前々回、前回と、韓国軍慰安婦、即ち、朝鮮戦争(1950年6月~53年7月休戦)の「特殊慰安隊」について見てきました。今回ご紹介する動画「2」では主に1955年と1958年の統計資料が扱われます。既に公娼制度はなく、朝鮮戦争の直後であり、米軍相手の売春婦も含まれている、という前提になります。
また、「慰安婦」という言葉は「売春婦」の意味で韓国社会に定着し、1960年代まで行政用語として使われます。
- [日本軍慰安婦問題の真実] 1. 朝鮮戦争と韓国軍慰安婦(2019/05/17)
- [日本軍慰安婦問題の真実] 2. 1950-60年代の民間慰安婦(2019/05/24)
- [日本軍慰安婦問題の真実] 3. 1950-60年代の米軍慰安婦(2019/05/31)
以下、李栄薫博士の解説(要約)です。小見出し(◆~)は適宜ブログ主がつけたものです。
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[日本軍慰安婦問題の真実] 2. 1950-60年代の民間慰安婦
◆女子挺身隊と日本軍慰安婦の混同、そして「集団幻想」へ
1991年に日本軍慰安婦問題が日韓の争点となって以来、韓国運動団体、歴史学界、政界の対応は少なくない問題があった。
1997年以来、中・高校の歴史教科書には「日帝が太平洋戦争の末期に『女子挺身勤労令』を発表し、女性の労働力までも動員したが、その中の一部は戦線に送られ、『日本軍慰安婦』として犠牲にされた」と述べられてきた。また、「挺身隊として動員された数は数十万、あるいは20万もあったが、慰安婦として犠牲にされた女性の数は少なくとも数万人」とされている。
しかし、これは事実ではない。「女子挺身勤労令」は、あくまでも日本で施行されただけで、朝鮮では公布あるいは施行されなかった。
職場や学校単位で挺身隊が組織されて国内または日本の軍需工場に行って何ヶ月か勤労した事例はあっても、日本に行ったケースは2千人程度と推算されているだけだ。
その中で慰安婦として連れて行かされた事例は1件も報告されていない。
にもかかわらず、韓国の教科書は、調べればすぐに事実では無いと判明されることを事実のように述べてきた。
いつの間にか形成された「集団幻想」に基づいて歴史を述べてきたのだ。
◆4種類の性風俗業:ダンサー、慰安婦、接待婦、密娼
慰安婦と言う用語は日本軍慰安婦制度を起源にしているが、1945年の解放以降も残り、1960年代まで韓国軍慰安婦や米軍慰安婦などと使われたり、民間の売春婦も慰安婦と呼んだ。1955年から政府が発刊した「保険社会統計年報」にもその用語が公式に使われている。1957年の「伝染病予防法施行令」では「慰安婦とは売淫をする女性で週2回の性病検診の対象」とされている。
1955年の性病検診実績に関する「保険社会統計年報」を見ると、性病検診の対象となる女性、即ち性売買の産業に従事する女性は、ダンサー(dancer)、慰安婦(prostitute)、接待婦(entertainer)、密娼(harlot)の4種類に分類されている。
「ダンサー」は接客店で踊る女性で、日本統治時代には踊りと歌を職業としながら自宅から職場に通う女性で芸妓と呼んだが、ダンサーはその後身ではないかと思われる。「慰安婦」とは遊郭か私娼街(売春街)に入居して性売買を専業とする女性を指す言葉で、日本統治時代は娼妓と呼んだ。「接待婦」とは飲食店か料亭で客を接待する女性で、日本統治時代には酌婦と呼んだ。「密娼」は、旅館、茶房、カフェなどで従事する女性で、売春を兼業していた。日本統治時代はこれをカフェ及びバー女給と分類した。
1955年の1年間、全部で11万642人の女性が検診を受けた。その内、2万2,659人が初診で、1955年にこの産業に侵入した女性の数となる。
これが1958年には若干増加して11万9,578人だった。そのうち慰安婦だけを数えると、1955年に6万1,833人から6万5,692人と増加している。
性病の感染率は平均22~24%もあった。朝鮮総督府の統計によると、1937年の朝鮮人の娼妓と酌婦の性病感染率は5%前後だったので、解放と戦争の混乱期に性売買の産業がどれほど無分別に膨張したのかが分かる。また、韓国政府の保険行政が事実上麻痺していたことを語っている。
「保険社会統計年報」は、性病検診の対象となる、性産業に従事する女性達の年齢分布や教育程度に関する情報を載せている。保健所が身上記録簿が管理していた女性で、全部で5万6,182人がその母集団で、その殆どは慰安婦だと思われる。
◆性風俗従事者の内訳(年齢、学歴、前職、従事期間)
資料を見る(画像キャプチャ省略)と、性売買は15歳から始まり、20~24歳が一番多い(47.1%)。30歳以上は8.3%に過ぎない。
接待婦の学歴は、57%が無学で、その内23%は文盲でハングルも読めず、34%はハングルは理解できた。小学校を卒業したものは36%。当時の女子としては高学歴とされる中学校及び専門校の卒業が6.8%もあるのは彼女達が米軍相手の慰安婦だからである。
米軍を含める民間人を相手とした慰安婦達の履歴、勤続期間、労働の実態、所得水準に関しては、1960年代初めの頃、1961年~64年の間にソウル大学校の保険大学院に提出された幾つかの保健学の修士論文から参照できる。3編の論文対象にして調査した。
慰安婦になる前の前職を調べた調査がある。ソウル市(1961年)の600人とソウル市城東区(1963年)の144人、群山市(※1964年)の保健所に登録された188人を対象にしたものだ。
※全羅北道群山市。有名な売春街がある。
ソウル市では女中出身が最も多く、群山では孤児出身が最も多かった。
戦争で家庭が破壊されて孤児院を転々としたり、極貧階層で父母の保護を受けられなかったり、家庭不和で家出、あるいは捨てられた女性達が女中あるいは他の接客業に従事した後で慰安婦になるのが最も一般的だった。生活苦で私娼街に流れて来たケースが最も多いが、先に性風俗の業界に進出した似たような境遇の友人からの「友人誘い」も重要なきっかけとして作用した。男子誘惑か売られたケースも少なくないが、これは人身売買のこと。友人誘いも人身売買のケースが多い。
期間は地域によって異なる。
ソウル市の保健所に収容された女性は1ヵ月未満から5~10年にも生る多様な分布を見せているが、加重平均すると平均1.1年。城東区の場合は平均6ヵ月だが、論文によると集団娼ではなく、散娼(組織に属さずに個人で客を引く娼婦)が多かったようだ。しかし、群山市は全国でも有名な集娼地域である。ここは最も長く、2.5年だ。
2年または5年以上この産業から抜け出せないケースも少なくない。
特定の抱え主(ポジュ、楼主)に縛られず、個人または何人かが同業の形で従事した場合はその期間は長くない。ソウル城東区がそうだったと思われる。しかし、群山の場合は有名な集娼村で、そこでは半分以上の人達が2年以上滞留した。
ここでは多くが債務奴隷的な状態にいた可能性が高いと思われる。
群山市開福洞の有名な通称テキサス村では2003年に大きな火災(※)があって、12人の売春婦が焼死した。当時、慰安婦達は部屋が外からロックされており、逃げ出すことができなかった。2003年でもそうだったので1950~60年代は言うまでもないだろう。
※2002年の誤り? なお、韓国では通称「テキサス村」は複数あり、集娼村(売春街)の通称らしい。Wikipedia『ミアリテキサス』によると、ソウル市の下月谷洞や千戸洞の売買春業者が、米国の西部劇映画で描かれた、1階で酒を飲み2階で売買春を行う18世紀の居酒屋に着眼し、既存の私娼街と自分たちを区分するために、自らをテキサスと呼び始めたことに由来する由。「弥阿里テキサス」や「千戸洞テキサス」などと呼ばれ、日本で言うと、「○○銀座」のような感覚なのかも知れない。
2000年代初頭には売春街での火災が相次いでいる。〔詳細後述〕
ソウル市の城東区と群山市の慰安婦については一日に何人の客と接していたかも調べられていたが、城東区の144人は1日平均3.7人、群山市の188人は平均4.43人だった 群山市の場合1日の性交回数も調べられたが平均5.51回だった。
これらの調査を通じて、韓国軍の慰安婦と民間慰安婦は結局同質の存在だと思うようになった。
韓国軍の慰安婦の供給源は民間の慰安婦だった。
◆性風俗従事者の所得
月所得についてはソウル市城東区で月平均5,556ウォン、群山市は平均3,455ウォンだった。物価の差や所得水準の差が反映している。
抱え主と売上の半分を分けることを前提にして花代(揚げ代)を計算すると城東区は100ウォン、群山市の場合は52ウォンと計算される。
1963年と64年の産業統計から製造業従事者の平均賃金は3,180ウォンで1,964年は3,880ウォン、女性の製造業従事者の平均賃金は2,000ウォンから2,500ウォンだった。
しかも、小学校卒以下の学歴の無学な女性には製造業に就業の機会すらなかったので、慰安婦の月収は当時としては相対的に高い水準だったと言える。
そこで最貧困階層の低学歴女性達が年々2万人以上性風俗の産業に進出し、その内1万人以上が専業の売春婦となっていった。
そして大体1~2年で廃業して他の職種に移っていったが、不幸にも抜け出せない女性がいて、少なくない証言が残っている。
民間慰安婦の場合、政府の管理と監督が疎かで、前述のように性病も蔓延しており、悪徳な抱え主の債務奴隷的な支配は末端の警察・官吏との賄賂で繋がった結託の下で公然と行われていたし、日常的な暴力もあった。
私もそのような光景を見たことがある。1976年の頃だった。ソウルの東大門の外側にある昌信洞(チャンシンドン)で家庭教師をしていた頃、東大門付近は私娼街が発達していた。その路地で男が若い女を殴っていた。女はしゃがんで拝むようにしていた。私は何もできなかった。
思うに、日本軍慰安婦の問題が提起された時、多くの韓国人が見慣れたこういう光景を思い出したのではないだろうか。
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最後の部分を視聴した時、ブログ主は心理学用語の『投影』(※)を思い出しました。
※投影(projection):フロイトの精神分析の概念のひとつで、防衛の一種。自分の無意識にある不快な内容が、他人の性質であるかのように感じられること。自己のとある衝動や資質を認めたくないとき、自分自身を守るためそれを認める代わりに、他の人間にその悪い面を押し付けてしまうような心の働きをいう。たとえば「私は彼を憎んでいる」は「彼は私を憎んでいる」に置き換わる。
韓国人が日本人を悪く言う時、大抵これが当てはまります。例えば、日本人の蛮行と主張する拷問や処刑方法も、中国や朝鮮で行われていた方法にそっくりなのです。
私娼街での火災による売春婦の焼死も同様です。
記事によって犠牲者の人数が微妙に異なるのですが、2000年9月に群山市大明洞で火災があり、監禁され売春を強要されていた5 人の女性が火事によって死亡する事件が起きています。2001年2月14日には釜山市琓月洞の風俗店で4人が焼死、2002年1月29日には群山市開福洞で、監禁部屋で外から鍵を掛けられて監禁されていた14 人の被害者女性が亡くなった火災事故がありました。
韓国は1961年に「淪落行為等防止法」が制定(※1)されます。2004年には「淪落行為等防止法」を改善した所謂「性売買特別法」が制定(※2)されました。
※1 但し、米軍基地周辺104箇所は対象外。Wikipedia『韓国軍慰安婦』より。(cf. 日本は1957年「売春防止法」施行-58年 赤線廃止)
※2 よくネットで揶揄される、売春婦達による「売春させろデモ」はこの施行11周年、即ち2015年の事のようです。
また、慶尚北道浦項(ボハン)市では2010年7月7日から11年6月13日にかけて、別の痛ましい事件が起こりました。売春婦8人が連続して自殺したのです。前借金が返済できず借金が膨らんだ女性が自殺すると、その保証人になっていた仲間の売春婦が悲観して次々に自殺したそうです。〔記事後述〕
これらの事件・事故が起きたのは慰安婦問題が提起された後ですが、『李承晩TV』などの慰安婦関連の動画のコメント欄で、1980年代、90年代まで人さらいがあったとか、貧しい家の子供が女中として他家に売られた(引き取られた?)いうコメントを時々目にします。
「慰安婦=性奴隷」というのは日本の戸塚悦郎弁護士が作りだした虚構ですが、これを容易に信じてしまう原因が韓国社会にある(あった)ような気がします。
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https://s.japanese.joins.com/JArticle/131509
2889%利子の借金で連続自殺
2010.07.26 11:07
遊興業店女性従業員などを相手に高利子で貸しつけた私債業者たちが多数警察に検挙された。
遊興業店女性従業員自殺事件を捜査中の慶北浦項南部警察署は25日、不法消費者金融業を営んだ疑い(貸付業などの登録及び金融利用者保護に関する法律違反)で浦項地域の消費者金融業者30人を逮捕し、イ某容疑者(38)ら7人に対して逮捕状を請求した。またキム某(48)ら23人を同じ容疑で書類送検した。
警察によるとイ容疑者らは2006年1月から最近まで自殺した遊興業店従業員イ某さん(32、女)とキム某さん(36、女)に1回に100万~500万ウォンずつ貸し、最低、年間133%で最高2889%の利子を受け取った疑いがもたれている。元金と利子を返すことができなければこれを再び元金に入れて利子を請求し、2人の借金は急激に増えた。消費者金融業者たちはイさんとキムさんが適時に借金を返すことができないとまた300万ウォンを貸し、元金未返済額と利子を返すという名目で250万ウォンを控除して50万ウォンだけよこしたと警察は明らかにした。
利子制限法は貸付業登録をしない人がお金を貸す場合、年間30%以上利子を受けることができないように規定している。2人は死亡する直前、元金と利子を合わせてそれぞれ1億ウォンの借金があり、互いに保証をした状態だった。イ容疑者ら消費者金融業者たちは主に夜明けの時間を利用して2人に「金を返せ」「早く借金を返せ」「(居酒屋に)押しかける」と言った電話をし、携帯電話文字メッセージを送るなど1日40~50回ずつ債務弁済を強要した。
警察関係者は「2人が高利子に耐えることができず、さらに借金をしてそれを返すようにしたが、次第に返済能力がなくなり、自殺したものとみられる」とし「借りたお金は生活費として使ったものと推定される」と話した。警察の調査結果、消費者金融業者たちは2008年1月から最近まで遊興業店従業員など80人と1400回にわたり、総額25億ウォンの取り引きをしたことがわかった。
浦項市南区の遊興業店女性従業員として働いていたイさんとキムさんは借金がかさむとこれを悲観して7、8日、自分の家で首を吊って自殺した。10日にはイさんと同じ店で働き、親しく過ごしてきたムン某さん(23)が彼女の死に衝撃を受けて自殺した。
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