『韓国「反日主義」の起源』雑記8 - 自己保身のための「反日」
今回は『『韓国「反日主義」の起源』(松本厚治 著/草思社 /2019/2/27)の「第七章 反日イデオロギーの成立」を読んでの覚え書きとブログ主が考えた事をまとめて、取り敢えずこのシリーズを終えようと思います。
◆情緒では親日、理性では反日
戦後言論人として活躍した崔禎鎬氏〔※〕が1970年代に「幼い頃は幸せだった」という文を書いています。〔p.562〕
子供の時の兵隊ごっこや童話、遠足を思い出しては懐かしいと書き、続けて「しかし、これらは我々の国を踏みにじった日帝のものだ...理性ではそうと分かっているのに、酒の一杯でも入れば、日本の懐かしのメロディに、やるせない感情にのめり込んでいく」という内容です。〔※同姓同名の1933年生まれの言論人で延世大名誉教授がいるので、恐らくこの方だと思います〕
この章では、他にも、1990年代に初めて来日したのに、日本見物に夢中で「なつかしい」を連発する老人とか、戦後40年も経って来日した時に初めて見る他国なのに郷愁を感じつつ、「支配民族の文化が郷愁のように感じられるなんて」と理性で日本を否定する作家の文が紹介されています。
朝鮮半島は、大東亜戦争の終結により、突然、日本から切り離されました。
それまで日本国民として内鮮一体を叫んで日本軍の快進撃に万歳を叫んでいたのに、それが敗戦で崩れ去ったのです。
韓国人は、日本統治時代のシステムが優れている事を知っていたので、戦後もそれをそのまま継承し、多くの『親日派』が要職に留まり大韓民国の礎を築きました。〔『韓国「反日主義」の起源』雑記1 - 親日派の国〕
李承晩が作った「反民族行為処罰法」で対日協力者が取り調べを受けましたが、多くは軽い罪で、1950年春までに全員が釈放され、竜頭蛇尾に終わっています。〔p.68〕 これも、日本統治時代の法治主義がまだ機能していたからでしょう。
1951年に出版された『韓国の人物』、名士録に掲載された人物の経歴には“日帝時代”の輝かしい経歴が掲載されていました。〔p.81〕
国軍も元日本軍兵士を中心に創設され、階級も日本軍や満州軍のものが継承されましたが、光復軍出身者は大半が予備役に回されました。〔p.70〕
韓国では、戦後、例えばフランス人がしたような、対独協力者(コラボラシオン)を断罪するような事は起こらなかったのです。
◆保身のための「反日」
よく、同じ日本統治を受けたのに「親日」の台湾と「反日」の韓国として比較されますが、それ以前の国としての歴史や制度も違うし、単純に「これ」という理由は言えませんが、その一つとして、戦勝国と敗戦国(の共犯者)の違いがあると思います。これは『第七章 反日イデオロギーの成立』を読んでブログ主が至った考えで、著者が台湾との比較をしているわけではありません。
台湾は、戦後、国民党により占領され、そのまま「中華民国」となったので、自動的に戦勝国となりましたが、その代わり、白色テロ(体制側からする政治的弾圧)により、知識人などが対日協力者として迫害されました。
しかし、韓国は、現代の国史教科書が教えているような “民族を挙げての激しい抵抗” の末に独立した国でもないし、米国により「第三国」とはされましたが、戦勝国民の地位が与えられたわけではありませんでした。いくら、光復軍が戦争末期に連合国側として参戦したと捏造しようにも、そんな事実はありませんし、現代の韓国人が言うように「日本がナチスのような悪の国」だとしたら、彼らはユダヤ人ではなく「ナチスそのものかナチスの協力者」でした。
だから、彼らは「日帝36年」の過酷な植民地支配の “被害者” になることで自己を精神的に防御したのだと思います。あるいは、日本に代わって統治する米軍に事大したのかも知れません。
日本のシステム、例えば朝鮮総督府や日本軍に「悪」を求めても、そこには朝鮮人もいたので、結局自分達に降りかかってくるため、日本民族そのものが邪悪とせざるを得なかったのです。
台湾人はこのような “精神的取り繕い” をする必要はありませんでした。中華民国に支配されて戦勝国となったからです。
そして、李承晩政権時代から軍政期にかけて「倭色文化」が規制され、教育の場では「邪悪な日本民族」説が教えられ、こうして、「『親日』と『反日』のキメラのような国」〔p.527〕ができあがっていきました。
実体験としての日本統治時代の記憶は封印されたまま、この世代がこの世を去ったり、現役から退いて影響力が無くなると、「日帝は世界史で類例を見出せないほど徹底した悪辣な方法で、我が民族を抑圧、収奪した」(1996年/高校用『国史』)という「public memory(公的な記憶)」が “事実” として定着しました。
◆「国体」のない国
この自己保身のための「反日」が国家イデオロギーに発展するのですが、李栄薫博士が洪熒氏とのインタビューでいみじくも言ったように、それしか国をまとめるものがなかったからです。
この国には「右翼」がいない、と著者は言います。それは「右翼」が守るべきもの〔=国体〕がないからです。
日本の治安維持法を真似て作ったとされる韓国の国家保安法にもそれが現れています。
処罰の対象を、治安維持法では、「国体を変革する事を目的として結社を組織したる者(等)」となっていますが、国家保安法では「政府を僭称〔=(身分を越えて)自称する事〕し、変乱を惹起する〔=引き起こす〕目的を持って結社または集団を組織した者(等)」となっているそうです。〔p.538〕
宗教的な価値観とか、君主とか、アイデンティティの中心に据えるものがないのです。クリスマスが法定祝日である韓国ですが、キリスト教徒の国というわけではありません。
国民が戦って独立を勝ち取った国ならその英雄がいます。北朝鮮でさえ、捏造された英雄ですが、抗日パルチザンの英雄・金日成が凱旋帰国しました。が、30年間アメリカにいた李承晩が帰国した時、国民の殆どは「誰それ」状態〔※〕、最後は追われるように亡命したので、国民統合の象徴となる人物とは言えません。〔※ p.199 “wholly unknown inside Korea” (韓国内では全く知られていなかった)アメリカ国務省〕
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正直に言って、韓国の反日はどこから手を付けてよいのか、どこまで歴史を遡って修正したらいいのか分かりませんが、韓国の保守派の方々がやっているように、それぞれが得意分野で慰安婦神話や金九伝説、美しく平和な李氏朝鮮時代という幻想を切り崩していくしかないのでしょう。
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