【韓国】韓国人の言う『自尊心』(자존심)や『国格』(국격)とは何か?
このテーマでは以前も書いたことがありますが、より理解を深めたので、もう一度取りあげます。
韓国語を翻訳ツールを使って日本語に翻訳して読む時、あるいは、日本語を韓国語に翻訳して、確認の為にもう一度逆方向に翻訳し直して見ると、時々違和感のある単語があります。元の単語は漢字語(熟語)である時が多いのですが、なまじ同じ漢字だから、日本語の意味で解釈すると誤解してしまうのです。
例えば「自尊心」(자존심)。
この単語は、漢字の直訳ではなく、日本のカタカナ語のように、日本語の「自尊心」の発音(jajonsim)をそのままハングルで表したようです(※)。しかし、意味はずれていて、韓国語の意味は「体面」とか「メンツ(面子)」、あるいは「誇り」の方が適切です。「サムスンは我々の『自尊心』だ」のような言い方がよく見受けられます。(悪く言えば、「虚栄心を満足させてくれるもの」)
こうしたことに「文化」が現れるので、非常に興味深いと思っています。
もう一つ例を挙げると、日本語の「保守」を韓国語に翻訳すると「右翼」になることが時々あります。だから、よく韓国メディアが「右翼性向のある『産経新聞』」という言い方をするのですが、もしかしたら、日本語に翻訳した時の語感程は批判的ではないのかも知れません。(まあ、大抵は批判する文脈で『産経新聞』の名前が出てくるのですがw)
※「発音をハングルで書き表しただけ」と判断するのは、「尊」に該当するハングルが漢字の「尊い」・「尊ぶ」を表していないようだからです。
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一方、『国格』はどうやら韓国語固有の造語のようです。(後述する「ナムウィキ」の『国格』の定義にそのように書いてありました。)
最初に『国格』という言葉を知ったのは、昨年話題になった、「駐ニュージーランド韓国大使の現地職員(男性)に対するセクハラ事件」で、当時の外務大臣の康京和(カン・ギョンファ)氏が「国格と主権を守るために、ニュージーランド側に謝罪はできない」と発言したことです。
何となく、『国家の品格』(藤原正彦著)という本の題名から、同じようなものかとも思ったのですが、それではどうも意味が通じません。
簡単に言ってしまえば、「国格(국격)」の「格(격)」とは、「格下」・「格上」の「格」で、「地位や力量の上下関係」を意味します。
調べた所、「格(격)」の韓国語には「品格」という意味もありますが、この場合はそうではありません。
Yahooとか2ch(5ch)のような韓国の掲示板の翻訳を見ると、「文在寅のせいで(我が国の)『国格』が溶けてしまった(崩壊してしまった?)」というコメントをよく見かけますが、「文在寅のせいで韓国の国際的な地位が下がった」という意味です。
もちろん、序列とか、ランキングとか、日本人も意識しない訳ではありませんが、韓国人は何を持ってそれを判定あるいは自負するのか、というのが、先般の日韓両国首脳の相次ぐ訪米で露わになりました。
文在寅大統領が訪米した時の韓国メディアは、菅首相との「待遇」(?)の差を盛んに報道していました。
やれ、滞在日数だとか、バイデン大統領との会談時間だとか、昼食のメニュー(ハンバーガー vs. クラブケーキ〔crab cake〕)等です。
何故このようなことが漏れたのかは分かりませんが、事前にアメリカ側に「ハンバーガーは困る。できれば、正式な晩餐会を。文在寅大統領の好物は○○」といったことを伝えたという韓国メディアの報道もありました。
後から、「文在寅大統領は海産物が好物」〔=だから、米国はクラブケーキを出してくれた。我が国は米国に尊重されている。〕などと発表もしています。
持参した「レッドカーペット」の上を歩く文在寅大統領。
何故、持参したことが分かるかと言うと、本来、レッドカーペットは本物の絨毯だが、
両端が黒いので、玄関マットのような、裏がゴム引きの安物だということが分かる。
下は菅首相の到着時の出迎えの様子。(レッドカーペットはない)
日本人なら、持参したレッドカーペットを敷くことの方がよっぽど「自尊心」が傷つくし、「国格」も下がると思うのですがねw
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それ以外の具体例は、「ナムウィキ(namu.wiki)」という韓国独自のWikipediaのようなサイトに見ることができます。
『국격』(国格)の定義に関しては『国威』に似た概念だと説明していますが、抽象的な説明なので省略します。「2 批判」の項を読むと韓国人が『国格』をどういうもので判断したり、態度に表すのかよく分かるので機械翻訳ママでご紹介します。
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2.批判
しかし、この単語は次のような点で批判を受けることができる。
第一に、国家は絶対的な価値として変わらないため、格という単語はふさわしくない。
国家が存立する限り、国家は絶対的な価値である。 もちろんその国は構成員によって解体され,再建されかねない. しかし、そのような場合に「格」を問う前に、その国家の構成員たちがすでに身に染みて感じているのだから、格を云々することは無意味だ。 結局、国家が構成員によって維持され存立する限り、国家は各国の国民にとって絶対的な価値であり、したがって国家の格は意味がないのだ。
第二に、国の格を問うことは、主権国家間の平等理念に反する。
いくら小さくて力のない国でも、儀典は一定の伝統的慣例がある。 もちろん、大国の使節は規模が大小の使節は小さいが、その規模に差があっても一定の伝統的外交儀礼が存在し、いくら小さい国でも一国の元帥級、長官級、大使級などによる儀礼よりも歓待する場合はあっても、儀礼より軽視する場合は失敗したり、最初から冒涜を与えようとする意図や外交担当者が無能な場合を除いてはない。 これは、現実世界の国力の差と国力の差にもかかわらず、主権国家の間は平等だという国際社会と国連の設立精神の志向点と理念を示唆するものである。
第三に、国の格というのは、国際社会への配慮、譲歩、寛容から湧き出るものであって、自国で何を誘致したとか、大統領が外国で演説する時に拍手を何回受けたとかで上がったりするものではない。 例えば、米国が国連の総意を無視してイラクに侵攻した時、米国の強力な国力と威力に国際社会が驚き、米国の「国格」が上昇したのか。 決してそうではなかった。 いくら現実が厳然と存在するとしても理想も厳然と存在するのであり、その両方を合わせることはできないのだ。 現実は現実であり、理想は理想だ。 国格というのは思いやり、霊宝、寛容のような人間の理想を追い求めることからも切り出せるものだ。 ネルソン·マンデラのような世界的指導者が尊敬を受け、その人物のおかげで南アフリカ共和国という国家の格もともに上昇したことが、これに対する根拠の一つである。
これを読むと、ネットなどで、何故韓国人が東南アジアの人々を見下したような態度をとるのか理解できます。
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