『韓国「反日主義」の起源』雑記3-韓国伝統文化は近代に創られた(青磁を復活させたのは日本人)
このエントリーは、『韓国「反日主義」の起源』(松本厚治 著/草思社 /2019/2/27)を読んで、覚え書きなどを書き留めるものです。
今回は、今日「韓国的」とされる文化が、日本統治時代に創られたという事がテーマです。
まずは、以前もご紹介した動画ですが、朝鮮総督府鉄道局制作の観光PR動画(1939年)を再掲します。韓国人の百年歴史さん(백년역사CenturyHistory)が日本語字幕を付けてupしてくださったものです。
韓国語版と英語版の動画もupして下さっていますが、韓国語版のコメント欄にこのような簡潔なコメントがありました。
Sik
1 年前
우리가 배우는 조선의 이미지가 여기 담겨있네
機械翻訳:我々が学ぶ朝鮮のイメージがここに込められている。
それに対して、百年歴史さんは「정확한 지적이시네요(正確な指摘ですね)」と返していました。
韓国に多少関心のある方は、上記動画に出てくる「朝鮮」が、実際の李氏朝鮮末期の「朝鮮」とは大きく異なる事が分かると思います。まず、このように清潔ではありませんでした。
ここで見られる「朝鮮」は日本統治時代に復元されたり美化された「朝鮮」なのです。
冒頭に出てくる寺は「仏国寺」といい、「石窟庵」とともに世界文化遺産に登録されています。
2:00辺りから「石窟庵」が紹介されますが、これは1909年、雨宿りの為に洞窟に入った郵便配達夫が偶然に見つけたもので、発見当時は崩れた状態だったのを日本人が修復しました。
つまり、当時の朝鮮人は、文化財的な見地は全く持ち合わせておらず、こうした史跡もほったらかしだったのです。
当時は最先端の技術であるコンクリートで修復しましたが、韓国では日帝が嫉妬して毀損したと教えています。
『韓国「反日主義」の起源』によると、有名な高麗青磁も遙か昔に技術が途絶えていたので、優品のほとんどは出土品で、その価値が認識されるようになったのは、日本で朝鮮陶磁熱が高まった後だそうで、陶磁に見識があった実業家の富田儀作が私財をなげうって復活させたものだそうです。〔同書、P.449/富田儀作で検索した所、有田町歴史民俗資料館の館報〔PDF〕が見つかりました。(該当ページ画像)〕
高麗時代は仏教が国教でしたが、李氏朝鮮時代になると「崇儒廃仏」(儒教を崇拝し、仏教を廃する)で、仏像はうち捨てられ、また、労働を卑しいものとしたため様々な技術が失われました。
朝鮮の歴史や遺物などを整理したのは日本人です。
例えば、朝鮮総督府は15年の歳月を掛けて、37巻、2万4千ページもの『朝鮮史』を編纂しました。また、朝鮮全土の古建築や遺構、石碑や石像を調査して『朝鮮古跡図譜』15冊にまとめました。その他にも、1万3千人もの人物の事跡を収録した『朝鮮人名辞書』を編纂し、民俗学や朝鮮語学も日本人により研究されて書物にまとめられました。
李氏朝鮮時代は、礼楽法度、衣冠文物、あらゆる事を中華に従い、大国に事大する小中華の国でした。
しかし、江華島条約によってシナからのくびきを解かれ、嘗てあった朝鮮的な伝統文化を取り戻したのが日本統治時代だったのです。
但し、その伝統は既に途絶え、どのようなものであったかを裏付ける史料はほとんどありません。そこで、朝鮮人は、日本を象(かたど)って、嘗てあった(かもしれない)文化を再構築し始めます。「古代韓国の文化は本家では失われたが、日本に伝わって発展した」というロジックです。
これが現代韓国の「パクリ」文化に繋がります。
次回に続きます。
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コメント
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>かんぱちさん
「乳出しチョゴリ」に関しては、「跡継ぎ(男子)を生んだ妻」の特権みたいなもので、日本にも既婚女性の「お歯黒」みたいな変な文化があったので、いいのですが、
>「朝鮮には車輪を作る技術も、服を染める技術も無かった」
は、「技術者」(職人)を蔑んだ朝鮮文化の弊害として記憶されるべきでしょうね。
以下は蛇足。
私は「士農工商」を『身分制度』だと習った時代の人間ですが、これ(士農工商)は儒教に出てくる言葉で、明治時代に万民が平等である事を強調するために引っ張り出してきた言葉だと大人になって知りました。つまり、「老若男女」みたいな「あらゆる人間」程度の意味しか無かったんですね。
江戸時代、武士がヒエラルキーの頂点にいた事は間違いないと思いますが、それ以外は「農民」か「町人」。
その「町人」から外れたアウトローが「穢多・非人」で、分かりやすいのは犯罪者でしょう。
だからといって、彼らが疎外されたかというとそうではなく、革細工とか職人として生きる術や、寺の手伝いをしたり、灯台守のような仕事は残されていましたし、こうした社会活動をしている以上、町民との交流はありました。
例えば、茶道で使う「茶筅」(お茶を点てる竹製の泡立て器みたいなもの)は、ある地域では穢多と呼ばれる被差別部落民が作っていたのです。
こういう流れで野球のグローブも元部落民の仕事。1年くらい前にNHKの鶴瓶の番組でグローブの産地を取りあげていましたが、その地域は有名な元部落でした。
浅草の弾左衛門(だんざえもん)も、卑しい身分ではありながら、弾左衛門という名前を代々受け継ぐ金持ちで、ある意味「名家」でした。
アウトロー故にニッチな仕事をしたのですが、身分差別と職業差別は日本ではイコールでは無かった。一方、儒教タリバンの朝鮮では身分と職業が連動していたのです。
投稿: ブログ管理者 | 2021/12/23 05:18
おそらく併合初期の頃だと思われる、朝鮮の田舎の様子を撮った記録映像です。
【韓日友好】動画で見る 「❤乳出しチョゴリ❤」 文化被服学的資料 - YouTube
h ttps://www.youtube.com/watch?v=dO3L-Dh4wq0
歴史学者の宮脇淳子さんが仰っていた 「朝鮮には車輪を作る技術も、服を染める技術も無かった」 という話は事実であることがわかります。
投稿: かんぱち | 2021/12/22 22:52