【百年歴史ch】写真を用いた歴史歪曲【南韓大討伐作戦(1909年9~10月)】
百年歴史さんの新しい動画をご紹介します。
この方は以前から緻密な検証で動画を作成されていて、今回、久々にupされた動画は、韓国で、撮影日時や出典が不明なまま反日プロパガンダに利用される写真を、例を挙げて解説しており、特に、ある絞首刑の写真の事実を検証する過程が紹介されています。
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この写真の出典は『南韓暴徒大討伐記念写真帖』(臨時韓国派遣隊調製)で、明治43年(1910年)に発行されたもので、これを韓国では「義兵を裁判もせずに処刑」などというキャプションを付けて流布されています。
しかし、結論から言うと、問題の写真は1905年4月25日に大韓帝国で集団処刑が行われた時のもので、映っているのは強盗犯や窃盗犯、インチキ宗教家です。その処刑を日本公使館の役人や警部が見学たときの写真だったのです。
先にネタバレのような事を書いたのは、この嘘を嘘と論破するために、百年歴史さんがいかに時間と手間をかけて、古い新聞や裁判記録を調べたのか、その過程にポイントを置いて観て戴きたいからです。
他にも、「日本軍による朝鮮人の笞打ち刑」の写真は面白い ”オチ” があるので、楽しみにしてご覧下さい。
ところで、「南韓暴徒大討伐」については、いささか補足を加えておきたいと思います。
韓国語では「남한 대토벌 작전」(日本語:南韓大討伐作戦)という見出しでWikipediaの項目になっています。
日本では、併合(1910年)前の朝鮮人による抗日運動や義兵闘争は、恐らく、日本側にとっては取るに足らない抵抗だったので、さほど語られませんが、せっかく清から独立〔1895年の日清戦争終結による講和条約〕したのに、徐々に朝鮮に対する支配を強める日本に対して、1905年頃から、義兵による闘争が続きました。〔cf. 世界史の窓:義兵闘争〕
以下に背景となる出来事を簡単にご紹介します。
* * * *
〔1904年8月8月19日~ 旅順攻囲戦(日露戦争)・・・これ以降、**日露戦争中の出来事**〕
1904年8月22日に結んだ第1次日韓協約では、日本は外交・財政権を剥奪。
1905年7月29日 桂タフト協定・・・日米はアメリカのフィリピン統治と日本の韓国に対する優越支配とを相互に承認
〔1905年9月5日 ルーズベルトの斡旋で**日露戦争終結**(ポーツマス条約)〕
1905年11月17日の日韓保護条約(第2次日韓協約)で保護国化。
1907年の第三次日韓協約で内政監督権を取得。国内の愛国者等が結成した一進会(李容九)は対等な合併を望むも、1910年併合。
* * * *
南韓大討伐作戦は1909年9月~10月にかけて日本軍が抗日運動を鎮圧したもので、『南韓暴徒大討伐記念写真帖』はそれを記念して製作した写真帖です。
しかし、動画で紹介されるように、そこに映っているのは戦闘の写真では無く、鹵獲(ろかく=押収)した火器、日本軍司令官と談笑している朝鮮人郡守の写真や義兵を説得している場面、自首してきた義兵との集合写真と、何故かのどかで、風景や名所の写真まであります。問題の処刑の写真はそうした中に加えられたものでした。
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