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2021/05/01

【慰安婦問題】韓国軍の「特殊慰安隊」-慰安婦達はどこから来たのか?【2002年の韓国の記事から】

前回のエントリーで予告したように、『オーマイニュース」の②の記事をご紹介します。①は以下にリンクだけご紹介します。

 

韓国軍も'慰安婦'運用した 
【創刊2周年発掘スクープ①】日本軍従軍経験の遺産 02.02.22 15:16l 最終更新 02.02.26 21:51
アーカイブ(魚拓):https://archive.ph/Va2Q8

 

前回書いたように、恐らく日本軍慰安婦のシステムを真似したと思われるので、韓国軍が直接慰安所を運営すること以外は似ています。

下の記事では、韓国人は日本軍が女性を強制連行したと思っているので、異なると主張していますが、強制連行などしていないので、ほぼそっくりと言うことになります。別の言い方をしたら、強制連行神話が崩れたら、韓国人は日本軍慰安婦を批判できなくなるのです。

違いは、①「慰安所」的なものは韓国軍が直接運営した。(日本軍の場合は民間の業者)、②韓国軍兵士は支給されるチケットでサービスを受けた。(日本軍の場合は「軍票」というお金代わりのものを兵士が自腹で払った)、③国連軍兵士(米兵)も慰安婦を利用したことでしょう。

ただ、軍が直接慰安所を運営したのなら、軍と慰安婦の契約はどのようになっていたのでしょうか? 恐らく、韓国軍は個々に女性と契約したのではなく、既存の業者から派遣させたと思いますが、それでは、業者と慰安婦の契約はどのようなものだったのか? 残念ながら、今回ご紹介する記事ではその部分は分かりません。

2014年には、「公娼が禁止されていたにも関わらず米軍慰安婦として働かされた」として、韓国人女性が韓国政府を相手に訴えを起こしましたが、部分勝訴のようです。(Wikipedia『韓国軍慰安婦』#韓国と米国に対する慰安婦訴訟

個人的には、韓国軍慰安婦と日本軍慰安婦を比較することで見えてくるものがあると思っているのですが、何しろ、『後方戦史』は閲覧禁止と、事実上の「焚書」状態であり、韓国軍の支出明細も公開されていないでしょう。業者と慰安婦の間の契約書は公文書ではないので、この現物を見つけることは困難だとは思います。と言っても、事件化したものから想像がつくのですが、それは別の機会にご紹介します。

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

以下の記事は、機械翻訳後に誤訳と思われる箇所は原文の単語を確認してできる限り修正しています。

http://www.ohmynews.com/NWS_Web/View/at_pg.aspx?CNTN_CD=A0000067635
アーカイブ(魚拓):https://archive.ph/VEhG3

韓国軍「特殊慰安隊」は事実上の公娼
[創刊2周年記念の発掘の特ダネ]韓国軍も'慰安婦'運用した②
02.02.26 19:00l 最終アップデート 02.02.28 11:05l

キムダン(dangk)記者

記者が忠清南道論山の陸軍第2訓練所に入所した1980年当時までは、論山訓練所の塀を越えると、いわゆる「毛布部隊」に出会えた。 当時訓練兵だった記者が「毛布部隊」を直接目撃したわけではないが、訓練所の助手や基幹兵たちは自分たちが「毛布部隊」と遭遇し「激戦」を繰り広げた「舞踊談(武勇伝?」についてよく話していた。

「毛布部隊」は訓練所の塀の外で毛布一枚を「武器」にして訓練兵たちを相手にする娼婦たちの俗称。 このような移動式の毛布部隊員の話は、美談や神話のように聞こえた。 しかし、軍が直接慰安部隊を設置して運用したなら、問題が変わる。

▲韓国軍の韓国戦争期間'慰安婦'運用事実を報道した日本<朝日新聞>2月24日付の記事。(太い船内) 画像はこちら

この2月22日<オーマイニュース>に『韓国軍も“慰安婦”運用した』発掘企画記事の第一回分が報道された後、独自(読者?)の反応は大きく三つに分類することができる。

第一に、軍の暗い恥部を公開して反省しようということだ。 第二に、旧日本軍慰安婦(慰安婦)制度とは異なる「公娼」であることから、違法ではないということ。 そして最後は公娼であれ私娼であれ、軍が戦時に士気高揚のために慰安婦を利用したことが何が間違いかということだ。 この2回目の記事は主にその2番目の反応と直結した回答を盛り込んでいる。

この発掘企画記事の最初のバッチ(で見たように、韓国軍が1951年頃から1954年まで'特殊慰安隊'という名前で、固定型あるいは移動式慰安婦制度を導入して運用したことは否定できない歴史的事実だ。 その事実は、陸軍本部が1956年に編纂した公式記録である『後方戦史』(人事編)と目撃者の証言から裏付けられている。

『後方戦史』に掲載された「特殊慰安隊実績統計表」には、1952年度に4個小隊で編成された慰安隊89人が、年間20万4560人の兵力を「慰安」したと記されている。 慰安婦1人が、1日平均6∼7人の将兵を慰めたのだ。 また、蔡命新(チェ・ミョンシン)・チャギュホン・キムヒオなど予備役将軍たちも韓国戦争期間に経験した慰安婦制度について「明かしたくない恥ずかしい軍部の恥部だが、事実だ」と証言している。

もちろん、韓国軍慰安婦制度は、旧日本軍'従軍慰安婦'制度を真似したにもかかわらず、二つの制度は本質的に異なる。 韓国軍慰安婦は、慰安婦動員方式や規模などでも旧日本軍従軍慰安婦と比較にならないが、何よりも後者は強制性を帯びている国家動原体制の一環として施行されたという点が異なる

しかし、そのような根本的な違いにもかかわらず、韓国軍慰安隊は設置の同期や運営方式面で日本軍従軍慰安婦制度を真似て、似たような姿をしているのも事実だ。 例えば、慰安所の前で列になって慰安婦を待っている軍人らと、戦闘力損失を防止するため、定期的に性病検診をする軍医官の姿などは日本軍従軍慰安所の風景と大差ないのだ。

また、軍票(日本軍)の代わりに、チケット(韓国軍)などの代価が支払われた取引形式で運用された点も、外見上、似たような形だ。 日本の右翼はこれを掲げて軍慰安所制度を一種の公娼制のように正当化したりもする。 しかし軍票は日本の主要銀行がいつでも貨幣に交換する一種の「有価証券」だった。 また、公娼制が国家が女性の性を統制した場合であれば、慰安所の場合は戦時という状況で国家よりも強力な力を発揮する軍が管理·運営の主体という点で被害女性に対する人権蹂躙は深刻にならざるを得なかった。

 

韓国軍「特殊慰安隊」は事実上の公娼

ところが注目すべきことは、当時韓国軍が設置·運営したこの「特殊慰安所」、すなわち固定式慰安所の性格が事実上の公娼であったという点だ。 例えば、軍の公式記録には「休戦によってこのような施設の設置目的が解消されたことにより、公娼廃止の潮流に順命し、短期4287年3月、これを一斉に閉鎖した」(『後方戦史』148~149頁)となっている。 軍自ら「特殊慰安隊」を公娼(こうしょう)と認めているのだ。

檀紀を西暦に換算すると、慰安所を一斉に閉鎖したのは1954年3月である。 ところが、1947年11月11日に米軍政庁が公布した公娼廃止令(法律第7号)が発効したのは1948年2月からだ。 明確な記録はないが、慰安所設置時点は1951年と推定される。 したがって、軍は公娼廃止令にもかかわらず、1951年から1954年まで約3年間、不法に公娼を設置·運営する犯罪行為を行なったのだ。

結局、軍が「公娼廃止の潮流に乗って慰安所を閉鎖した」という記録は、一見事実のように見えるが、実際には自身の犯罪行為を隠蔽するために事実を巧妙に歪曲したものだ。 軍は政府の公娼廃止令にもかかわらず、事実上の公娼を3年間も不法運営しながらも、「公娼廃止の潮流に順命して閉鎖」したように記録しているためだ。

では、朝鮮戦争当時、軍慰安所を設置·運営する犯罪行為の主体は誰だろうか。 これについては、まだ明確な記録や証言は見つかっていない。 ただ、韓国軍の'慰安隊'運用事実を初めて提起した金貴玉(キム・キオック/キム・ギオク)博士〔慶南(キョンナム)大学北朝鮮専門大学院客員教授〕は『後方戦士』と予備役将軍たちの回顧録そして関係者の証言などをもとに、このように主張する。

「特殊慰安所」、すなわち軍慰安所は陸軍によって設置されたのは間違いない事実である。 当時の韓国軍の作戦体系上、軍慰安隊の設置および管理問題について、上は国連軍の最終承認の下で運営されたものと推定され、下は特殊慰安隊部隊長の責任の下で総括されたものと見られる。"

国連軍の最終承認の下に運営されたという推定は、1950年7月、韓国政府が陸海空軍の作戦指揮権を国連軍総司令官に委任したことに基づいている。 しかし、『後方戦史』も明らかにしているように、慰安所の運営は戦線ではなく後方に限られていた。 また、慰安台設置は作戦指揮権の範疇に含まれないため、国連軍の最終承認の下で運営されたという推定は、説得力を欠いている。

しかし、当時、国防部と陸軍の首脳部はこのような不法行為の責任から自由にできないものとみられる(国防部に合同参謀会議が設置された時点は'特殊慰安隊'を閉鎖することわずか一ヵ月前の1954年2月なので、合同参謀は、慰安婦の設置・運営の係船上で除外される)。

慰安所を設置·運営した時点での歴代の陸軍参謀総長は、△第5代チョン·イルグォン中将(1950.6~1951.6)△第6代イ·ジョンチャン中将(1951.6~1952.7)△第7代ペク·ソンヨプ大将(1952.7~1954.2)△第8代チョン·イルグォン大将(1954.2~1956.6)などだ。 1951年と推定される設置時点でみると、鄭一権(チョン·イルグォン)、李鍾賛(イ·ジョンチャン)両総長のうちの一人だ。

1948年の創軍当時の軍首脳部の人脈の大半は日本軍·関東軍出身だったが、両総長とも日本陸軍士官学校出身だ。 韓国戦争時代に慰安婦制度を目撃したキムヒオ将軍(予備役陸軍少将)の"過去日本の軍隊従軍経験のある一部の連帯の幹部たちが、部下の士気高揚のための発想から生まれたもの"という証言は彼に対する手がかりを提供している。 金貴玉博士も「軍慰安婦の創設の企画者が確かに日本軍や関東軍出身者であったり、それに影響を受けた者と推定できる」と明らかにする。

軍関係者らは、イ·ジョンチャン総長が1952年の釜山政治問題で軍の政治的中立を力説した「真の軍人の象徴」と見なされてきた点に照らして、ひとまずチョン·イルグォン総長の方に軍慰安隊設置·運営の可能性の比重を置いている。 一方、当時の国防部長官の中では、第2代申成模長官(1949.3~1951.5)と第3代李起鵬長官(1951.5~1952.3)のいずれかが設置を承認したものと推定される。

 

韓国軍慰安婦、これらは誰か?

それなら、果たして軍慰安婦、これは誰だろうか。 ところが、既存の資料はどこにも慰安婦の正体に対する言及はない。 金貴玉博士によると、ただ、何人かの文献では少なくない期間、日帝軍慰安婦たちが韓国戦争当時、性的売買業に流れたという経験的な陳述による推定があるだけだ。 1996年から、束草(ソクチョ)でウォルナムミン(ベトナム?研究をしてから初めて韓国軍慰安婦問題について関心を持って関係者たちをインタビューしてきた金博士の推定によると、慰安婦の正体と類型はいくつかに分けられる。

金博士がまず注目したのは、小規模ではあるが日本軍国主義の'慰安婦'募集の形を抜き取って似た形の慰安婦が存在したという事実だ。 それはまさに北朝鮮派遣工作員と慰安婦の'不幸な出会い'だった。 匿名を要請した元工作員出身者とのインタビューを通じて、金博士が明らかにしたこの第一タイプは拉致と強姦によって'慰安婦'になったケースだ。

途中省略・・・この部分で金博士の「北朝鮮の女性兵士を拉致して慰安婦にした」という見解が示される。)

予備役将軍たちが覚えているもう一つの類型は、私娼から買い取ってきた貧しい女性たちに関するものだ。 これらの女性に対する「慰安」の対価は、師団の恤兵(じゅっぺい※)部や連隊の人事処が支払ったということだ。 しかし、これらの証言でも明らかになっている明らかな事実は、戦時下に特別慰安隊を利用すること以外にも前方の部隊は、必要に応じて、軍慰安婦を採用できるか分からないものとみられる。 それで金博士は、軍当局が明らかにした慰安隊の廃止時点についても次の問題を提起する。

※恤兵:物品または金銭を寄贈して戦地の兵士を慰めること(や、歌手や芸人が兵士を慰問したこと) =慰問 。恤兵部はそれを運用した部門。

「軍部隊が公式運営した公娼としての慰安隊は、1954年3月に消滅したかもしれないが、北派工作員の証言では事実上の慰安隊が存在している。 その慰安所は、私娼として存在するが、軍部隊が「厚生費」の名目で公式に支出し、北派工作員に対する褒賞の形で存在してきたようだ。」

それなら朝鮮戦争当時、韓国軍慰安婦の規模はどの程度だっただろうか。 金博士は「現在としては韓国戦争当時、公式・非公式的な慰安婦の規模を知る由もない」と前提しながらも「ただ、戦争直前私娼の規模を上回ると推定されるだけだ」と話す。

ところが、関連記録によると、1947年11月、米軍政庁が公娼廃止令を発表する直前の1947年10月20日時点で公娼の規模は2124人だった。 しかし、翌年2月に公娼廃止令が発効した後の1948年10月末になると、私娼は5万人余りに急増する。 また、朝鮮戦争が終わった後、売春をする女性は約30万人に増える。 公娼が廃止され、私娼は急増したのだ

一部の女性学者たちは、このように、性売買女性が増えたのは、生活苦だけでなく、「日帝末期、数千人の慰安婦たちが解放後、故郷へ帰ってきて生計を立てず、娼妓に転落」したのにも原因があったものと推定される。 しかし、他方では、これで例に挙げた場合のように、民間女性たちが拉致と強制の形で慰安婦になった事例)もあったのだ。 以下は金博士の指摘だ。

※途中省略した部分に北朝鮮人民軍の女性兵士を拉致したケースと、人民軍に協力した韓国人女性を拉致したケースが語られている。

「もし一歩譲歩して、従軍慰安婦が過去、公・私娼出身だったとしても、戰前の5万人余りの公・私娼が戦後30万人に増えた問題と関連づけてみると、説明できない。 軍慰安婦がどのように動員されており、その規模はどのくらいだったかについて確実に究明することはできなくても、まだ韓国戦争当時、軍部の責任を受け持った者たちが生存しているので、政府当局はこの問題について真相を究明する責任がある」

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

①の記事では、朝鮮戦争当時の特殊慰安隊は年間少なくとも20万人はいたと書いていましたが、前回のエントリーで李栄薫博士が仰っていたように、人民軍の女性兵士(それに協力した「アカ」の韓国人女性を含めても)では、とても賄えないでしょうし、元日本軍慰安婦もせいぜい数千人です。では、どこから慰安隊が来たのかと言えば、記者自身が冒頭で書いているではありませんか。「毛布部隊」と呼ばれる、1980年頃にいた自発的売春婦と同じでしょう。現に、貧しくもない現代の韓国女性も世界中で売春しているではありませんか。ましてや、50年代の貧しい韓国で、戦争中で職もなく、職があったとしても学歴も技術も無い女性にできることの筆頭は売春です。

 

韓国政府が朝鮮戦争時に慰安所を作ったことを現在の倫理観で批判するつもりはありません。

確かに、韓国では1947年11月に公娼を廃止する指示が米国によって出され、朝鮮戦争当時は禁止されていました。しかし、日本も占領軍から女性を守るために「性の防波堤」として元公娼などをかき集めたのです。そして、1946年にGHQに公娼廃止の指令を受けて、米軍用慰安施設は閉鎖されたのですが、部隊によっては公然と慰安婦を求めて来たのです。

崔吉城教授の『朝鮮戦争で生まれた米軍慰安婦の真実』にも記述がありますが、Wikipedia『慰安婦』#韓国軍・在韓米軍国連軍 慰安婦にも書かれている通り、米兵による強姦が多発したのです。

 

朝鮮戦争時には敵国ではない韓国において国連軍がソウル市北部の村で日中、シェパードを連れて女性を捜索し、発見後に強姦に及んだり、またジープにのって民家を訪れ女性を強制連行して性暴力をはたらいたり、韓国人兵士が韓国人女性に性暴力や性拷問をはたらいたといわれ[232]、また性暴力をうけたのは女性だけでなく、10歳位の男子がフェラチオを強要され喉が破裂したこともあった[232]。

 

このソウル市北部の村とは、崔教授が住んでいた村のことで、ご自身が直接見聞きされたことです。その後この村がどうなったかというと、売春婦が続々と集まって来て、村人は家を提供し、その村は「売春村」になったのだそうです。韓国人の倫理観からは売春婦は蔑まれる対象でしたが、その時は村の女性を救ってくれたことと、村人も収入を得たので、不思議な連帯感があったようです。

なお、この本で、村に住んでいた共産主義者の大学生に協力していた女性の事が語られます。その女性は韓国軍に連行されて10日間以上も拘留され、散々暴行をされて子供が産めない身体になってしまったそうです。この女生は崔教授の又従兄弟なので事実でしょう。

このエピソードから想像するに、捕虜となった女性の人民軍兵士も、その時の慰みものにしたとしても、特殊慰安隊に組み込むことはなかったと思います。逃げないように常時見張っている必要がある慰安隊など、非効率極まります。

 

また、「1948年10月末になると、私娼は5万人余りに急増する。 また、朝鮮戦争が終わった後、売春をする女性は約30万人に増える」とありますが、前回のエントリーで触れたように、1955年には売春を専業とする女性だけで61,833人になっています。

 

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