【日本統治時代】「朝鮮語教育レコード」を韓国ではどう説明しているか
日本が朝鮮半島を統治していた時代に行ったことの一つがハングルの整理です。
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1911年に朝鮮総督府は、第一次教育令を公布し、朝鮮語は必修科目としてハングルが教えられることとなった[45]。朝鮮語の時間以外の教授言語としては日本語が使用された。総督府は1912年に、近代において初めて作成された朝鮮語の正書法である普通学校用諺文綴字法を作成し、1930年には児童の学習能率の向上、朝鮮語の綴字法の整理・統一のための新正書法である諺文綴字法を作成し、それを用いた。識字率の上昇によってハングルで書かれたタクチ本が1920年代から1930年代にかけて流行した[46]。
Wikipedia『日本統治時代の朝鮮』- 朝鮮語 より
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これにより、学校を通じて標準語が普及されるのですが、その手段としてレコードも採用されたのは、以前のエントリー『【韓国】日帝が朝鮮語を奪ったことが嘘だと一目で分かる広告【朝鮮語教育レコード】』に書きました。
このレコードを発売したオーケーレコードは、1933年(昭和8年)、日本のテイチクが現地資本との合弁で設立された会社で、テイチク傘下の会社とは言え、社長は作詞作曲家でトランペット奏者の李哲氏〔広告の人物〕です。
このレコードの事が「NAVER知識百科」というサイトに「교육레코드 발매」(教育レコード発売)として書かれていたので、その全文を機械翻訳してご紹介します。表現が色々と面白かったので。
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オーケー(Okeh)レコードが1936年1月に特別新譜として発売した朝鮮語教育レコードは、日帝時代レコード史で極めて重要な事件と言える。
よく知られているシッピー(?)、当時「国語」と呼ばれ、第一言語の地位を占めていたのは日本語であった。 朝鮮が日本の植民地に転落した状況で日本語が朝鮮語より優位にあることは避けられない状況であり、そのような中で朝鮮語の立地は危機を迎えた。 民族語として朝鮮語を守るために朝鮮語学会などが努力した事実はよく知られているが、オーケストラも当時のレコード会社の中で最初であると同時に唯一、朝鮮語教育レコードを制作·発売することで民族語守護に貢献した。
朝鮮語教育レコードは1935年に全般的に企画され、夏休みを利用して録音された。 当時、オーケーはソウルに録音スタジオをまだ持っていなかったため、録音対象者が本社の役割をしていた日本の帝筑レコードに直接出向く方法を通常、取っていた。 しかし、朝鮮語教育レコードは普通学校の生徒が大挙録音に参加したので、多くの子供を日本まで連れて行くことができず、録音設備をソウルに持ってくる方法を取って録音を行った。 録音設備や技術者をソウルに呼んで仮設スタジオを設置するのに莫大な費用がかかったのはもちろんだ。
オーケストラ文芸部長の金陵仁(キム·ヌンイン)主導の朝鮮語教育レコード制作は朝鮮語学会、朝鮮音声学会、朝鮮音楽教育協会、朝鮮音楽家協会など関係機関からの積極的な推薦を受け、朝鮮総督府からも正式に認可を得た。 録音教本として使用されたのが、朝鮮総督府が編纂した普通学校の朝鮮語読本であったためである。 これには対外交渉に長けたオーケー運営者の李哲(イ·チョル)氏の力量がかなり発揮されたものと推定される。
録音に参加した学生は、京城師範学校附属普通学校、京城女子師範学校附属普通学校から選抜され、予備教師とも言える京城女子師範学校の学生も参加した。 正しい文法の責任を持つ読法指導は京城女子師範学校の先生であった沈宜麟が担当し、録音内容で重要な比重を占めた音楽は中央仏教専門学校の講師であり李王職雅楽部の嘱託も担当していた朝鮮音楽教育協会の李鍾泰(イ·ジョンテ)が担当した。 正しい発音を担当する音声指導は延禧専門学校教師である朝鮮音声学会の鄭寅燮さんが担当した。 李哲と金能仁が共に延禧専門学校の出身であったことを考えると、鄭仁燮の参加には延禧専門学校の学縁がある程度働いていたと思われる。
数千ウォンの費用がかかった朝鮮語教育レコードは、1935年10月の「ハングルの日」に関係機関の関係者を対象に開かれた視聴会で披露された。 さらに、11月以降、多くの新聞や雑誌で大衆にも広報され、12月からは実売が行われた。
全部で12枚発売された朝鮮語教育レコードは普通学校の生徒の教育のために制作されたので、1年生から6年生まで各学年に2枚ずつ割り当てられて構成されている。 各学年のテーマは次の通り。
1年生:正しい独法と間違った独法、半切、日·父と息子、象·雨
2年生:春、虹·水車、サンウルリム、ハン·ソクボン
3年生:パク·ヒョッコセ、夢·月、月、子守唄、花びら·お昼ごはん
4年生:こぶを取った話、朝の海、扶余
5年生:漁師、言文の制定、沈清
6年生:詩藻5首、孔子と孟子、詩話2編、圖上の一家
朝鮮語教育レコードは発売68年目の2004年にCDでも復刻された。
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まるで、朝鮮人が朝鮮語を日帝から守り抜くためにレコードを作ったかのようか書き方ですね。
教育用レコードという性格上、原資は朝鮮総督府から出ていたのではないでしょうか。
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>かんぱちさん
こんな些細な「豆知識」的な記述にも嘘を交えてくるから恐れ入りますw
投稿: ブログ管理者 | 2022/01/12 07:49
このポスター、漢字ハングル交じりなだけでじゃなくて、伸ばす音を表す棒の 「ー」 まで使って書かれてますね。
この、日本語の表記法にそっくりな書き方を 「日帝から朝鮮語を守り抜いた人達」 が使っていたんでしょうか?
しかもよく見ると、横書きの部分では横棒に、縦書きの部分では縦棒になってるところまで、日本語の表記法にソックリw
投稿: かんぱち | 2022/01/09 23:15