【湿TV動画】創氏改名の真実/창씨개명의 진실
韓国人Youtuber「湿TV」さんの新しい動画を観て、以前のエントリー『「創氏改名」について多くの日本人も勘違いしていること』で解説した『創氏改名』についてもう少し書いてみます。調べたら面白い記事が見つかったので。
『創氏改名』は1939年11月10日付けの官報で公布され、1940年に実施されました。
韓国では、女性は父親の姓を結婚しても名乗りますから、家族姓(氏/家族で共通した苗字)のようなものは無いわけで、動画では最初に「氏」と「姓」について説明しています。
『創氏改名』は実は「創氏」と「改名」の別々の制度であり、日本式の家族を単位とした戸籍制度を導入するにあたり、家族の「氏」(苗字)を付けること=創氏=を義務づけ、日本風の改名を許可(自由意志)したものなのですが、この2つの届出が1940年2月11日~8月10日の6ヵ月間と、同じ期間に行ったので誤解されています。(と言うよりも、誤解しやすいところにつけこんで、『創氏』と『改名』がセットだと、「反日」に利用されているのだと思います。)
そして、前述のエントリーでも説明したとおり、『氏設定ニ就テ御注意』という告知には、新たな「氏」を作るつもりがなければ、戸主の姓(夫の姓)を「氏」として戸籍に登録されるという説明されていました。(Wikimediaには丁寧に韓国語の対訳まで掲載されています。)
韓国では、日帝=悪というストーリーで、『創氏改名』はセットで強制されたものとされています。民族文化の抹殺だというロジックだからです。
そこで、動画に紹介されたブログには「創氏改名感謝状」なるものが登場します。
動画に出てくるブログはこちら(https://m.blog.naver.com/PostView.nhn?blogId=dseco&logNo=140019987572)ですが、創氏改名の感謝状として掲載されている表彰状は軍隊への寄付にに対するものだったり、国民学校の生徒の皆勤賞だったり...。創氏改名とは全く関係ありません。現代の韓国人が漢字が読めないとしても適当すぎますw 金田クンもビックリしてることでしょう。
◇ ◇ ◇ ◇
さて、冒頭で言った面白い記事ですが、2003.12.19付け朝鮮日報の『日帝의 창씨개명 강요문서 발견돼 1940년 6월 "모든 가구 신청하게 독려"』(【機械翻訳】日本帝国の創氏改名強要文書発見 1940年6月、「全世帯申請するよう督励」)という記事で、以下に翻訳した内容をご紹介します。(翻訳ママ。原文は後述)
https://www.chosun.com/site/data/html_dir/2003/12/19/2003121970022.html
日本帝国の創氏改名強要文書発見
1940年6月、「全世帯申請するよう督励」
朝鮮日報 入力2003.12.1905:54
日帝が「創氏改名」を強要したという事実を示す資料が、日本人研究者によって大田の政府記録保存所で発見された。
京都大学の水野直樹教授(韓国近代史専攻)は18日、政府記録保存所で、日帝時代に釜山地方裁判所長が管内の機関長に対し、創氏申請率が低調だとし、住民全員の創氏申請を督励した事実が盛り込まれた行政文書を見つけた、と毎日新聞電子版が報じた
水野教授が発見したこの文書は、釜山地方裁判所長が1940年6月12日付で管内の市町村長宛てに送った例規文書で、「氏設定督に励関する件」というタイトルが付けられている。
朝鮮人の創氏申請期間は1940年2月11日から8月10日までだが、申請受付から4カ月が過ぎても、全世帯の10%のみ申請し、一部地域には3%以下の地域もあることを指摘、7月20日までに全世帯が創氏申請を終えるよう督励する内容が盛り込まれている
水野教授は「当時、朝鮮総督府は"創氏改名は強制ではない"と繰り返し強調したが、申請率が低いことから申請率を上げるため圧力をかけ、これを批判する人を逮捕するなど異議を申し立てることは許さなかった。 創氏改名を強要した実態がわかる資料」と述べた。
日帝が民族抹殺政策の一環として推進した朝鮮人の創氏改名は、申請後3ヵ月が過ぎても創氏を申請した世帯は全体の7.6%である32万世帯に過ぎなかったが、その後申請率が上がり、最終的に全世帯の80%である320万世帯が申請を終えたことになっている。
韓国近代史を研究する宮田節子早稲田大学講師は「この文書は創氏改名が強制的に行われたことを示している。 朝鮮総督が強く希望すれば、地方の責任者が成果を上げるために競争する構図がよく表れている。 当時、朝鮮総督府は自らが「やや行き過ぎだ」ということを認めてはいたが、あくまでも「(行き過ぎたものは)末端に過ぎない」と述べたが、その意味からも貴重な発見といえる」と評価した。
最近、日本では6月に麻生太郎自民党政調会長(現総務庁長官)が「創氏改名は朝鮮人たちが願って行ったもの」と妄言をした後、各種右翼雑誌が麻生の妄言を擁護する記事を相次いで出している。
◇ ◇ ◇ ◇
前述のように「創氏」(家族の苗字の届出)は義務なので、期間内に申請するように督励したのですが、それを「創氏改名」を督励→強制したとすり替えて研究結果が発表され、毎日新聞がそのまま報じたようです。
記事中に出てくる「氏設定督に励関する件」という通達は後ほどご紹介します。
そして、記事に名前が出てくる2人の教授をググってみた所、Wikipediaにエントリーがあり、一部抜粋すると...
「日本の植民地支配を肯定的に評価しようとする日本学界の流れに対抗し植民地近代化論を批判してきた」として、韓国の全南大学校から後廣賞を受賞した[1]。八木晃介、上田正昭らと共に「朝鮮学校を支える会」の呼びかけ人も務めている[2]。
日本の朝鮮植民地を批判する立場で、自由主義史観研究会批判、新しい歴史教科書をつくる会批判[1]、日韓併合の不当を主張する「2015年日韓歴史問題に関して日本の知識人は声明する」[2] などのアピールや声明に名を連ねてきた。
(´・ω・`)・・・
公正を期するために書くと、確かに、組織単位(学校など)で、改姓を推進した例があるようで、動画の中にも幾つか「創氏改名は強制では無い」という新聞記事が出てきますが、このような記事を朝鮮総督府が出させたのはそのせいもあるかもしれません。
「創氏」は、特に「改名」しなければ、自動的に戸主の「姓」が家族姓となったのですが、2つの申請受付期間が同じだったこともあり、「日本風に改名しない」家族の場合も、期間中にその意思を示さないとならなかったのかと思います。届出がない場合、本当に戸主の姓を家族姓にしていいのかどうか確認ができません。
なお、上記記事中の水野教授の資料(論文ではなく、プレゼン資料のような体裁のPDF『朝鮮人の名前とその歴史』)も京都大学のサイトに見つかりました。表紙の日付が2005年12月9日・16日となっているので、この内容の講義を2003年以来、毎年行っているのかも知れません。
◆『氏設定督励ニ関スル件』とは?
『氏設定督励ニ関スル件』の文面は上記PDFファイル(P.98―以下にキャプチャ)で読めますが、はっきりと、「7月20日までに全戸数の氏届出を完了するよう~」と書いてはありますが、「改名」については書かれていません。
にもかかわらず、水野教授はこれを持ってして、「創氏改名」を強要した証拠だと言ったわけです。
◆本当は、朝鮮人は日本名を名乗りたかった
上記PDFには他にもこんな記述を見つけました。(P.72)
日韓併合(1910年)するやいなや、日本風の名前に改名する者がいた、という『毎日申報』1910年9月9日の記事です。
すると、(P.73)
1911年10月26日付け朝鮮総督府令 第124号『朝鮮人ノ性名改称ニ関スル件』では、姓名改称を許可制にし、日本人風の姓名を禁止しています。(「運用で」とあるのは、受付の際に担当者が紛らわしい名前を却下したのでしょう。)
ということは、
改名を強制する迄もなく、
日本風に改名したい人が大勢いたということでは?
次のページ(P.74)にはその理由が書いてあり、「日本人と朝鮮人の差別化」とか「朝鮮在住日本人の優位性・優越感」だと水野教授は位置づけています。
『日韓2000年の真実』によると、内地(日本国内)で、勝手に日本名を名乗った詐欺事件などもあり、満州事変(1931年、つまり創氏改名以前)の頃、満州には100万人ほどの朝鮮人がいたそうですが、禁止されていたにも関わらず、ちゃっかり日本名に改名していたそうです。
そこで、日本人と紛らわしい名前を1940年まで禁止したのですが、動画でも湿TVさんが仰っていたように、日本風の名前を禁止したら「差別だー」、許可したら「民族文化の抹殺だー」。
まあ、左翼なんてこんなものです。
◆時系列
最後に、時系列を纏めておきます。
1910.08.29 併合
1910.09.09 『朝鮮申報』朝鮮人(朝鮮系日本人)が勝手に日本名を名乗っているという記事
1911.10.26 朝鮮総督府令第124号「朝鮮人ノ姓名改称ニ関スル件」: ①改名を許可制にし、②日本風の名前を付けることを禁じる。(②は1940年まで続く)
1939.11.10 『官報』政令第19号(創氏)、第20号(改名)
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Gazette_of_Government-General_of_Korea,_1939-11-10,_page_1.png
1940.02.11~08.10 届出期間
下は英語風に説明。
1910.08.29 annexation
1910.09.09 『朝鮮申報』Some Koreans changed their names to Japanese style names.
1911.10.26 government ordinance No.124(朝鮮総督府令第124号「朝鮮人ノ姓名改称ニ関スル件」): The government(朝鮮総督府/조선총독부)prohibited Koreans from changing their names to Japanese style.
1939.11.10 government ordinance No.19(創氏)、No.20(改名): The government ordered Korean to create a family name (no.19) and allowed them Japanese style names (no.20).
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Gazette_of_Government-General_of_Korea,_1939-11-10,_page_1.png
1940.02.11~08.10 application period
◇ ◇ ◇ ◇
以下は記事原文です。
日帝의 창씨개명 강요문서 발견돼
1940년 6월 "모든 가구 신청하게 독려"
조선일보
입력 2003.12.19 05:54
일제가 ‘창씨개명(創氏改名)’을 강요했다는 사실을 보여주는 자료가 일본인 연구자에 의해 대전의 정부기록보존소에서 발견됐다.
미즈노 나오키(水野直樹) 교토대학 교수(한국근대사 전공)는 지난 8월 정부기록보존소에서 일제시대 부산의 지방재판소장(일본인)이 관내 기관장들에게 창씨(創氏) 신청률이 저조하다면서 주민 전원의 창씨 신청을 독려한 사실이 담긴 행정문서를 찾아냈다고 18일 마이니치(每日)신문 인터넷판이 보도했다.
미즈노 교수가 찾아낸 이 문서는 부산지방재판소장이 1940년 6월 12일자로 관내의 시·정·촌(市·町·村)장 앞으로 보낸 예규(例規)문서로, ‘씨설정독려(氏設定督勵) 관한 건’이라는 제목이 붙어있다.
이 문서에는 조선인들의 창씨 신청기간이 1940년 2월 11일~8월 10일까지이지만, 신청 접수 후 4개월이 지나도록 전체 가구의 10%만 신청하고, 일부 지역에는 3%이하의 지역도 있다는 점을 지적하면서 7월20일까지 모든 가구가 창씨 신청을 마치도록 독려하는 내용이 담겨있다.
미즈노 교수는 “당시 조선총독부는 ‘창씨개명은 강제가 아니다’라고 거듭 강조했지만, 신청률이 저조하자 신청률을 높이기 위해 압력을 가했고, 이를 비판하는 사람들을 체포하는 등 이의를 제기하는 것을 허용하지 않았다. 창씨개명을 강요한 실태를 알 수 있는 자료”라고 말했다.
일제가 민족말살 정책의 일환으로 추진한 조선인들의 창씨개명은 신청 후 3개월이 지나도록 창씨를 신청한 가구는 전체의 7.6%인 32만 가구에 불과했으나 그후 신청률이 점점 높아져 최종적으로 전체 가구의 80%인 320만가구가 신청을 마친 것으로 돼 있다.
한국근대사를 연구하는 미야타 세쓰코(宮田節子) 와세다대학 강사는 “이 문서는 창씨개명이 강제적으로 이뤄졌다는 것을 드러내는 것을 보여주고 있다. 조선총독이 강하게 희망하면 지방 책임자들이 성과를 올리기 위해 경쟁하는 구도가 잘 드러나 있다. 당시 조선총독부는 스스로가 ‘다소 지나치다’는 것을 인정하기는 했지만 어디까지나 ‘(지나친 것은) 말단에 불과하다’고 했는데, 그런 의미에서도 귀중한 발견이라고 할 수 있다”고 평가했다.
최근 일본에선 지난 6월 아소 다로(麻生太郞) 당시 자민당 정조회장(현 총무청 장관)이 “창씨 개명은 조선인들이 원해서 실시한 것”이라는 망언을 한 이후 각종 우익잡지들이 아소의 망언을 옹호하는 기사들을 쏟아내고 있다.
« 【書籍】『朝鮮雑記 日本人が見た1894年の李氏朝鮮』 | トップページ | 【韓国・慰安婦訴訟】国際司法裁判所(ICJ)の場に於いて日本が100%勝てるかどうかは分からない »
« 【書籍】『朝鮮雑記 日本人が見た1894年の李氏朝鮮』 | トップページ | 【韓国・慰安婦訴訟】国際司法裁判所(ICJ)の場に於いて日本が100%勝てるかどうかは分からない »
コメント