『韓国「反日主義」の起源』雑記5-茶道に見る韓国の『パクリ』・『起源』主張
韓国では、韓国の「草庵茶(초암차/チョアンチャ)」が日本の「佗茶」(草庵の茶)の起源と言われているそうです。
後述する記事にありますが、金時習(김시습/1435年~1493年/号は「梅月堂」)という文人が朝鮮時代になって途絶えた高麗時代の抹茶道を復活させ、日本から来た使節に伝えたのが日本の佗茶の始まりと主張しています。
まずはその記事を機械翻訳したものをご紹介します。
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http://news.bbsi.co.kr/news/articleView.html?idxno=3053449
‘매월당 김시습 초암차법 재발견’...천태종 삼룡사 학술대회
「梅月堂・金時習草庵茶法再発見」···。天台宗三龍寺学術大会
入力 2021.12.17 17:15 修正 2021.12.17 21:48
修行者たちの禅茶「草庵茶」〔※초암차〕を日本に伝えた梅月堂〔※号:매월당〕・金時習〔※김시습/1435~1493〕〕の「草庵茶法」を伝承、研究するための動きが活発に起きています。
天台宗ソウルの三龍寺は、今日(17日)、智観殿で「梅月堂 金時習草庵茶法の再発見」をテーマに学術大会を開きました。
大会では中国の五百羅漢に上った禅師を源流とする禅茶文化を、梅月堂が500年ぶりに復元し、日本にまで影響を及ぼした「草庵茶」の地位をめぐり、活発な議論が交わされました。
特に松かさで火をおこしてお茶を沸かす方式の「チョアム茶」ならではの独特な伝統儀礼を再現して注目されました。
<ムウォン僧侶/三龍寺住職>
「たとえコロナ19で難しい時期ではありますが、私たちが願う功徳がこれからの韓国のお茶文化、さらには世界のお茶文化をワンランクアップグレードさせるきっかけになればと思います。"
<チェ·オクジャ/社団法人伝統礼儀振興会理事長>
「(梅月堂金時習が)昔の文献を見ると松ぼっくりで水を沸かしたのです。 松ぼっくりで再現してみて、 とても感動したんです。 火花はあまり強くもなく、長く燃え続けたからだ」。」
最初の漢文小説『金烏神話』の著者としてよく知られている金時習は、朝鮮初期、世祖の王位簒奪に憤慨して出発した放浪の旅で「草庵茶法」を研究し、朝鮮時代から姿を消した高麗の抹茶道を伝承しました。
また、慶州の龍蔵寺に滞在しながら日本国王使節団に「草庵茶法」を伝え、日本でも大々的に伝わり、韓茶文化が隆盛するきっかけとなりました。
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ハンギョレの記事より(2021-12-17)
>三龍寺の住職であり天台宗の宗会議長であるムウォン僧侶は、「新羅の高僧である浄衆無相が唐で禅茶を創始し、朝鮮時代に金時習の草庵茶が寺院を中心に広がり、士大夫と一般人にまで普及したものが、15世紀の日本に伝わり、日本が誇るわび茶が作られた」と述べ、「今回の学術大会を通じて、雪岑大師・金時習の清貧な生涯と節操の精神、韓国茶文化をあわせて光を当てることになるだろう」と明らかにした。
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上述したように金時習の生没年は1435年~1493年と、確かに村田珠光と時代が被っているのですが、佗茶とは、室町時代の豪華絢爛な書院茶に対し、村田珠光(1423~1502)が創始し、武野紹鴎(1502~1555)を経て千利休(1522~1591)が完成させた和敬清寂、つまり質素を旨とする草庵式の茶の事です。
つまり、茶道自体は日本の方が古いのです。これのどこに金時習が関わっているのでしょうか。あるいは、それを証明する史料はあるのでしょうか? ちなみに、韓国語のWikipediaの『金時習』の項には「草庵茶」に関する記述はありません。
しかも、ニュース映像で見てみましたが、茶杓で茶入れから抹茶を茶碗に入れ、釜から柄杓で湯を汲んで茶筅で茶を点てるという日本の茶道にそっくりなものでした。
以下は動画のキャプチャです。
更に突っこめば、立て膝座りではなく、正座をしています。
【追記】上記キャプチャを撮った動画の説明欄によれば、三龍寺住職のムウォン僧侶はこう言っているようです。「2006年度、草庵茶の発祥地である蔚山佛日庵の旧跡が明らかになり、梅月堂草庵茶の実体が一つ一つ明らかになり、韓国茶文化の発展のために梅月堂草庵茶法の研究成果を集大成して...」
つまり、500年前の梅月堂(金時習の事)が創設した草庵茶を継承してきた訳では無く、2006年頃から研究をし始めたと言っている訳です。
日本の茶道と異常なほど酷似したものが、朝鮮半島にはあるというのです。いや、現代の草庵茶が金時習の草庵茶を復活させたというなら、「あった」と主張しているわけです。
〔下の動画で、点前を最初から観る事ができます。〕
『韓国「反日主義」の起源』(松本厚治 著)によると、1980年代半ばまで、韓国茶道は「和敬清寂」を茶の心として掲げていたそうですが、これは千利休(1522~1591)の言葉です。
抹茶自体は中国から伝わったものなので、嘗て朝鮮にもあったとしてもおかしくはないのですが、李氏朝鮮時代に仏教弾圧と共に茶の文化はほぼ無くなり、朝鮮の人々は、釜の底に焦げ着いた飯に水を注いで熱したもの(スンニョン)を茶代わりに飲み、それ以外には麦茶とかトウモロコシのヒゲ茶のような、謂わば代用茶みたいなものを飲んでいました。
なお、「韓国 茶道」とGoogleの検索窓に入力すると、「水筒」とか「ポット」といった単語がサジェスト(suggest/示唆)されますが、よく見る水筒茶道は「茶礼(다례/タレ)という、煎茶のようなものを飲む茶道のようです。
一応、水筒ではなく、土瓶(笑)で湯を入れる手前もあるようです。
もちろん、もてなしの心が重要なので、家庭などで盆略点前のような形で茶を点てるなら、ポットでも鉄瓶でもいいのですが、伝統的な点前として人前で披露するのに、水筒はないだろwと思います。
Wikipedia『茶礼』の脚注〔7〕にある「東アジアの茶道と茶の湯」(中国社会科学院日本研究所 張建立)という論文には、以下のように書かれています。
朝鮮の茶道に関して、今のところ、これといった研究はなく、資料集的には参考になるのは、金明培『韓国の茶道文化』(ぺりかん社 1983年)だけである。
金明培氏は、茶道が日本独特の文化であるという説に反対し、さらに「茶や茶種、飲茶の風習が中国から伝来したといって、茶道の成立も中国が先であったと断定することはないのである」と指摘した上で、新羅の花郎が喫茶用の櫻筒を製作したことをもって、茶道の創立は韓国が先だと主張している(『韓国の茶道文化』50頁)。しかし金氏がその論を立証するために使用した史料は、同時代のものではなく、すべて 11世紀以降の史料に載せられた伝説で、どこまで信憑性があるのか判断しがたいものである。また、たとえそのすべてが真実だと認めたとしても、喫茶用の櫻筒を製作したということだけを根拠に、最初に茶道が創立されたのは韓国だというのは、どうも無理があるように思われる。
張建立氏プロフィール:1970年中国内蒙古に生まれる。1993年内蒙古大学外国語学院日本語学部卒業。1996年南開大学日本研究院修士課程修了。日本思想史を専攻。同年4月茶道研修のため来日。1999年裏千家学園茶道科卒業。2000年同研究科卒業後、今日庵より茶名宗建を授与される。2003年3月立命館大学大学院文学研究科博士課程修了、文学博士号取得。川嶋将生先生に師事し、日本文化史を専攻〔『茶道と茶の湯―日本茶文化試論』 単行本 – 2004/2/1より〕
ブログ主には、ここまで厚顔無恥になれる韓国人が理解できません。
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>かんぱちさん
現代の北朝鮮に「伝統工芸品」の類いが全く無い事を考えれば、現代韓国の伝統工芸品が、日本統治時代に日本人によって再現した俄(にわか)文化だと分かりますね。
伝統文化には、大きな流れと、民間に細々と伝わる芸能や文化がありますが、李氏朝鮮時代に大きな流れは断絶してしまった。李氏朝鮮時代には朝鮮が中国化してしまった時代だから。
現代韓国人には、よく中国人と論争している「韓服」とか「キムチ」とか、そういうものしか「伝統」と呼べるものが無いのでしょう。
投稿: ブログ管理者 | 2021/12/23 04:39
韓国で 「伝統文化」 とされているものが、本当に昔から朝鮮半島にあったものかどうかは、北朝鮮を見ればわかる・・・と誰かが言ってましたね。本当に朝鮮半島の伝統文化なら、似たようなものが北朝鮮にもあるはずだ、と。
考えてみれば、漢字の廃止や親日派の粛清などを徹底して行なった北朝鮮のほうが、本来の朝鮮の姿に近いんですよね・・・。
投稿: かんぱち | 2021/12/22 22:57