【もう春か】ソメイヨシノと済州島の王桜/桜と朴正煕大統領
まだ1月だというのに、朝鮮日報・日本語版に染井吉野(ソメイヨシノ)の話題が出ていました。
韓国語の原文があるのかどうかは分かりませんが、染井吉野と王桜は別品種としながらも、混乱させるような書き方をしたり、所々に嘘を織り交ぜており、悪意を感じる記事です。
まずは、記事を引用しますが、前半は、韓国にある桜(染井吉野)を抜いて、固有種である済州島の王桜に植え替えようというキャンペーンの話なので、そこは割愛します。
* * * *
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2022/01/26/2022012680204.html
「日本の桜を抜いて、済州の王桜を植えよう」キャンペーン始まる
2022/01/26
(前略)済州の王桜は、フランス人の天主教(カトリック)神父で済州に赴任したエミール・タケが1908年に漢拏山の観音寺に自生している王桜を発見し、欧州の学界に報告したのがきっかけで世界に知られるようになった。
しかし、王桜は1901年、日本の東京・上野公園で先に発見された。日本の王桜は「ソメイヨシノ」と呼ばれる。日本の学界ではこの桜の自生地を探したが、見つからなかった。タケ神父が発見した王桜の標本を入手したドイツ・ベルリン大学のケーネ博士は、二つの木が全く同じ王桜で、その自生地は済州島であると1912年に発表し、「韓日王桜戦争」がぼっ発した。
日本が王桜の自生地を「済州島」と認めないため、論争が続いた。しかし、2018年、韓国山林庁の国立樹木院がゲノム解析(遺伝情報の解読)を実施して遺伝情報を完全に解読し、済州の王桜と日本の王桜は異なる種だということが確認され、論争に終止符が打たれた。
国立樹木院は18年のゲノム解析によって、済州の王桜が済州に自生するエドヒガンを母系、ヤマザクラを父系として生まれた自然交雑種であることを確認した。さらに、国立山林科学院は、漢拏山を中心に済州地域の173か所で194本の王桜が自生していることを確認。一方、日本の王桜はエドヒガンを母系、オオシマザクラを父系として数百年前に人口交配によって作られた雑種であることが明らかになった。
オ・ジェヨン記者
註:日本語記事では中途半端に王桜とソメイヨシノを分けていますが、元記事は全て王桜です。唯一、“日本の王桜は「ソメイヨシノ」と呼ばれる ” の括弧の中だけ「소메이요시노」(ソメイヨシノ)と、日本語言えばカタカナやひらがなのように、染井吉野を音で表記しています。
【追記】元記事『‘일본 사쿠라 뽑고, 제주 왕벚나무 심기’ 운동 시작된다』(2022.01.26 13:30)
カイカイ反応通信:「日本の桜を抜いて、済州の王桜を植えよう」運動始まる=韓国の反応
* * * *
桜に関する記事で韓国語の記事が悪質なのは、日本語のように、染井吉野と王桜を書き分けない事です。〔どちらもワンボッコ(王=ワン+ボッコ=桜)〕おそらく、ここは曖昧にしておきたいのだと思います。以前も、ワシントンD.C.の染井吉野をワンボッコだと主張していたことがあり、隙あらば、染井吉野の起源を主張する(あるいは、そう誤解させる)意図を感じられます。
過去の記事でも書いたのですが、今回は時系列にまとめます。
まず、記事にも書かれているように、染井吉野と王桜は別品種です。しかし、1959年まで、日本人も済州島の桜と染井吉野を混同していました。
- 韓国人が “日本の王桜” と呼ぶ染井吉野は江戸末期に染井村=現・東京都豊島区=で創り出された、エドヒガン(母系)と伊豆七島に自生するオオシマザクラ(父系)とを交配させたF1(=第1世代の)ハイブリッド(=交配種)であり、園芸種。最初は「吉野桜」の名で売り出したとされる。
学名は、「Cerasus × yedoensis (Matsum.) Masam. et Suzuki」。
- 済州島のソメイヨシノこと「王桜」は、自生するエドヒガン(母系)とオオヤマザクラ(父系)が自然に交配してできたF1ハイブリッド。自生のため、更にF2も生まれて、個体差がある。
学名は「Cerasus ×nudiflora (Koehne) T.Katsuki & Iketani」。
【年表】
1884年~86年(明治17年~19年) 上野の桜を調査。この時、甲種(彼岸桜や江戸彼岸、etc.)、乙種(山桜や各種の里桜)、丙種(染井吉野)の三種類に分けている。(※1)
1900年(明治33年) 1月25日発行の『日本園芸雑誌』に「染井吉野」と言う名前が登場。(※1)
1901年(明治34年) 東大教授・松村任三博士により、「Prunus yedoensis Matsumura」の学名が付けられる。(※1)
1908年(明治41年) 【朝鮮】済州島でフランス人神父タケーが桜を発見し、1912 年にドイツ人植物学者ケーネがこれを新種として認める。
1916年(大正5年) 中井猛之進博士(朝鮮の植物研究者)が「済州島漢摯山の森林に生じ稀品なり。分布、日本に広く栽培すれど、その産地を知らず」と記しており、この頃は済州島の桜と染井吉野を混同していた。(※1)
1912年~20年 ワシントンD.C.のポトマック河畔に染井吉野が植えられる。
1932年(昭和7年) 京都大学の・小泉源一博士が「染井吉野の原産地は済州島で幕末に日本に持ち込まれた」と主張。(※2)
1959年(昭和34年) 小泉説に疑問を持った竹中要(植物遺伝学者)が調査し、染井吉野はエドヒガンとオオシマザクラの雑種だと発表。(※2)竹中は済州島にも調査に行っている。これにより、小泉説は否定された。
なお、その後の研究で、①人為的な交配で上野公園で選抜された、②染井吉野の両親の遺伝子型が判明、③染井吉野の原木が推定できた、という流れのようで、上野公園の「染井吉野の原木」とはこのことのようです。(※3)
: : :
2018年(平成30年) 【韓国】韓国国内で行われたゲノム解析により、ようやく韓国人も染井吉野と王桜が別種であると認める。
* * * *
上記の年表には入れませんでしたが、論文等(※2、4)によると、独立後の韓国で、一旦は「日帝残滓」として多くの桜が切り落とされます。
1905年に朝鮮の鎮海を軍港として整備した日本人が染井吉野を植えますが、戦後、多くの桜が切られました。しかし、1962年に朴万奎、夫宗休2名の植物学者が、鎮海の桜は済州島の王桜だと主張し、(つまり、ここで、「日本の染井吉野は済州島が起源」説が起き、)「我が国固有の“染井吉野”を再び植えよう」という事になり、1974年の朴正熙の大統領令による 「桜の大植樹運動」 が展開されると、日本から日本人と在日同胞等が協力して贈った染井吉野を植樹します。これで、鎮海は再び桜の名所となりました。
ここで興味深いのは、朴正煕大統領が、染井吉野の起源を済州島だと勘違いしていたとしても、桜を国民の統合のシンボルにしようとしたことです。単に桜(染井吉野)を美しいと思っていたのか、パッと咲いてパッと散る桜に軍人として惹かれたのか...。以前のエントリー(『韓国「反日主義」の起源』雑記7 - 朴正煕)にも書きましたが、彼は、“日本的な精神” というよりも、日本をお手本にして韓国人独自の精神を打ち立てようとしてたように思えます。
そして、今、「2050年までに全国の公園と公共施設をはじめ街路樹用として、日本原産の桜の木ではなく済州の王桜を植えよう」という「王桜プロジェクト2050」が発足した、というわけです。
もう、勝手にすれば?w
【参考文献】
※1 『サクラの研究(第一報) ソメイヨシノの起源』 竹中要/1962年3月26日
※2 『日本のソメイヨシノと韓国のワンボンナム (王桜) の授業』 三橋広夫/日本福祉大学子ども発達学論集 第8号 2016年1月
※3 ”ソメイヨシノ”の起源を解明 https://www.nacos.com/jsb/06/06PDF/127th_307.pdf
※4 『36万本が咲き乱れ…軍港・鎮海の桜に秘められた日韓110年の歴史を紐解いた』 産経新聞/2016/5/1
シンシアリーのブログ『「桜」、韓国では表記すら安定していない』
« 【ラムザイヤー論文】李宇衍博士のワーキングペーパー:朝鮮の特殊事情 | トップページ | 【歴史戦】佐渡金山、一転ユネスコ世界遺産申請へ »
« 【ラムザイヤー論文】李宇衍博士のワーキングペーパー:朝鮮の特殊事情 | トップページ | 【歴史戦】佐渡金山、一転ユネスコ世界遺産申請へ »
コメント