【帰還事業】映画『キューポラのある街』と北朝鮮帰還事業への影響
映画『キューポラのある街』(1962年)はご存知の方も多いかと思います。
実はブログ主は観た事がないのですが、映像の断片やあらすじなどは読んで、大凡どういう映画かは知っています。〔後述〕
たまたま、龍谷大学の李相哲教授の『李相哲TV』の有料会員向け動画(会員の質問に答えてくれる動画)で、「『キューポラのある街』が在日朝鮮人の帰還事業に影響を与えたのでは?」というどなたかの質問があり、それを聞いて、そう言えば、鄭 大均(てい たいきん)教授の『韓国のイメージ』という本で、この映画の話が出てたのを思い出し、読み返してみました。
結論から先に書くと、この映画が封切られた1962年の帰還者数は前年の6.5分の1に激減していたそうで、既にこの頃には、在日コリアンの間では「地上の楽園」では無い事に気付いていたそうです。
帰還事業は、1959年8月、インドのカルカッタで帰還協定調印。12月14日の第一便(ソ連の客船) が最初です。 しかし、徐々に在日朝鮮人の間では「地上の楽園」の嘘が分かり始め、1960年代半ばに一旦終了します。1965年に韓国と日本の間で国交が樹立され、韓国が日本から得た援助金で「漢江の奇跡」という経済発展がなされたのを在日朝鮮人が目の当たりにしたのも影響が大きいでしょう。
しかし、今度はどう見ても組織的と思える帰還要請の電話が、帰還事業を担当していた日赤に掛かり始めたそうです。〔NHKスペシャル『北朝鮮への“帰国事業”知られざる外交戦・60年後の告白 』より)
先に帰国した在日朝鮮人が人質となっていたり、朝鮮総連の組織的働きかけでした。
前述の本によると、映画『キューポラのある街』が封切られた1962年は、既に帰還熱の “盛り下がり” の時期にあったわけです。そして、在日朝鮮人の間では北朝鮮の事情が広まりつつあっても、それを公にする事がなかったので、多くの日本人は知りませんでした。
つまり、むしろ騙されていたのは日本人の方で、彼らにとって良い事だと無邪気に北に送り出していた事になります。
前述の本は、新聞記事等から、日本人がある一時点で韓国に対してどのようなイメージを持っていたのかを探るという趣旨の本です。『キューポラのある街』の頃は、日本人は「在日コリアンは『可哀想な人達』」という同情的な見方をしていた頃が分かります。進歩的文化人は北朝鮮を称賛する事で在日コリアンの味方をしているつもりになっていたが、事情が分かったコリアンからは逆に蔑視されていたとも書かれていました。
ここで言いたいのは、李相哲TVで質問した方はそういう意図はありませんが、歴史を、ある事象だけを捉えて「善/悪」で語ってはダメだと言う事です。
歴史的事象はその時代の人々の考え方や “空気” みたいなものと併せて考える必要があり、あくまでも、因果関係で捉えるべきです。そこから教訓を得る事で留めるべきであって、何かをスケープゴートにする必要はありません。
田中朗先生によると、戦後まもなくは日本人の間で「朝鮮人を戦争に巻き込んでしまった」という贖罪意識があったそうで、これも事実の一つ。終戦直後に朝鮮人の一部が日本人に乱暴狼藉を働いたのも事実。マスコミが帰還事業を煽ったのも事実。在日朝鮮人を気の毒だと思う日本人の優しさがあったのも事実...。
歴史とは、その時代を知らない人間が語るのですから、様々な事実を収集する事が大事です。
◇ ◇ ◇ ◇
『キューポラのある街』あらすじ〔Wikipediaより引用〕
中学3年の石黒ジュン(吉永小百合)は、鋳物工場の直立炉(キューポラ)が立ち並ぶ埼玉県川口市の鋳物職人の長女である。何事にも前向きで、高校進学を目指すジュンだが、父・辰五郎(東野英治郎)が工場を解雇されたため、家計は火の車で、修学旅行に行くことも諦めていた。
自力で高校の入学費用を貯めようと、パチンコ屋でアルバイトを始めるジュン。担任教師の助力で修学旅行にも行けることになった。しかし、ようやく再就職した父親は、待遇が不満で仕事をやめてしまった。絶望したジュンは女友達と遊び歩き、危うく不良少年たちに乱暴されかけた。
全日制の高校進学を取りやめて、就職を決断するジュン。北朝鮮への帰還問題で苦悩する朝鮮人の一家や、貧しくとも力強く生きる人々との交流を通じて、ジュンは、自立して働きながら定時制高等学校で学び続けることに意義を見出したのだった。
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リンクはNHKスペシャルを観ながらブログ主がメモ代わりにツイートしたもの(スレッドの先頭)
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