【慰安婦像】ソウルの慰安婦像前は大混乱【11月3日「水曜デモ」】
毎週水曜日、正義連の「水曜デモ」は日本大使館跡地前の慰安婦像の周りを陣取って行われます。
11月1日から韓国も「Withコロナ」、即ち、様々な規制を解除して平常の生活に戻ったのですが、それまで禁止されていた多人数によるデモも許可されたため、反・正義連の活動をする保守系団体〔8団体くらいあるそうです〕が先にその場所を申請して、11時からのデモの許可を得ました。正義連はその隣の場所を確保したようですが、いつもの場所を占有し、そのために大混乱となりました。
警察は、一応、トラブルを避けるためでしょうが、慰安婦像の周りと更にその周辺に二重のバリケードを築き、保守団体を近づけなくして、まるで、正義連を保護するかのようでした。
画像手前のヘルメット姿の男性は、国史問題研究所の金柄憲(キム・ビョンホン)所長で、横断幕を持っている右手の辺りに慰安婦像の膝や手が映っています。
保守団体は「彼らをどかせろ」と叫び、警官もお座なりには正義連に向かって「移動せよ」とは言いますが、排除しようとはせず、混乱の内に本日のデモは終了しました。
以下は、金柄憲所長のFacebookより、今回のデモの声明文です。〔基本的には機械翻訳ママ。使用している翻訳ツール「Papago」は時々「日本統治時代→日帝強占期」のような意訳をする時がありますが、明らかな誤訳と分かる部分のみ正しい漢字に書き直しました。〕
[声明書] 慰安婦詐欺劇の象徴、少女像を撤去してユン·ミヒャンを拘束せよ!
女性家族部には、慰安婦被害者法に基づく240名の生活安定支援対象者が登録されている。 いわゆる日本軍慰安婦の被害者だ。 慰安婦被害者法第2条1項に「日本軍慰安婦被害者」とは、日帝によって強制動員され性的虐待を受け、慰安婦としての生活を強要された被害者をいう。」と定義した。 また、同法施行令別紙第1号書式である「対象者登録申請書」には、強制動員年度、場所、動員状況を記載することとした。 これによると、いわゆる日本軍慰安婦被害者は、必ず日帝による強制動員の事実がなければならない。 しかし、慰安婦証言集をはじめとするいかなる資料を読んでも、日帝、すなわち大日本帝国という公権力の公式手続きによって動員されたケースは、ただの1件もない。
日中戦争と太平洋戦争の際、慰安婦はいかなる名目であれ動員対象ではなかったためだ。 その上、軍人は国家公務員であり、彼らの行為は公務であるため、女性を動員することがあれば、必ず関連法令がなければならない。 しかし、当時の朝鮮人慰安婦は、国家総動員法による動員対象ではなく、抱え主と人事紹介業者の募集対象に過ぎなかった。 また、たとえ女性を動員することがあったとしても、必ず文書を交付して場所と時間を告知し、招集すべきであって、田舎の人を追い回すことはできない。 日本の軍人たちが銃刀で脅して田舎娘を連行したという主張は、荒唐無稽な三流小説に出てくる話だ。
代表的な慰安婦女性である金学順(キム·ハクスン)、李容洙(イ·ヨンス)、吉元玉(キル·ウォンオク)、金福童(キム·ボクトン)の証言を見ても、日帝による強制動員は虚偽であることがすぐ分かる。 キム·ハクスンは養父について中国に行った日、黄色いセーターを買い、平壌駅まで出てきた母親の見送りを受けて出発し、イ·ヨンスは赤いワンピースと革の靴に魅せられて親に内緒で抱え主について行き、キル·ウォンオクは母親が用意したチマとチョゴリを着て友達と一緒に中国に出稼ぎに行き、キム·ボクトンは階級章のない軍服を着た日本人について工場に出稼ぎに行ったという。 イ·ヨンスは日本軍慰安所もない台湾で生活し、キム·ボクトンとキル·ウォンオクは日本軍慰安婦営業許可を得ることもできない13-15歳で慰安婦になったという。 いかなる場合であれ、日本軍という公務によって動員された人がいないうえ、年齢や慰安所の位置などは歴史的事実にも合致しない。 結局、女性家族部は全国民に対して嘘をついているのだ。
「日本軍性奴隷制解決のための正義記憶連帯」ホームページには、日本軍性奴隷制について、「1930年代から1945年の日本の敗戦に至るまで、日本軍が制度的に"軍慰安所"を設置し、占領地や植民地の女性たちを動員して性奴隷にした犯罪をいう」と記載されている。 日本軍が植民地女性を動員して性奴隷にした犯罪行為だという主張だ。
しかし奴隷とは、「人間としての基本的な権利や自由を奪われ、他人の言う通りにする人」のことであり、もし慰安婦が日本軍の性奴隷だったなら、日本軍は誰であれ、またいつでも慰安婦を対象に自分の性欲を満たし、暴行を加え、必要ならば売り渡すこともできなければならない。 しかし、日本軍は慰安所規定に定められた階級別、時間別料金を支払わなければ、慰安所を利用できなかった。 また、酒に酔った場合は出入りに制限を受けており、慰安婦に対する不当な行為があった場合は必ず処罰された。 お金があれば利用しなければ利用できない上、契約時間外の慰安婦にもむやみに接することができなかった。 しかも全体の慰安婦のうち日本人女性が50%を占める。 ところで、どうして慰安婦が日本軍の性奴隷なのか。 正義記憶連帯はありもしない「日本軍性奴隷」という虚像をかぶせ、国民を欺いているのだ。
2011年12月14日、鍾路区中学洞の旧日本大使館前に「平和の少女像」という名の少女像が初めて設置された。 その後、全国には約150体の少女像が設置され、米国やドイツ、オーストラリアなどの外国にも30体以上の少女像が設置された。 現在、日本大使館前に設置された少女像は、キム·ウンソン、キム·ソギョン夫妻が制作したもので、国内外に最も広く知られている造形物だ。
しかし、この少女像は彫刻家の間違った慰安婦認識と反日敵対心が投影された歪曲と憎悪の象徴物に過ぎない。 彫刻家は「空いた椅子に刻んだ約束」という自身の作家ノートで「日本政府が戦争で'性奴隷'とした対象は、年老いたおばあさんたちではなく、花のような歳の少女たちと若い女性たちだった。 日本による植民地時代 朝鮮の花のような歳の少女と若い女性を騙したり、強制的に戦場に連れ去ったりして性奴隷にし、ひどい場合は殺しまでする無残な犯罪をためらわず犯した残酷な歴史を記憶させたかった」と語った。 しかしこれは作家の慰安婦に対する歪曲した認識と日本に対する憎悪心の表出に過ぎない。
作家は日本軍にだまされたり、強制的に戦場に連れ去られた10代初めから半ばの若い女性を作品に表現するため、11歳の娘をモデルに13歳から15歳の少女の姿で少女像を製作したと説明した。 しかし、日本軍の慰安婦になるためには、出国前に抱え主と契約を結んだ後、身分証明書の発給を受けなければならず、現地に到着してからは現地領事館警察に出頭して親権者の承諾書、戸籍謄本、印鑑証明書、営業許可願書、営業人調査書、写真2枚を提出し、営業許可を得なければ慰安婦生活ができなかった。 むろん、戸籍謄本は親権者の確認以外にも年齢の確認が核心でこれを欺くことは、文書を偽造しない限り不可能だった。 問題は、当時慰安婦は17歳以上でなければできなかったため、13-15歳の少女は、国内であれ駐屯地日本軍慰安所であれ、営業許可を得ることができなかった。 少女像作家は、慰安婦の歴史的事実を歪曲して国民を欺いているのだ。
以上の慰安婦詐欺劇の初めから終わりまで尹美香が関わっている。 ユン·ミヒャンは自分の著書「25年間の水曜日」で、慰安婦の歴史的事実と証言をすべて歪曲し「日帝による強制動員」に変身させた。 尹美香は貧しさの被害者である慰安婦の履歴を持つ老人たちを'日本軍性奴隷'に変身させ国民を欺き世界を欺き、後ろでは自分の異俗を守り政治的目的を達成する抜群の実力を発揮した。 そしてついに、補助金管理法違反など8つの容疑で裁判を受けている。 しかし、尹美香はこのような会計不正よりも大きく、慰安婦詐欺というとてつもない罪を犯した。 「尹美香(ユン·ミヒャン)」に代表されるチョン·ウィヨンは、貧しさのために不幸な人生を送った女性たちを日本軍慰安婦被害者に変身させ、国民を欺いて世界を欺いた。 女性家族部と鄭義淵(チョン·ウィヨン)、少女像作家、そして尹美香(ユン·ミヒャン)は到底許されることのない罪を犯したわけではない。
そこで我々は次のように要求する。
一、慰安婦詐欺劇の温床、女性家族部を廃止せよ!
一、慰安婦詐欺劇の主犯、正義連を解体せよ!
一、慰安婦詐欺劇の象徴、少女像を撤去せよ!
一、慰安婦詐欺劇のゴッドファーザー、尹美香(ユン·ミヒャン)を拘束せよ!
2021. 11. 3.
慰安婦法廃止国民行動代表の金炳憲(キム·ビョンホン)
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