【佐渡金山】『朝鮮人戦時労働と佐渡金山』(西岡力教授研究発表)1.朝鮮人の戦時労働の全体像
3月23日に開催された学術セミナー「佐渡金山における朝鮮人戦時労働の実態」〔→発表者一覧〕より、西岡力教授の発表内容を『メディアウォッチ』の記事よりご紹介します。〔[일본 역사인식문제연구회 세미나] 사도금산에서의 조선인 전시노동 실태 (1)/[日本歴史認識問題研究会セミナー] 佐渡金山における朝鮮人戦時労働の実態(1)〕
西岡力教授の報告書は以下の4つのパートに分かれており、今回は「1.朝鮮人の戦時労働の全体像」のみ扱います。
- 朝鮮人の戦時労働の全体像
- 佐渡金山の朝鮮人戦時労働
- 新潟県と相川町の「強制連行」記述について
- 韓国の専門家、鄭恵瓊(チョン・ヘギョン)氏の「強制労働」説検討
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〔補足は緑字で追加。多少日本語として不自然でも理解に影響が無いと思われる翻訳は機械翻訳ママ〕
1.朝鮮人の戦時労働の全体像
まず、朝鮮人の戦時勤労の全体像から説明する。
朝鮮人労働者の戦時動員は1939年9月に始まった。 実際、これより5年前の1934年10月、日本政府は「朝鮮人による日本への渡航は一層減少させることが緊要だ」として、以下の閣議決定が下された。
「朝鮮南部地方には人口が密集し、生活に窮する者が多数存在し、これにより南鮮地方民の日本内地への渡航が最近急激に増えてきた。 これは、日本内の失業及び就職難をさらに深刻化させるだけでなく、すでに日本内に居住している既存の朝鮮人失業もさらに深刻化し、またこれによる朝鮮人関連の各種犯罪、借家紛争などの諸問題を引き起こし、 内鮮人びとの事件を拡散させ、内線融和を阻害するばかりでなく、治安上も憂慮すべき事態を発生させる。 これに対しては、造船及び内陸を通じた適切な対策を講じる必要がある。 つまり、朝鮮人を船内に安住させるとともに、人口の密接な地方人民を満州に移住させ、日本国内旅行をさらに減少させることが緊要である」。
この頃には、朝鮮から日本内地への渡航(旅行)を希望する者は居住地管轄警察署や警察官駐在所に出頭し、就職先の確実性の可否、また旅費以外10円以上の余裕金所持の有無、そしてブローカーによる募集ではないことを証明した後、釜山水上警察側に提出する「紹介状」まで受け取らなければならなかった。 このような手続きを踏まなければ、日本内地への渡航は不可能だった。
しかし、日本でああいう閣議決定が下されてからは、この「渡航紹介状」の取得が難しくなった。 ちなみに、朝鮮総督府の統計によると1933年から1938年までの6年間、72万7,094人の渡航出願が認められなかった。 戦時動員が始まる以前、朝鮮では多数の出稼ぎ希望者が渡航の機会を狙っていたのだ。
正規の手続きを踏んでいない不正渡航者も多数いた。 日本内務省の統計によると、1930年から1942年までの13年間、日本内地で不正渡航者として発覚した者は3万9,482人、そのうち3万3,535人を朝鮮に「強制送還」した。 ここで注目すべき点は、戦時動員が始まった1939年から1942年までの4年間、2万2800人が日本内地で不正渡航で摘発され、1万9,250人が戦時動員時期であったにもかかわらず朝鮮に強制送還されたという事実である。
ここでも強調したい事実がある。 1939年9月に始まった「募集」形式の朝鮮人戦時動員は、1934年の「朝鮮人の日本ないし渡航を一層減少させることが緊要」という閣議決定とは例外に行われたものである。 1938年4月に国家総動員法が公表されたことから、日本国内では徴用による労働動員が始まったが、朝鮮ではまだ同法が発動されていない。 ただし、昭和14年7月に内務省と厚生労働省の次官連名として、昭和9年10月閣議決定の例外として、朝鮮人労働者を日本内地に移入させる方針が示されたものである。
すなわち、多数の朝鮮人が他郷を儲ける〔타관=타향(他鄕) 故郷でないよその土地〕ために日本内地に渡航するので、これを防止するために閣議決定を下したことがあるが、その例外措置として、朝鮮人戦時動員もやはり始まったという事実をより多くの日本人と韓国人に認めてもらいたい。 そして朝鮮人の戦時動員は一度だけ例外の措置として実行されたが、この門が開かれるやいなや、それまでは厳しく制限され、日本内に渡ることができなかった潜在的な渡航希望者たちの雪崩のような渡海が発生したのだ。
内務省の統計によると、戦時動員時期(1939年から1945年)に統合の約240万人(正確には237万8,232人)が日本内地に渡航したが、そのうちわずか4分の1の約60万人(60万4,492人)だけが戦時動員(募集、管あっせん、徴用)であった。 4分の3である約180万人(177万3,740人)は、自主的に個別渡航した人だったという。
▲日本に渡航しようとする朝鮮人が集まって釜山(プサン)港が混雑しているというニュースを伝えた日本統治時代の記事。
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ここでは基本的に日本人向けのセミナーなので特に言及がないのですが、韓国では、募集、官斡旋、徴用全てを「強制労働」だと勘違いされています。
また、ILO(国際労働機関)が1932年に公布し、日本も同年11月21日に批准した「強制労働に関する条約(Forced Labour Convention)」では、戦時中の動員は例外とされていますが、日韓の左翼は、この条約に日本は違反していると主張します。〔ちなみに韓国はこの条約を2021年に批准。〕
ILO条約の問題はこのセミナーにて山本優美子(なでしこアクション代表)氏が報告されているので、その記事であらためて確認したいと思います。
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