【ラムザイヤー論文】『太平洋戦争における性サービスの契約』を日本語で読む(2)
『太平洋戦争における性サービスの契約』を日本語で読む(1)の続きです。誤訳もあるかと思うので、参考程度にして下さい。
マーク・ラムザイヤー教授の論文『Contracting for sex in the Pacific War』(太平洋戦争における性サービスの契約)は既に左記のリンク先(『IRLE』誌の該当論文のページ)で無料で公開されています。
今回もまず目次を提示します。翻訳対象の部分は赤字の部分です。
当時、基本的に売春婦は認可制でした。つまり、「公娼」です。認可を得ずに営業する売春婦は「私娼」であり、江戸時代、名目上は宿場町の飯屋の給仕として売春をしていた飯盛り女がいたように、酌婦や女給という名目で働いていた女性もいました。
* * * *
1. Introduction/はじめに
2. Prostitution in Prewar Japan and Korea/戦前の日本と朝鮮における売春
2.1. Introduction/はじめに
2.2. Japan/日本
1.公娼
2.契約の論理
3.私娼
4.からゆきさん
2.3. Prostitution in Korea/朝鮮における売春
1.状況
2.契約
3.朝鮮人の海外売春
2.4. Recruitment in Japan and Korea/日本と朝鮮における慰安婦の募集
1.日本
2.朝鮮
3. The comfort stations/慰安所
3.1. Venereal disease/性病
3.2. Contract duration/契約期間
3.3. Contract prices/契約金額
3.4. Contract terms/契約条件
3.5. Prostitute savings/売春婦の貯蓄
3.6. The closing years of the war/終戦の年
4. Conclusion/結論
References/参考文献
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2. 戦前の日本と韓国の売春事情
2.1. はじめに
慰安所は、日本と韓国の民間売春宿の海外における軍事的な類似物として運営されていた。日本であれ韓国であれ、売春宿は人を雇い、女性は仕事を探していた。これらの取引では性的サービスが問題となったが、売春宿と娼婦という2つの当事者が交渉した取り決めには、双方がお互いに保有する資源や代替機会を反映した経済論理があった。斡旋業者や売春宿は嘘をつくことができるが、娼婦たちはそれを避けたり、お金を受け取って逃げたりすることができた。女性達はそれを理解していた。売春宿は彼女たちを他の女性と入れ替えることができたが、彼女たちは他の仕事を見つけることができた。もっとも、より低賃金にはなるが。確かに、親が娘を売ることもあったし、売春宿が女性を罠にかけたり、事実上の監禁状態にすることもあった。しかし、契約上の取り決めに対する経済的論理(以下に詳述)は、売春宿がすべての女性、あるいは大多数を罠にかけたり監禁したりすることはできなかったし、そうしなかったという事実を反映している。
彼女たちは、他の魅力的な経済機会をほとんど持たない人々であったが、いくつかの機会を持っており、契約の条件は、彼女たちがいくつかの機会を持っていることを知っていたことを示している。彼女たちは、それらの選択肢ではなく売春を選んだのは、売春がより高収入であると信じていたからである。斡旋業者は嘘をつくことができた。売春宿のオーナーは不正をする可能性がある。親が子供を虐待したり、女性たちが稼いだ前金を盗んだりする可能性もある。しかし、女性たちは斡旋業者が嘘をつく可能性があることを知っており、売春宿のオーナーが不正を行う可能性があることを知っていたと言う事は契約書が示唆している。女達は虐待する親に黙って従っていたわけではないのである。
2.2. 日本(における売春)
1. 公娼 ー (a)文書化された契約 ー 戦前の日本では、売春は許可制の産業であった(Ramseyer, 1991を参照 ※)。1924年には、50100人の娼婦が11500の売春宿で働いていた(福見 1928:50-56, 178; 草間, 1930: 14-26)。脚注〔2〕
※ラムザイヤー教授は既に1991年に日本の公娼制度についての論文を書いており、この章ではそれを要約している。
(a)売春宿は女性(またはその親)に一定の金額を前払いし、その代わりに女性は(i)借金を返済し終える期間、あるいは、(ii)契約期間のいずれか短い方の期間働くことに同意した。
(b)1920年代半ばの平均的な前払い金額は1000円から1200円程度であった。利息は課されなかった。
(c)契約期間は6年が最も多かった。(契約の70~80%)、
(d)一般的な契約では、売春婦の売上から、まず、3分の2から4分の3を売春宿が取り、残りの内60%を借金の返済に充て、その残額を売春婦が受け取った。
前金がどのくらいの割合で売春婦本人に支払われていたのか、本人に代わって親が受け取っていたのか、あるいは虐待をする親が受け取っていたのか、詳しい資料はない。しかし、売春婦は囚人ではない事に留意すべきである。東京のような都市では、売春宿を出て、匿名性の高い都市環境に紛れ込むことも容易である。そのようなことがあった場合、売春宿は彼女たちの親を訴えて、前金を請求することになる(売春婦の父親は通常、保証人として契約書に署名する)。このようなことがたまにしか起こらないということは、ほとんどの売春婦が自分で仕事を選んだのではないかということを示唆している(もちろん証明はしていない)。彼女たちは恐らく心の中ではそれが最悪の状態の中での最善策であると思って、自らこの仕事を選んだのだろう。
(b)現実の契約 ー 実際には、売春婦たちは3年ほどで前金を返済して辞めていった。確かに、歴史家たちは、遊女たちがいつまでも借金をし続けるように、衣食住の料金を操作していたに違いないと主張することがある。しかし、少なくとも大規模にはそんなことはしなかった。大きな資本を投入した売春宿であるのだから、最初の契約を反故にすると将来の募集に係るコストが高くつくことを認識していたのだろう。売春宿は、収入に関係なく、6年後に無借金で辞められることを明確に約束しただけでなく、その約束を守ることが多かった。
もし、売春宿が衣食住の料金を操作したり、条件をごまかしたりして、売春婦を借金漬けにしていたとしたら、少なくとも30歳までは、公娼の数は一定に保たれていたはずである。娼婦の最低年齢は18歳であった。1925年には、東京の認可された売春婦は、21歳は737人、22歳が632人いた。しかし、24歳は515人、25歳は423人、27歳は254人しかいなかった(福見、1928: 58-59)。
同様に、売春宿が娼婦を「借金づけの奴隷」にしていたのであれば、この業界にいる年数は6年以上で一定しているはずである。しかし、調査対象となった42,400人の娼婦のうち、2年目、3年目が38%、4年目、5年目が25%、6年目、7年目がわずか7%であった(伊藤, 1931: 208-11; 草間, 1930: 281)。約5万人の娼婦のうち、1922年には18,800人が新たに娼婦として登録し、18,300人が登録を抹消した(山本、1983: 388; 伊藤、1931: 211-13)。一般的な在職期間が約3年であることから、1年ごとに3分の1が入れ替わっていたことになる(恵志、1933年:96-98;草間、1930年:227-28)。
(c)一例として、簡単な計算をしてみよう(警視庁, 1933:96-98; 草間, 1930: 227-28)。1925年には、東京にいる4,159人の認可売春婦のもとに、延べ374万人の客が訪れた。飲食代を除けば1,110万円の出費であった。そのうち売春婦の取り分は31%の340万円で、一人当たり655円になる。このうち31%の340万円、1人あたり655円が遊女の手元に残る。標準的な契約では、売春婦はこのうち60%(393円)をローンの返済に充て、残り262円が手元に残った。最初に借りた1200円を約3年で返済したことになる。1925年の成人の平均的な工場賃金(男女とも、部屋と食事は提供されていない)は1日1.75円、1935年は1日1.88円であった(社会, 1936: 53; 大里, 1966: 68)。収入を得るために、1924年の娼婦たちは一晩に平均2.54人の客を相手にしていた(警視庁, 1933: 96; Kusama, 1930: 220-21; 上村, 1929: 492-501)。月に28晩ほど働いていたことになる(恵司,1933: 96-98)。
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〔2〕これらの契約の詳細については、福見(1928: 70, 97-99, 115-16, 220),草間(1930: 206, 211, 283),大久保(1906),伊藤(1931: 229),中央(1926: 412-15)を参照。
2.契約の論理 - (a) 信頼できる約束 - この免許制業界における年季契約は、「信頼できる約束」という分かりやすいゲーム理論の論理を反映している(Ramseyer, 1991)。若い女性たちは、売春が危険で過酷なものであり、自分の評判に大きな打撃を与えるものであることを理解していた。さらに、彼女たちは、たとえ短期間で辞めたとしても、そのような風評被害を受けることを理解していた。斡旋業者は彼らに非常に高い賃金を約束するが、斡旋業者が甘言を言うことを見透かしていた。
結果として、若い女性が売春宿で働くことに同意する前には、仕事に伴う負の特性を補うのに十分な高額の賃金を得ることができるという信頼できる保証が必要だった。もし、この業界に入ることに風評被害がないのであれば、彼女は数ヶ月間仕事をしてみて、どれくらい稼げるのかを確認することができる。しかし、短期間の仕事でも風評被害を受けてしまうため、斡旋業者の言う事をを簡単には確認できない。
そこで女性たちは、斡旋業者に対し、この約束事の信用性の問題を克服するために、収入の大部分を前払いし、働かなければならない年数に上限を設けることを求めた。売春宿が彼女に1,000円を前払いし、最長で6年と設定した場合、彼女は自分が最低限稼げる金額が分かることになる。また、早く返済すれば(多くの娼婦はそうしていた)、さらに高い実質賃金を得られることもわかっていた。
一方、売春宿の方も売春婦達に客を喜ばせるインセンティブを与える方法が必要だった。彼女たちは、監視の目が届かない環境で過酷な仕事をしているのである。売春宿が彼女たちに固定給(例えば、前金の1,000円と6年間の固定給)を支払えば、彼女たちが客さんを喜ばせようとするインセンティブはほとんどない。最長6年の契約期間に加えて、早期に辞めることができるようにすることで、売春宿は売春婦に客を喜ばせようとするインセンティブを与えたのである。客がつけばつくほど、彼女の収入は増えていく。
(b)融資 ー これらの契約を通じて、売春宿は女性やその親に融資をしていたのは明らかだ。もし、彼女や彼女の両親が資金を必要としているのであれば、それを提供する雇用契約を提示した。19世紀の若いヨーロッパ人男性は、北米への渡航費を支払うために現金を必要としていたが、その前金を提供するのが弁済契約〔redemptioner contracts〕(年季奉公の一種)である。売春婦の場合も同様に、女性が働くことを約束することで、融資が可能となった。
しかし、この労働市場の二つの側面は、融資の需要が性的サービス市場におけるこのような契約の使用を説明しないことを示唆している。まず、他の労働契約では、契約時にローンを組むことはほとんど無かった。例えば、親が貸付金を必要としていたとする。娘が売春宿から現金を借りることができれば、息子だって工場から現金を借りることができたはずである。しかし、息子や娘が雇用契約時に多額の貸付金を受け取ることはほとんどない。他の業界の雇用主が新入社員にお金を貸すことは時にはあった。しかしそれは希なことであって、しかも比較的少額であった。
第二に、許可された売春宿は、すべての新規雇用人に前金を支払っていた。これから働こうとしている女性や親の中に1200円の現金貸し付けを要求する可能性はあるが、多くはそうでは無かった。タダで貰えるわけでは無いのだ〔返済しなくてはならない金なのだ〕。娼館は利息を取らなかったが、女性の収入を現在価値において割り引いていたことは明らかである。もし娼館が信用市場の需要に応えて多額のキャッシングを行っていたのであれば、ある者には年季奉公を行い、他の者には行わなかったであろう。しかし、〔この業界で〕契約と前金がセットになっていたのは、他の契約上の力学が働いていたことを示唆している。
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