっきり見えると日本人だとバレるので、白っぽく加工された写真が流布されているという事は、前回の百年歴史さんの動画で解説しています。〔テヒョンや太刑というのは、Googleによる「笞刑」の誤訳〕
ここで余談ですが、この甲午改革というが ”曲者(くせもの)” で、上にリンクを貼ったWikipediaを読んでも分かるように、身分制度の廃止や奴婢の解放等、様々な改革を掲げ、朝鮮の近代化を図ろうとはしたのですが、実際には十分な改革ができませんでした。
しかし、韓国では、これが成功したかのように学ぶため、朝鮮王の高宗は開明的な君主というイメージなのです。優柔不断で改革を妨げ、最終的には皇族の身分と莫大な金を得て大韓帝国を日本に売り渡した男なのですが。
実際には朝鮮の近代化は日本統治によって大きく進むのですが、「植民地近代化論」(植民地化される事で近代化したという論)を唱える韓国のニュー・ライトと呼ばれる学者達〔ex. 『反日種族主義』の李栄薫教授〕が異端扱いされるのはこのためで、日本人がやらなくても、自力で近代化できたはずと考える韓国人が多いのです。
「朝鮮人と明太魚はは叩かなければならない」...実際に日本人がこう言ったのかどうかは分かりませんが、日本人にとっては奇異に感じます。なぜなら、カツオやアジなら「たたき」にしますが、「明太魚を叩く」という表現が日本人にはしっくり来ないからです。そういった慣用表現もありません。
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百年歴史さんは、まず、「朝鮮人は殴ってこそ言うことを聞く」という言葉を誰が言い出したのか?という事から調べます。
ホレイス・ニュートン・アレン(Horace Newton Allen)という米国人宣教師が、著書『God, Mammon and the Japanese』で似たような事を書いている事まで突き止めますが、彼が最初かどうかは正確には分かりません。
しかし、朝鮮に好意的な外国人の目にさえ、当時の朝鮮人は、「殴って分からせるしかない」未開な人達に映ったようです。
「朝鮮笞刑令」は、確かに明治45年(1912年)に制令として公布されました。従って、日本人が作ったのは確かですが、笞刑自体は、朝鮮時代から続いており、甲午改革では無くならなかったのです。
そして、朝鮮人だけが対象になったのは確かですが、それは、合理的な理由がありました。
まず、日本国内では既に笞刑のような身体刑は廃止されていました。欧米列強と結んだ不平等条約を更改するために、法律の近代化に取り組み、このような非近代的な刑罰は廃止していたからです。
従って、朝鮮に住む日本人に適用することは都合が悪かったのです。
朝鮮では、大明律〔中国,明代の基本法典〕に基づく「笞、杖、徒、流、死(刑)」の5つの刑があり、元々、懲役刑というものがありませんでした。左記の5つの刑の内、笞刑は笞で、杖刑は棒で叩く刑、徒刑というのは、一定期間拘束して労役を課す刑です。甲午改革で懲役刑が作られましたが、刑務所が不足していました。
また、朝鮮人にとっては、身体的な労苦を伴わず、ただ刑務所に収監されるだけの刑罰は大した罰にはならなかったのです。
そこで、比較的軽い罪の、①3ヵ月以下の懲役または拘留に処するべき罪の場合、あるいは、②100円以下の罰金に処するべき者が5日以内に完納できないか、無住所か無資産かの場合は、笞刑が検事などの情状により適用されました。3ヵ月以下の懲役の犯罪者を刑務所に入れるには刑務所が足りないし、罰金刑も、支払い能力がなければ取り立てる事はできません。
対象も、16歳以上、60歳以下の男性のみで、女性は対象外にしたり、1日に叩く回数を制限して複数日に分けさせたり、医者の診断を義務づけたりしました。
つまり、それ以前から続いていた笞刑を存続させるのは合理的な理由があり、その代わり、受刑者に対して一定の保護をしたのが朝鮮総督府の「朝鮮笞刑令」(制令第11号)だったのです。
大正9年3月(1920年)、朝鮮総督府は制令第5号「朝鮮笞刑令廃止ノ件」を公布し笞刑令を廃止します。
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それにしても、百年歴史さんがどのようなバックグランドがある方かは知りませんが、素人でも調べれば分かるような事を、韓国の歴史学者が知らないはずはありません。
このことからも分かるように、「日本は悪」というストーリーに沿って、事実を歪曲して歴史を捏造するのが韓国の学者なのです。
ところで、韓国の初代大統領になる李承晩は、大韓帝国(1897~1910年)の時に懲役刑となり、服役していました。彼が逮捕されたのは、1896年に設立された「独立協会」に参加したからです。そして、獄中で『独立精神』という本を書きます。
併合前の事なので、ここで言う「独立協会」や「独立精神」の「独立」とは、旧体制からの独立であり、日本統治からの独立でない事は明らかです。しかし、少なからぬ韓国人が「独立門」が清からの独立を記念した門だという事を知らないのと同様、李承晩は日本からの独立を目指し、日本人によって投獄されたと思っているのです。
もうね...
アホかと
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