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2021年4月の16件の記事

2021/04/30

【慰安婦問題】1950~60年代の韓国の売春婦(1)韓国軍慰安婦「特殊慰安隊」

『李承晩TV』の慰安婦に関する動画を初期の頃から観直しています。

 

  1. [日本軍慰安婦問題の真実] 1. 朝鮮戦争と韓国軍慰安婦(2019/05/17)
  2. [日本軍慰安婦問題の真実] 2. 1950-60年代の民間慰安婦(2019/05/24)
  3. [日本軍慰安婦問題の真実] 3. 1950-60年代の米軍慰安婦(2019/05/31)

 

朝鮮戦争の時に「韓国軍慰安婦」がいたことは衆知の事実ですが、韓国では「特殊慰安隊」と呼ばれ、国連軍(主に米兵)も彼女達を利用していました。

これを明らかにしたのは韓国の金貴玉(キム・キオック/キム・ギオク)慶南大客員教授で、2002年のことでした。韓国陸軍本部が1956年に編纂した『後方戦史(人事篇)』を研究したものです。

 

20020224_asahi_kankokugun_ianfu

 

1の動画はこの研究をベースにして李栄薫博士が解説しているので、今回はこの動画をご紹介します。

以下、動画の要約です。(前半約9分くらいは、過去、日本軍慰安婦に対しての自分の認識が誤っていたという訂正なので省略)

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

[日本軍慰安婦問題の真実] 1. 朝鮮戦争と韓国軍慰安婦(2019/05/17)

1951年に、当時朝鮮戦争中の韓国軍は兵士達に性的慰安を提供する「特殊慰安隊」()を創設した。

※詳しくは「2」の動画で解説されるが、「慰安婦」という用語は売春婦という意味で韓国に定着し、1960年頃まで行政用語として用いられた。

1956年に陸軍本部が編纂した『6.25事変後方戦史(人事編)』‎によると、特殊慰安隊は「兵士の士気を高揚し、性的要求を長期間解消できない事による不作用を予防することを目的として設立された」とされている。

ソウルには3つの小隊があり、江陵、春川、原州、束草には1つずつ中隊があった。

特殊慰安隊は1つの地域に留まることもあったが、部隊の要請により、各部隊に出動して慰安を提供することもあった。陸軍戦史によると、江陵の場合、中隊は8つの小隊で構成されており、各小隊に配属された慰安婦は平均20人だった。特殊慰安隊に所属した慰安婦の人数は常時およそ700人程度だと推定することができるが、人の入れ替えがあるので、総数はその何倍、あるいは何十倍にもなると思われる。

慰安婦達は性病予防のために週2回、検診を受けた。

画面の表(省略)は、『後方戦史』に出てくる1952年の1年間のソウルの第1~3隊と江陵の第1小隊のみ慰安の実績を表しているが、4つの小隊で常時89人の慰安婦がおり、彼女達が1952年の1年間に20万4,560人の兵士が慰安された。

これから計算すると、慰安婦が相手にする兵士は、月平均1万7,047人、日平均560人、慰安婦一人当たりの被慰安兵士は6.3人になる。つまり、慰安婦一人が一日に性交する人数は平均6人。この数字はこれから慰安婦を論じる際に他のケースでも一貫しているものがある。

車圭憲(チャ・ギョヒョン)という退役軍人の回顧録によると、24人用の野戦天幕に収容し、簡易天幕を張ってから兵士達を受け入れた。兵士達は天幕の前に列を作って順番を待ち、軍が配球したチケットを渡して慰安を受けた。

キム・ヒホという将校は「連隊から隷下(=その指揮下の)中隊に、昼間の8時間ずつ6人の慰安婦を『第5種補給品』として、士気高揚のために多額を払ってソウルから連れてきた」と回顧している。

このことから、慰安婦を補給品として認識して扱ったことが分かる。日本軍が慰安婦を軍需補給品()として管理したことから影響を受けたと言うことができる。

※『武漢兵站』(山田清吉著/1978年)でも分かるが、慰安婦は兵站係が管理した。

キム・ヒホの回顧録から、陸軍本部が編纂した『後方戦史』で紹介された特殊慰安隊以外にも部隊長の裁量によって、ソウルなどの売春街から慰安婦を募集して臨時的に運営した場合もあると推察できる。

私は慰安婦をトラックで運んだ経験のある元曹長にインタビューしたことがあるが、憲兵達から見つからないようにドラム缶に彼女達を入れて運んだということなので、合法的なことではなかったのだろう

天幕を張ると韓国兵だけでなく、米兵も来たと言っていた。

韓国軍慰安婦に関して最も詳しい回想を残しているのは蔡命新(チェ・ミョンシン)将軍だ。(

※省略。19歳の童貞の軍曹にチケットをやり、恥ずかしがる軍曹を無理矢理慰安婦によって「男」にさせたという話が紹介される。

この話を非難することはできないし、慰安婦制度を肯定するつもりもない。

歴史は決して道徳的な批判や断罪をするものではない。歴史家はあったことをできるだけ公正且つ客観的に叙述して伝えるだけだ。

特殊慰安隊は売春を禁止した国家施策に逆行する矛盾した活動()ではあるが、戦争遂行のために不可避な事だったと弁明し、休戦の8ヵ月後、特殊慰安隊の設置目的が解消され、1954年3月に特殊慰安隊は閉鎖された。

※1947年11月14日 公娼制度廃止

だからといって、以降、軍隊の周辺で性売買が消滅したわけではない。

1955年、政府は保険社会統計を作成するに当たり、民間の売春婦を慰安婦と称した。なので、朝鮮戦争当時の特殊慰安隊は、民間の慰安婦が部隊にしばらくの間営業の場所を移したものに過ぎない

金貴玉教授は、特殊慰安隊の供給源として、捕虜として捕らえた北朝鮮人民軍の女性兵士か共産主義者とされた不純勢力の残余だと主張しているが、それには同調できない。捕虜の女性兵士に性的暴行が加えられたと言う主張に対しては同調できるが、彼女達を特殊慰安隊のような部隊として編成し充当したと見る証拠はない。

1952年3月頃は戦線は現在の休戦ライン付近に固着され、以降、捕虜が大量に発生する余地は殆ど無かった。

朝鮮戦争当時、軍慰安婦と同じ6万人の民間慰安婦が存在していたので特殊慰安隊を組織することは難しくなかった。キム・ヒホの回顧録の通り、韓国軍の慰安婦は軍が多額のお金を使って民間から募集した女性達だった。

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

基本的には、日本軍の慰安婦を導入したもので、2002年2月22日付『オーマイニュース』の『【創刊2周年発掘スクープ①】 日本軍従軍経験の遺産』〔韓国語〕という記事では、キム·ヒオ将軍は、初めて慰安隊を目撃した瞬間、直感的に「これは、かつて日本軍内の従軍経験がある一部の幹部が、部下の士気高揚の発想から始まったものだ」と思ったと書かれています。

大きな違いは、日本軍が、慰安所の運営を民間業者にやらせた〔但し、慰安婦の検診などで直接的に軍も関与した〕のに比べ、韓国軍では、軍が直接慰安所を運営していたことです。

動画の解説での注目すべき点として、「朝鮮戦争当時、6万人の民間慰安婦がいた」ことが挙げられます。

李栄薫博士がそうだと言っている訳ではありませんが、韓国では、韓国軍慰安婦は既に売春婦となっている女性に働く場を与えたのだという主張もあります。

では、その売春婦はどこから湧いてきたのでしょうか?

日本軍慰安婦だった女性でしょうか?

詳しくは「2」の動画で扱いますが、性病検診の対象者(つまり、売春婦またはそれに準じる職業)の統計では、例えば1955年の初診者は22,659人となっています。1958年では23,769人です。新しく性風俗の世界に入る女性がそれだけいるという意味です。廃業する売春婦もいるので、増減どちらもあるはずですが、総数も61,833人(55年)から65,692人(58年)と、4千人弱増えています。

 

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下は、1930年末の朝鮮在住の日本人と朝鮮人娼妓の前職の比較です。

 

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ここでは、日本人女性の娼妓の約6割が芸妓・酌婦・娼妓と売春婦またはそれに準じる職業が前職で、一方、朝鮮人女性は家事手伝い・女中・人妻・農業が前職であることが多いのが分かります。しかし、著者の秦郁彦教授が「既経験者も元を正せばやはり農業などから身売りされたはずで、十年前後のサイクルの違いに過ぎないとも言えよう」と書いているとおりだと思います。

元日本軍慰安婦と称する女性達の証言も、慰安婦の年齢制限(朝鮮では17歳以上)もあり、初めての性風俗業が日本軍慰安婦とはとても思えない話が多いのも事実です。

なお、1955年~1958年の頃の接待婦の学歴は、57%が無学で、その内23%は文盲でハングルも読めず、34%はハングルは理解できたそうです。(動画「2」より)

多くの韓国人にとって、何故か、日本統治時代“だけ”は朝鮮人女性の貞操観念が強いらしいのですが、結局、貧しくて学の無い女性が手っ取り早く稼げる職業と言えば、水商売とか売春婦だと言うことだと思います。

 

上述のオーマイニュースの記事はほぼ動画と同じことが書かれているので省略しますが、次回は同じオーマイニュースの次号の記事をご紹介します。

 

 

  


 

 

 

2021/04/29

【「徴用工」問題】「強制連行」「強制労働」という表現に関する質問主意書と政府答弁【教科書問題】

前回のエントリーで書いたように、歴史教科書に「従軍慰安婦」という表記〔山川出版社のような姑息な「いわゆる従軍慰安婦」という表記も〕が使えないようにする閣議決定がなされました。

教科書検定基準には、「閣議決定その他の方法により示された政府の統一的な見解」及び「最高裁判所の判例」があるときは、それらに基づいた記述がされている事、となっているからです。

昨日ようやく馬場伸幸衆院議員〔日本維新の会〕の質問主意書に対する政府答弁〔←政府答弁とは閣議決定されたもの〕がPDFで公開され、早速、『WILL増刊号』が取りあげました。

 

 

馬場議員の質問主意書はもう一通あり、『「強制連行」「強制労働」という表現に関する質問主意書』というものです。(第204回国会 質問一覧の項番97と98)

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

「強制連行」「強制労働」という表現に関する質問主意書

「強制連行」「強制労働」等の表現に関する問題は緊急を要すると考える。

したがって、次の事項について質問する。

一 昨年六月、一般公開された「産業遺産情報センター」においては、朝鮮半島から来て長崎県・端島(軍艦島)の炭鉱で労働者として働いていた人々やその家族の証言が展示されている。その中には、在日韓国人二世の元島民が「周囲の人とか、いろいろな方からかわいがられたことはあるけど、指さされ「あれは朝鮮人ぞ」とか、そういうことは、まったく聞いたことがないですね。」といった証言もある。

1 終戦前に朝鮮半島から労働者として本土に来た人々には、自らの意志で渡航を決めた人もいるし、渡航に至る形態で見ても、募集に応じた人、官斡旋で来た人、徴用された人など、様々な経緯を辿って来た人がいるにもかかわらず、これらの人々を一括して「強制連行された」とか「強制的に連行された」と呼んでいたり、同様の趣旨で「連行された」と呼んでいたりする向きもある。そもそも「連行」とは、主要な国語辞典において、「犯人を連行する」というような形で使用される語として書かれており、例えば、岩波国語辞典(第八版、岩波書店)では「人を引っ張るようにしてつれていくこと。」、大辞泉(第二版、小学館)では「本人の意思にかかわらず、連れて行くこと。特に、警察官が犯人・容疑者などを警察署へ連れて行くこと。」とされていたり、また法令においては、例えば警察官職務執行法における「連行」という言葉は、相手の意に反し、有形力を用いて警察署などに同行させる行為などを指して使われていたりするなど、一般的には極めて強い意味合いのある言葉と言える。こうした表現を用いることは不適切きわまりないと考えるが、政府の考えを問う。

2 また、国民徴用令に基づいて徴用された朝鮮半島出身者がいたことは事実であるが、当時日本人も同様に徴用されたのであり、徴用と「強制連行」を混同するのはおかしいと考える。政府は、過去に「強制連行について、「その意味するところについて確立された考え方があるとは承知していない」旨の答弁書を閣議決定しているとおり、「強制連行」について確立した定義は存在しない。徴用については、国民徴用令に出頭手続き等が規定された「徴用」というれっきとした法律用語があるのであるから、「強制連行」や「連行」との誤った用語を用いるべきではなく、「徴用」を用いるべきであると思うが、政府の考えを問う。

二 戦時中に朝鮮半島から多くの人々が労働者として「募集」「官斡旋」「徴用」により本土に連れてこられ、強制労働させられたとの見解があるが、政府の考えを問う。

右質問する。

 

* * * *

 

衆議院議員馬場伸幸君提出「強制連行」「強制労働」という表現に関する質問に対する答弁書

一について

御指摘のように朝鮮半島から内地に移入した人々の移入の経緯は様々であり、これらの人々について、「強制連行された」若しくは「強制的に連行された」又は「連行された」と一括りに表現することは、適切ではないと考えている。

また、旧国家総動員法(昭和十三年法律第五十五号)第四条の規定に基づく国民徴用令(昭和十四年勅令第四百五十一号)により徴用された朝鮮半島からの労働者の移入については、これらの法令により実施されたものであることが明確になるよう、「強制連行」又は「連行」ではなく「徴用」を用いることが適切であると考えている。

二について

強制労働ニ関スル条約(昭和七年条約第十号)第二条において、「強制労働」については、「本条約ニ於テ「強制労働」ト称スルハ或者ガ処罰ノ脅威ノ下ニ強要セラレ且右ノ者ガ自ラ任意ニ申出デタルニ非ザル一切ノ労務ヲ謂フ」と規定されており、また、「緊急ノ場合即チ戦争ノ場合・・・ニ於テ強要セラルル労務」を包含しないものとされていることから、いずれにせよ、御指摘のような「募集」、「官斡旋」及び「徴用」による労務については、いずれも同条約上の「強制労働」には該当しないものと考えており、これらを「強制労働」と表現することは、適切ではないと考えている。

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

参考までに、ブログ主が作成した『戦時動員概念図』を提示します。韓国の所謂「徴用工裁判」の原告4名〔2018年10月30日の韓国大法院判決〕は募集工または官斡旋です。最初は企業が募集していましたが、不正渡航が多くて問題になったので、行政が募集に関与しました〔=官斡旋〕。

 

 

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所謂「徴用工裁判」の原告もそうですが、朝鮮半島出身労働者はほとんど自由意志で渡航したのです。そして、『反日種族主義』(李栄薫、他・著)などで明らかになったように、日本人と朝鮮系日本人との間で賃金の差はありませんでした。

 

再び、山川出版社の中学生用歴史教科書を再掲しますが、これは「戦時下の国民生活」という単元の、小見出し「戦時体制下の植民地・占領地」にあります。

 

Yamakawa_textbook01
画像は山川出版社の中学生用教科書
なでしこアクション」のサイトからお借りしました。
河野談話(=政府見解)に使われているのをいいことに
「いわゆる従軍慰安婦」という記述をしている。

 

本文には問題のある記述が多々ありますが、特に赤枠の「多くの朝鮮人や中国人〔が日本に徴用され鉱山や工場などで過酷な条件の下で労働を強いられた。朝鮮や台湾でも徴兵制が施行された。」という記述は全くの誤りです。

※2021/03/30の参議院・文教科学委員会の日本維新の会・松沢成文委員の質疑で「中国人は『国民』ではないので『徴用』というのは明白な誤りである」という指摘があったが、答弁により、昨年11月に出版社からの訂正申請があり、既に訂正されていたことが判明。

鉱山や工場での仕事が過酷なものだとしても、特に朝鮮人だけを「過酷な条件の下」で働かせたわけでも、それを強いたわけでもありません。

直接的に「強制労働」という表現を使っているわけではありませんが、「強制労働をさせた」と言っているも同然の文で、そもそもこれが何の検定意見も付かずに通ってしまったのが問題ですが、これも今回の閣議決定で修正されるべきでしょう。

 

 

  


 

 

 

2021/04/28

【教科書問題】「従軍慰安婦」表現は不適当と閣議決定 その意義は?

公開:2021-04-28 08:15:00  最終更新:2021/04/28 22:36

4月27日付『産経新聞』web版に『「従軍慰安婦」表現は不適当 「強制連行」も 政府答弁書 教科書は使用』という記事が掲載されました。(紙面は4月28日付/記事後述)

この『従軍慰安婦』という用語については以前のエントリーでも解説しましたが、1973年に出版された千田夏光(元毎日新聞記者)の本のタイトルに付けられた“造語”で、本の内容から、「20万人」、「性奴隷」、「強制連行」という3つのキーワードと結びついた用語です。しかし、本来、そのような言葉は無かったので、本文には一切使われていません。(cf. Wikipedia『千田夏光』)

そもそも、「従軍○○」は正式には軍属であり、階級も与えらる立場でした。民間の売春婦はその対象ではありません。

しかし、これによってこの言葉が世間にある程度広まってしまったため、『河野談話』(1993年)では、その文面に「いわゆる従軍慰安婦問題については~」という形でこの言葉が使われました。但し、「いわゆる」が付いていることから、「世にいわれている、世間でいう」という意味で、むしろ、正式な用語ではない事も表しています。

 

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しかし、これを悪用したのが山川出版社の中学生用歴史教科書です。

どういう意味かというと、教科書検定基準には、「閣議決定その他の方法により示された政府の統一的な見解」及び「最高裁判所の判例」があるときは、それらに基づいた記述がされていることとなっているからです。

本来、中学生に「慰安婦」を教えることの是非は別として、河野談話に使われていることで「政府の統一的な見解」だとし、正式な用語である「慰安婦」を使わずに、わざわざ「いわゆる従軍慰安婦」という言葉を用いました。

 

Yamakawa_textbook01
画像は山川出版社の中学生用教科書
なでしこアクション」のサイトからお借りしました。
河野談話(=政府見解)に使われているのをいいことに
「いわゆる従軍慰安婦」という記述をしている。

 

今までも『つくる会』(新しい歴史教科書をつくる会)や『なでしこアクション』が、辻元清美議員の質問主意書に対する政府答弁や安倍総理の国会答弁、植村隆元朝日新聞記者の名誉毀損裁判を引き合いに出し、「強制性はなかった」という理由で、この記述を不適切とするように萩生田光一文部科学大臣に申し入れてきましたが、『従軍慰安婦』という用語を否定するものではないためか、無視されてきました。

「河野談話」を取り消すという方法もありますが、それができないなら、新たな閣議決定でこれを教科書に使わせないようにすべき、というのは『月刊正論』も提唱していました。(チャンネル正論:「@CHANNELSEIRON正論ウィークリー」続・政府は「従軍慰安婦」を使うな

 

これが一歩前進したのが、2月8日の衆院予算委員会での藤田文武議員(日本維新の会)の質問です。加藤勝信官房長官が「近年、政府においては、『従軍慰安婦』は用いておりません。」と明確に答弁しました。

その後も、有村治子参議院議員(自民党)や松沢成文参議院議員(維新)が同趣旨の質問を行い、今回、馬場伸幸衆議院議員(維新)が、『「従軍慰安婦」等の表現に関する質問主意書』と『「強制連行」「強制労働」という表現に関する質問主意書』の2つの質問主意書を提出し、その結果、閣議決定された「『従軍慰安婦』表現は不適当」という政府の統一見解が出たのです。

実はまだ政府答弁は公開されていないので、その正確な内容は分からないのですが、「第204回国会 質問の一覧」(項番97と98)で、質問主意書のみPDFで公開されています。(【2021/04/28 22:36追記】答弁書のPDFも公開済み)

 

この問題は韓国との“歴史戦”の一環ではありますが、直近の問題としては日本の歴史教科書の問題であり、歴史教育の問題です。

韓国では勇気ある方々が慰安婦像の撤去や慰安婦被害者法の撤廃を求めて活動をしているのに、肝心の日本がこのような教科書を野放しにおくわけにはいかないのです。

 

以下、産経と読売の記事と、馬場伸幸衆院議員の質問主意書(従軍慰安婦の件)からコピペした文面をご紹介します。(【2021/04/28 22:36追記】答弁書のPDFも公開されたので追記します。)

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

https://www.sankei.com/politics/news/210427/plt2104270018-n1.html
「従軍慰安婦」表現は不適当 「強制連行」も 政府答弁書 教科書は使用
2021.4.27

政府は27日の閣議で、慰安婦問題に関して「従軍慰安婦」との表現は適切でなく、単に「慰安婦」という用語を用いるのが適切だとする答弁書を決定した。先の大戦中に行われた朝鮮半島から日本本土への労働者動員について「強制連行」との表現が不適切だとする答弁書も決めた。いずれも日本維新の会の馬場伸幸衆院議員の質問主意書に答えた。

 答弁書では、平成5年の河野洋平官房長官談話で用いられた「いわゆる従軍慰安婦」との表現に関し「当時は広く社会一般に用いられている状況にあった」と説明した。ただ、その後に朝日新聞が、虚偽の強制連行証言に基づく報道を取り消した経緯を指摘した上で「『従軍慰安婦』という用語を用いることは誤解を招く恐れがある」とし、「単に『慰安婦』という用語を用いることが適切だ」と明記した。

 一方、労働者の動員に関しては「移入の経緯はさまざまであり『強制連行された』『強制的に連行された』『連行された』とひとくくりに表現することは適切ではない」と指摘した。その上で、国民徴用令に基づく徴用・募集・官斡旋(あっせん)により行われた労務は、1932年発効の「強制労働ニ関スル条約」で定義された「強制労働」には該当しないとして「これらを『強制労働』と表現することは適切ではない」とした。

 一方、4月から中学校で使用されている一部の教科書には「従軍慰安婦」の記述が復活した。文部科学省が3月に公表した令和4年度以降の高校教科書の検定結果でも複数の教科書で「いわゆる『従軍慰安婦』」と記載されている。
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 政府が現在も河野談話を継承していることが根拠となっており、表現の在り方をめぐり政府内で食い違いが生じる形となっている。

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

https://www.yomiuri.co.jp/politics/20210427-OYT1T50216/
「従軍慰安婦」より「慰安婦」が適切…閣議決定、今後の教科書検定に反映
2021/04/27 22:04

 「慰安婦」の表現を巡り、政府は27日、「『従軍慰安婦』という用語を用いることは誤解を招く恐れがある」とする答弁書を閣議決定した。日本維新の会の馬場伸幸衆院議員の質問主意書に答えた。

 文部科学省の教科書検定では「従軍慰安婦」という表現を使ったものが合格しており、同省は「今回の閣議決定は今後の検定に反映される」との考えを示した。

 教科書検定では1993年の河野洋平官房長官談話などを踏まえ、「いわゆる従軍慰安婦」という表現を使った教科書も合格している。4月から使い始めた中学校の社会(歴史)で1社、来年春から使用される高校の歴史総合で2社がそうした表現を使っている。

 答弁書では河野談話は継承しつつ、朝日新聞が2014年、慰安婦を強制連行したとする証言を虚偽と判断し、事実関係の誤りを認めた経緯を踏まえ、従軍慰安婦という表現を「誤解を招く恐れがある」と指摘。「単に『慰安婦』という用語を用いることが適切だ」とした。

 教科書検定では閣議決定など政府の統一的な見解がある場合、それに基づいた記述をするという基準がある。文科省教科書課は検定済みの教科書について「教科書会社が訂正申請してくることが考えられる」とした。

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

令和令和三年四月十六日提出提出
質問第九七号

「従軍慰安婦」等の表現に関する質問主意書

提出者 馬場伸幸

「従軍慰安婦」等の表現に関する問題の解決は、重大かつ喫緊の課題である。

平成四年の政府調査等では、慰安婦に関して軍や官憲による強制連行を直接示す資料は見つかっていないにもかかわらず、これまで「従軍慰安婦」の用語は、千田夏光氏の著書(昭和四十八年)以降世の中で広く使われており、その結果、あたかも女性たちが強制的に連行され、軍の一部に位置付けられていたとの誤った理解を日本国内のみならず国際的にも与えてしまっているとの問題があり、今後、政府としてこの用語を用いることは適切ではないと考える。その意味で、本年二月八日の衆議院予算委員会で加藤官房長官が「近年、政府においては、慰安婦という用語を用いており、従軍慰安婦という用語は用いておりません」と答弁されたことは高く評価する。

また「いわゆる従軍慰安婦」の用語も、平成五年八月四日の河野官房長官談話をはじめ広く使われている。菅内閣が同談話を継承して、そこで表現されているお詫びと反省の気持ちを引き継ぐことは十分理解するので、同談話そのものを見直すことは求めないが、「従軍慰安婦」の前に「いわゆる」を冠することは、先ほど述べた誤った理解を正すことにはならず、むしろ間違った印象を更に広めてしまう懸念があり適切ではないので、今後この用語を政府として用いることは適切でないと考える。

以上を踏まえ、次の事項について質問する。

一 政府として、平成五年八月四日の河野官房長官を継承するのか、改めて政府の基本的立場を示されたい。

二 政府はなぜ平成五年八月四日の河野官房長官談話において、「従軍慰安婦」という用語を使用したか。

三 「従軍慰安婦」という用語に、軍より「強制連行」されたかのようなイメージが染みついてしまっていると考えるが、近年、政府としてこのような「従軍慰安婦」という用語を使用していない理由は如何。

四 今後、政府として、「従軍慰安婦」や「いわゆる従軍慰安婦」との表現を用いることは、不適切であると考えるが、政府の見解は如何。従軍慰安婦という用語を使用しない場合であっても、例えば、軍や軍からの要請を受けた業者との関係を明らかにせずに、単に女性たちが「慰安婦として従軍させられた」といった表現を用いる等、「従軍」と「慰安婦」を組み合わせた表現を使用することも不適切であると考えるが、政府の見解は如何。

右質問する。

 

* * * *

 

衆議院議員馬場伸幸君提出「従軍慰安婦」等の表現に関する質問に対する答弁書

一について

政府の基本的立場は、平成五年八月四日の内閣官房長官談話(以下「談話」という。)を継承しているというものである。

二から四までについて

平成四年七月六日及び平成五年八月四日の二度にわたり公表された政府による慰安婦問題に関する調査において、調査対象としたその当時の公文書等の資料の中には、「慰安婦」又は「特殊慰安婦」との用語は用いられているものの、「従軍慰安婦」という用語は用いられていないことが確認されている。もっとも、談話発表当時は、「従軍慰安婦」という用語が広く社会一般に用いられている状況にあったことから、談話においては、「いわゆる」という言葉を付した表現が使用されたものと認識している。

その上で、政府としては、慰安婦が御指摘の「軍より「強制連行」された」という見方が広く流布された原因は、吉田清治氏(故人)が、昭和五十八年に「日本軍の命令で、韓国の済州島において、大勢の女性狩りをした」旨の虚偽の事実を発表し、当該虚偽の事実が、大手新聞社(←ブログ主註:朝日新聞)により、事実であるかのように大きく報道されたことにあると考えているところ、その後、当該新聞社は、平成二十六年に「「従軍慰安婦」用語メモを訂正」し、「『主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した』という表現は誤り」であって、「吉田清治氏の証言は虚偽だと判断した」こと等を発表し、当該報道に係る事実関係の誤りを認めたものと承知している。

このような経緯を踏まえ、政府としては、「従軍慰安婦」という用語を用いることは誤解を招くおそれがあることから、「従軍慰安婦」又は「いわゆる従軍慰安婦」ではなく、単に「慰安婦」という用語を用いることが適切であると考えており、近年、これを用いているところである。また、御指摘のように「従軍」と「慰安婦」の用語を組み合わせて用いるなど、同様の誤解を招き得る表現についても使用していないところである。引き続き、政府としては、国際社会において、客観的事実に基づく正しい歴史認識が形成され、我が国の基本的立場や取組に対して正当な評価を受けるべく、これまで以上に対外発信を強化していく考えである。

 

※「強制連行」「強制労働」と言う表現に関する質問主意書については別途エントリーします。

 

  


 

 

 

2021/04/26

【ラムザイヤー論文を読む】(5)何が批判されているのか その2

【ラムザイヤー論文を読む】(5)何が批判されているのか その1』の続きです。

 

* * * *

  1. '慰安婦契約'の証拠(2021/02/20)
  2. 日本では自発的契約だったが、朝鮮では強制連行か?(2021/02/28)
  3. 有名たアメリカの教授達のラムザイヤーの批判を見てみると...(2021/03/09)
  4. 吉見義明教授のラムザイヤー批判を見てみると -慰安婦性奴隷論者の知的破綻(2021/03/13)

* * * *

 

海外(アメリカ)の学者による論文批判は「3」の動画にまとめられていますが、この動画が公開された当時(3月上旬)、韓国のメディアは連日のように海外の教授の発言を引用し、その権威を傘に、ラムザイヤー論文を批判していました。批判の対象は主に「契約」に関するものです。即ち、「契約書(の実物)が示されていない」、「事業主と慰安婦に力関係の差があり、対等な契約は結べない(=自由意志で結んだ契約ではない)」といった指摘です。

 

以下、それらに対する朱益鐘(ジュ・イクジュン)博士の解説と反論をご紹介します。

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

この画面(画像省略)の2人の内左側は、ハーバード大学歴史学科の日本史担当アンドリュー・ゴードン教授であり、右側は東アジア言語文化学科の韓国史担当のカーター・エッカート教授です。この2人が2月17日にラムザイヤー教授を批判した声明を作成し、ハーバード大学のオンラインコミュニティに上げました。

※批判文は『Statement by Andrew Gordon and Carter Eckert concerning J. Mark Ramseyer, "Contracting for Sex in the Pacific War"

これはハーバード大学ロースクールのJeannie Suk(ソク・ジョン)教授です。(画像省略)彼女が2月26日、New Yorkerという雑誌に寄稿しました。『Seeking the True Story of the Comfort Women』(慰安婦の真実を探して)というタイトルです。ハーバード大学ロースクールのテニュア(tenure:終身在職権)教授が書いた文だから、まるで慰安婦の真実が含まれている印象を与えます。

また、在米韓国系の教授等が主導をして、ラムザイヤー教授の論文の撤回を要求する連判状を米国内の大学に回しました。SBSは『ノーベル賞受賞者も連判状に署名し、ラムザイヤー容認できず』というタイトルで報道しました。そして、ノーベル経済学賞を受賞したゲーム理論家であるスタンフォード大学アルビン・ロス(Alvin Elliot Roth)とポール・ミルグロム(Paul Robert Milgrom)、2人とも非常に顕著な経済学者なのに、この2人の教授がラムザイヤー教授の論文の問題点を批判するする声明を発表したと言います。

最後に、115年の伝統の米『政治学評論』という学術誌の編集委員12人全員が連判状に参加したとも報道されました。連判状に署名した教授の数は3千人を超えたとするので、このようなニュースを続けて聞いてみると、「アメリカの大学の良識ある教授等は、みんなラムザイヤー教授を批判し、その論文の撤回を要求している」ような印象を持つでしょう。

ところが、学問の真理は研究者の数で判別するものではないのです。その論理がどのように合理的であり、一貫性を持っているのか、また、それが客観的な事実、客観的証拠に裏付けされるのかによって判別されるべきでしょう。

では、このアメリカの教授等の批判はどの類い、どんな正確の批判なのかを見てみましょう。

これ以降は字幕そのままではなく、要約です。

まず、ソク・ジョン教授の寄稿文について。彼女はラムザイヤー教授に対する米国およびその他の英語圏の大学教授等の批判をいちいち紹介し、自分の意見も書いています。しかし、公正性に疑問を持ちます。

彼女の批判文には、「(ラムザイヤー魔女狩りを糾弾する声明を発表した15人の)署名者の一人は、記者の頬を殴った映像で知られているソウル大の定年退職教授()であり、他の一人は、慰安婦少女像撤去のデモを率いる途中に暴行された研究者(おそらく、李宇衍博士のこと)だ。」、「慰安婦性奴隷説は嘘だと主張した、2019年の『反日種族主義』共著者4人が含まれている」と書かれています。

※李栄薫教授は、しつこくマイクを突きつけるテレビ局の記者のマイクを手で払いのけた事があり、暴行だと報道された。

これは、ラムザイヤー論文を擁護する人物は市井の無頼漢と同じだという印象操作です。彼女は慰安婦性奴隷説について何ら根拠を示していません。

 

◆本当に学術論文に値しないのか?

 

20210309_risyouban01

 

リチャード・ペインターミネソタ大学ロースクール教授とソク・ジョン氏です。

批判者達はまず、「慰安所事業主と慰安婦の間に契約が成立することができなかった」と言います。ラムザイヤー教授は事業主と慰安婦のとの間の関係を契約関係と見るが、批判者達は、そもそも契約が成立できなかったと主張します。

ソク氏は慰安所で慰安婦の自由意志は行使することができなかったと言いますが、ラムザイヤー教授は慰安婦になる際の契約の話をしているので的外れです。

※ソク氏に対する批判は後述の有馬哲夫教授の批判も参照のこと。

リチャード・ペインター教授はまだマシです。

しかし、例えば、ある青年がサムスン電子の入社試験に合格して雇用契約を結ぶとします。この2者は対等な関係でしょうか?両者の力関係は不均衡ですが、契約を結ぶことができ、法律で保障されます。彼の主張が成立するには、日本統治時代が完全な無法時代である必要があります。しかし、当時は、法による支配が行われ、特に経済的契約関係は法によって保護されました。彼は当時の朝鮮が無法地帯だったことを証明しなければなりません。

 

20210309_risyouban02

 

第二の論点は「契約の証拠がない」ということです。

アレクシス・ダデンは契約が無かったと主張し、ゴードンとエッカートも声明で「ラムザイヤー教授が一つの契約書も提示していない」と指摘しました。

また、ゴードンとエッカートは、1930年代半ばに「慰安所」という言葉が使われる時は保養所やホテル等を意味していたという指摘もしました。だから、保養所などで働くと騙されて慰安婦募集に応募した可能性があると書いています。たとえ契約があったとしても、せいぜい詐欺だと言うのです。

私は『慰安婦契約の証拠』という以前の動画で、慰安婦が中国など海外に行く時、酌婦営業許可願、承諾書、戸籍謄本、印鑑証明などが必要で、これらの書類が契約を意味すると言いました。

契約の証拠がないという彼らの方が信頼性も信憑性もありません。

慰安婦契約があったのかという問題に関しては、近いうちに慰安婦の事例の中で契約的性格が明らかなものが提示されます。()そうなれば、契約書が無かったというアメリカの学者の批判も成立しません。

※おそらく、李宇衍博士が提示してJBpressに掲載された論文のこと。その内容は元慰安婦の証言で、親や祖父母に連帯保証人の判を貰う話や、転売禁止の契約だが、この慰安所では客が付かなくて稼げないから、他の慰安所に移動させてくれと頼んだという話が出てくる。→ブログ記事:【ラムザイヤー教授】金柄憲所長:『契約』はあった【メディアウォッチ】

ラムザイヤー教授が契約を見ていないのは確かです。しかし、以前の動画『ハーバード教授の慰安婦論文を正しく読む』で指摘したとおり、教授は、事業主と女生徒との間の関係を契約関係で見ると、公娼と慰安所制の特徴がよく説明できる、ということを示したのです。

※ゴードンとエッカートに対する批判は後述の有馬哲夫教授の批判も参照のこと。

 

 

「ラムザイヤー教授が慰安婦契約の存在を証明できなかった。これに関するスタンフォード大学のロスとミルグロム教授の指摘は正しいです。

女性が契約によって慰安婦になったことを見せるためには、その契約の事実自体を示さなければならないということです。この2人は、(ラムザイヤー教授が)単に慰安婦が働いた期間や受けた給与等がゲーム理論的に説明しただけで、契約自体が証明されてはいないと指摘しました。

私もその指摘に共感します。ラムザイヤー教授は慰安婦契約を証明することはありませんでした。論文ではその問題は扱いませんでした。

しかし、論文に「性契約」と名前を付けて契約を証明しなければ、論文を撤回しなければならないのでしょうか。

そうではありません。ラムザイヤー教授は慰安婦を契約と見ると、関連現象が一貫して、あまりにもよく説明できる事を示しました。なぜ前借金があるのか、その金額が国内の公娼より日本軍慰安所ではなぜより大きくなるのか、何故契約期間があるのか、公娼の契約期間が6年もしくは3年だったのが、何故慰安所では2年に短縮されるのか等、慰安婦を契約と見ると、あまりにもよく説明できるということです。

ラムザイヤー教授の論文はまさにこれを明らかにしたという点で学術的に大きな意義を持っています。

conventional wisdom(一般に昔から正しいとされている通念)という言葉があります。学問の世界ではこれに挑戦すること、これを批判し、新しい学説を提唱することが学術研究の本領です。

 

「事実確認せずに、専門知識もない人々がどっと押し寄せながら騒ぐのは韓国だけかと思ったら、そうではないようで、驚いています。」

これは、私と同じ経済史の研究者が私にくれたメールの文章です。

日本軍慰安婦〔の問題〕は私達がその一部しか知らない、非常に複雑な経緯によって作られたものです。

ラムザイヤー教授の論文を批判する教授達は、韓国の慰安婦の歴史については何も知りません。歴史の真実は〔批判者の〕数ではなく、明確な証拠によって判断されるべきものです。

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

これ以外にも、例えば金柄憲(キム・ビョンホン)所長は、「〔総報酬の大部分を前払いしている年季奉公契約では抱え主の方が不利なので、〕契約は“安全装置”」だという意見です。(→ブログ記事:【ラムザイヤー論文を読む】(2)1920年代の芸娼妓の法定紹介手数料【金柄憲所長の解説動画】

 

最後に、『デイリー新潮』web版にこれまでに寄稿された、有馬哲夫教授の反論もインデックスしておきます。

 

「韓国側の批判は筋違い」、ハーバード大教授「慰安婦論文」批判の悪質な点を指摘する(2021年3月17日)

「従軍慰安婦」ラムザイヤー論文への総攻撃が続く、批判者たちへの根本的な疑問(2021年3月24日)

韓国側が連日猛攻撃、ハーバード大教授「慰安婦論文」で批判されている点を原文で徹底検証(2021年3月31日)

ラムザイヤー教授「慰安婦論文」を批判するハーバード大学教授は文献を読めていないのではないか(前編)(2021年4月5日)

ハーバード大学ライシャワーセンター所属の日本史専門のアンドルー・ゴードン教授と東アジア言語文化専門のカーター・エッカート教授の批判文

ラムザイヤー教授「慰安婦論文」を批判するハーバード大学教授は文献を読めていないのではないか(後編)(2021年4月6日)

ハーバード大学ライシャワーセンター所属の日本史専門のアンドルー・ゴードン教授と東アジア言語文化専門のカーター・エッカート教授の批判文

ハーバード大「慰安婦」論文を批判する韓国系教授のロジックは強引ではないか(前編)(2021年4月13日)

ソク教授のエッセイに対する反論

ハーバード大「慰安婦」論文を批判する韓国系教授のロジックは強引ではないか(後編)(2021年4月13日)

ソク教授のエッセイに対する反論

ハーバード大教授「慰安婦論文」問題 ラムザイヤー批判をするノースカロライナ州立大教授の知らない歴史の事実(2021年4月24日)

David Ambaras 教授の有馬教授への反論に対する再反論。(※アンバラスは、茶谷さやか等、学術誌に論文の撤回を要求した5人の学者の一人。この5人はTwitterでブログ主をブロックしてる小心者w)

 

 

  


 

 

 

【ラムザイヤー論文】ラムザイヤー教授からのビデオメッセージ書き起こし【「ラムザイヤー論文をめぐる国際歴史論争」シンポジウム2021/04/24】

去る4月24日、都内で「ラムザイヤー論文をめぐる国際歴史論争」という緊急シンポジウムが開催され、ブログ主も聴衆の一人として参加しました。

「国際歴史論戦研究所」と「なでしこアクション」が主催し、産経新聞後援で行われたものです。

この様子は全編YouTubeでもライブ配信され、『つくる会CH』で見ることができますが、ここではラムザイヤー教授のメッセージ開始部分のリンク(1:51:29)をご紹介します。

以下は発言内容の書き取りですが、動画でご覧になれば、よりラムザイヤー教授のお人柄が伝わると思います。(韓国の保守系ネットメディア『ペン&マイク』の記事から日本語部分をお借りします。)

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

ラムザイヤーです。宜しくお願いします。このシンポジウムの企画を立てて下さった国際歴史論戦研究所の方々、なでしこアクションの方々、そしてこのシンポに対して寛大な後援をして下さった産経新聞、そしてお忙しいところに集まって下さった皆様方に心から感謝致します。

正直に言えば、なんと言って良いか、全くわからない程恐縮です。こんな著名な先生方が集まってくださる事は一生夢にもなかった事です。本当に光栄に思っております。しかし今度の課題は僕でもありませんし、僕の8ページの論文でも無いことは明らかです。単なる一人の教員に対する嫌がらせの問題ではなく、もっと深刻な、重大な問題だと思います。

過去の出来事を誠実に、細かく、包括的に、出来るだけバイアス無しに伝えること、学問に自由を徹底的に守る事が、今日の課題になっていると思います。そしてこの二つの目的を達成するために、僕が小さな役割を果たす事が出来れば幸いだと思っております。誠実な歴史を伝えるため、学問の自由を守るために、僕にでも役に立てる事がありましたら、出来るだけ頑張りたいと思っております。

この経験を通して何を習ったかと言いますと、次の三つの点が気になりました。

一つは誠実にものを言う事がどれほど重要であるかです。

今日のテーマの問題を解決するための第一歩は過去の現象を誠実に供述する事ですし、まさに当たり前のはずの事ですけど、発表する時、論文とか記事を書く時、誠実に、そして出来るだけバイアス無しにものを言うべきだという事ですし、現在のニュースを報告するのでしたら、出来るだけバイアス無しに報告するべきですし、過去の出来事について挙述する場合も、同じ事が当たり前のはずですけれど、無視されている訳なのですね。

そして今日のテーマに戻りますと、1930年代の朝鮮半島では何が起こったかについても誠実に書くべきだという事です。僕が今度の短い論文を書いたきっかけも、英語・英文の文献を読んで、まさに不正だと思った事が多かったからです。どれを読んでも韓国の反日バイアスがかかっているとか、または、米国学界の人文科学の反日バイアスがかかっている様に読めるものが圧倒的に多かったので、この論文を書く事にしました。ということで、歴史を書く時に、政治的に都合が良いからこれを書こうとか、学界の流行に沿ったものを書きたいのでこれを書こうと思って書く人があまりにも多くいるから、今日の状態になってしまったと思います。

この経験を通じて習った第二の点は、学問に自由がどれほど重要なのかです。

誠実な研究を行うためにはどんなに政治的に不都合な論文であっても発表できる事が「基礎」になります。結局、米国の学界では少なくてもこれ位は当たり前の事だとずっと思っていましたけど、結構間違っていましたね。

今回の論文に関する反発の猛烈さにビックリしました。ある程度の反発がある事は勿論覚悟していましたけれども、こんなに激しいものになるとは全く予想していませんでした。今回の批判者にとって重要な事は、強制連行説とか性奴隷説に対する反対説が絶対に英語の文献に現れたらいけないという事らしいです。少なくともこの二つの点に関しては学者の間では異論が、異説・異議が全く無い事、学者の意見は一統していると伝えたいらしいです。

学界内の意見が完全に一致しているという幻影を守るためにこそ、反発が起こっていて、そのためには今回の僕の8ページの論文が撤回される事が彼らにとっては重要であるとの事らしいです。これほどスターリン主義の手段は有り難く、めったにみるものではありません。それでも結構、強制連行説とか性奴隷説に反対する論文が英語の文献に現れない限り、この説に反対する事はホロコーストを否認する事に変わらないと彼らが言える訳です。それにしても、今回の若い助教授たちのやり方を見て絶望しました。学問の自由を全く無視して学者に対する「暗殺未遂」みたいな行為をして、それを誇りに思っているとしか思えない事を言っているのです。

一応、いろんな意見を持つ学者が論文、または学界の発表を通じて批判し合う事が学問を推進させるという基礎的な原理が無視されていて、まさに1960年代の学生運動の悲痛な「寛容性の無い雰囲気」になって、若い学者たちがそうなっている感じです。

そして僕はこの経験を通して習った最後の点は、友達がどれほど重要なのかということです。

この非難は僕に友達がいなければ絶対に生き残る事が出来なかったものだと思います。米国の友人、日本の友人、彼らの励ましがなんと言っても不可欠でした。信じてくれる友達、安心させてくれる友達、「あんたはインターネットで言われているほどくだらない人間じゃないよ」と、何回も何回も繰り返して言ってくれる友達に僕が頼りました。猛烈な批判に当たり始めると、どうしても孤立した感じがしてきて、自分に対して疑問を抱き始めますし、それこそが批判者の狙いですよね。疑問を持ち始めさせて、最終的には壊して、それこそ中国の文化革命の手段でした。そういう目に遭わないためには、どうしても友人が不可欠であると感じました。

この災難が始まった直後「こんな時には人間について色んな事を習うよ」と言ってくれた友達がいましたけど、まさにその通りです。ただ悔しい事は、知りたくなかった事も習ってしまう事ですね。

という事で、今日僕が言いたい事は、最も当たり前で、英語では「All I really need to know, I learned in kindergarten」です。「人生にとって本当に必要なものは全て幼稚園で学んだ」ということです。「ハサミを持ちながら走ってはいけない」という事もありますし、「正直に真実を言う」、現在の事でもそうですし、過去の事についても正直に真実を言う。他人の言いたい事を聞いてあげる、聞きたくない事も冷静に聞いて挙げる。そして友達は絶対に裏切らない、という事です。

この素晴らしいシンポジウムを開いて下さった国際歴史論戦研究所の皆様、なでしこアクションの皆様、後援して下さった産経新聞の方々、お忙しい中、来て下さった著名な先生方、そして皆様方に厚くお礼を申し上げたいと思います。

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

このシンポジウムに関しては別途エントリーにします。

 

  

  


 

 

 

2021/04/24

【慰安婦問題】柳錫春(リュ・ソクチュン)元延世大学教授の裁判(第2回目公判)

「慰安婦は売春の一種」と講義中に発言し、名誉毀損で訴えられた柳錫春(リュ・ソクチュン)元延世大学教授の第2回目の公判が行われました。

後ほどソースなどを追加しますが、前回の公判で、被告側が「名誉毀損の被害者が特定されていない」という主張をして、裁判官もこれを認めたために、原告側は19名の元慰安婦を被害者として特定しました。(前回の公判の記事:【韓国】「慰安婦は売春婦の一種」発言の柳錫春(リュ・ソクチュン)元教授裁判 第2回公判のレポート【ペン&マイク】

これにより、柳教授は〔自称〕被害者達が「慰安婦被害者法」の適用を受けるために申請した書類の開示請求ができるようになります。

この19人の中には李容洙もいます。つまり、日本軍の被害者でもない女性達が被害者法の適用対象になっていることが明るみに出ます。

「慰安婦被害者法」の対象者は日本軍の被害者と定義されているからです。

元慰安婦の初期の証言集は挺対協(現・正義連)が編纂したものがあり、ここでは、意外と正直に語っており、例えば、先日、数年前にドイツに行って、肋骨を骨折して帰ってきたキル・ウォンオク氏などは、「お金を稼ぐために妓生仲間と自発的に中国に行った」と証言しています。何度か書いていますが、〔自称〕元慰安婦達がその後、日本軍慰安婦になったにせよ、ならなかったにせよ、性風俗の世界に足を踏み入れたきっかけには日本軍も日本政府も関与していません。

国史教科書研究所の金柄憲所長(「慰安婦法廢止國民行動」代表)によると、原告として名前が挙がった19名の内、ユン某は「広島で慰安婦をしていた」と証言しているそうで、慰安婦ですらありません。(2021/04/23の金所長のFacebook)

韓国の司法は、元慰安婦の裏付けの全く無い証言でも証拠と見なす無法地帯ですが、少なくとも、初期の証言と被害者として申請した際の書類の内容との不一致が次回の公判で明るみに出ることになります。

一旦ここまで公開し、後ほど加筆修正ます。

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

以下、『ペン&マイク』の記事の機械翻訳を貼ります。(後ほど少しずつ誤訳を修正します。)

http://www.pennmike.com/news/articleView.html?idxno=43172
[単独]ソウル西部地検、"慰安婦は売春の一種"リュソクチュン前教授事件の公訴状変更申請

パク·スンジョン記者
最初承認 2021.04.23 14:37:28
最終修正 2021.04.23 17:28

「被害者が特定されていない」という裁判部の指摘に対し、20日に控訴状変更申請書を提出
担当検事、リュソクチュン前教授が言及していない19人の'日本軍慰安婦'被害者実名記載
劉前教授側、19人の被害者たちが'日本軍慰安婦'被害者だったことを立証する資料要求しそうだ
これまで女性家族部が公開してこなかった'日本軍慰安婦'被害者登録手続きなど公開は避けられない

大学の授業時間のうち、受講生との討論の過程で、'日本軍慰安婦は売春の一種'という趣旨の発言をした後、'名誉毀損'疑いで起訴されたリュソクチュン前)延世大学社会学科教授について、ソウル西部地方検察庁(検事長のジョンヨン)が裁判所に控訴状変更を申請した。

ペンアンドマイクが入手した資料によると、リュ元教授事件を担当しているソウル西部地検のチェ·ジョンギョン検事(司法試験51回、研修院42期)は20日、リュ元教授事件の公訴状変更の許可をソウル西部地裁に求めた。 これは、同事件の被害者が特定されなかったという裁判部の指摘に対応したものだ。

これに先立ち、ソウル西部地裁・刑事4単独パクボミ判事(司法試験第51回・研修院41期)は"'日本軍慰安婦'と言えば、趣旨上、大韓民国で連行されたお婆さんたちを指すとみる余地があるが、広範囲にみなら、過去の東南アジア地域などで連行されたこれらも含まれているといえる"、"被告側は被害者が特定されなかったと主張するが、裁判部もやはりその意見に共感する"と指摘した。

崔検査は、既存提出された公訴状の、「しかし、事実は被害者元慰安婦女性たちは本人の意思に反して慰安婦に動員された」という部分を、「しかし、事実は被害者、우○제, 윤○만, 이○수, 정○수, 이○선, 하○임, 김○주, 김○애, 김○선, 박○근, 함○란, 길○옥, 강○출, 이△선, 박○선, 김○귀, 이○달, 이○산, 김○기など19人の日本軍慰安婦女性たちは本人の意思に反して慰安婦に動員された」に書き換えた。〔つまり、告訴状の「被害者元慰安婦女性たち」の部分を個人名に変更した。

チェ検事が特定したこの事件の被害者19人は、▲ウ·ヨンジェ▲ユン·スンマン▲イ·ヨンス▲チョン·ボクス▲イ·オクソン▲ハ·スイム▲キム·ヤンジュ▲キム·ギョンエ▲キム·ボクソン▲パク·ピルグン▲ハム·ギラン▲キル·ウォンオク▲カン·イルチュル▲イ·オクソン▲パク·オクソン▲キム·オクキ▲イ·マグダラ▲イ·ス▲キム·ヨンギらとみられる。

原文:▲우연제 ▲윤순만 ▲이용수 ▲정복수 ▲이옥선 ▲하수임 ▲김양주 ▲김경애 ▲김복선 ▲박필근 ▲함귀란 ▲길원옥 ▲강일출 ▲이옥선 ▲박옥선 ▲김옥귀 ▲이막달 ▲이수산 ▲김용기

しかし、正義記憶連帯がリュウ元教授を告訴し、捜査機関に提出した録音記録によると、問題の授業討論でリュウ元教授は、チェ検事が特定の19人の実名を言及したことはない。

画像省略〕同事件の公訴提起で最初に提出された公訴状の内容(上)とソウル西部地方検察庁のチェ·ジョンギョン検事がソウル西部地方裁判所刑事4単独裁判部に提出した公訴状変更申請書の変更された部分(下)。

下記の段落の「メチュンオプ」なる言葉は取り敢えず「売春婦」と読み替えて下さい。

ただ、柳教授は"教授は'日本軍慰安婦'に連れて行かれた女性の方は自分が自発的にたと述べているのか。"する受講生(女性)の質問に"現在メチュンオプが横行しているが、その女性たちはどうメチュンオプに従事するようになったのか?"、"殺気が難しくてメチュンオプに入ることになる。 生活が苦しく、本人たちはお金を稼げないので誘惑を受けることになる。 '日本軍慰安婦'の女性たちも同じ('日本軍慰安婦'は、売春の一種)だった"という趣旨で答えた。 また、リュ教授は「生活が苦しいためであって、"自分が望んだから"とは言えない」「半人前の売春をすることになる」と付け加えた。

'日本軍慰安婦'被害事実を訴えている李容洙(イ・ヨンス)氏の場合、先月1992年8月15日放映された韓国放送(KBS)特集番組〈私は女子挺身隊:民族受難の痛みをディッコソて〉に出演して、自分が'挺身隊'(慰安婦)になる過程と関連して"その時年齢が十六歳だけど、貧しくて着ていないで食べないが、どんな人なのかがワンピース一着と靴一足を持ってきた、いいと同行した"、'貧乏'を言及した。 また、これは「日本軍による強制連行」とは程遠い内容で、むしろ「無断家出」に該当するとも考えられる内容でもある。

初期証言で吉元玉(キル·ウォンオク)さんは「(平壌キーセン(寄生圏)番の同窓たちとの集まりで)『中国に行けば楽に働き、お金をたくさん儲けることができる』という話を聞いて、歌を歌って酒を売る程度のことだと思い、華北に向かった」と話した。

検事側が被害者を特定しただけに、柳前教授側は防御権行使の次元で、これら19人の'日本軍慰安婦'被害事実登録内容と被害者登録審議手続きなどに対する資料を要求するものとみられる。 検察は「無期貸与の原則」に基づき、公訴事実の根拠となる資料を被告側に提供しなければならない。 「無期対等の原則」とは、公訴を提起する検査と被告両当事者が対等の地位を確保しなければならないことをいう。 検察官は被告に自分の持っている証拠を同等に提供しなければならないということだ。 こうなると、女性家族部がこれまで'個人'を理由に公開しなかった'日本軍慰安婦'被害者登録手続き・内容の一部が公開される。

李容秀被告に対する被告側証人尋問も可能になる。 この場合、リュ元教授側はイ·ヨンス氏に対し、「証言を覆した」理由を集中的に聞く可能性が高い。

次回の公判は、5月12日午前11時40分に予定されている。 裁判部は、ソウル西部地検が提出した公訴状変更許可の可否をこの時に明らかにすると述べた。

一方、ソウル西部地検はリュ元教授を在宅起訴し、「公訴維持に万全を期す」と明らかにした しかし、検察側による証人尋問の直後、「検察は公訴事実の立証に完全に失敗した」という評価が出た。

 

  


 

 

 

2021/04/23

【ラムザイヤー論文を読む】(5)何が批判されているのか その1

公開:2021-04-23 14:21:55  最終更新:2021/04/25

このエントリーでは、『李承晩TV』が扱った、ラムザイヤー論文批判等をまとめて取り扱います。今回は前半です。

 

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  1. '慰安婦契約'の証拠(2021/02/20)
  2. 日本では自発的契約だったが、朝鮮では強制連行か?(2021/02/28)
  3. 有名たアメリカの教授達のラムザイヤーの批判を見てみると...(2021/03/09)
  4. 吉見義明教授のラムザイヤー批判を見てみると -慰安婦性奴隷論者の知的破綻(2021/03/13)

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まず、過去の【ラムザイヤー論文を読む】シリーズで見てきたように、1991年のラムザイヤー教授の論文では、公娼の「年季奉公」制度の合理性を説明しました。その理論を慰安婦まで拡張したのが2020年の論文(以下、単に「論文」或いは「ラムザイヤー論文」と呼ぶ)で、前者はラムザイヤー論文の第2章「2. Prostitution in Prewar Japan and Korea」(戦前の日本と朝鮮における売春)の前半で要約されています。ここでは、日本軍慰安婦(戦地での慰安婦)は「国内の公娼の延長」と見なして、なぜその契約が6年から2年に短縮されたのか、前金がより高額になったのか、ということを論じただけです。

売春や公娼の倫理的な問題を扱ったわけでも、売春を正当化するものではありません。また、産経が見出しに書いたように「慰安婦=性奴隷を否定」したものでもありません。従って、「道徳的に不適切」という論文批判は、それこそ不適切です。

 

◆「慰安婦≠性奴隷」論争にラムザイヤー教授を巻き込むな!

2021年2月8日付『中央日報』日本語版の記事によると、実は「歴史学者との論争」も初期の稿にはあったそうですが、雑誌社の要請で削除したとの事です。(記事後述)

これは主に日韓の学者間の論争だと思われますが、「2.4. Recruitment in Japan and Korea」(日本と朝鮮における慰安婦の募集)で、「朝鮮半島でのリクルート方法に問題があった」という事を書いて、間接的に論争の問題点を示唆しているように思えます。

日本の左翼学者や朝日新聞の問題、あるいは、挺対協(現・正義連)の存在などは、2019年のディスカッション・ペーパーJapan Forwardに寄稿した論文(日本語訳はこちら→その1その2)を読めば、ラムザイヤー教授はよくご存知なのが分かるからです。

ラムザイヤー教授は、論文内では「性奴隷」(sex slave)という言葉は一切使っていませんが、「性奴隷か否か」という論争はご存知です。

しかし、この論争までラムザイヤー教授や教授の論文に責任を負わせるのは酷です。これは、日韓の学者がすべき論争です。

 

◆曖昧な「性奴隷」という言葉

それにしても、「性奴隷」という言葉ほど曖昧なものはないのではないでしょうか?

初期には「20万人を強制連行した」だの、「日本軍が道端で若い女性を拉致した」と言われ、今でも多くの韓国人はこうして連れ去られた女性が「閉じ込められて陵辱された」というイメージを持っています。映画「鬼郷」では慰安婦を銃殺するシーンも描かれているようです。

 

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しかし、既に韓国政府は強制連行は主張していません。『チャンネルFujichan』の宮本富士子さんの情報によると、韓国の女性家族部(省に相当)のHPから、昨年こっそりと「強制」の文字が消されたそうです。

 

◆吉見義明の知的破綻

次に、吉見義明教授の言う「広義の強制」。彼は強制連行説が否定された後は「広義の強制」と言い換え、未だにこれに固執していますが、「慰安所では自由が無かったので、奴隷状態だった」と言うものです。しかし、慰安所管理人の日記や文玉珠(ムン・オクジュ)氏の回想録などにより、慰安所での生活はほぼ明らかになっており、『李承晩TV』でも、冒頭にリストした動画の「4」で、最早彼の説は知的破綻していると言い切っています。

 

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高額な報酬(高額な前金)が要因となって、詐欺まがいの契約を結んでしまった女性〔とその家族〕はいたでしょうが、それは女性と慰安所(民間売春宿)の問題で、これに日本軍や日本政府は関与していません。但し、彼は一応専門家なので、「契約は無かった」とは言っていません。

 

◆「河野談話」は“証拠”ではない

強制性について、『河野談話』を持ち出す人がいますが、〔確かに、「官警の関与」の意味が不明確だったり、記者会見で強制性を認めたことは不味かったが〕あくまでも政治的な見解であり、「証拠」ではありません。既に、韓国政府との摺り合わせがあったことも明らかになっています。また、当時は、事実が十分に究明されていませんでした。

ちなみに、下記は、韓国で「慰安婦は売春の一種」と講義中に発言して名誉毀損で訴えられた錫春(リュ・ソクチュン)元教授が、公判中に原告側から河野談話を持ち出されたときの反論です。(引用は2021年3月14日付『シンシアリーのブログ』の記事翻訳より/緑字はブログ主追加)

リュ前教授はまた、「河野談話(1993年)は日本軍慰安婦問題と関連して、日本政府が責任を負うという趣旨の文書であるが、その後、日本政府が直接責任を負う必要がないと解釈が変わっている」とし「その理由は、吉田清治の証言が虚偽であると明らかになるまで20年の歳月がかかり、吉田の証言を報じた朝日新聞も、その記事が誤報だと認めて記事を下した(2014年)。検察側が「強制連行」の証拠として提示した「河野談話」や国際機関の文書は、その間に出てきた文書であるが、そのような文書を作成するのに関与した人たちのキャリアを見てみると、日本軍慰安婦問題の専門家でもなく、果たしてそのような文書に権威を付与することができるか聞きたい」という意見を、直接明らかにした。

 

◆低レベルな批判をする学者達

その他の反論というか批判は、例えば、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)政治学部の学部長マイケル・チェ教授が起草した経済学者による論文撤回を求める声明で、3千人を越える学者が署名しているそうです。

しかし、これに対する西岡力・麗澤大学教授の反論文を読めば分かるように、「11歳で性奴隷にされた」、「慰安所で拷問やレイプが行われていた」、「朝鮮人慰安婦の75%は慰安所で死んだ」といった低レベルなものです。(但し、こういう間違った認識が広まっている、あるいは広めようとしている輩がいるという認識は、我々日本人は持たなければなりません。)

 

ただ、ブログ主は、ここに恐ろしさを感じるのです。

普通、まともな研究者は専門外の事に軽々しく口を出しません。

従って、彼らを動かすもっと大きな存在があるような気がします。恐らく、批判者の多くは単なるDupes(お馬鹿さん)だと思いますが、日本をいつまでも悪者にしておきたい者達や、東京裁判史観を壊したくない人達、そんな力です。

ちなみに、署名をざっと見たところ、日本人名は、浅野順、五郎丸聖子、伊藤慎二(敬称略)の3つが見つかりました。漢字で書かれているか、漢字が添えられているローマ字の名前を拾っただけなので、ローマ字だけの氏名は漏れているかも知れません。

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

様々な教授の名前が出てくるので、覚え書きとしてマーキングしておきます。

https://japanese.joins.com/JArticle/275282?sectcode=A10&servcode=A00
「『慰安婦は売春婦』論文、みじめな欠陥」ハーバード教授反撃
中央日報 2021.02.08

「慰安婦は売春婦」という主張を発表したハーバード大学教授の論文に「学術的根拠が不足している」という批判の声が米国学界からあがった。

7日(現地時間)、ハーバード大学の校内新聞「ハーバードクリムゾン」は、米国歴史学・法律学教授がジョン・マーク・ラムザイヤー教授(同校ロースクール)の論文に強い疑問を提起したと報じた。

これによると、かつて同校韓国学研究所所長を務めたカーター・エッカート韓国歴史学教授は、ハーバードクリムゾンに電子メールを送り、「ラムザイヤー氏の論文はみじめなほど、実証的に、歴史的に、道徳的に欠陥がある論文」と指摘した。エッカート教授は「(ラムザイヤー教授が)慰安婦問題の本質である日本の植民主義と軍国主義の脈絡を軽視した」とし「日帝強占期の政治・経済的脈絡は排除したまま『慰安婦』事件だけに焦点を当てて主張を行った」と批判した。従って「慰安婦被害者の性的尊厳性は無視され、単純で一次元的な問題に縮小された」と指摘した。エッカート教授は同校教授のアンドルー・ゴードン歴史学教授とともに、ラムザイヤー教授の論文を批判する別途の反駁文も準備している。この論文は学術誌などに送られる予定だ。

ラムザイヤー教授の弟子も問題を提起した。1990年代にラムザイヤー教授の授業を聞いたコネチカット大学韓日歴史学のアレクシス・ダデン教授は該当論文の偏向性を指摘した。数多くの学術的証拠を排除し、著者の主張を裏付けるための証拠だけを選択的に取り入れたということだ。ダデン教授はラムザイヤー教授の論文について「概念的にも誤りがある」としながら「歴史的背景と慰安婦が設置されるまでの脈絡を全く理解しないで作成したため」と指摘した。あわせて「とんでもない内容で、愚かな学問的生産品のひと欠片」とも批判した。

ダデン教授は昨年12月、ラムザイヤー教授から該当論文の草稿を手渡されて検討した後、問題を提起したと話した。ハーバードクリムゾンによると、ダデン教授は草稿を見たとき「衝撃的だった」としながら「日本政府の立場を反論する主な根拠の多くが脱落しており、深刻な論理的誤りがあるという事実を知らせた」と明らかにした。ただし、ダデン教授の指摘が論文最終原本に反映されたかどうかは確認されなかった。

慰安婦被害者が性奴隷生活をしたという従来の研究に反論するための論理だけを展開したという批判も出てきた。ニューヨーク・クイーンズ大学社会学のミン・ピョンガプ教授は「日本の新民族主義観点だけに片寄っている」としながら論文の意図に疑問を呈した。

ハーバードクリムゾンによると、このような批判をめぐって、ラムザイヤー教授は論文初期バージョンに「歴史学者との論争」形式で入れたが、学術誌側の要請により削除したと答えた。これに関連し、学術誌側はコメントの要請に応じなかったとハーバードクリムゾンは伝えた。

これに先立ち、ラムザイヤー教授は3月に出版予定の法・経済関連学術誌「インターナショナル・レビュー・オブ・ロー・アンド・エコノミクス」(International Review of Law and Economics)誌65巻に「太平洋戦争当時の性契約(Contracting for sex in the Pacific War)」というタイトルの論文を載せた。ラムザイヤー教授はこの論文で、慰安婦女性が日本軍と互いの利益のために契約を結び、日本政府ではなく女性を騙した募集業者に責任があると主張した。

しかし、慰安婦契約理論を研究したハーバード大学ロースクールのノア・フェルドマン教授はハーバードクリムゾンに、ラムザイヤー教授が自身の主張とは反対の根拠を出したとも批判した。論文で、慰安婦契約を社会・経済・教育差別を制度的に合理化した「ジム・クロウ法」にたとえたが、この法はむしろ「負債にともなう奴隷契約」を意味するというのがフェルドマン教授の説明だ。フェルドマン教授は「権力の不一致に伴う強制契約だったということを証明した格好」と突いた。

慰安婦女性が自発的に契約を結んだという主張に関連し、ウェルズリー大学アジア・政治学のキャサリン・ムーン教授は「14~16歳の女性が内容を完全に理解したとどのように証明することができるのか」とし、慰安婦女性が契約を結ぶことになった脈絡を無視したと批判した。

 

 

 

  


 

 

 

2021/04/22

【ラムザイヤー論文を読む】(4)慰安婦の募集-日本と朝鮮半島の違い(河允明事件、等)【李承晩TV】

今回も、『李承晩TV』から、ラムザイヤー教授の論文に関係のある動画をご紹介します。

論文では、「日本軍慰安婦は公娼の延長である」と見なしています。そして、公娼制度は日本による朝鮮統治によって日本から導入されたものであり、基本的には同じ制度の下で運用されていましたが、違いは、朝鮮半島の斡旋業者(recruiter)の問題だとしています。

このエントリーでカバーする項目は目次の赤字の部分です。

 

* * * *

『Contracting for sex in the Pacific War』目次

1. Introduction/前書き
2. Prostitution in Prewar Japan and Korea/戦前の日本と朝鮮における売春
 2.1. Introduction/はじめに
 2.2. Japan/日本
   1.公娼
   2.契約の論理
   3.私娼
   4.からゆきさん
 2.3. Prostitution in Korea/朝鮮における売春
   1.現象
   2.契約
   3.(←論文では「2.」となっている)朝鮮人の海外売春
 2.4. Recruitment in Japan and Korea/日本と朝鮮における慰安婦の募集
   1.日本
   2.朝鮮
3. The comfort stations/慰安所
 3.1. Venereal disease/性病
 3.2. Contract duration/契約期間
 3.3. Contract prices/契約金額
 3.4. Contract terms/契約条件
 3.5. Prostitute savings/売春婦の貯蓄
 3.6. The closing years of the war/終戦の年
4. Conclusion/結論
References/参考文献

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

以下、論文の翻訳(要約)も交えて解説します。

2.3. Prostitution in Korea/朝鮮における売春

 1.The Phenomenon/現象

日本から韓国に移住した人々は、本国にあった認可された売春宿のような構造をコミュニティの中に作っていった。日本は1910年に朝鮮を正式に併合し、新政府は1916年に朝鮮全土で売春宿の統一許可規則を制定した。売春の最低年齢を17歳(日本列島のように18歳ではない)とし、定期的な健康診断を義務付けた

この制度による公娼は日本人の方が多かった。多くの朝鮮人は売春婦として働いていたが、許可制の枠外(私娼)で働いた。政府の記録によると、1935年の朝鮮では日本人女性は414人がbar maids(女給?)、4,320人がcabaret workers(酌婦?)として働いていた。(いずれも無許可の売春婦の婉曲表現)朝鮮女性は、1,290人がbar maidsとして、6,553人がキャバレーで働いていた。


 2.The contracts/契約

朝鮮の売春宿では、日本と同じように年季契約を結んで公娼を集めていたが、花代(揚代=遊興費)は生活水準の差を反映して、朝鮮人女性の方が安かった。1926年、朝鮮人娼婦の花代は3円、日本人娼婦は6~7円を請求したという。(cf. 1930年代の朝鮮人男性の収入は1~2円/日) 1929年のある韓国の(明らかに貧しい)コミュニティでは、日本の認可売春婦の年間収入は1,052円、韓国の認可売春婦は361円であった。

  

 3.(←論文では「2.」となっている)Korean prostitution abroad/朝鮮人の海外売春

日本の「からゆき」同様、朝鮮の若い女性も海外に行った。慰安所がきっかけではない。1920年代には既に朝鮮人女性が満州に渡って売春をしていた

 

2.4. Recruitment in Japan and Korea/日本と朝鮮における慰安婦の募集

 1.日本

戦前の日本では多くの改革者が売春を禁止しようとしていたが、問題は斡旋業者(recruiter)よりも親であった。売春したくなかったのに、親が年季奉公の前金を得るために同意させたのだという。

慰安所においては、既に業界で活動している売春婦のみを募集する規定を設けた。(1938年)世間知らずの少女が不正な勧誘に騙されるような事態を避けるために、1938年、内務省は明確な指示を出した。(

(a) 売春を目的として渡航する女性については、中国の北・中央部に向かう女性で、現在、許可されたまたは有効な売春婦として働いており、21歳以上で、性病その他の感染症にかかっていない女性に限り、承認を与える。

(b) 女性が前項の身分証明書の交付を受ける際には、契約の満了時または前金を返済した時は、直ちに日本に帰国することを理解してもらう。

(c) 売春目的で渡航しようとする女性は、本人が警察署に身分証明書の申請をしなければならない。

省は、すでに売春婦として働いている女性だけを雇うように募集者に指示した。また、女性が契約内容を理解していることを確認するために、契約書を持って本人が申請しない限り、旅券を発行しないように警察に指示した。また、面接の際には、契約が切れたらすぐに戻ってくるように、と警察に要求していた。

※『軍慰安所従業婦等募集に関する件』(1938年)の事かと思われる。

 

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日本軍慰安所に日本軍が介入したことを証明する証拠としてよく提示されるいわゆる「陸支密文書」。 しかし文書の内容は、むしろ違法な方法で女性を軍慰安所に連れてくることで、軍の威信を傷つけてはならないとなっている。

Wikipedia『軍慰安所従業婦等募集に関する件』に解説あり。以下は現代語訳。

支那事変の地における慰安所設置のため、内地においてこの従業婦等を募集するにあたり、ことさらに軍部了解等の名儀を利用し、そのため軍の威信を傷つけ、かつ一般民の誤解を招くおそれあるもの、あるいは従軍記者・慰問者等を介して不統制に募集し、社会問題を引き起こすおそれあるもの、あるいは募集に任ずる者の人選に適切を欠いたために募集の方法が誘拐に類し、警察当局に検挙取調を受けるものがある等、注意を要するものが少なくないことについては、将来これらの募集等にあたっては派遣軍において統制し、これに任ずる人物の選定を周到適切にし、その実施に当たっては関係地方の憲兵及び警察当局との連係を密にすることにより、軍の威信保持上並びに社会問題上手落ちのないよう配慮していただきたく命令に依り通知する。 

 

 

 2.朝鮮

韓国には、日本とは異なる問題があった。プロの労働者派遣業の一団(a large corps of professional labor recruiters)があり、彼らは人を騙すような手口を使ってきた。1935年の韓国警察の記録では、日本人247人、韓国人2720人の募集人がいた。戦前の数十年間、新聞は性産業に関連した募集人の不正を報じていた。

1918年、ソウルの日本語日刊紙『京城日報』(1918年)は、「不良が女性をソウルに誘って、いたずらをした後、『怪しげなレストラン』に売り飛ばすケースが激増している」と報じている。韓国の新聞『東亜日報』(1939年)は、50人以上の若い女性を売春に誘った11人の勧誘団を報じた(Toa, 1937)。このカップルは、ソウルの工場で娘の仕事を見つけると親に約束し、親に10円か20円を支払った後、娘を海外の売春宿に転送し、1人100円から1300円を支払っていたようである。

註:しかし、朝鮮総督府や日本政府が女性に売春を強要したわけではない。日本軍が不正な勧誘をしていたわけでもない。日本軍が不正な勧誘を行ったわけでもなく、勧誘員が軍の慰安所に注目したわけでもない。むしろ、何十年もの間、若い女性を騙して売春宿で働かせていた朝鮮国内のリクルーターが問題だった。

 

◇ ◇ ◇ ◇

 
【李承晩TV】

  1. 河允明事件で見る植民地朝鮮の人身売買市場(2021/03/18)
    Wikipedia『朝鮮南部連続少女誘拐事件』の「河允明事件」参照。
     
  2. 日本軍慰安婦が性奴隷ではない理由 - 慰安婦前借金取引の正体(2021/03/27)
    慰安婦の契約に関する解説。
    「募集と前借金」・・・業者が言葉巧みに女性を集めたが、「官」が徴集したのではない。
    「稼業期間」・・・契約期間は2年ほどで終了。(※慰安所管理人の日記)
    「仕事と報酬」・・・週1回のような定休日はなかった。1ヵ月の売上は300~1,500円で、その内の50%を前金の返済。食費はただだったが、慰安所が衣装を高く売りつけているケースもあった。
    ※ブログ主註:『武漢兵站』という本に慰安所の日常が書かれているので、別途エントリーにします。
     
  3. 植民地期末の裁判記録で見た、酌婦と娼妓の経路(2021/04/08)
    1)1939年に17歳未満の女性を、偽造戸籍を業者に依頼して働かせようとした3件の事件。(親が承諾)
    2)20歳の人妻と27歳の女性を誘惑して働かせようとした事件。戸籍謄本は他人のもの。
    3)叔父が21歳の未亡人の姪を誘惑(就職詐欺)した事件。
    4)24歳の女性を前金目当てに娼館に売った事件。同じ犯人が22歳の未亡人を結婚をエサに売った事件。
     

1と3が事件の解説です。

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

ブログ主は、このような事件は日本でもあったと思いますし、また、全てが朝鮮人(朝鮮系日本人)による犯罪ではないと思います。例えば、以前ご紹介した「沙里院駅7人拉致未遂事件」(1925年8月17日付『朝鮮日報』)の犯人は日本人です。しかし、ラムザイヤー教授の論文では、日本の場合、女性は親による被害を訴える方が多いとあります。

併合前まで国民の大半が奴婢であった朝鮮にいきなり資本主義や消費文化がもたらされ、教育もまだ十分に行き届いてない社会では、李氏朝鮮時代とは別種の格差が広がったのは想像に難くありません。日本もまだ貧しかったのですが、朝鮮半島は更に貧しかったのです。

おそらく、“カモ”となる女性やその家族は朝鮮の方が簡単に見つかり、それにつけこんだ悪徳業者も多くいたのでしょう。

朝鮮の古い新聞では1920年代に「人肉市場」(人身売買ネットワーク)の文字を見ることができます。つまり、慰安所を作る以前から、女性を食い物にする輩が跋扈していたのです。

元慰安婦の証言で目に付くのは、十代半ばに親に売られたり、就職詐欺に遭っている事です。慰安婦のシンボル的存在の李容洙(イ・ヨンス)氏の場合、16歳の時に赤いワンピースと革靴を貰って男に付いていったというのが初期の証言です。

ラムザイヤー論文でも分かるように、日本軍慰安婦は、17歳以上(朝鮮の場合)の身元のしっかりした女性でなくてはなれませんでした。なぜなら、慰安婦になるには、臨時酌婦営業許可願(女生徒抱え主の申請書)、写真2枚、承諾書(親権者の承諾書)、印鑑証明、戸籍謄本、調査書(酌婦の仕事をする女性の調査書)といった書類が必要だったからです。

おそらく、元慰安婦達の証言の多くは、慰安婦になった経緯ではなく、最初に性風俗の世界に足を踏み入れた、あるいは引きずり込まれた時の話をしているのだと思います。その後、実際に慰安婦として働いたのかどうかも疑わしい人物は多々います。

 

以下、以前ご紹介した「人肉市場」の事件例を再掲しますが、一番分かりやすいのは、韓国人の『百年歴史』さんというYouTuberが作成した動画(日本語字幕付き)をご覧になることです。(右はオリジナルの動画で、タイトルの日本語訳は『娘を売ってお金をもらった朝鮮人、長女は生活資金、妻を売ります、日帝時代朝鮮語ハングル新聞の真実-外国人が見た旧韓末日帝時代5』です。)

 

1924年9月26日付『朝鮮日報』:「人肉市場探訪記」

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1924年9月26日付朝鮮日報の「人肉市場探訪記」(人身売買の闇市場)【記事全文はこちら

 

 

  


 

 

 

 

2021/04/21

【慰安婦訴訟】ソウル中央地裁が「主権免除」の原則により李容洙氏らの訴えを却下。しかし、1月8日の判決と齟齬

本日(2021/04/21)午前10時に始まった裁判で、原告の訴えが却下されました。

これは前日に伏線がありました。今年、1月8日の別の慰安婦裁判の判決では原告が勝訴しましたが、敗訴した日本政府に、賠償支払い命令とともに訴訟費用の支払い命令が下されていました。しかし、昨日、1月8日の判決を下した同じソウル中央地裁が、訴訟費用の支払いを日本に求めたり、日本の資産を売却することは「主権免除」に反するという『決定文』を示していたのです。

これは、原告側が日本の資産を差し押さえるため、資産のリストを開示するよう求めていた事に付随して示されたものです。

従って、判決はそのままですが、これによって、賠償金を得るために日本の資産を差し押さえたり、売却するのは、国際法違反になるという牽制をしていたのでした。また、特筆すべき事は、2015年の慰安婦合意だけでなく、1965年の日韓請求権協定(日韓基本条約)にも言及したことでしょう。

1月8日の判決を下したのはソウル中央地方法院民事34部だそうで、今回、「決定文」を示したのも同じ民事34部。実は、判決後、人事異動で全員が入れ替わっていたそうです。(なお、ソウルには複数の地裁があり、中央地裁はその一つ。)

今日の裁判を担当したのは民事15部です。

青瓦台(大統領府)が直接指示したのかどうかは分かりませんが、韓国の司法や検察は基本的に政権に阿(おもね)るので、1月8日の判決も、今回の判決も政権への「忖度」かも知れません。

1月18日の新年の記者会見で、文在寅大統領は、裁判の結果に、「正直、困惑してる」、「慰安婦合意は両国間の国債合意と認めている」という発言をしていたからです。→【2021/05/10追記】これに関して、西岡力教授は1月8日の判決直後(文在寅発言前)に4月21日に判決言い渡しを延期したことから、既に判決文は書かれていたと説明。(別途エントリー)

政府の意に沿ったものかどうか、与党の共に民主党議員や正義連がどのような反応をするかで分かるでしょう。なお、李容洙氏は現在は別の団体がバックに付いています。

ここまで取り敢えずメモとして。後ほどソースなどを追加します。

 

【追記】この件に関する李相哲教授の解説(李相哲TV):【速報】慰安婦裁判の裏に何が(2021.4.21)

下図は動画のキャプチャ。(決定文)

 

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李相哲教授の説明では、韓国の司法が、このままでは1月8日の判決が判例となってしまうのを防いだのではないか?ということでしたが、これが司法界の総意なのかどうかは、おそらく原告は控訴するでしょうから、二審の対応で分かるでしょう。李容洙氏がICJに付託せよと騒いでいるのは、あるいは、内々にこの判決は覆らないと伝えられているのかとも思います。

今回の判決が慰安婦問題解決の第一歩とも言えますが、ブログ主は、裁判を防ぐのには役に立っても、状況は変わらないと思います。なぜなら、慰安婦合意は生きていると言った文在寅ですが、相変わらず、日本大使館敷地前の慰安婦像は撤去されませんし、隙さえあれば、海外に慰安婦像を展示しています。(最近は、ドイツ、ドレスデンの美術館に期間限定ですが、展示されました。なぜか、安倍前総理を糾弾する横断幕も飾られています。→「なでしこアクション」のサイト参照)

これらのことは、民間人がやっていることだからと放置されています。

仮に、今後、大統領が替わっても、政権交代をしても、現在の野党には期待できません。野党「国民の力」は左派政党や左派を支持する国民から貼られた「親日」というレッテルを払拭するのに躍起になっているからです。

慰安婦問題とは離れますが、本当に韓国の行く末を憂いている方達は「第三の勢力」の出現を待っているようで、先日の釜山市長選挙に出馬した元「ペン&マイク」の鄭奎載 (ジョン・ギュジェ) 主筆もその一人で、昨年の総選挙の時には、むしろ国民の力も潰れた方がいいとまで仰っていましたが、韓国国民は二大政党制が好きなようです。今回のソウルと釜山の市長選挙でも、この2つの政党が互いに「親日」のレッテルで攻撃し合っていました。

ただ、韓国で真の保守の立ち位置が不安定なのは理解できます。嘗ては「反共」で結束できましたが、韓国国民にとって、国≓民族だからです。そして、日本の保守のように、守るべき伝統や文化、価値観が無いことです。と言っては失礼かも知れませんが、例えば、李氏朝鮮時代の伝統に守るべきものなど見いだせるでしょうか?

李栄薫博士のような方に「極右」のレッテルが貼られるとなると、右と左の対立軸が何なのか、訳が分からなくなります。

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

記事を朝鮮日報の機械翻訳に差し替えました。

https://www.chosun.com/national/court_law/2021/04/21/AQPQYVKHCNB4BFYMB6QPV3SXIU/
慰安婦被害者の判決への大騒ぎになった。 日本政府に対する2回目の損害賠償敗訴へ
裁判所の訴訟却下… 「国家は他の国の裁判管轄権ではない」

入力 2021.04.21 10:53 | 修正 2021.04.21 10:53


2021年4月21日、ソウル瑞草区中央地方裁判所で日本軍慰安婦被害者らが日本政府を相手に国内裁判所に提起した二番目の損害賠償請求訴訟の判決公判が終わった後、李ヨンスさんが判決に対する立場を明らかにしている。 ソウル中央地裁民事合議15部はこの日、故クァク·イェナムさん、キム·ボクトンさんとイ·ヨンスさんら被害者と遺族20人が日本を相手取って起こした損害賠償請求訴訟を却下した。 オ·ジョンチャン記者

日本軍慰安婦被害者たちが日本政府を相手に起こした訴訟を裁判所が却下した。 一つの国家が他の国家の裁判管轄権から免除されるという「主権免除」理論を適用した結果だ。 先立った慰安婦勝訴判決と正反対の結果へと波紋が予想される。

ソウル中央地裁民事15部(閔聖哲〈ミン·ソンチョル〉裁判長)は21日、故·郭礼男(クァク·イェナム)、キム·ボクトンさんら被害者と遺族20人余りが日本政府を相手取って起こした損害賠償訴訟の判決で、「この事件の訴訟を却下する」と言い渡した。 却下は訴訟が適法でないため、本案の判断をせずに終えるという意味だ。

この事件の争点は「主権免除(国家免除)」の適用可否だった。 主権免除は、国家平等の原則上、一国が他国の裁判対象になり得ないという国際慣習法の原則だ。 これに先立ち、故ペ·チュンヒさんら被害者と遺族12人が起こした訴訟を担当していた中央地裁34部(金正坤〈キム·ジョンゴン〉裁判長)は今年1月、「人道に反する事件には国家免除が適用されない」として、日本の損害賠償責任を認め、原告1人当たり1億ウォン(約1億ウォン)を支払うよう言い渡した。

しかし民事15部は「2015年の韓日合意が現在も有効に存続しており、合意書の内容によって被害回復が現実的に行われた状況で国家免除を不当だと認めるのは妥当ではない」とし「(国家免除の認定が)国際法尊重主義と国際平和主義、均衡性を喪失したとは見られない」と述べた。

韓国の裁判所に法的拘束力はないが、これまで国際司法裁判所(ICJ)は主権免除を適用して判決を下してきた。 ICJは12年、第2次世界大戦の時、ドイツ軍需工場で強制労働をさせられたイタリア人のルイキ·フェリーニがドイツ政府を相手取って起こした損害賠償訴訟で、イタリア最高裁がドイツ政府の損害賠償責任を認めると、主権免除の理論を掲げてドイツに軍配を上げた。

同日、中央地裁民事15部も同様に、この判決に触れた。 それとともに「韓国の裁判所が当然解釈を通じて国際慣習法の一部を否定することは難しい」と述べた。

裁判部は「現在、国際慣習法は領土内で行われた主権的行為に対しては国際免除を認めた」とし、「1997年の大法院判決などでもこれを確認した」と述べた。
◇裁判部"韓日慰安婦の合意である程度の権利救済"

裁判部は特に2015年に行われた韓日慰安婦の合意について"外交的な要件を具備しており、権利救済の性格を持っている"とした。 同地裁は「合意過程で被害者の意見を聴取しなかったなど、内容と手続きの面で問題があるが、こうした事情だけで裁量権を逸脱乱用したとは考えにくい」と指摘した。

裁判所は「合意には相手方がいるため、大韓民国の立場だけを一方的に反映することはできない」とし「一部の被害者は和解治癒財団から現金を受け取った」と明らかにした。

裁判部は"国家免除によって侵害される私益と国際法を遵守する公益を比較し、後者がもっと大きい"、"2015年、慰安婦の合意を通じて、被害者240人のうち99人に対する現金支援が行われた点を考慮すると、代替的権利の救済手段が用意されたと見ることができる"とした。

裁判部は、判決の末尾に"被害者たちが多くの苦痛を経験し、大韓民国が傾けた努力と成果が被害者たちの苦痛と被害を回復することに不十分だったものとみられる"、"被害回復など、慰安婦問題の解決は外交的交渉を含めた努力によって行われなければならない"とした。
◇ほかの被害者は勝訴が確定、裁判所に二つの判決

今回の判決は、日本政府を相手に、慰安婦被害者らが起こした訴訟について'国家免除'を適用して訴訟を不適法だと見た初の判決だ。 これに先立ち、中央地裁34部が他の被害者に対して出した勝訴判決が、日本が対応せずに確定したため、現在としては同じ事件に対して勝訴と敗訴の二つの判決が存在することになった。

今回の敗訴判決に対し、被害者側が控訴すれば、「主権免除」の適用が正当かどうかは結局、大法院(日本の最高裁判所に相当)の判決が下される見通しだ。 先立って、法廷に出席した慰安婦被害者李ヨンスさんは敗訴の結果について"国際司法裁判所に行くという言葉しか言いようがない"、受け入れられないという意味を明らかにした。

すでに勝訴が確定した前の判決は強制執行の段階に入った。 しかし、中央地裁民事34部は定期人事で裁判部が変わった後の先月29日、「国庫による訴訟構造取立て決定」を下した。 当時裁判部は「1月初め、本案訴訟は日本政府の国家免除を認めず勝訴判決を下した」とし「しかし外国財産に対する強制執行は該当国家の主権と権威に損傷を与える恐れがあり、慎重な接近が必要だ」とした。 そして、約300万ウォンの訴訟費用に対して、敗訴者の日本ではなく、国が支払うべきだという決定を下した。

判決はすでに確定しており、勝訴の結論自体を変えることはできないが、訴訟費用の執行を判断し、国家免除の部分で前の裁判部と正反対の結論を下したのだ。 しかし、被害者側はこの決定にもかかわらず、日本政府の財産に対する強制執行を続けるという立場だ。

裁判所の関係者は、「同じ事件で矛盾した2つの結論が出た状況は、大法院(日本の最高裁判所に相当)が整理すべきだ」と語った。

 

 

 

  


 

 

 

2021/04/20

【ラムザイヤー論文を読む】(3)ハーバード大教授の慰安婦論文を正しく読む【李承晩TV】

ラムザイヤー教授の論文『Contracting for sex in the Pacific War』(太平洋戦争における性サービスの契約/2020年)が一般に知られたのは、今年の1月31日付の産経新聞の記事でした。この時のタイトルが『「慰安婦=性奴隷」説否定』というものなので、韓国メディアが一斉に反応しました。〔記事はこちらの『なでしこアクション』のサイトで読むことができます。〕

 

実際、『「慰安婦=性奴隷」説否定』というのはミスリードするタイトルで、論文はこれを証明したり論じるものではありません。事業主(一般の娼館や慰安所として認可された娼館)と女性(一般の娼妓または慰安婦)の関係を「契約」という面から捉えて論じたものです。

そもそも、この論文の前提となる1991年の論文で、「年季奉公契約」を奴隷契約と見る多くの学者に反論済みなのです。

しかし、多くの韓国人は、元慰安婦の証言から、「日本軍に拉致された」あるいは「(就職詐欺などで)騙された」という認識なので、事業主と慰安婦の間に「契約」があったというのは納得できないのも無理がありません。

なお、【ラムザイヤー論文を読む】シリーズ(1) で説明したように、教授は、一部の不満を抱いている元公娼の証言はサンプル抽出に偏りがでるために意図的に無視していると、1991年の論文で書いています。

 

そこで、『反日種族主義』の著者達が運営する『李承晩TV』では、まず、2月12日に、

という動画を公開しました。

 

その後も論文批判が鳴り止まないので、

という4本の動画を公開しました。ラムザイヤー教授はに代わって批判に答えるような内容です。

 

今回は、上記動画の内、『ハーバード大教授の慰安婦論文を正しく読む』についてまとめます。

下は、2020年の論文の目次ですが、赤字にした項目をカバーする内容です。この【ラムザイヤー論文を読む】シリーズ(1)(2)で既に見てきたように、抱え主と公娼との間で「信頼できる約束」が成立していましたが、慰安所と慰安婦の場合では、「戦地(外国)」という新たな要素が加わります。

 

* * * *

『Contracting for sex in the Pacific War』目次

1. Introduction/前書き
2. Prostitution in Prewar Japan and Korea/戦前の日本と朝鮮における売春
 2.1. Introduction/はじめに
 2.2. Japan/日本
   1.公娼
   2.契約の論理
   3.私娼
   4.からゆきさん
 2.3. Prostitution in Korea/朝鮮における売春
   1.現象
   2.契約
   3.(←論文では「2.」となっている)朝鮮人の海外売春
 2.4. Recruitment in Japan and Korea/日本と朝鮮における慰安婦の募集
   1.日本
   2.朝鮮
3. The comfort stations/慰安所
 3.1. Venereal disease/性病
 3.2. Contract duration/契約期間
 3.3. Contract prices/契約金額
 3.4. Contract terms/契約条件
 3.5. Prostitute savings/売春婦の貯蓄
 3.6. The closing years of the war/終戦の年
4. Conclusion/結論
References/参考文献

* * * *

 

以下は、講師の朱益鐘(ジュ・イクジュン)先生の解説(要旨)です。

 

この論文はタイトル(Contracting for sex in the Pacific War)が示しているように、売春契約という視点で慰安婦を見ている。

昨年(2020年)8月に投稿されて審査を経て、10月に掲載が決定された。8頁のそれ程長くない論文だ。(ブログ主註:参考文献が1頁半を占めているので、正味6頁半。但し、2列組みで文字も小さいので、ブログ主が訳したところ、10ptくらいの文字でA4・12頁くらい

慰安所の慰安婦をロースクール教授らしく、ゲーム理論の「信頼できる約束」(字幕は「誓い」)の論理を適用して分析したもの。これについては後ほど解説をする。

ラムザイヤー教授は、日本軍慰安所は戦前に日本と朝鮮にあった公娼を延長したものという。これは、日本の学界で確立され、韓国では李栄薫(イ・ヨンフン)教授によって受け入れられた見解に同調する。

論文の核心は、日本と朝鮮の公娼制度の下、売春契約がどのように生まれたのかを説明するもの。

ラムザイヤー教授は売春婦と売春業主の関係を契約関係と捉えている。両者の相互義務関係だ。

この契約関係の義務が履行されるようにする安全装置として、売春婦と事業主との間に「信頼できる約束」装置が生じたというのが、ラムザイヤー教授の視点。

公娼になることにした女性の立場から見ると、売春労働は非常に棄権で過酷な労働であり、自分の評判を落とすことになる。

女性はこのように劣悪な性格の売春労働をする事に対する補償装置として所得を保障し、契約期間を無制限ではなく、任意の上限を設定することを望み、それを事業者が同意することにより、高額の無利子前代金(女性の立場では前借金)が提供され、契約期間の上限が設定された。

日本の公娼の場合、最長6年という上限があったが、通常は3年だった。3年が経過すると、女性は借金を返済し、お金もある程度ため、公娼を離れるのが一般的だった。

売春事業主にも悩みの種がある。

売春行為は密室で行われるので、女性が性サービスをどのように提供するかを管理監督することができないという点だ。労働過程の監視が不可能なので、定額月給制のような報酬制が成立することはなく、代わりに定率分益制、すなわち、売春収入を事業主と女性の間に定率で分割する契約形態をとるようになった。

もちろん、前借金を返済するため、総収入から前借金の分割償還額を控除した残りの収入を事業主と女性の間で定率で配分する。

まとめると、売春は非常に困難な仕事で女性の評判を落とすことになるので、女性に対し、収入を確実に保障しなければならないので、相当額の前借り制度ができた。

一般的な労働は後払いだが、売春は、契約時に将来の報酬を事前に引いて前借金として受けて、期間も上限を置いた

ブログ主註:ここまでは(1)、(2)で解説した1991年の論文と被る。

このようにラムザイヤー教授は、日本と朝鮮の公娼の売春契約のいくつかの装置、特徴がなぜ生じたのかを説明した後、日本軍慰安所の売春契約の特性を説明する。

日本軍慰安所自体が日本と朝鮮にあった公娼制度を延長したものであり、従って、交渉の契約の特性が慰安所の契約にも延長されて表れたというのがラムザイヤー教授の説明である。

日本軍慰安所が国内の公娼と異なる点は、戦場が命を失う可能性があり、非常に危険な場所であるということ。また、ラムザイヤー教授は、国内の公娼であれば事業主の不当行為について警察に訴えることができるが、戦場ではそのような警察がなかった言う。

そのため、慰安婦に対する報酬として、前借金はより増額され、契約期間は短くなったと説明する。

朝鮮国内では前借金は通常数百円、多くても千円程度だったが、慰安所の場合は数千円単位で金額が大きくなり、契約期間も最長2年に短縮された。

次に、早期に契約関係を終え、慰安所を離れることができる契約早期終了オプションも生じたと説明する。

要約すると、軍慰安所は国内公娼に比べて遙かに危険な場所だったので、慰安所は国内公娼より有利な条件を女性に提供するようになったということ。

ラムザイヤー教授は、30年前に日本国内の売春業での年妓〔?字幕は「年限」〕を扱った論文を書いたことがあるが、それを拡張して、日本軍慰安所の契約関係を扱ったのが、今回の論文である

この論文の参考文献を見ると、著者は戦前の日本の公娼に関する代表的な研究成果や韓国で出版された慰安所管理人の日記の日本語訳書、また、韓国の朴裕河(パク・ユハ)教授の『帝国の慰安婦』の日本語訳などがある。

この論文の核心は、公娼と慰安所制度の特徴的な面を、ゲーム理論の「信頼できる約束」の概念で分析したものである。

前述のように、契約履行の安全装置として、種々の契約事項が生じたということだろう。

この論文は、日本軍慰安婦は性奴隷ではないことを証明しようとしたのではない

事業主と女性の関係を契約関係と見ると、公娼と慰安所制度の様々な特徴が遙かに良く説明できることを示したもの

従って、この論文が慰安婦性奴隷説を否定したという怒りはピントがずれたものだ。

以下、論文を批判するカーター・エッカート・ハーバード大教授〔韓国史〕やハーバードの学生新聞に対する反論。(省略・・・別の回で取り扱います。)

 

この回では、元慰安婦の証言を信じ切っている韓国人は納得できないでしょう。

動画のコメント欄にはそのような声が多く見られます。

そのため、『李承晩TV』では、別の回にて、当時の朝鮮の人身売買ネットワークについて取り扱います。

 

  


 

 

 

2021/04/19

【ラムザイヤー論文を読む】(2)1920年代の芸娼妓の法定紹介手数料【金柄憲所長の解説動画】

タイミング良く、チャンネルFujichanで、前回のエントリーと関連する動画が公開されました。

 

 

芸娼妓契約に於ける2人のプレイヤー〔抱え主/芸娼妓=新人〕では情報量の差は圧倒的に前者が多く持ってます。なぜなら、〔論文の表現を借りると、〕抱え主は「繰り返しプレイヤー」で、個々の娼妓は「単発的プレイヤー」だからです。

そのため、新人に「信じられるコミットメント(約束)」を与えるには「年季奉公契約」が最も合理だというのが、前回エントリーの内容でした。トラブルのリスクを引き受けるのは抱え主側で、しかもそのコストは低く抑えられるからです。

もし、「定額払い制」や「出来高払い制」のような契約だと、契約に関する争議が起きて裁判になるケースは賃金の未払いなどで、娼妓が訴える側です。しかし、「年季奉公契約」の場合、娼妓は既にお金を手にしているので、これを回収する(ex. 保証人に残額の返済を求める)コストを負担するのは抱え主側です。しかも、トラブルの処理に関しては抱主は娼妓よりも慣れています。

そして、抱え主のリスクを保障するものが「契約書」です。

 

* * * *

以下、動画の内容(金柄憲所長の解説要約)です。

稼業人(=芸妓、娼妓、酌婦)は、国内(朝鮮半島)や日本、中国、満州、日本軍の駐屯地に行ったが、駐屯地の慰安所は色々ある売春市場の一つに過ぎなかった。

紹介業者は登録制で、1922年8月2日の東亜日報の記事によると、紹介業者に支払う法定手数料は前借金の5%以内と定められている。この手数料は契約が完了した後に支払われる。現代の不動産仲介料が何パーセント迄と決められているのと同じだ。

手数料は慰安所の主人(抱え主)と稼業人とで分担する。

抱え主が2/3、稼業人が1/3。当時の平均で前借金を300円とすると、手数料は15円なので、抱え主は10円、稼業人は5円を負担した。もし、前借金がない場合は15円以内と、厳格な規定だった。

この時代の新聞記事を見るとは前借金の話がたくさんある。600円、320円、500円、550円、240円...

 

20210418_fujichan01

 

前借金とは「一定の期間、仕事をする対価」を前もって支払う先払い金のことであり、借金でもある。

2年間働いて欲しい場合、その対価を先に渡すわけで、この当時、「年妓」という言葉を使った。

ラムザイヤー教授の論文に出てくる「indentured prostitution」(年季奉公契約の売春)と同じ事で、教授は本当に正確な用語を使った。状況を正確に把握していると言える。

次に、前借金に対する保障が必要になってくる。

お金は誰が出すのか? もちろん慰安所の主人だ。300円は当時米10石に値する。10人の娼妓なら3000円だ。

お金をあげたのに、逃げたらどうするのか? 安全装置が必要だ。それが即ち契約書である。

* * * *

 

この動画の元となった番組が放送された頃は、ラムザイヤー論文に対して「契約書が見つかってないのに、契約があったと言えるのか!」とギャーギャーうるさかった時なので、たとえ、当時の契約書の現物が残存していなくても、契約行為という認識はあった、と反論していた時期です。

 

この、1922年8月2日の東亜日報の記事は、たまたまシンシアリーさんの『シンシアリーのブログ』でも取りあげているので、画像と翻訳をお借ります。(2021年3月3日付記事「1920年代、『売春婦の契約』関連で朝鮮の各警察署が改善努力・・仲介手数料の制度化、前金の利子を廃止、など」より)

新たに決定した法定手数料の規定を報じる記事です。

 

20210418_fujichan02


 

京畿道警察部から仲介業者取り締まり規則を制定して施行中であることは当時に報道したことがあるが、警察務ではこれまで紹介手数料に関して管轄内の各警察署と合意した結果、以下のように金額を決め、実行することになったという。その金額についてだが、従来はこれについて規定もはっきりせず仲介人たちは一定の標準無しに人によって多くも取り少なくも取ったが、その中でも娼妓契約のようなものは契約金額の1割以上をももらっていく問題があり、この規定が実行されれば、雇用人の紹介も家屋の仲介もすべて決まった金額だけを払えばいいという。

▲芸妓 娼妓、酌婦などの紹介料金は、(※売春店の)店主と本人の契約が終わった後、前借金に対する100分の5以内の手数料金を受けることとし、ただ、その紹介料の3分の2は店主が、3分の1は本人に負担させること。もし前借金が無い場合は、1回に15ウォン以内とする・・(※以下、他の他の職種の仲介手数料に関する規定が続く)

 

この頃、芸娼妓の待遇改善を図る動きがあったようで、上記ブログには他にも馬山市の警察署長名で出された「芸娼妓待遇訓則」など、こと細かに指導してた様子が窺えます。

 

なお、シンシアリーさんはこの頃(上記ブログ記事を書いた頃)、古い新聞を読み漁ってらしたようで、その一つ前には「1930年、朝鮮の弁護士「労働期間を決めて相応の前金を払うなら、人身売買ではありません」というエントリーがあります。

以下、一部を簡単にご紹介します。

*1930年10月31日朝鮮日報「法律問答」
問「法律上人身売買は許されないことですが、にもかかわらず、酌婦を売買することがあります。これは法律に抵触することではありませんか?」
答「人身売買は出来ませんが、酌婦娼妓は一定期間の労務に服することにして金銭を前借するものであるため、現法には抵触しません」

*1924年12月4日、朝鮮日報「平壌署の大失態」
平壌の娼妓が、店の主人の署名がない廃業届を警察署に提出したので拘留された。娼妓は、借金の残金は後で返すと主張。これに対して、日本人達が怒っているという記事。

 

あらためて書きますが、「年季奉公」というと、「数年間、借金で縛られる」というイメージを持ちますが、発想を転換すれば「総賃金のほぼ全額は前払いで、しかも契約期間の最長が決まっている」(前借金が未返済でも契約期間が終われば廃業できる)という合理的な契約なんです。

但し、これが成り立つのは、業者のモラルも必要で、〔日本では全く無かったとは思いませんが、〕内地(日本)と朝鮮半島では状況が違っていた、というのがラムザイヤー論文(2020年の論文)には書かれています。

次回は、それについて書きます。

 

 

  


 

 

 

 

2021/04/18

【ラムザイヤー論文を読む】(1)信じられるコミットメント(Credible Commitments)とは【1991年の論文】

ラムザイヤー教授の論文、『Contracting for sex in the Pacific War』(太平洋戦争における性サービスの契約/2020年)は、同教授が1991年に書かれた『Indentured Prostitution in Imperial Japan: Credible Commitments in the Commercial Sex Industry』(芸娼妓契約-性産業における「信じられるコミットメント」)を発展させたもので、幸いにも、後者の論文は日本語で無料で読むことができます。(こちらのサイトからダウンロード可。)

以下は以前のエントリーに掲載した2020年の論文の目次に更に下位の小見出しを追加したものですが、赤く色をつけた箇所が1991年の論文(以下、単に「論文」と呼ぶ)をベースにしています。

 

* * * *

『Contracting for sex in the Pacific War』目次

1. Introduction/前書き
2. Prostitution in Prewar Japan and Korea/戦前の日本と朝鮮における売春
 2.1. Introduction/はじめに
 2.2. Japan/日本
   1.公娼
   2.契約の論理
   3.私娼
   4.からゆきさん
 2.3. Prostitution in Korea/朝鮮における売春
   1.現象
   2.契約
   3.(←論文では「2.」となっている)朝鮮人の海外売春
 2.4. Recruitment in Japan and Korea/日本と朝鮮における慰安婦の募集
   1.日本
   2.朝鮮
3. The comfort stations/慰安所
 3.1. Venereal disease/性病
 3.2. Contract duration/契約期間
 3.3. Contract prices/契約金額
 3.4. Contract terms/契約条件
 3.5. Prostitute savings/売春婦の貯蓄
 3.6. The closing years of the war/終戦の年
4. Conclusion/結論
References/参考文献

* * * *

 

◆「信じられるコミットメント」とは

「信じられるコミットメント」(Credible Commitments)とは、「信じられる約束(契約)」と訳した方が分かりやすいと思いますが、ここでの契約の当事者は売春宿(抱え主)と娼妓(新人)です。当然ですが、抱え主は新人を集めたいという動機があり、一方、新人は、名声の毀損(→それに見合う報酬が欲しい)や、報酬に関する不安(→どれだけ稼げるのか?という情報を持たない)等があります。そのために、抱え主は新人に信用を与える必要があります。

そして、後述しますが、それを実現するのが「年季奉公契約」だと、ラムザイヤー教授は論文で結論づけています。

 

◆公娼の報酬

年季奉公契約というのは、「前借金を返済」するか、「契約期間が終了」すれば廃業できるという契約形態で、論文によると、1920年代半ばの平均的な前払金(前借金)は1,000円~1,200円、契約期間は6年だったそうです。(実際には3~4年で借金を完済し廃業)

更に、抱え主(売春宿)と娼妓との間で「取り分」も、公娼の売上の67~75%をまず抱え主が手数料として取り、残りの25~33%の額の60%を債務の返済に充て、残額(全体の10~13.2%)が娼妓の手元に残りました。(部屋代と食費は売春宿が負担)

以下は、女工・農家・東京の公娼の平均年収の比較ですが、1926年(昭和1年)を例にすると、女工が312円、公娼が641円で、約2倍の収入があることが分かります。

 

20210418_ramseyer01

 

◆年季奉公契約

この論文の画期的なところは、多くの学者が抱いている「芸娼妓契約(年季奉公契約)は、債務奴隷の契約だ」という認識に真っ向から反論しているところです。

前述のように、2020年の論文はこの理論を前提にしているので、ラムザイヤー論文を否定する学者は、この理論に反論しなければならないのですが、それができないから、引用ミス(?)といった重箱の隅をつつくような批判や、不道徳だなどと、明後日の方向の批判しかできないのです。甚だしいものには、全くの事実誤認に基づいて批判している人達()もいます。(なお、論文にも断り書きがありますが、「売春」を肯定するものではありません。)

 

※歴史認識問題研究会:慰安婦問題に関するラムザイヤー教授論文撤回を求める経済学者声明の事実関係の誤りについて(西岡力・麗澤大学教授)

 

我々一般人も、ともすれば、ドラマなどの影響で、“借金漬けにされて、そこから一生出られない哀れな女性”をイメージしがちですが、実は、「抱え主が娼婦を売春宿に縛り続けたケースは例外」であることを論文は証明しています。

詳細は省きますが、

1)平均的な公娼は3年強で元金を返済し終え、月に21.8円の現金が手元に残ったこと。(cf. 1925年の成人の工場労働者の平均月収は47円、但し部屋と食事は自腹)

2)公娼が後から負った「追借金」は返済可能な額だった。

3)毎年約1/3の公娼が入れ替わっていた。

4)売春宿はその市場における「繰り返しプレイヤー」(repeat player)として、娼婦を比較的公平に扱うという評判が形成されれば、より安価に新人を集めることができた。

と言った説明がなされています。

 

また、著者は「出来高払い契約」、「定額払い制」、「期限付き契約と契約締結時ボーナス制」と「年季奉公契約」を比較しています。

これを理解するためには、まず、前提として、女性達は「娼婦になる」という『損失』を負うことを念頭に置く必要があります。()従って、それを上回る報酬が得られることが確実でないと、契約を信用することができません。

 

※但し、論文によると、元娼婦が必ずしも社会から見捨てられた訳ではないようです。29%が親元に戻り、12%が女工となり、5%は会社員としての職を見つけ、残りの多くは看護婦手伝いなどのような正業に就きました。

 

出来高払い契約では、女性達はその損失を相殺するに足る額の収入を得られるかどうか分かりません。

また、定額払い制の賃金では、需要の落ち込んでいる時期や、収益の少ない従業員を解雇したり、あるいは、雇用主が賃金カットに同意しなければ解雇すると脅す危険性があり、損失を回収する機会を失う可能性があります。

仮に1日当たりの賃金の最低保証があったとしても、(損失をカバーするに見合う)総賃金の最低保証を担保するには、最低契約期間の保証が必要になります。しかし、雇用主の立場からすると、その女性で得られる収益が恒常的に下回る場合、雇い続ける事は困難です。女性の側としては、損失の回収を失う危険性があるわけです。「契約締結時ボーナス」はこの信用性の問題を緩和しますが、女性がその金を持って逃げるというリスクが雇用者側に発生します。

これを解消する合理的な契約が、「年季奉公契約」だと言うのです。

女性は年季奉公契約によって『総報酬パッケージ』(前借金+部屋代+食費)が保証されるメリットの他に、契約に関する争議が発生した場合、裁判で法的コストを負担するのは抱え主側になるというメリットがあるからです。

日給制だとすると、抱え主がそれを支払わない場合、法的コストを負担するのは娼妓側になり、そのようなことに不慣れな女性にとってはこれは大きなリスクなので、女性に対して「信じられる約束」をする最も直接的な方法は、総賃金のほとんどを「即金で前払い」することでした。

芸娼妓契約において、女性が契約に背こうとした場合に抱え主が借金を回収するのは比較的容易です。そして、抱え主が契約に背こうにも、娼妓は既に現金を手にしているいる訳です。

 

2020年の論文が総ページ数8ページなのに比べ、この論文は48ページと長いので、以上は論文の一部です。

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

既にご存知かと思いますが、ラムザイヤー論文(2020年の論文)は『慰安婦は性奴隷ではない』事を証明する論文ではありません。既にそれを前提として、新たに「慰安婦の契約」を論じたものです。

当時の朝鮮も日本(内地)と同様のシステムでしたが、特に朝鮮では悪徳業者が跋扈していたのです。

これはブログ主の考えですが、親が娘を売るということへの抵抗感も日本よりは低かったように思えます。そのため、前回のエントリーで見たように、多くの元朝鮮人慰安婦は、最終的、あるいは途中経過として日本軍慰安婦になったとしても、もっと早くから性風俗の世界(=人身売買ネットワーク)に放り出され、苦労した方が多かった事は想像がつきます。

 

今まで、『慰安婦は性奴隷ではない』事を証明するために、多くの人は、強制連行がなかった(あり得なかった)ことや、元慰安婦と称する女性の証言が曖昧なこと、慰安婦が高収入だったこと等を持ち出して戦ってきました。あくまでも、慰安婦や売春婦という職業が当時の日本や朝鮮が貧しかった故の選択肢だという前提ですが、職業の選択肢が少ない時代に、公娼が、高リスクだが、年季奉公契約によって高リターンを担保される職業だという発想は、ブログ主には“目から鱗”でした。

「数年間の契約期間に拘束されている」ではなく、「総賃金の殆どが前払いされており、且つ、契約の最長期間が決まっている」という見方をしたことがなかったからです。

尤も、多くの人が前者の見方をしている訳ですが。

 

なお、多くのラムザイヤー論文批判者(主に韓国人)が言う、「ハルモニの証言をなぜ考慮しないのか!」に対しても、1991年の論文では、免責事項として、先述の「売春の是非を論じるものではない」という事と共に以下のように言及しており、同じ論理が使えると思います。

要約:「改革主義者のジャーナリスト」(日本風に言えば「進歩的文化人」でしょうか。)や「廃娼論者」によって救い出された元娼婦の説明に依拠したもので、必然的に、彼らに接近した元娼婦は不満を抱いてた娼婦で、大過なく年季奉公を終えた娼婦は何も発言していないから、標本抽出に大きな偏りがあるため、意図的に無視している。

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

『なでしこアクション』の、『ハーバード大ラムザイヤー教授 論文 1991年「芸娼妓契約-性産業における信じられるコミットメント」、2021年「太平洋戦争における性サービスの契約」』も是非ご参照下さい。

1月31日に産経新聞に掲載された、青山学院大学の福井義高教授による2020年の論文の解説記事も読むことができます。

上記サイトに埋め込まれている『つくる会CH』の2つの動画も大変参考になります。なでしこアクション代表の山本優美子さんが具体的に解説されています。

 

 

  


 

 

 

2021/04/17

【慰安婦問題】収養父・収養母/朝鮮半島における「身売り」【金柄憲所長の解説動画】

今回は、Fujichan(宮本富士子さん)が日本語字幕をつけて下さった金柄憲所長の動画をご紹介します。保守系ネットメディア『ペン&マイク』に出演された番組の一部です。ここでは、慰安婦ではなく、一般的な朝鮮の娼妓・酌婦と「収養父(母)」について説明しています。

ブログ主がこの動画に興味を持ったのは、慰安婦のリクルートに於いて、日本と朝鮮半島の違いが生じた一因があると思うからです。

 

 

韓国の元慰安婦の証言には、時々「養父」という表現が出てきます。典型的な例は最初に元慰安婦だと証言した金学順氏ですが、彼女が性風俗の世界に入ったのは1939年、15歳の時(※1)で、母親によって40円(※2)で妓生の券番(※3)に売られたにも関わらず、元朝日新聞記者の植村隆氏が「挺身隊の名で強制連行された」という捏造記事(←西岡教授との裁判で「捏造」と認められたので、堂々と書けます。)を書いたことで有名な女性です。(証言の詳細は後述)

※1 韓国は数え年なので、14歳という記述もある。

※2 この当時のお金の価値は、元慰安婦の文珠玉(ムン・オクチュ)氏が「大邱(てぐ)の家は千円でした」と回顧録に証言しているので、大雑把に1円=1万円と換算すれば、少なくとも「桁」は合っていると思います。40円で売られたということは、40~50万円と考えていいでしょう。

※3 券番=検番。所謂「置屋(おきや)」で、現代なら、芸者などを抱えていて、注文を受けて料亭などに派遣する業者で、ここで芸事も仕込まれるので、養成所(=学校)のような要素もあります。ブログ主は「検番・見番」という表記は知っていたので、ずっと「券番」というのは誤表記かと思っていたのですが、博多辺りでは「券番」と書くようです。朝鮮半島と距離的に近いことに関係があるのかも知れません。(九州から進出した業者が多かった?)

 

以下は、動画の内容(金柄憲所長の解説要約)です。

「稼業人」とは職業人のことだが、一般的には芸妓、娼妓、酌婦を指した。

稼業人は「収養女」〔=養女〕が多かった。これは、親が貧しくて食糧が足りないので、幼い娘を他の家に送ること。

収養父」や「収養母」〔=養父母〕は何年か育てた後、成人になったら妓生にして何年かは金を儲けさせることを約束して引き取る。例えば、14歳で7年の約束ならば、通常、17歳から妓生になれるので、4年間は養育の期間で、残りの3年は金を稼ぐことができる期間となる。

成人の女性は直接娼妓や酌婦として仕事をしたが、その場合でも親に売られた女性が多かった。その次に無断家出。典型的な例では「赤いワンピースと革靴を貰って“日本人男性”に付いていった」と証言した李容洙だ。

収養女は大体10代初めか中盤に、親戚や隣近所などの紹介で行った。

前借金は10円、20円、金学順氏のような40円程度〔と安い〕。なぜなら、養育が必要だったからだ。契約途中で親が連れ戻す場合、養育費を養父母に返済しないとならなかった。この額が15円/日と高額だった。

金学順氏の場合、平壌妓生学校に通った。

ここで重要なのは、収養父母になると、当時は法的親権者になった。つまり、収養女を更に売ることができた

当時の契約は戸主の印鑑証明や戸籍謄本が必要だった。養育後に芸妓や酌婦として金を儲けた。娼妓は17歳からで、酌婦は17歳以下でもなれた。貧しさ故の犠牲者だった。

 

ここで、「収養女・収養父・収養母」という耳慣れない言葉が出てきます。少なくとも広辞苑には存在しない言葉です。

これについて調べた所、「収養」とは、どうやら中国語〔收养〕で、「養子縁組」という意味のようです。 李氏朝鮮時代からの言葉なのでしょう。また、朝鮮近現代史の専門家、藤永壯(ふじなが・たけし)教授(※)のサイトが見つかりました。

※Wikipediaの記述によると、中国や韓国の歴史観に近い方のようです。なお、ラムザイヤー教授の論文では藤永教授の著書が複数参考文献とされています。

以下、一部を引用させて頂きます。

http://www.dce.osaka-sandai.ac.jp/~funtak/papers/seoul/seoul1.html
〔『植民地朝鮮における公娼制度の確立過程』より、「妓生」の説明〕

  朝鮮王朝時代の妓生は、基本的に中央や地方の官庁に所属する「官妓」であり、いわゆる「八賤」のひとつ―賤民の身分に置かれていた。その主な役割は、宮中・官庁で行事や宴会があるときに歌舞を演じ、出席者の接待にあたることである。ソウルで宮中行事などに参席する官妓は、中央官庁に所属する「京妓」と、地方官庁から送られてきた「郷妓」(または「選上妓」)―とくに平壌は名妓の産地として有名である―から構成されていた。また官妓は官吏の求めに応じて自宅で宴を催し、酒食を提供したり歌舞を披露することもあった。しかし妓生に対する国家の給与は充分ではなかったため、朝鮮王朝時代の後期になって、下級官吏が「妓夫」(または「妓生書房」「仮夫」)と呼ばれる後援者となり、この妓夫の仲介によって、特定の男性と性的関係を結んで金銭を受け取り、場合によっては妾として扱われるようになった。妓夫をもたない妓生は、彼女を養育し技芸を教えた収養父・収養母が同様の役割を果たしたという。一般に京妓は妓夫をもつケースが多く、郷妓はもたない者が多かったので、前者を「有夫妓」、後者を「無夫妓」と呼ぶ場合もあった。

 

「妓夫」と言っても、実際は「抱え主」のようで、1894年に本間九介が著した『朝鮮雑記』には、妓生ではない私娼についても「彼の国の娼妓は全て人の妻妾である。(中略)夫は自ら妻の客を引き、(中略)揚げ代の請求に来る」とあるので、日本統治以前の資本主義が未発達の時代には、売春は家族経営的に営まれていたようです。

日本語で「身売り」とはよく言いますが、性風俗で働かせる前提で親権まで移動する人身売買はどれほどあったのかは不明です。

韓国の元慰安婦の証言では、“強制連行されて慰安婦にさせられた”のは大体十代半ばで、だから、慰安婦像もそのくらいの少女をモデルにしているのですが、日本統治下での公娼制度では最低17歳でないと公娼にはなれず、それは日本軍慰安婦も同様なので、そのような若さでは基本的に日本軍慰安婦にはなれません。つまり、性風俗の道に入ったのがそのくらいの歳ということで、金柄憲所長の解説の、収養女になる年齢と一致します。

以前のエントリーに書いたように、慰安婦として外国に渡航するためには、>>警察署長が発給する「身元証明書」女性と慰安所業者が一緒に作成する就業申請書に該当する「臨時帳簿営業許可願」、写真2枚、戸主と女性の本人が捺印した就業承諾書、以上の関係者の印鑑証明書、女性の戸籍謄本(就業承諾書、印鑑証明書、戸籍謄本は本人でなければ作成または発給を受けることができなかった)、そして日本領事館職員が直接当該女性と者の就労を希望することができるかを確認<<する必要があったのです。

従って、李容洙(イ・ヨンス)氏のような家出娘がなれたのはせいぜい私娼でしょう。あるいは、韓国軍慰安婦ならなれたのかも知れません。

また、ここで注意すべきは、元慰安婦として積極的に証言した女性は、挺対協などの公募で名乗り出た女性達です。中には本当に日本軍慰安婦だったのか疑わしい証言もあります。そして、彼女達の何倍もの名乗り出なかった元慰安婦がいたのです。彼女達の身の上話を朝鮮人慰安婦として一般化していいものかは甚だ疑問です。 

 

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金柄憲所長のFacebook(4月14日)より、金学順氏の証言詳細(ほぼ翻訳ママ。〔括弧〕内はブログ主補足)


「第26次国民行動」40ウォンで売られた金学順、なぜ日本軍の強制連行か?

(前略)金学順氏は'慰安婦被害者法'が定義した'日本軍慰安婦被害者'になれないだけでなく、はなはだしきは'日本軍慰安婦'かすら疑わしい人物だ。

'慰安婦被害者法'によると、'日本軍慰安婦被害者'という'日本によって強制動員されて性的虐待を受け、慰安婦としての生活を強要された被害者をいう。'と定義した。 '日本軍慰安婦被害者'になるためには、日本軍に強制連行されて性的虐待を受け、慰安婦としての生活を強要されたという条件を満たさなければならない。 しかし、金学順氏は、日本軍に連行されたこともないし、日本軍から性的虐待を受けたこともないし、日本軍から慰安婦生活を強要されなかった。

1993年、挺隊協の証言集によると、金氏は母親によって妓生を育てる養父に数年間の契約を結んで売られた〔1939年/15歳〕後、2年間の平壌妓生学校を終え〔1941年/17歳〕、妓生の営業をしようとしたが、妓生の許可年齢である19歳に満たず、営業ができなかった。 養父は許可を得るために奔走したが、失敗し、金氏と別の養女を連れて中国に渡った。 中国に行く前に養父は母に連絡して中国に行くことを許され、旅立つ日に母は黄色いセーターを買って平壌駅まで出て見送ってくれた。 金氏が日本軍に連れていかなかったということは、金氏自らが証言したところだ。

また、証言集には金氏が「何人かの軍人が私たちを家に連れて帰った。 後で分かったことだが、中国人が逃げて空いている家だった。 しばらくして、昼頃、養父を連れて行った将校が部屋へ出て来て、私を包装した次の間へ連れて行った。 私の隣の部屋に行ったら,将校は私を抱きしめて服を脱がそうとした. 脱がないようにして服が全部破れてしまった。 結局その将校に私の娘を奪われた。 その晩,私は将校に2度もやられた. 翌日夜が明ける前に将校は部屋を出て行った. 私は破れた服でぎょろぎょろと身を隠して泣いた. 将校はもうそんな服はここで着ることもできないと言った」と証言した。

しかし、これはありえないことだ。 この世のどの国の軍隊を問わず、民間人の女性を拉致して空き家に連れて行き、夜通し強姦し、破れた服を見て「もうそのような服はここで着られない」と言う軍人はいない。 そんなことがあったなら、当該軍人は戦犯裁判にかけられ、最高死刑に処せられた重大犯罪行為である。もっとも、1991年12月、金氏が日本政府に対して提起した戦後補償を求める裁判の訴状には、慰安所のある鉄壁陣で養父と別れたとされている。 北京で日本軍に拉致されたという金氏の証言は、断言するが嘘だ。

次に'日本軍慰安婦'とは、日本軍の管理下にある慰安所で日本軍を相手に売春行為をしたある女性をいう。 日本軍慰安所には慰安所オーナー、慰安婦、慰安所を利用する軍人たちが守らなければならない規定があった。 金学順さんの証言には、このような日本軍慰安所規定に反する内容が少なくない。(後略)

 

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金学順氏は生後すぐに父親と死別し、15歳の時には母親が再婚、継父との折り合いが悪かったそうなので、数年間の契約と言っても厄介払いされたのだと思います。養父は法的親権者なので、中国に連れて行った後、慰安婦として契約させることもできたはずですから、本人はそこで日本兵に拉致されたと言っていますが、慰安所を営む娼館と契約を結び、前金を手に、そこで金学順氏を捨てたのかも知れません。〔あるいは、単に中国で街の私娼か公娼として働いていただけかも知れません。〕

西岡力教授の本によると、日本メディアの為に通訳や手配をしていた韓国人女性が、仕事を通じて親しくなった金学順氏に、なぜ元慰安婦と名乗り出たのかと尋ねたところ、「寂しかったんだ。誰も訪ねて来ない。」と答えたそうです。(『よくわかる慰安婦問題』P.39)

 

 

  


 

 

 

 

2021/04/09

【ラムザイヤー論文】「酌婦」は「娼妓」と同義語/酌婦の契約書【金柄憲所長のコラムより】

公開:2021-04-09 14:25:49  最終更新:2021/04/10 12:03

ラムザイヤー論文に多くの異論・反論が出ていることはご存知だと思いますが、保坂祐二・前延世大学教授(←定年退職したそうです)がつけた言いがかりに、「朝鮮人慰安婦の契約書がない」、「8割が文盲だった朝鮮人には契約はできない」、「酌婦と騙して慰安婦にした」というものがあります。

最後の「酌婦と騙して慰安婦にした」に関しては、仮にそうだとしても、「騙した主体」が誰なのかが問題になると思いますが、彼はそもそも「酌婦」がほぼ「娼妓(売春婦)」と同義語だったと言うことを知りません。

今回ご紹介する金柄憲(キム・ビョンホン)所長の『メディアウォッチ』のコラムで取りあげた記事(1925.8.17付『朝鮮日報』)は、まだ娼妓と酌婦が区別されていた時に酌婦として契約した女性に売春を強いた向井一之進という日本人が報じられており、更に、娼妓と酌婦が曖昧になる過程を説明しています。その他、慰安婦の契約書ではありませんが、記事にある酌婦の契約書の内容も掲載しています。

 

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取り敢えず、機械翻訳のママ掲載し、後ほど修正します。(2021/04/10修正済み)

 [キム·ビョンホンのタイムトラベル(3)] 沙里院駅7人拉致未遂事件-3-3
 他の新聞にない契約書が紹介された1925年8月17日付の朝鮮日報の記事

メディアウォッチ編集部 mediasilkhj@gmail.com
登録 2021.04.09 09:31:38

【キム·ビョンホン·韓国史教科書研究所所長】

沙里園駅(サリウォン)7人拉致未遂事件は当時、朝鮮日報、東亜日報、毎日新聞、時代日報など4つの新聞に報道された。サリウォンが地域的に偏った上に、取材源との接触や警察からの情報取得が容易ではなかったためか、新聞ごとに事実関係に多少の違いがある。関係者の数と場所が異なり、時間別の事件展開が異なるため、事件を再構成することは容易ではない。

そのうち「日本人に売られた酌婦、法律上契約解釈が問題」という題下の朝鮮日報の記事も同じだ。 200字原稿紙2.4枚の記事が一つの文章になっている上、その他の新聞と事実関係においても差異が見られる。 それでも筆者が注目する理由は、この記事には他新聞にはない契約書を載せて当時の芸娼妓と酌婦の雇用契約を理解する上で大きく役立つからだ。

 

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沙里院警察署に日本人2人と朝鮮人女性6人が一緒だった。 すでに報道したように、仕事は法律上の問題に至り、相当な裁判をせざるを得ない事態に及んだので、その女たちの親たちの中、もしくは書信で新聞支局にその契約された事情を述べ、あるいはその契約書を持ってきて、到底その責任者である向井一之進の罪悪を受け入れることができないと言い、自分の娘が警察署から出ると言うまでもなく、自宅に連れて行くと言うので、その契約書を本警察署でも、あくまでも仕事を根本的にうまく処理せざるを得ないとして、日本大坂部のである。契約は以下のようにしているが、奸悪な香亭は未成年者の宝玉を19歳だと年をだまして売春まで強制的にさせ、金儲けで無実の罪に問われていた女性たちは反抗することにしたという。
(朝鮮日報、1925.8.17)


「法律上の問題に至り、裁判をせざるを得ない」とした言及から、結局、訴訟提起は既定事実と受け止めたようだ。 被害女性の両親には書信により契約書を新聞販売所に送ったり、警察署に関連書類を提出したりもした。 契約書を見た警察はまた、警察通り、事件を原則通りに処理するため、大阪金宮警察署に照会し、向井を呼び出したという。 その際、警察署に提出した契約書は、キム·ボオクの酌婦業契約書だ。

 

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▲1925年8月17日付の朝鮮日報に報道された契約書。 以下の「酌婦業契約書」はこれを現代語に置き換えて再編集したものである。


提出された契約書の主な内容はキム·ボオクが契約金300円を受け取り、1年6カ月にわたり大阪の朝日程(朝日亭?)で酌婦稼業に従事するという内容だ。 残りはこの3つの要素による付随的な内容で、契約違反時の履行事項、付帯費用の負担、その他の証拠書類の提出などだ。 重要な点は最後に連帯保証人の署名捺印が必ず含まれるという点だ。 ここでは乙の実母、つまりキム·ボオクの親母キム·ヨンハンが捺印した。

まず、キム·ボオクが受け取った300円というお金は、契約金かつ前借金となる。 前借り金は文字通り「あらかじめ借りた金」という意味で、ここでは1年6カ月間酌婦稼業に従事することを約束してもらった金だ。 当然、契約期間中に返済しなければならない一種の借金であるわけだ。 当時、抱え主と酌婦・芸妓・娼妓の雇用契約は、ほとんどがこのように前借金を媒介に締結された。

女性たちは契約期間内に顧客から受け取る花代を主人と6:4または5:5などの割合で配分し、そのうち自己に配分された分は前借金を返済した。 このように「年ごとに借金を返済する売春婦」を当時は「年妓生」と呼び、これらの年妓生契約はラムザイヤー教授が発表した「太平洋戦争当時の性契約」(Contracting for sex in the Pacific War)という論文の核心内容である「Indentured prostitution」とも一致している。

一部では、年季奉公という言葉を用いることもあるが、奉公という単語が、献身奉公や滅私奉公のように、私利より公益を優先するという意味で、年妓の実情を正確に反映した用語とは言い難い。

問題はキム·ボオクが従事することにした酌婦だ。 酌婦は多くの男性を相手に笑いと情操を売る芸妓や娼妓のような女性職業をいう。 1924年、東亜日報の報道によると、酌婦・芸妓・娼妓の根源を1894年の日清戦争時に日本軍に従って玄海灘を渡ってきた「日本娘」に置いている。 その後、朝鮮ではこのような女性職業が増えると同時に性病が蔓延すると、これを効果的に管理·監督するための公娼制を運営した。

公娼とは、公式的に売春行為を行うことができる娼妓をいう。 これとは違って歌舞や技芸を披露する芸妓や客のそばで酒を飲む作夫は少なくとも1930年代半ばまでは売春が許されない私娼だった。 もちろん、どの業種も官の許可を得て営業しなければならないという点は同じだった。

1920年代に入り、国際的に公娼廃止運動が野火のように広がり、1927年、日本内地で娼妓を廃止し始め、1935年度には日本全土の公娼廃止を宣言したが、 だからといって公娼廃止がすなわち官許売春の廃止を意味するものではなかった。 売春空間である遊郭をカフェや料理店に改造し、娼妓を酌婦に名前を変えて営業を続けるようにした、まさにごまかしにすぎなかった。 その後、芸妓·娼婦の境界線が曖昧になり、芸妓·酌婦の売春もだんだん黙認される傾向になった。

再び本論に戻り1924年末に作成したキム·ボオクの契約書には明らかに「酌婦に従事することにする」と明示した。 したがって、売春は不法であり、明白な契約違反だった。 しかし、チョ·イルジョン主人はキム·ボオクだけでなく、すべての女性に売春を強要し、これに応じない場合、服を与えないなどの方法で虐待を行い、売春を余儀なくされたという。

しかも、金宝玉は明治44年(1911)5月3日生まれで、1925年には14歳に過ぎない未成年者であるにもかかわらず、主人は年齢まで19歳と偽り、売春を強要した。 そのため、金宝玉の兄はそれを憤慨し、上記のような酌婦業契約書を提示し、訴訟を起こしたのである。

しかし、その後8月21日付の毎日新報に「沙里院料理屋組合」から7人の身代金の残り2千1百ウォンを一人に支払い、7人の女性を全員買う契約を結んだという記事以外に関連記事は見当たらない。 これに先立ち、全治10週間の傷害で告訴した少し先、10日拘留に直面した日本人の正式裁判の要請、キム·ボオク側の訴訟提起などで事態がますます険悪になり、料理屋組合側が身代金の支払いを条件に仲裁に乗り出したのではないかと推測するだけだ。

結局、沙里院駅の7人の拉致未遂事件は、一人のあらゆる悪巧みと女の反発、そして告訴告発にもかかわらず2,100円という転借金が解決され、劇的に終わった事件と考えられる。 今や7人の女性たちは、料理屋組合とそれぞれ300円という前借金を条件に再契約を結ぶことで、1年6ヵ月間の酌婦生活を続けることになったのだ。

 

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この記事とは離れますが、よく、「韓国政府はゴールポストを動かす」としばしば日本政府などが言いますが、慰安婦問題に関しては、韓国人に限らず「慰安婦=性奴隷」などと言う人達は「ルールを勝手に変える」という表現がピッタリだと思います。論点を変える、と言うことです。

最初は「20万人の女性を性奴隷にするために強制連行し(、殺し)た」というような主張をしており、「吉田清治が済州島で慰安婦狩りをした」等と言っていたので、今でも多くの韓国人は、「3~4人の日本軍兵士が少女の腕を掴んで連行していく姿」をイメージしていると思います。

しかし、吉田証言が嘘だと分かると、強制連行説は下火になり、慰安婦を政治問題にした中心人物の一人、吉見義明教授も、「広義の強制」などと言い出しました。

そして、以前からもそういう声はありましたが、『反日種族主義』の出版や、良心的韓国人(←韓国人の言う「良心的日本人」と異なり、正しい意味での「良心的」な学者の先生方等)の努力で、特に当時の朝鮮半島では悪徳業者が跋扈していたことも知られるようになると、「慰安所を設置したことが悪い」という論調に変わってきています。

これに対して、韓国軍や国連軍も慰安所があっただろと反論しても無駄なように、「“植民地にした”こと(不当な占拠)が悪い」というようになりました。所謂「徴用工裁判」の大法院判決がまさしくこれです。

慰安婦の場合も「無理矢理日本人にされ、日本の戦争に巻き込まれたのだから、賠償しろ」という風になっていると感じます。

「日韓基本条約」の交渉の過程で韓国側が「併合条約等は無効」と主張して譲らなかったので、第2条で、「1910年8月22日以前に大日本帝国と大韓民国との間で締結されたすべての条約及び協定は、もはや無効であることが確認される。」という玉虫色の表現になりました。

大法院判決が日韓基本条約の“卓袱台返し”と言われる所以です。

おそらく、慰安婦や“徴用工”という各論を使って、日韓基本条約を事実上書き換えることを狙っているのだと思います。

もちろん、日本側からすると話にならないことですが、「慰安所の設置」と「不当な占拠」はセットになっていると考えるべきです。

ラムザイヤー論文を否定するような人々は、ラムザイヤー教授を含めた日本側がクリアしなくてはならない条件を変えてくるようなものです。同時に、“少女の腕を掴んで拉致した”と思い込んでいるような人達(例えば、慰安婦像に騙されるベルリンの人達)を新たに増やそうとしている訳です。

一刻も早く、海外の慰安婦像は撤去させなくてはなりません。

国際世論に関してはもう少し考察すると、20万人という数字はさておき、既に、強制連行は、少なくとも韓国政府レベルでは主張していないと思います。(個々の韓国人はまだ映画などのイメージを持っているかもしれませんが。)

しかし、国際世論に関しては、ラムザイヤー教授が論文で扱った「年季奉公契約」が『鍵』だと思っています。仕組みそのものは、慰安婦や一般的な娼妓だけでなく、商店や職人の見習い(丁稚奉公)などでもあった契約制度ですが、慰安婦の場合、実態は「人身売買」と紙一重のものがあります。特に欧米人の目からはそう見えるかもしれません。もちろん、日本軍は女性が慰安婦になった経緯には関与していないのですが、女性が所謂「苦界に実を落とす」経緯に、特に朝鮮半島では戦前から人身売買ネットワーク(人肉市場)があり、全体的に見ると、日本軍の慰安所はその一端に組み込まれてしまいます。年季奉公契約を知らない欧米人から見ると、「人身売買された女性が慰安所で日本軍兵士の相手をさせられた」という短絡的な見方になるのも、ある意味理解できます。

現在、李承晩TVや金柄憲所長は、当時の人身売買ネットワークについて解説をしており、また、韓国人も80年代くらいまでそうした事件があったことを覚えている(動画のコメント欄にちょくちょくそういう書き込みがあります)ので、むしろ、当時の日本や朝鮮半島の状況に関する相互理解は欧米人よりは容易かも知れません。

強制連行されたと信じている外国人に対しては、その誤解を払拭するのはもちろんのこと、今後はラムザイヤー論文を拡張させるような議論で、「慰安婦」というものを日韓の公娼・私娼の歴史や社会背景や慣習と共に捉え、アピールしていくことが重要ではないかと思います。

 

  


 

 

 

 

2021/04/07

【慰安婦問題】吉元玉氏をヨーロッパまで連れて行き、肋骨が折れているのに歌まで唄わせていた尹美香(ユン・ミヒャン)【挺対協】

記録として。

現在、挺対協の活動資金の不正会計疑惑で在宅起訴されながらも議員活動を続けている尹美香(ユン・ミヒャン)氏に関し、2017年に元日本軍慰安婦と称する吉元玉(キル・ウォンオク)氏と共にヨーロッパに行った際、肋骨が折れているのに歌まで唄わせていたという告発がありました。

告発した余明淑(ヨ・ミョンスク)氏は「元ゲームコンテンツ管理委員長」と紹介されていますが、文化体育観光部(省に該当)の下にあった機関です。韓国語版Wikipediaによると、2020年の総選挙で未来統合党(野党:現・国民の力)から立候補して落選、現在はYouTuberとして、文在寅批判を行っているようです。

告発は医療給付記録を提示したもので、骨折自体は事実のようです。

渦中の吉元玉氏は、自称元慰安婦ですが、左記リンク先(Wikipedia)を読むと分かるように、証言が一貫せず、国史教科書研究所の金柄憲(キム・ビョンホン)所長によると、おそらく初期の証言集に書かれているのでしょうが、「自ら金を稼ぐために友達と中国に渡った」と証言したそうです。現在、金所長は、李容洙(イ・ヨンス)氏とともに吉元玉氏を、日本軍“被害者”ではないとして告訴しています。

吉元玉氏で有名なのは2013年5月、当時日本維新の会共同代表だった橋下徹大阪市長との面会を直前にキャンセルしたことです。(共同通信ニュース動画」橋下氏との面会中止 元従軍慰安婦2人は反発

昨年6月に正義連の施設の所長が自殺したことで養子に引き取られましたが、その後、預金通帳から4億ウォンもの金が引き出されていることが発覚しました。(2020.09.21付『中央日報』:慰安婦被害者吉元玉さんの支援金、入金されるたびに何者かが引き出す

要するに、尹美香とは共犯関係で、活動中はレコードデビューもするなど、「元慰安婦」を職業にしていたわけですが、結局利用されただけの哀れな女性です。

 

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http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2021/04/05/2021040580043.html
「尹美香議員、ろっ骨骨折のハルモニに歌を歌わせた」
2021/04/05

 共に民主党の尹美香(ユン・ミヒャン)国会議員が2017年、慰安婦被害者の吉元玉(キル・ウォンオク)さんと共に欧州を訪問した際、吉さんがろっ骨を骨折しているにもかかわらず、過酷なスケジュールを消化させたとする指摘が出ている。

 余明淑(ヨ・ミョンスク)元ゲームコンテンツ管理委員長は3日、ユーチューブを通じ、「吉さんが17年、尹議員と欧州に行き、ろっ骨を骨折して帰国した」とし、17年12月の吉さんの医療給付記録を公開した。尹議員と吉さんは17年11月30日から12月7日まで欧州を訪れた。帰国直後の12月8日、吉さんは病院で診療を受けた。診断名は「ろっ骨のねんざと緊張」だった。診療後も吉さんが苦痛を訴えたため、翌9日に江北サムスン病院を再受診した。

 同病院は「4本以上のろっ骨にわたる多発骨折」と診断した。余元委員長は「吉さんのろっ骨が何本も折れていたことになる」とし、「17年は(吉さんが)既に認知症と診断されていた」と指摘した。吉さんの息子夫婦は最近、吉さんの体調が悪いために病院につれていった際、一連の診療記録から事実関係を知ったという。

 余元委員長によると、息子夫婦は17年に吉さんが帰国したことを知るとすぐに会いに行ったが、尹議員側は『旅の疲れが残っている』として、1週間後に来るようにと告げ、息子夫婦はそれを信じ、1週間後に再び会いに行ったという。余元委員長は尹議員について、「吉さんが認知症の診断を受けたことも、ろっ骨を骨折したことも隠していた。そうしないと、正義記憶連帯が(吉さんを)連れ歩くことができないからだ」と批判した。

 余元委員長は「吉さんは欧州訪問で体調が急速に悪くなった。(すぐに)韓国に帰国すべきだったし、息子夫婦に知らせるべきだった。(それなのに)ろっ骨が折れた吉さんを連れ歩き、歌を歌わせた」と述べた。当時のあるメディアのユーチューブには「吉さんがベルリンで『恨み多き大同江』を歌った理由」と第する動画が掲載されている。

 余元委員長は「(尹議員が)朴元淳(パク・ウォンスン)前ソウル市長の10年間を語るのは、そんなことをしてもそれを不問に付してくれたことがありがたいからだ。もう一度(選挙で)民主党に入れてくれれば、(尹議員は)これまでやってきたことについて気が楽になるはずだ」となどと評した。

 

 

 

  


 

 

 

2021/04/01

【日韓ソメイヨシノ論争】日本の「ソメイヨシノ」と済州島のソメイヨシノこと「王桜」はどこが違うのか【起源主張】

前回のエントリーの続きです。この答えは2018年9月に韓国による研究で既に出ており、13日付で各社報じています。

 

日本のソメイヨシノの起源は済州(チェジュ)にあるという主張が提起されてきたが、ゲノム分析を通じて日本のソメイヨシノと済州の「ワンボンナム(王桜)」は異なる種であることが確認された。これを受け、110年間続いてきた論争はやや呆気なく終止符を打つことになった。

山林庁国立樹木園は明知大・嘉泉大学チームと共同で済州に自生する王桜のゲノムを完全に解読し、その研究結果を含む論文を世界的ジャーナル『ゲノムバイオロジー』9月号に掲載したと13日、明らかにした。

(2018年9月13日付け『中央日報』:済州か日本か…ソメイヨシノ起源めぐる110年論争に終止符/韓国語:제주도? 일본?…왕벚나무 원산지 110년 논란 종지부

 

上記は原文では「ソメイヨシノ」の部分は「왕벚나무」(ワンボンナム、つまり王桜)と書かれています。

 

それはさておき、では、どう違うのでしょうか?

9月13日付ハンギョレ新聞に詳しい記事が出ているので、後述しますが、先にまとめると、

 

  • ソメイヨシノは江戸末期に染井村=現・東京都豊島区=で創り出された、エドヒガン(母系)と伊豆七島に自生するオオシマザクラ(父系)とを交配させたF1(=第1世代の)ハイブリッド(=雑種)であり、園芸種。
    学名は、「Cerasus × yedoensis (Matsum.) Masam. et Suzuki」。
     
  • 済州島のソメイヨシノこと「王桜」は、自生するエドヒガン(母系)とオオヤマザクラ(父系)が自然に交配してできたF1ハイブリッド。
    学名は「Cerasus ×nudiflora (Koehne) T.Katsuki & Iketani」

 

です。

済州島の場合、F1である「王桜」が母系または父系となり、エドヒガン(母系)とオオヤマザクラ(父系)と更に交雑して、F2(第2世代の)ハイブリッドも生まれていることが分かりました。割合はF1が81%だそうです。

以下、ハンギョレの記事を機械翻訳してご紹介します。(一部誤訳を訂正/念のためサクラの名称は原文の単語を付記。)

 

◇ ◇ ◇ ◇

この記事の元となった論文は『Genome Biology』に掲載された「Draft genome sequence of wild Prunus yedoensis reveals massive inter-specific hybridization between sympatric flowering cherries」(Published: 04 September 2018)という論文です。

 

http://www.hani.co.kr/arti/animalpeople/ecology_evolution/861962.html#csidxa29c8486e2885708af49f9f243ccba4
韓日「桜の元祖」論議終わり? 済州ソメイヨシノ「誕生の秘密」を確認
登録:2018-09-13 15:57修正:2018-09-13 23:00

(前略)成均館大生命科学科のキム·スンチョル教授チームは2014年に『アメリカ植物学会誌』に掲載された論文で済州のソメイヨシノ(왕벚나무/ワンボンナム)が自生するエドヒガン(올벚나무/オルボンナム)を母系に、オオヤマザクラ(벚나무/ボンナム:サクランボのなる木、ヤマザクラ)を父系に自然に形成された雑種だと明らかにした。 彼らはソメイヨシノ(왕벚나무/ワンボンナム) の一部の遺伝子と葉緑体の分析を通じてこのような結論を得たが、日本のソメイヨシノ(왕벚나무/ワンボンナム) に関する研究は後続課題として残した。

国立樹木園の支援の下、明知(ミョンジ)大学·嘉泉(カチョン)大学の研究者が参加し、ソメイヨシノ(왕벚나무/ワンボンナム) の全体ゲノムを解読した研究結果が科学ジャーナル「ゲノムバイオロジー」9月号に掲載された。 同研究では、済州のソメイヨシノ(왕벚나무/ワンボンナム) と隣接種はもとより、日本で初めてソメイヨシノが記録された東京大学付属植物園(小石川植物園)からソメイヨシノ(왕벚나무/ワンボンナム) の標本を確保し、分析した。 研究者らは13日「完全な遺伝体を比較した結果、済州ソメイヨシノ(왕벚나무/ワンボンナム) と日本ソメイヨシノ(왕벚나무/ワンボンナム) ははっきりと区別される異なる植物」という結論を下したと明らかにした。

 

20210331_ouzakura02

【上】済州(チェジュ)のソメイヨシノ(왕벚나무/ワンボンナム) と日本のソメイヨシノ(왕벚나무/ワンボンナム) 、他の桜の近縁種の間の遺伝的分化の程度を示すグラフ。 ペク·スンフン他(2018)「ゲノムバイオロジー」提供(日本語や矢印はブログ主が追加したもの

 

主著者の一つであるチェ·ギョン国立樹木園博士は「済州のソメイヨシノ(왕벚나무/ワンボンナム) と日本のソメイヨシノ(왕벚나무/ワンボンナム) の間に遺伝的な錯綜はないことが分かった」と述べた。 これまで出回っていた済州のソメイヨシノが日本に渡って日本のソメイヨシノ(왕벚나무/ワンボンナム) になったとか、その逆だという主張は遺伝的根拠がないことが明らかになったわけだ。

著者で明知(ミョンジ)大学生命科学情報学科のムン·ジョンファン教授は「今回の自生ソメイヨシノ(왕벚나무/ワンボンナム) のゲノム解読を通じて、ソメイヨシノ(왕벚나무/ワンボンナム) をめぐる原産地と起源に関する論議を終えることができると期待する」とし「済州のソメイヨシノ(왕벚나무/ワンボンナム) は済州のもので、日本のソメイヨシノ(왕벚나무/ワンボンナム) は日本のもの」と述べた。 「通りと公園に植えた数多くの桜は日本で改良した吉野(요시노/ヨシノ)品種だが、刈り取るなど敵対的になる必要はない」とし「桜の起源を知って楽しめばいい。 木に何の国籍があるのか」と付け加えた。

今回の研究で、済州のソメイヨシノ(왕벚나무/ワンボンナム) は、エドヒガン(올벚나무/オルボンナム)を母系に、オオヤマザクラ(벚나무/ボンナム)を父系に生まれた第1世代の自然雑種であることが確認された。 同じ桜の中のこれらの種は3キロ範囲でともに分布し、3月末~4月中旬までの2週間の開花期が一部重複して雑種化する条件が整っていると研究者は明らかにした。 このような交雑の機会は稀に訪れるが、したがって済州ソメイヨシノ(왕벚나무/ワンボンナム) の全体個体数は約200個体に過ぎない。

それなら、エドヒガン(올벚나무/オルボンナム) とオオヤマザクラ(벚나무/ボンナム) はどのようにして種の障壁を越えて雑種を成すことができたのだろうか。 研究者らは「(벚나무/ボンナム) は自分の花粉が雌しべに付いても芽を出さないようにする自家受粉抑制装置(자가수분 억제 장치が施されているが、近い他の種には受粉(꽃가루받이)を認める特性があることが今回の研究で明らかになった」と明らかにした。 ムン教授は「このように近親交配を防ぎながら種間交配に柔軟性を与えたのは島という孤立した環境に適応した結果である可能性がある」と説明した。

自生する桜や桜の自然雑種として生まれた済州(チェジュ)のソメイヨシノ(왕벚나무/ワンボンナム) は、自然的に新しい種が誕生する証拠として学術的価値が大きいと、研究者らは明らかにした。 済州ソメイヨシノの81%はこうした第1世代の雑種で、残りはソメイヨシノ(왕벚나무/ワンボンナム) が副·苗のエドヒガン(올벚나무/オルボンナム) やオオヤマザクラ(벚나무/ボンナム) とまた雑種を成す逆交配雑種で、雑種化が活発に進んでいる。

 

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【上】済州ソメイヨシノ(왕벚나무/ワンボンナム) の雑種形成過程。 ペク·スンフン他(2018)「ゲノムバイオロジー」提供(日本語はブログ主が追加したもの

 

チェ·ギョン博士は「今回の研究は野生木本植物の中では世界で初めて済州ソメイヨシノ(왕벚나무/ワンボンナム) の全体ゲノムを解読したという点で意味がある」と述べた。 植物のゲノム研究は、主に農作物などの草本と木のうち、リンゴなどの果実樹を対象に行われただけで、野生の樹木は優先順位から外された。

一方、今回の研究対象である済州のソメイヨシノ(왕벚나무/ワンボンナム) 記念木のうち1本は、ゲノム分析の結果、済州自生種ではなく日本栽培種とほぼ同じことが分かった。 この木は根元周囲3.45mの巨木で木の形と開花形質に優れ、2015年に国立山林科学院と済州島がソメイヨシノ(왕벚나무/ワンボンナム) 資源化の基準となる'親の木'に指定した個体だ。 研究者らは、栽培していた日本のソメイヨシノ(왕벚나무/ワンボンナム) がどのような理由から、漢拏山に移されたものと推定している。

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

無理矢理「벚나무」を 「オオヤマザクラ」と訳しましたが、ハングルではサクラの品種を示す語が貧弱なのが分かると思います。

おそらく、これを読んでも韓国人は理解できないでしょう。サラッと、通りや公園に植えられているのは「吉野品種」つまり、明らかに日本から移植された桜だとも言っています。

 

更にブログ主が呆れたのは、以下の部分。そんなことを今(2018年)に知ったのか?と。

>研究者らは「ヤマザクラは自分の花粉が雌しべに付いても芽を出さないようにする自家受粉抑制装置が施されているが、近い他の種には受粉を認める特性があることが今回の研究で明らかになった」と明らかにした。

と言うか、そもそも、今まで済州島に自生する桜を研究したことが無かったのか?

日本統治時代に持ち込まれたソメイヨシノは知っていたはずです。済州島にも良く似た桜が自生しているのを見て、学問的探究心が芽生えなかったのか? 調べもせずに、何故いきなり「起源」を主張するのか?

下は、前回のエントリーで掲載した画像ですが、王桜の学名には日本人の名前が入っています。つまり、これが新発見の品種だと発見されたのは日本人の学者によるものです。植物学会が認めた経緯があるはずで、何故それを調べずに、思い込み(願望)だけで否定するのか?

 

20210331_ouzakura01
2021/03/31にGoogle検索した結果のキャプチャ

 

不思議ですが、少し思いあたる事があります。

桜ではないのですが、ブログ主はある本、確か、鄭大均氏の本だったかと思いますが、日本人は子供ですらセミの鳴き声を聞いて、複数のセミの名前を言うけれど、韓国人はセミの種類を知らない、興味がないということを知りました。儒教の影響で、韓国人の関心は「人間」に対してのみで、「自然物」ではない、という趣旨のことが書いてありました。

 

シンシアリーさんのブログにも『「桜」、韓国では表記すら安定していない』というエントリーがありました。ネット上で「桜」に当たる単語の誤記が多いのだそうです。

こういう事なのかも知れません。

 

それと、上のハンギョレの記事レベルの文章を、どれほどの韓国人が理解できるのか?という疑問があります。

同じくシンシアリーさんのブログで『久しぶりの文解力(読解力)関連記事』という記事があり、それによると、「学生がガジェ(仮題)、ピョンロン(評論)、キドゥククォン(既得権)、ヤンブン(養分)、チャドゥン(差等)、ジキン(職印)、ウィファガム(違和感)のような単語を正しく理解できない」のだそうです。

日本人なら、「仮題」を初見で「仮の」+「題」と理解します。「仮題」の意味を暗記する必要がある日本人はいないでしょう。英語でも「tentative(暫定的な) title」なので、同じ表音文字でも2つの単語の組み合わせだと理解し、意味も類推できるでしょう。しかし、「ガジェ(가제)」だけでは「仮+題」とはすぐには分からないようです。実際にこのガジェという単語は、「仮題」以外に、「加減」(足すことと引くこと)と「添削」の意味があります。

ここで気付かれた方もいるかと思いますが、英語は実は視覚的には語句を「訓読み」しているようなものなのです。一方、ハングルは表音文字のため、元は同じ漢字でも、音読みと訓読みが別々の文字で表記されるため、意味の共通性がすぐには分からないのでしょう。

シンシアリーさんが訳した元記事を読んだら、読者のコメントに、「詰め込み教育が批判され、最近は『単語暗記学習』をさせないから、語彙力が低下している」と嘆く声があり、驚きました。

日本人で、仮題や加減、添削といった単語を“暗記”する人などいるでしょうか? 中学生くらいの子供が「添削」を「てんさく」と読めないことがあっても、これを単語として授業で“暗記”することは想像がつきません。

詳しい記事があっても、読めない、読まない人は、日本人よりは多そうです。

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

更に余談ですが、日本では盆栽で「実もの」を育てる人は結構多いと思います。下は姫リンゴの盆栽の検索結果。(各画像について調べていないので、姫リンゴではない画像が混ざっている可能性があります。)

 

20210331_himeringo

 

ソメイヨシノと同じバラ科である姫リンゴは自家受粉しないのです。

それで、上のような実のなった姿を鑑賞したい場合、開花期が同じ別の品種(大抵は「海棠(カイドウ)」を一緒に育て、カイドウの花粉を姫リンゴの花に付けて受粉させます。

盆栽が趣味だったブログ主の父がまさにこれをやっていたので良く覚えています。

今回、カイドウの盆栽も画像検索してみましたが、実がなっている画像があまり多くなかったのは、カイドウは実が大きくならないのかもしれません。ブログ主の父もカイドウの盆栽に実を付けさせることにはあまり興味がなかったようです。花は桜のようできれいなので、開花だけ楽しむものとしていたのでしょう。(結実させるというのは鉢の小さな盆栽には負担になります。)

姫リンゴに限らずリンゴを盆栽に仕立てて、小さな木に大きな実を生らせるのが醍醐味なのかも知れませんね。

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

原文

http://www.hani.co.kr/arti/animalpeople/ecology_evolution/861962.html#csidx31a37ceee53a54bb9bd616fa261484c
한·일 ‘벚꽃 원조’ 논란 끝? 제주 왕벚나무 ‘탄생의 비밀’ 확인
등록 :2018-09-13 15:57수정 :2018-09-13 23:00

프랑스인 신부 타케가 제주도에서 왕벚나무를 발견한 것은 일본강점기 직전인 1908년이었다. 반세기가 지난 1962년 식물학자인 박만규 국립과학관장은 “벚꽃은 우리 꽃-한라산이 원산지”란 주장을 폈고, 실제로 한라산에서 우리나라 연구자로서는 처음으로 왕벚나무 자생지를 확인했다. 이로부터 벚나무의 ‘제주 원산지론’은 국민적 상식이 됐다.

벚나무는 일제히 피우는 화려한 꽃과 아름다운 나무꼴 덕분에 우리나라뿐 아니라 세계적으로 가로수와 공원수로 인기가 높다. 그러나 여의도 윤중제나 진해의 벚나무를 비롯해 전국에 심은 벚나무 대부분은 일본산 왕벚나무였는데, 제주 왕벚나무가 그 원조라는 주장이 그런 찜찜함을 가시게 해 주었다.

한라산에서의 자생 왕벚나무 탐사를 앞두고 박만규 국립과학관장이 <동아일보>에 한국이 벚나무의 기원임을 주장하는 글을 실었다. 네이버 기사 라이브러리 제공.
한국 원조론에 맞서 일본에서도 일본산 벚나무의 야생 원종을 찾아 전국을 뒤졌지만 실패했다. 일본 왕벚나무는 1700년대 도쿄 근처에서 자생종인 올벚나무와 오오시마벚나무를 인위적으로 교배해 만든 품종임이 밝혀졌다. 한국과 일본의 왕벚나무가 형태상으로 비슷하고 일본에서 못 찾은 자생지가 한라산에 있다면, 제주의 왕벚나무는 세계로 퍼진 일본 왕벚나무의 원조라고 할 만하다.

그러나 이런 ‘상식’은 과학적으로 뒷받침되지 않았다. 한라산 왕벚나무가 어디서 기원했는지, 두 왕벚나무가 과연 같은지 유전적으로 밝히는 연구가 본격화한 것은 최근의 일이다.

김승철 성균관대 생명과학과 교수팀은 2014년 ‘미국 식물학회지’에 실린 논문에서 제주 왕벚나무가 자생하는 올벚나무를 모계로, 벚나무(또는 산벚나무)를 부계로 자연적으로 형성된 잡종이라고 밝혔다. 이들은 왕벚나무의 일부 유전자와 엽록체 분석을 통해 이런 결론을 얻었지만, 일본 왕벚나무에 대한 연구는 후속 과제로 남겼다(▶관련 기사: 때 되면 한-일 원산지 논쟁, 벚꽃에게 물어봐!).

국립수목원의 지원 아래 명지대·가천대 연구자가 참여해 왕벚나무의 전체 유전체(게놈)를 해독한 연구결과가 과학저널 ‘게놈 바이올로지’ 9월호에 실렸다. 이 연구에서는 제주의 왕벚나무와 인접 종은 물론 일본에서 최초로 왕벚나무가 기록된 도쿄대 부속 식물원(고이시카와 식물원)에서 왕벚나무 표본을 확보해 분석했다. 연구자들은 13일 “완전한 유전체를 비교한 결과 제주 왕벚나무와 일본 왕벚나무는 뚜렷하게 구별되는 서로 다른 식물”이라는 결론을 내렸다고 밝혔다.

제주 왕벚나무와 일본 왕벚나무, 다른 벚나무 근연종 사이의 유전적 분화 정도를 보여주는 그래프. 백승훈 외 (2018) ‘게놈 바이올로지’ 제공.

주 저자의 하나인 최경 국립수목원 박사는 “제주 왕벚나무와 일본 왕벚나무 사이에 유전적 뒤섞임은 없는 것으로 나타났다”고 말했다. 이제까지 나돌던 제주의 왕벚나무가 일본으로 건너가 일본 왕벚나무가 됐다거나 그 반대라는 주장은 유전적 근거가 없음이 밝혀진 셈이다.

교신저자인 문정환 명지대 생명과학정보학과 교수는 “이번 자생 왕벚나무 유전체 해독을 통해 왕벚나무를 둘러싼 원산지와 기원에 관한 논란을 마무리할 수 있을 것으로 기대한다”며 “제주의 왕벚나무는 제주 것이고 일본의 왕벚나무는 일본 것”이라고 말했다. 그는 “거리와 공원에 심은 수많은 벚나무는 일본에서 개량한 요시노 품종이지만 베어내는 등 적대적일 필요는 없다”며 “벚나무의 기원을 알고 즐기면 된다. 나무에 무슨 국적이 있느냐”고 덧붙였다.

이번 연구에서 제주 왕벚나무는 올벚나무를 모계로, 벚나무를 부계로 태어난 1세대 자연 잡종임이 확인됐다. 같은 벚나무 속의 이들 종은 3㎞ 범위에서 함께 분포하며 3월 말∼4월 중순까지 2주 동안의 개화기가 일부 중복돼 잡종화할 조건이 갖춰져 있다고 연구자들은 밝혔다. 이런 교잡의 기회는 드물게 찾아오며, 따라서 제주 왕벚나무의 전체 개체수는 약 200개체에 불과하다.

그렇다면 올벚나무와 벚나무는 어떻게 종의 장벽을 넘어 잡종을 이룰 수 있었을까. 연구자들은 “벚나무는 자신의 꽃가루가 암술에 묻더라도 싹이 트지 못하게 하는 자가수분 억제 장치가 돼 있는데, 가까운 다른 종에는 꽃가루받이를 허용하는 특성이 있음이 이번 연구로 밝혀졌다”라고 밝혔다. 문 교수는 “이처럼 근친교배를 막으면서 종간 교배에 융통성을 부여한 것은 섬이라는 고립된 환경에 적응한 결과일 가능성이 있다”라고 설명했다.

자생하는 올벚나무와 벚나무의 자연 잡종으로 태어난 제주 왕벚나무는 자연적으로 새로운 종이 탄생하는 증거로서 학술 가치가 크다고 연구자들은 밝혔다. 제주 왕벚나무의 81%는 이런 1세대 잡종이고, 나머지는 왕벚나무가 부·모 종인 올벚나무나 벚나무와 다시 잡종을 이루는 역교배 잡종으로 잡종화가 활발하게 진행되고 있다.

제주 왕벚나무의 잡종 형성 과정. 백승훈 외 (2018) ‘게놈 바이올로지’ 제공.

최경 박사는 “이번 연구는 야생 목본 식물 가운데는 세계에서 처음으로 제주 왕벚나무의 전체 유전체를 해독했다는 점에서 의미가 있다”고 말했다. 식물의 게놈 연구는 주로 농작물 등 초본과 나무 가운데는 사과 등 과실수를 대상으로 이뤄졌을 뿐 야생 수목은 우선순위에서 밀렸다.

한편, 이번에 연구대상인 제주의 왕벚나무 기념목 가운데 한 그루는 게놈 분석 결과 제주 자생종이 아니라 일본 재배종과 거의 같은 것으로 드러났다. 이 나무는 밑동 둘레 3.45m의 거목으로 나무의 모양과 개화 형질이 뛰어나 2015년 국립산림과학원과 제주도가 왕벚나무 자원화의 기준이 되는 ‘어미나무’로 지정한 개체다. 연구자들은 재배하던 일본 왕벚나무가 어떤 이유에선가 한라산으로 옮겨진 것으로 추정했다.

 

 

  


 

 

 

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