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2022/04/02

【佐渡金山】『戦後日本における朝鮮人戦時労働研究史』(長谷亮介氏報告)

3月23日に開催された学術セミナー「佐渡金山における朝鮮人戦時労働の実態」〔発表者一覧〕より、長谷亮介氏(歴史認識問題研究会研究員)の発表内容を『メディアウォッチ』の記事よりご紹介します。〔[일본 역사인식문제연구회 세미나] 사도금산에서의 조선인 전시노동 실태 (4)/[日本歴史認識問題研究会セミナー] 佐渡金山における朝鮮人戦時労働の実態(4)〕

記事は日本語で書かれた報告書をメディアウォッチの吉田健二氏が韓国語に訳したもので、それをブログ主が再度機械翻訳で日本語に訳しているので、原文とは異なります。人名などの固有名詞は記事本文に括弧書きで記されているので、それに倣いました。

 

長谷亮介先生プロフィール:熊本生まれ。 熊本大学文学部歴史学科卒業、法政大学大学院博士後期課程修了後、歴史認識問題研究会所属。 現在同研究会研究員。 共著として、西岡勉編集の「朝鮮人戦時労働の実態」(一般財団法人産業遺産国民会議、2021)

 

長谷亮介先生の報告書は以下の5つのパートに分かれています。

 

  1. 佐渡金山に関する一次史料
  2. 先行研究の内容
  3. 先行研究の内容整理と一次史料の確認
  4. 坑内作業の配置と珪肺発症率
  5. 1次史料に記載された朝鮮人労働者の姿

 

「一次史料」と、「一次史料を部分的に参照しながらも、後年に当時を回想したり、研究者の主観が入った学術研究」を分けて内容を検討しています。後者には「新潟県史」と「佐渡・相川の歴史」が属し、執筆時点には「朝鮮半島出身労働者=強制連行」というバイアスがかかっているようです。

  

* * * *

補足は緑字で追加。多少日本語として不自然でも理解に影響が無いと思われる翻訳は機械翻訳ママ

1.佐渡金山に関する一次史料

現段階での佐渡金山に対する1次史料は、以下の6点が確認できる。

平井栄一編集「佐渡鉱山史 第2」(1950年)、
②佐渡鉱業所「半島労務管理について」(昭和18年6月)、
③日本鉱山協会「半島人労務者に関する調査報告」(昭和15年12月)、
④「帰国朝鮮人に対する未払い賃金債務などに関する調査結果(朝鮮人の在日財産調査報告編に収録)、及び「経済協力と韓国105·朝鮮人に対する賃金未払い債務調査(韓国105·朝鮮人に対する調査)」、
⑤「朝鮮人煙草配給名簿」、
⑥「特高月報」記載の使徒に関する記事


①と②についての説明は、先の西岡力の発表でもなされているので省略する。 ③は、日本鉱山協会が国内の主要鉱山84カ所を対象にした調査で、朝鮮人労働者の処遇などが記されている。

④は戦後の朝鮮人の未払い賃金等に関する調査と供託に関する公文であり、佐渡欽山については「帰国朝鮮人に対する未払い賃金の債務等に関する調査」が残されている。 当該調査には1,140人分の23万1千59円59銭が記されているのみである。

⑤は佐渡鉱業所が管理していた相愛寮(4施設)と社宅に居住していた朝鮮人の名簿。 これは1943年及び1945年、会社がたばこを支払う過程で作成され、一部分ではあるが、リストに朝鮮人463名の氏名、生年月日、異動に関する情報などが記されている。

⑥の「特高月報」には、戦時中に佐渡金山で起きた朝鮮人争議事件3件、逃避事件が5件記されている。

(*編集者注:佐渡欽山に関する一次史料とされる資料は、△平井栄一編集「佐渡鉱山史第2」(1950年)、△佐渡鉱業所「半島労務管理について」(1943年6月)の2点を除き研究者によって多少異なる。 たとえば、西岡力が一次史料として分類していた、相川町史編纂委員会編集の「佐渡相川の歴史·通史編·近現代」(1995年)に収録された、前佐渡鉱山労務課員の杉本奏二の証言を、本論文の執筆者である長谷亮介氏は一次史料から除外している。)

▲〔画像省略〕平井栄一編集『佐渡鉱山史 其ノ二』

 

2.先行研究の内容

佐渡金山の朝鮮人労働者を考察した先行研究で代表的なものは、1988年に新潟県で発行された「新潟県史 通史編8·近代3」(以後「新潟県史」)、そして1995年に相川町で発行された「佐渡 相川の歴史·通史編·近現代」がある。 前者には「強制連行された朝鮮人」という項目が含まれ、1939年から実施された募集時期から朝鮮人を強制連行したと説明している。 その他にも、佐渡鉱業所が朝鮮人労働者に対して民族差別を加え、強圧的な契約更新をしたり、朝鮮人を削岩と運搬など危険な業務に従事させたと主張する。 このような主張は、②の「半島労務管理について」に基づいている。

後者も朝鮮人が強制連行されたと説明しており、佐渡鉱山労務課の杉本奏二の証言を根拠に、日本人坑内労務者のうち、硅肺症を患う人が多く、若い日本人は続々と軍隊に徴用され、朝鮮人募集を開始することになったと述べている。

個人の論文としては、長澤秀長沢秀)、佐藤泰治などの論文があり、2000年に発行された『新潟国際情報大学情報文化学部紀要』第3号に掲載された広瀬貞三の「佐渡鉱山と朝鮮人労働者1939~1945に掲載されている。 この論文は先に紹介した一次史料以外にも、当時の新潟県の新聞、長澤秀、佐藤泰治などの先行構図も参照し、佐渡金山における朝鮮人労働の実態を考察している。 広瀬貞三は論文で、朝鮮人労働者が民族差別を受け、強制労働をしてきたと結論づけている。

広瀬貞三が主張する民族差別とは、「佐渡哀川の歴史」と同様、「半島労務管理について」を参照しつつ、削岩や運搬のような危険な坑内労働に従事する労働者の割合が日本人より朝鮮人の方が高かったことに関係する。 また、労務課の杉本奏二の珪肺症に関する証言を引用して、(朝鮮人募集は)労働力保全だけでなく、日本人の珪肺症感染を防ぐ目的もあったと考察した。 この点に関し、広瀬貞丈は1944年に佐渡鉱業所の珪肺を調査した斎藤謙の「珪肺病の研究的試験·補遺」を引用し、珪肺発症の原因となる粉塵の平均吸引量が削岩、運搬、支柱業に従事した人に多かったことを紹介している。 これらの職種の割合が高かったのは朝鮮人であり、この記録は朝鮮人を対象に調査したものであると広瀬貞三は考察している。

また、朝鮮人の賃金に関しては、以前農民出身の朝鮮人は「請負制度下の給料が日本人に比べて不利であり、道具費などが控除されたため、手元に残る賃金は極めて少なかっただろう」と述べている。 朝鮮人が2-3年の労働契約を結んでいたのは事実だが、佐渡鉱業所は強制的に契約を更新させたと主張し、これを強制労働の証拠として掲げた。

 

3.先行研究の内容整理と一次史料の確認

以上、先行研究に関する簡潔な説明をしたが、重要な点は朝鮮人強制連行に関する具体的な考察がなされていなかったという点である。 「新潟県史」は1939年に開始された募集から1944年に開始される徴用までを何の問答もなく「強制連行」と断定し、学術的考察は一切行われたことがない。 これは1965年に朴慶植(パク・ギョンシク)が「朝鮮人強制連行の記録」(未来社)を発刊したことを契機に募集から徴用までを「強制連行」と規定し、これが十分な検証もなく日本の学界の「常識」となってしまったことが大きな原因であろう。

しかし、強制連行を否定する1次史料は多く残っている。 たとえば、佐渡金山と同じ三菱系の直島製錬所の募集状況を記した石堂忠右衛門の手記(所長:林えいだいの編集)『戦時外国人強制連行関係史料集Ⅳ上巻』(明石書店、1991年)に、〔以下は手記のタイトル〕「採用に落ちた朝鮮人」(昭和15年3月20日)、「代理応募者」(同年3月26日)、「朝鮮人のまるで『学生が修学旅行に行くような気分』の様相」。 このような内容が強制連行関係史料集にも収録されていることから、当時の「強制連行」説の根拠がいかに薄弱であったかが分かる。

さらに、「新潟縣史」の「強制連行された朝鮮人」の部分を執筆した著者は佐藤太治で〔記事原文ママ。佐藤泰治とは別人?〕あった。 佐藤太治は朴慶植(パク・ギョンシク)が設立した在日朝鮮人史研究にも投稿したことがあり、彼も「強制連行」説の支持者であったことがうかがえる。 つまり、中立的な第三者が執筆した県史ではなかったのである。

▲〔画像省略〕「佐渡相川の歴史」


一方、「佐渡会川の歴史」で注意すべきは、一次史料と証言の内容が混在している点である。 文書で残っている当時の史料と一定の歳月が経った後、記憶に依存する証言とは内容の乖離が生じる可能性がある。 実際、本書で杉本奏二は1945年3月の最終募集時点で「総数1200人」が佐渡鉱山に来たと述べている。 しかし、1次史料である平井栄一の「佐渡鉱山史 其ノ二」には1,519人と記されている。 300人の誤差は大きい。 他にも、杉本奏二は最初の募集開始時期を1939年2月としているが、平井英一の著書や『半島労務管理について』では、1940年2月と記述されている。 杉本奏二が正確に当時の状況を記憶して発言したかどうか検証が必要だろう。

また、佐渡欽山で発生した朝鮮人争議事件の原因については、「労務者や労働課職員の一部に極端な差別意識を持った者がかなりいた」とし、当時の労務担当者が回想したとの記述がある。 ただ、実際に誰がこのような主張をしたのか、重要な情報が欠陥している。 それを主張したのが杉本奏二本人であれば、確かに彼の名前を書いていただろう。 したがって、「当時の労務担当者」という人は杉本奏二とは別人であろうし、仮名の人物の回想を無批判に受け入れることは危険である。

 

4.坑内作業の配置と珪肺発症率

先行研究が1次史料を用いて佐渡欽山を強制労働の現場と判断した根拠は、「朝鮮人の坑内作業配置」と「珪肺症」が代表的である。 まず、削岩と支柱などの作業に朝鮮人が多く割り当てられたことが差別であったかどうか検討する。

杉本奏二は珪肺症について話しているが、根本的な問題は日本人男性が次々と軍隊に徴用されて起きた人手不足だ。 そして、その空白を朝鮮人男性が埋めたのが全てだ。 さらに徴兵以前に行われた満州への移住政策により新潟県の人口は減少した。 山川出版社の「新潟県の歴史」(1998年)では、新潟県から中国の満州国に送られた集団開拓団送出は1937年から1945年5月まで1万2,600人以上であり、これは全国で5位の送出数だったという。 また、佐渡金山の岩盤は硬く、落盤の危険は少なかった。 佐渡島の伝統芸能「やわらぎ」とは、退石〔?固い鉱石が和らぐようにを祈願する神事芸である。

珪肺症に関して広瀬貞三は、朝鮮人労働者を対象にした論文を調査を通じて考察しているが、実際に斎藤謙の論文を読んでみると、珪肺症の第一段階(第一期)に至るまで少なくとも4年11か月を要すると書いている。 朝鮮人は契約によって2年から3年までしか働いていなかった。 契約を更新したとしても5年間勤続した者は少数であったと考えられる。 一方、1953年に発行された「新潟医学会雑誌」に掲載された丹野清喜の論文「珪肺症の精神機能について」では、珪肺症に重症化するのは珪肺症の第2期からであり、珪肺症第1期は作業負荷を加えた場合以外では、正常人と明らかな違いは認められないとされている。 [表1]からも分かるように、勤続年数を考慮すると対象となったのは朝鮮人ではなく日本人であったとみるのが妥当であろう。

さらに1954年に丹野精機は「職種別の稼働年数によって調査した珪肺発生率及び進田図」(所収:「新潟医学会雑誌第68年第9号」)を発表し、珪肺症の原因である粉塵環境と罹患率の関係性はないと断言した。 丹野精機は1951年に佐渡と推定される鉱業所(S鉱業所)の協力を得て、削岩、運搬、支柱作業が粉塵を最も多く吸引する環境と認めた。

[表1]〔表省略〕斎藤謙「珪肺症の研究知見·補遺」(「北越医学会雑誌第59年第6号」)(1944年)による珪肺発症までにかかる研修(論文を基に永谷亮介が表で作成)

[表2] 〔表省略〕丹野清喜「職種別稼働年数に基づいて調査した珪閉発生率及び進田図(職種別勉強年数寄見 タルテ転生率)」に掲載されている「坑内各職種稼働年数別罹患率(1)」(新潟各職種稼働年数別罹患率)、「新潟医学会誌85年第2号」(1995年第2号)、「新潟85年第2号」

坑内の各職種稼動年数別の羅患率(p.852)
A:瞬索がんの経験者群
B:純運搬又は純運搬若しくは運搬持株職種経験者群
C:坑内その他の職種としての機械、保線、雑役及び職員

 

しかし、たとえ粉塵が多い環境であっても、坑内作業の勤続年数に比例して珪閉症罹患率も高くなると主張している。 [表2]を見ると、たとえ削岩夫でも5年以内の勤務であれば重症という珪肺症2期に至る確率は7.9%であったことが分かる。

これで、削岩、運搬、支柱に朝鮮人が多く割り当てられたことは、民族差別を証明することではない。 また、強制労働も断言できない。

 

5.1次史料に記載された朝鮮人労働者の姿

賃金が手元にほとんど残っていないという主張に対しては、西岡力が先に反論した。 本報告書で紹介した③日本鉱山協会の「半島人労務者に関する調査報告」では、1940年7月の平均賃金が66円77銭と記載されている。 3年後の「半島労務管理について」には、80円を超えたと記載されていることを考えると、朝鮮人は十分な賃金を受けていた。 この点は「特高月報」記載の逃避事件でも明らかである。

1942年11月分の賃金と食糧に不満を抱いた朝鮮人4人が、逃走の援助を依頼するため同僚に130円を渡したと記されている。 1人当たり30円以上の金銭を所持していたことで、逃走後の交通費や食糧費を考慮するとさらに多くの所持金を持っていた可能性もある。 また、1943年2月分でも同じ動機で女性の朝鮮人労働者4人が逃走援助のため75円を渡したという。 そして朝鮮人は劣悪な環境から生命を守るために逃走したのではなく、より良い職場に移動したかったのだ。

契約の強制的更新により帰郷できなかったとの主張に関しては、⑤の朝鮮人年初配給名簿の中から満期帰郷に伴う異動届出が確認された。

日本歴史認識問題研究会が入手した史料には、1945年4月22日に作成されたもので、契約満期で帰郷した朝鮮人11人の名前が書かれている。 終戦直前にもこの程度の人員が帰郷できた点を勘案すれば、以前にも帰郷した朝鮮人が存在していた可能性がある。 さらに、当該異動申告書には帰郷者全員に10日分のタバコを支給したと記録している。 当時のタバコは貴重品であり、それを快く支給された朝鮮人を奴隷労働者と表現することが、果たして適切なのか。 「半島労務管理について」では、契約更新者には奨励金が与えられ、これは勤続奨励金に相当な効果があったことを明記している。

結論からいうと、一次史料を読んでみると、佐渡欽山は強制労働の現場ではなかったことがわかる。

画像省略〕[写真] 日本歴史認識問題研究会が入手した第三相愛寮の朝鮮人労働者11人の満期帰郷に伴う異動申告

 

  


 

 

 

 

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