李承晩「Korean Cherry Treeと呼んで下さい」→日本のソメイヨシノでしたw
1943年、米国に亡命中の李承晩〔リ・ショウバン/イ・スンマン/後の韓国初代大統領〕がアメリカの大学で桜の苗木を植えていました。
これは英語のWikipedia『Prunus × nudiflora』(王桜)の項で、次の説明を見つけたのがきっかけで、これに関しても少し調べてみたのでエントリーしておきす。
翻訳:2017年、Eun Ju Cheongらは、8つの葉緑体DNA(cpDNA)非コード領域の配列多型を利用して、王桜(King cherry)染井吉野(Yoshino cherry)という2つの異なるグループを区別することができた。この研究により、1943年に韓国の李承晩元大統領がアメリカン大学のキャンパスに植え、王桜と信じられてきた3本の「朝鮮桜」(Korean cherry trees)[35]は、王桜ではなく染井吉野であることも明らかになった[36]。
※論文:Chloroplast Noncoding DNA Sequences Reveal Genetic Distinction and Diversity between Wild and Cultivated Prunus yedoensis〔葉緑体非コード化DNA配列から明らかになった野生種と栽培種 Prunus yedoensis の遺伝的区別と多様性〕
日付:2017/11/1
著者: Eun Ju Cheong, Myong-Suk Cho, Seung-Chul Kim, Chan-Soo Kim
やや茶化したタイトルにしましたが、1943年は、日米は交戦中であり、李承晩はアメリカで朝鮮独立のためのロビー活動中。そして、ソメイヨシノと王桜は同じ桜だと思われていた時代です。
これに関する記事をご紹介する前に ”オチ” みたいな事を言ってしまうと、この頃から「日本海ではない!東海だ!」と同じような事を韓国人はやっていたのだなあと妙に感心しました。
▲アメリカン・ユニバーシティに桜が帰ってきた! AUの桜は、大韓民国臨時政府から贈られたのが最初だ。この写真は1943年に植樹された時のもので、後に韓国大統領となる李承晩とAUのポール・ダグラス学長が写っている。〔コメントと画像はアメリカンユニバーシティのツイートより拝借。〕
* * * *
以下は中央日報の記事の機械翻訳ですが、この記事が書かれた1986.04.17からWeb上に公開されているわけではなく、最近〔2022-03-02?〕公開されたと思われます。この李承晩の桜の植樹にまつわる別の記事を、韓国ウォッチで有名なブログ『【韓国の反応】みずきの女子知韓宣言(´∀`*)』さんも2018年04月29日付けで公開されています。韓国人の反応は案の定ですw
〔補足は緑字で追加。多少日本語として不自然でも理解に影響が無いと思われる翻訳は機械翻訳ママ〕
https://www.joongang.co.kr/article/2046321#home
アメリカン大学桜は李承晩博士が植えたもの【ワシントン=張斗成特派員】
1986.04.17 00:00
今月11日午後、ワシントンにあるアメリカン大学〔以下AU〕の校庭で約50人の韓米学生が集まり、ささやかな記念式典を行った。
43年4月8日、独立運動当時の李承晩(イ·スンマン)博士がこの校庭に植えた桜の木の前に大理石と銅板の小さな碑石を除幕したのだ。
銅版には「韓国桜の木」(Korea cherry tree)という名前とともに植えられた4本の木の来歴を説明している。〔Wikipediaにある石碑の画像〕
これらの桜は、日本の第2次世界大戦時の真珠湾攻撃以来、米国人の反日感情が高まり、あちこちで桜の木を伐採したり燃やす騒ぎが起きている中、「韓国桜の木」という名前で植えられたものだ。
その日、植樹に出席した唯一の生存者であるポール・ダグラス〔Paul Douglas氏(当時AU総長)は、李博士がこの木を植える時、『この木に花が咲く頃、韓国が解放されることを願う』と話していた」と伝えた。
李博士は、「米国人が桜を日本の花だと思っていることを変えるために大いに努力した」という記録がある。 この日の「韓国桜の木」植樹もそんな努力の一つだったようだ。
ワシントン大学の学生新聞アメリカンイーグル誌43年4月13日付の1面には、桜の木を植えている韓米2人の女性の写真とともに、同日の植樹行事を詳しく記録している。 今回の行事を主管した生徒会長の朴ウォンジョン君(経営学4年)が同校の文献保管室でこの記事を見つけた。
この記事によると、大韓民国臨時政府樹立24周年を記念するため、ホノルル在米韓国人婦人会が4本の「韓国桜の木」をアメリカン大学に寄贈した。 しかし同記事は、これらの木々が韓国から持ってきたものなのかについては明らかにしていない。
最初の木は李博士が直接植えた。 残りの3本はタイ大使館モーム・プラモージ公使、元フィリピン米国大使夫人のフランシス・セイア女史、バタビア(現インドネシアのジャカルタ)駐在米国総領事部のウォルター·フート女史らがそれぞれ植えた。
現場にいたダグラス総長は米国務省極東課長夫人の「スタンレー·ホンベク」夫人も出席したと伝えた。
植樹が終わった後、ダグラス総長は韓国独立宣言文の一切を朗読し、韓国を頻繁に訪問したことのあるジェームズ・クロムウェル氏(同紙は彼の職責を明らかにしていない)が、己未の年〔1919年〕にあった3·1運動の来歴を説明し、韓国人の英雄的独立運動を称賛した。
3番目に登壇した李博士は、「太平洋の野獣(日本)が文明を害することで陰謀を企んでいるという事実を警告するため、この木を植える」と話した。 李博士はこの演説で、「桜の木は韓国が原産地であり、日本の大百科事典にもそう書かれている」と主張した。
李博士は自分が米国の友人に頼んでこの「証拠」を米国務省に提出し、内務省は植物学者の意見を聞いた結果、桜は「日本桜」と呼んできたのを今後は「東洋桜」(Oriental flowering cherry tree)と呼ぶことにしたと述べた。
李博士は「これは些細な問題のようだが、日本が米国を欺いてきた宣伝術がどれほど悪辣かを示すため重要だ」と述べた。
李博士の演説文全文が43年6月28日付の米議会議事記録に記録されている。 ミシシッピ州出身のジョン・ランキン議員は同日、議会演説を通じてワシントンにある桜の木は原産地が韓国であるため、「韓国桜の木」に名前を変える決議案を提出した。
しかし、そのような努力は実際に大きな成果を収めることができなかった。 いまだにアメリカ人はワシントンの桜を「日本桜」と呼んでおり、毎年4月中旬にある桜祭りの時は日本人が主人公になる。
しかし、AUの校庭に立っている、今は美しい古木となったこの韓国桜の木4本は、誰も耳を傾けてくれない外国で韓国の独立を力説した当時の李博士が、花の木一本までも独立の意思を広げる手段として利用しようとする執拗な努力を象徴的に示しているという点で大切なことだと記念碑を建てた朴君は強調した。
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