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2022/04/05

【朝鮮人日本兵】朝鮮人陸軍特別志願兵の真実 1.韓国人の『共通の記憶』

朝鮮人日本兵については今までメモを書き溜めていますが、これも少しずつブログに整理していこうと思っています。

 

下の記事は「朝鮮人に兵役義務を」と訴える朴春琴代議士。当時の朝鮮人エリートは、兵役や納税の義務もなく、参政権も無いという “二等国民”の朝鮮人の地位を向上させ、日本人と同等の権利を得たいという要求がありました。彼らは、朝鮮人という民族を意識しつつ、「日本国民」になろうとしていたのです。

 

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▲朝鮮人に対する兵役義務や志願兵制度の実現を国会で訴え続けていたのは衆議院 東京府四区選出の朝鮮人議員 朴春琴で、この記事の3年後、昭和13年2月26日に朴春琴の請願により朝鮮人に対する陸軍特別志願兵制度が実現されることとなった。※昭和10年〔1935年〕2月6日付け 釜山日報〔六衛府さんのツイートより拝借しました。〕

 

しかし、日本政府は朝鮮人の能力を低くみていたため、彼らの徴兵には消極的で、ようやく1938年に陸軍特別志願兵制度、1943年に海軍特別志願兵制度が導入されます。彼らは約50倍の競争率を勝ち抜いたエリートでした。そして、60年代~80年代、大韓民国の礎を築くのに貢献します。

 

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▲「채널fujichan」(チャンネル・ふじちゃん)の「陸軍特別志願兵」シリーズの動画をキャプチャして追記。画像の右下は金柄憲(キム・ビョンホン)所長と鄭安基(チョン・アンギ)博士

 

彼らの志望動機や特別志願兵の詳細については追々見ていく事にしますが、戦後、つまり、朝鮮の解放後は志願者達はどのように身を処したのでしょうか? 

韓国に於いては、彼らは「民族の反逆者」であったはずですが、特に学徒志願兵が「志願の名を借りた強制」だったと自己保身を図ります。そうしないとしかたがない面はあったと思いますが、『反日種族主義』の共著者の一人で、「陸軍特別志願兵、彼らは誰なのか!」の章を執筆された鄭安基(チョン・アンギ)博士によると、元学徒志願兵の証言は、その社会的地位からくる影響力が80年代に左派民族主義歴史学と結び付き、反日種族主義歴史観の形成と拡散に大きく寄与したのだそうです。中には「脱走して、独立運動に身を投じた」と称して、後に独立有功者とされた者もいるそうです。

そして、結局これが朝鮮人日本兵に対する今日の韓国人の『共通の記憶』となりました。

 

今回のエントリーでは、韓国人の『共通の記憶』(韓国人として "正しい” 歴史)がどのようなものかがよく分かる記事〔原文韓国語を機械翻訳〕をご紹介します。〔聯合ニュースの日本語版記事:太平洋戦争期の朝鮮人学徒兵 4385人が「強制動員」=韓国政府調査 ※但し韓国語版より短い。〕

 

* * * *

https://www.yna.co.kr/view/AKR20180122034100004
日帝学徒兵4千人余りの強制動員の実態が明らかに…。政府報告書を初めて発刊
記事入力 2018.01.22. 午後12:00 記事原文スクラップ

「ショーシャンク」顔負けの脱出事例も…。「お腹が痛い」行軍を抜け、教官を追い出す金俊燁 〔キム・ジュンヨプ/김준엽/ヨプは「火」偏に「華」)先生

▲〔画像省略〕1944年1月、学徒兵入営を扱った朝鮮総督府機関紙「毎日新報」(行政安全部提供=聯合ニュース)

 

(ソウル=聯合ニュース)イ·テス記者=1940年代、日本が「学徒志願兵」という名目で韓国の学生と青年4385人を太平洋戦争に強制動員した具体的な事実が政府報告書を通じて公開された。

行政安全部(行安部)は22日、太平洋戦争に動員された朝鮮人青年の被害実態調査内容を盛り込み、政府では初めて真相報告書を発刊したと明らかにした。

今回の報告書は、行安部過去の事業業務支援団と高麗大が昨年10月から12月にかけて行った真相調査の結果を盛り込んだものだ。 学徒兵制度施行の背景、動員規模、部隊配置の実態、生存者回顧録、日本軍部隊名簿など学徒兵動員の被害実態をあまねく扱った。

行安部は「これまで学徒兵として動員された朝鮮人は4385人と推定されただけで、具体的な資料がなかった」とし「今回の報告書は被害実態を総合的に究明する上で重要な資料になるだろう」と説明した。

報告書によると、学徒兵は専門学校以上の卒業者を対象にした軍人動員制度で、1943年末、欺瞞的な志願と選考手続きを経て動員された。

報告書は学兵動員対象者として指摘された計6千203人のうち、70%に当たる4385人が軍人として選び出されたとし、これは実質的な強制動員だと指摘した。 学徒兵を拒否した青年たちは軍需工場などに送られた。

▲〔画像省略〕学徒兵を扱った朝鮮総督府機関紙の毎日新報[行政安全部提供=聯合ニュース]

 

動員された学徒兵は1944年1月20日、日本軍部隊に入営後、訓練を受けて各地に配置された。 半分ぐらいは日本、30%ぐらいは中国戦線、残りは韓半島内に残留したことが確認された。

調査陣は当時、「陸軍特別志願兵臨時採用規則」をはじめ、総督府機関紙「毎日新報」、学徒兵出身者の集まり「1·20同志会」の回顧録、韓国光復軍·独立有功者名簿、朝鮮人強制連行真相調査団名簿、日本軍部隊名簿などを幅広く調べた。

その結果、学徒兵のうち、日本軍を脱出して光復軍に参加した人が43人、独立有功者褒賞を受けた人が71人と確認された。

行安部は「今回発掘された資料の中には戦線配置以後、脱出して光復軍など所属として独立運動を展開した人 の記録も相当数含まれている」とし「今後、独立有功者褒賞の根拠に活用されるだろう」と期待した。

▲〔画像省略〕学徒兵から脱出した故キム·ジュンヨプ先生を探すために日本軍が作成した捜索図面[行政安全部提供=聯合ニュース]


調査陣が探した日本軍名簿には、命をかけて日本軍を脱出した学徒兵の事例も詳しく書かれている。

平壌出身の故キム·ジュンヨプ先生(元高麗大学総長)は1944年1月20日に入営し、中国安東と上海館を経て歩兵として徐州に配属された。

彼は、初年兵教育を受けた同年3月、行軍前日に腹痛を訴え、教官から内務班にとどまるよう命令された。 しかし同日「腹痛にも行軍に参加する」と明らかにしてはその日の夜、部隊を出てきた。

翌朝、点呼で金先生が見当たらなかったので、日本軍警備隊長は大々的な捜索に乗り出した。 周辺の警備隊も情報を聞いて彼を探しに出る一方、密偵まで中国に送って金先生の行方を探った。

しかし日本軍は結局、彼を見つけることができず、書類上では「生死不明」となったが、金先生は韓国光復軍に合流した。

平安北道朔州が本籍の故張俊河(チャン・ジュンハ)先生も1944年7月、中国徐州から脱出して自由の身となったと記録された。 彼も光復軍として活動して解放を迎えた。

行安部は「花のような青年を戦場に駆り立てて犠牲にした日本が韓国に及ぼした強制動員被害を事実通り正確に突き止めなければならない」とし「今後、真実究明に積極的に乗り出す」と伝えた。

報告書は、国家記録院のホームページ(www.archives.go.kr)で誰でも見ることができる。

 

 

  


 

 

 

 

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