【韓国】「伽耶」の世界文化遺産登録を目指す韓国のジレンマ
伽耶(かや)とは加羅(から)とも呼ばれ、4~6世紀に朝鮮半島南部にあった諸国の総称で任那(みまな)の事です。文在寅大統領の強い意向で世界文化遺産の登録を目指す事になりましたが、問題が起きています。
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https://jp.yna.co.kr/view/AJP20200910005100882
韓国「伽耶古墳群」 22年の世界遺産登録に挑戦へ
記事一覧 2020.09.10 20:45
【ソウル聯合ニュース】韓国文化財庁は10日、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界文化遺産登録を目指す候補として「伽耶古墳群」を選定したと発表した。
伽耶古墳群は、慶尚南道の金海大成洞古墳群、咸安末伊山古墳群、陜川玉田古墳群、固城松鶴洞古墳群、昌寧校洞と松ヒョン洞古墳群、慶尚北道の高霊池山洞古墳群、全羅北道の南原酉谷里と斗洛里古墳群で構成。全て韓国の史跡に指定されている。
文化財庁が来年1月までにユネスコ世界遺産センターに推薦書を提出すれば、2022年の世界遺産委員会で登録の可否が審議される。
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その問題とは、伽耶の古墳群の文化的背景を説明するのに『日本書紀』が拠り所になるからです。
特に、己汶と多羅という地名は日本書紀にのみ記述があり、かと言って、日本書紀を認める事は、古代、朝鮮半島南部を日本(倭)が支配していたという「日本書紀史観」を認める事になるので、ジレンマに陥っている訳です。
上図、現在の釜山の辺りに「加羅」という地名がありますが、これは532年に新羅に併合された「金海加羅」で、狭義ではこれを任那と呼び、前述のように現在の慶尚道と全羅道に跨がる一帯にあった諸国の総称が広義の任那です。
金海加羅の前身が「狗邪(くや)韓国」で、中国の史書(『後漢書』倭伝や韓伝、『魏志倭人伝』等)にも「倭」の国として記述されており、任那の名前も、例えば好太王(広開土王)碑の碑文にも現れます。〔上図右側の『知っていますか、任那日本府』の表紙の石碑が好太王碑〕
そのため、好太王の碑文も今でも時々「日本人改竄説」が出てくるくらいです。〔→過去エントリー:【韓国】またぞろ言い出した「好太王碑文日帝改竄説」/日本は百済が造った!?〕
2017年頃、文在寅大統領がこの広義の任那一帯に点在する古墳群を「伽耶古墳群」として世界文化遺産への登録を目指すとしたので、文化的・歴史的意義を統一するためには、どうしても任那の存在が浮かび上がってきます。〔→ハンギョレ新聞(2017-06-02):「伽耶史復元を国政課題に」突然に持ち出した理由は…〕
上述のように、任那の存在を示す史書は日本書紀を含めて幾つもあります。しかし、朝鮮の史書には簡単な記述しかありません。『百済記』、『百済新撰』、『百済本記』と呼ばれる所謂「百済三書」があった ”らしい” のですが、これは『日本書紀』に、「百済本記が云(い)うに~」のように引用されているのみで現存しません。
『日本書紀』を典拠にするしかないのです。
しかし、韓国では、”古代朝鮮が日本に文化的影響を与えてやった” という歴史観しか許されません。いくら、朝鮮半島の古墳が日本の古墳よりも新しいものだ分かっても、この歴史観は捨てられないのです。
2021年9月頃には、世界文化遺産登録反対の国民請願運動〔青瓦台のサイトで行う署名活動〕まで起きています。〔→RecordChina(2021年9月7日):「日本書紀が根拠だからやめて」=韓国が世界遺産登録を進める「伽耶古墳群」に反対運動〕
つくづく、学問に向いていない人達だと思います。
多くの方もご存知のように、日本史でもこの辺りの歴史は曖昧にされています。
戦後の左翼史観によって『日本書紀』は軽視され、そして、古代、日本が朝鮮半島南部のみならず、百済や新羅を臣下にしていた事等はタブーとされています。”朝鮮を上から目線で見てはいけない”という配慮がなされてきたためです。
伽耶古墳群の世界文化遺産登録は、日本人も関心を持って見るべきだと思います。
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