公開:2021-12-26 09:58:15 最終更新:2021/12/27 6:05
『韓国「反日主義」の起源』(松本厚治 著/草思社 /2019/2/27)で最も言及される回数が多いの大統領は朴正煕(1963年~1979年)です。
大統領としての資質や能力の問題ではなく、あくまでも「反日主義の起源」というテーマに沿って語られます。
西岡力教授が度々動画などで仰っていますが、朴正煕大統領は「親日か反日かを問われたら『反日』だ」と、「反日」を公言していたようですが、実際は実に日本的な所があったようです。
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朴正煕は1917年の生まれで、「私は22歳まで日本人だった」と言った台湾の李登輝総統(1922年生まれ)より5年長く、27歳まで日本人として過ごした。新京(満州の首都、現長春)軍官学校を首席で卒業、陸軍士官学校で学び、陸軍大臣表彰まで受けている。
吉田松陰や久坂玄瑞等の維新の志士、2.26事件の青年将校を敬慕していた。趣味は詩吟で、クーデターの決行前、夜ごと「川中島」を吟じていたという。
伝記作家(李祥雨)は、朴正煕を、日本に精神的故郷をおいた人物と評している。
〔以上pp.131~132より要約〕
1962年、革命最高会議議長の資格で訪日した朴正煕は、池田勇人首相主催の晩餐会で、元満州国軍官学校校長の席に歩み寄り、二回も頭を下げた。お酌したと報じられ、長く語りつがれる事件になっている。
〔p.96/朴正煕自身が同窓生達に会えるよう手配を頼んだとの事【李祥雨】〕
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一面、彼は「韓国史観」を形成する必要を説き、民族精神の昂揚に力を尽くした人だそうです。〔p.568/『韓国の近代化のために、わが国民族革命の課題』(朴正煕)〕
李舜臣を祀り、安重根記念館を建て、今も続く日本文化規制の骨骼を作りました。〔映画やレコードの輸入禁止、日本音階の歌を倭色歌謡として取り締まった。これを一部解禁したのが左派の金大中。〕
【2021/12/27追記】調べた所、「倭色文化」の禁止を始めたのは主に50年代からで李承晩時代のようです。但し、朴正煕時代は禁止曲リストが作られたり、更に強化されたようです。〔『「文化的国境」と「想像された禁止」―50−60年代韓国大衆文化における「倭色」の文化政治―』金 成玟/後述【韓国に於ける倭色文化の規制】参照〕
朴正煕自身は日本の侍映画が好きで、日本に派遣されていた中央情報部要員を通して日本からビデオを取り寄せて見ていたとの事。〔上記論文および『韓国「反日主義」の起源』p.568〕
本には書いてありませんが、サイコパスのような殺人鬼の金九を民族の英雄にしたのも朴正煕です。
今ようやく韓国では、金九が再検証されており、最近は『反日種族主義』の著者のお一人、鄭安基(チョン・アンギ)博士がネットメディアで講義されて、国民も金九の実態を知り始めた所です。
ちなみに、鄭安基博士は2015年、高麗大学で講義中に「植民地支配のおかげで60年代の経済成長が可能だった」旨発言して大学を追われた方です。〔記事後述〕
この本の著者は、朴正煕の心理について想像してはいませんが、ブログ主にはなんとなく想像できます。
朴正煕は、「日本軍の精神戦力は世界最高水準だ」と評価し、「日本軍の強さは兵士個々人の精神力の中にこそあった」と語っていたそうです。〔p.93〕
彼は軍人であったが故に、日本の「大和魂」とか「武士道」のようなものに憧れ、同じようなものを韓国人に植え付けたかったのではないか?というのがブログ主の想像です。〔もしかしたら、朝鮮戦争での韓国軍兵士のへなちょこぶりに、日本軍との違いを痛感したとか?〕
そして、「韓国史観」を打ち立てるには、韓国文化から「倭色」を取り除く必要があったのだと思います。しかし、「これを失ったら韓国らしさが無くなる」というものを日本統治以前の朝鮮に求めても、そこには「小中華」があるだけです。結局、抗日の英雄を引っ張り出すしか無かったのだと思います。
韓国保守は、「左派」に対抗するために、国の英雄として李承晩と朴正煕の名前を挙げます。
ブログ主も、朴正煕大統領は優秀な日本軍人だったために現実主義者で、有能な実務家であったと思います。一方、李承晩は、任文桓氏の書いた『日本帝国と大韓民国に仕えた官僚の回想』を読んでも、夢想家であり、実務能力は低かったと感じます。
二人の大統領の反日も、『韓国「反日主義」の起源』の著者によると、李承晩は底が浅い反日だった。李承晩に関しては、例えば日韓のサッカーの試合がある時は、「日本に負けたら玄界灘に身を投げろ」と言明するような幼稚な反日です。一方、朴正煕は信念のある反日と言えるでしょう。
この二人は、左派によって誹謗中傷されるので、保守派はそれに反論するためにしかたがない面もありますが、「無謬性」(誤りの無い事)を追い求めすぎる気がします。
『反日種族主義』を打破するためには、李承晩や朴正煕の「反日」にも目を向ける必要があると思います。
最後に、ブログ主は未読ですが、最近日本語訳が出版された『帰属財産研究』の書評に書いてあった事を引用して終わります。
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韓国政府の「でたらめ」な管理体制
詳細はご一読を乞うのだが、米軍政の場合は「米国式の理想主義に偏りすぎて韓国の実情に合わない非現実的な政策を追求したり、確固たる原則や一貫した方針もなく」管理していた。
これは大韓民国初代大統領の李承晩(イ・スンマン)の姿勢と重なっている。李承晩は「米国式の自由企業主義に対する確固たる信念を持っていた」うえに、帰属財産の譲渡を受けた際に、アメリカと「帰属財産の引き受けと管理を行う別途の機構を設置することで合意」したのにそれを履行しなかったのだ。
もちろん、アメリカは痺れを切らして韓国側に抗議する。だがその後も、「でたらめ」で、いわばだらだらとした管理体制が続いていく。
帰属財産を効果的に活用したのが、日本式の経済構造を積極的に取り入れた朴正煕(パク・チョンヒ)政権であった。だがそれ以前の韓国政府は、自分の政治的イデオロギーに侵されて、本来活かせるはずの産業資産を、活かすことができなかった。それが成立直後から60年代初頭までの韓国政府の失態であったのだ。
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【韓国に於ける倭色文化の規制】
「映画及び演劇検閲に関する脚本に関する件」(1955年)、「映画検閲要項」(1955年)、「外画政策方向提示」( 1 9 5 5 年 ) 、 「 映 画 検 閲 基 準 初 案 」 ( 1 9 5 5年 ) 、 「 外 画 輸 入 に 関 す る 臨 時 措 置 法 案 」(1955年1)、「国産レコードの制作および外国輸入レコードに対するレコード検閲基準」(1955年1)などの「検閲」に関する施行令による反日主義的検閲や、出版物、映画、レコードの輸入統制、密輸によって流通されていた書籍、商品の押収などが実施された。とくに映画に関しては、1958年文教部が「韓国映画作家協会」に送った通告文の13の項目のうち第1項目が倭色に関する内容であることが示しているように、「日本の作品の模作、倭色の映画化、日本語、日本の衣装や風俗の映画化」に対する厳格な禁止が実施された(李 2009:416-424)。
脚注より
1 0 「倭色一掃に韓国青年会 300 人動員」『朝鮮日報』1946 年 8 月 29 日。
1 1 「倭色の一掃」『京鄕新聞』1949 年 10 月 17 日。
1 2 「倭色を一掃しよう」『東亜日報』1949 年 3 月 10 日、「家庭のものは返還。倭色レコードの過度な押収」「『朝鮮日報』1952 年 9 月 5 日。
1 3 「倭色をなくそう」『東亜日報』1948 年 10 月 14 日。
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以下、記事を機械翻訳ママ。
https://m.khan.co.kr/national/national-general/article/201509221614201
정안기 교수 강의 녹취록 보니...“식민지배기 덕에 60년대 경제성장 가능”
チョン·アンギ教授の講義録を見ると…「植民地支配のおかげで60年代の経済成長が可能」
キム·ジウォン記者
2015.09.22 16:14 入力
「その時代、すべてが親日派だった」「慰安婦はお金を稼ぐために日本に残ったもの」などの発言で物議をかもした高麗(コリョ)大学の鄭安基(チョン·アンギ)研究教授(関連記事|9月19日付)が授業中、このほかにも「日本は数回謝罪したが、韓国が認めなかったもの」「当時、1905年の密約を通じて国際社会が朝鮮が日本の植民地であることを認めたため、責任を要求することはできない」などの発言を追加したという。
【画像】22日午後、高麗大学校の政経大の裏門に貼られた「鄭安基教授糾弾大字報」を読んでいる学生たち
京郷新聞が匿名の高麗大学の学生から入手した今月15日の<東アジア経済史>講義の録取録全文内容によると、鄭教授は授業時間に親日、慰安婦関連問題に関する発言以外にも授業全般で問題の余地のある発言を多数繰り返していたことが明らかになった。
この録音内容によると、チョン教授は15日の授業でソウル大のイ·ヨンフン教授のコラムを配った後、「第2次世界大戦前までは帝国主義の時代だった。 誰が先に植民地化させるかがまさに当時の'万国公法'だった」とし「もし日本がここ(韓国)を植民地化しなかったとすれば、当時の韓国の状況を見ると、絶対に自ら国家を守ることはできなかっただろう」という意見を提示した。
続いて「70年が過ぎてしまった過去の問題が今日の東アジア関係の障害になってはならない。 歴史解釈の問題は学者に任せておけばよく、それが外交政治に問題になってはならない」とし「歴代の多くの日本首相が謝罪したが、韓国社会が(引き続き)認めていないため、日本社会も憤らざるを得ない」と述べた。
チョン教授の発言に対し、当時授業を受けていたある学生は「ドイツは周辺国に謝罪をとても長くしたと聞いているが、ドイツの事例を参考にするなら、日本ももっと努力すべきではないか」と質問した。
これについてチョン教授は「ドイツは(支配期間が)短かったが、韓国の場合、3~40年を超える強占期を経て、誰(責任者)を指名することはできない状況」とし「また1905年の密約を通じて国際社会で当時韓国が日本の植民地ということをすべて認めた状態なので、責任を要求できない状況」と答弁した。
当時、講義の末尾でチョン教授は「植民地時代はある脈絡で見れば近代文明を積極的に吸収、体化できる一つの社会的能力の培養基として新しく解釈することができる」とし「そんな(植民地期)過程を経たからこそ60年代の韓国経済が飛躍的成長することができた」と述べた。
チョン·アンギ教授の講義録を見ると…「植民地支配のおかげで60年代の経済成長が可能」
これを受け、高麗(コリョ)大学総学生会、政経大学学生会、各学部学生会などは22日午後、高麗大学の民主広場で鄭教授の発言を糾弾し、解任を要求する記者会見を行った。
同日の記者会見で、高麗大学の学生たちは、鄭教授の公開謝罪と解任を主張し、もし学校が即時措置を取らない場合、授業拒否に入ることを明らかにした。
高麗大平和蝶のカン·ミンス代表(22)は「慰安所被害おばあさんたちにとってそこでの生活は"地獄"だった」とし「もし教授の言うようにそこでの生活が"暮らしが楽だった"なら90歳を超えたおばあさんたちが24年間慰安婦問題解決のために努める必要もない」と述べた。
高麗大経済学科のパク·ヒソン学生会長(20)は「歴史は単純に過去の事実ではなく、後世から借りてもらったものであり、誇らしく後世に引き継がねばならない」とし「植民支配によって国民が受けた被害、日本による植民地時代を歪曲してはならない」と述べた。
高麗大側はこの日、「該当学科のレベルで教授らで構成された対策委を設置し、事案を解決するための調査を進めている」と明らかにした。
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